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| ☆ 或る面に尖った棒で凹みを付けつつ線を引く事に依って、面が任意に区画される。凹線は面を幾つかに区分することによって色々な形と其形と形との関係が出来る。其時それを見る人に或る心の動きが起こる。これすなわち絵である。 |
| ☆ 凹線の代わりに鉛筆又は墨、絵の具等で線を引いてもよい、無数の線を引く事のために無数の形と形の関係とが出来る。それによって種々様々な心の動きかたをなさしめる力が出来る。 |
| ☆ 線を以て面を区分する代わりに、種々の色を以て或る形をした幾つかの面を現したらまた特殊な感じを人の心に与える。仕切られたある形の上の色が平等に塗られず、ぜんぜん濃淡を有ちあるいはぜんぜ色が変化する様に塗られた時又は面全体が画然と区別せられず、色と濃淡によってぜんぜん種々の変化を与えられた時、にもある感動を人の心に起こす。 |
| ☆ 面と面との境目が線である故に、面の境目又は任意に引いた線の上を目が走る時にまた一種の感じを受ける。 |
| ☆ ある面に、(1)種々の形の面を区切り、(2)種々の方向を存する線を引き、(3)種々の色彩を施し、(4)濃淡を付ける。是れ等の仕事の一種又は数種を色々に組み合わせる事によって、その面を視るものの心を種々に動かせようとする事業は凡て絵画であると私は言う。 自然万物何見ても、我々はある強さである感動を受け我々の心が動く。何んなに動くか、千種万別、見るものと我が心との交渉の仕様で色々である。 |
| ☆ 硝子窓を透かして外を見る時、家なり樹木なり、遠いものは小さく、近いものは大きく、形も色も、自然そのもののままでなく、全く異なった配列で、硝子の面上に彩られたる硝子の如く、又は絵の如く見ゆる。 一枚の画布の上に、硝子窓を透かして自然を見た時の様に、画の具を配列して塗れば、恰度硝子窓を透かして自然を見たような感じが起こる。 自然物を見た時受けた感動を表現し、又は或る心の動きを自然に依って表現しようとする時、自然物を絵に描く。 自然万力ある事に依って初めて我に其の如き心が出来たとも云える。我心あって万有を創造するが故に万物存在するとも云える。どちらでもいい。 我の外に在るが如く見ゆる自然を写すために描くのが絵の目的でなく、我れ自身、内なる心の動き方を表すために描くのが絵である。 壁紙の花の模様は花を写した影でなく、花に依って人の心が動いたものの表現。機械設計図は機械を作らんとする人の心を工人に示すため。風景画家は山水を見て心踊り、手思わず動いて山水の画が成る。 |
| ☆ 外界自然物を描く事によって、単に、形、色、線、濃淡の組合せの面白味以外に、自然物に対する連想に依って複雑なる心の状態を現し、複雑に心を動かさしむる事が出来る。 |
| ☆ 基督十字架に就ける画を見る時、色と形と線の組合せに依って心の動く外に、宗教的感情が動く、歴史的観念が働く、親と子、師と弟子の間の人情、無智者の貪欲、惨酷、恐怖、苦痛、死、涙、血、犠牲、勇猛、罪悪、其の他種々雑多の想が起こり心が働く。 |
| ☆ 風景画を見る時、荘厳、幽遙、閑雅、平和、静寂、孤独、等の心となり、美人画を見れば温和、優美、等の心又は色情を起こす。 |
| ☆ 自然物を写す事により其の様に種々な感じ、強い感じを与え得る故に、絵は自然を写す事が唯一の仕事であり、最も巧妙に自然を横写した絵は善い画であるという風に多く考えられる。写実に非ずとするも、尚、自然物を取り扱いて絵にす可きものとされて居る。 |
| ☆ 如何に多くの強い連想を呼起さしむる自然物を寄せ集めて描いていても、其形、色、線、濃淡の配合、組合せの工合が、目で見、心に伝えて、心が安息し、善しとして受け入れる場合でなければ真に善い絵であるとは感じぬ。 |
| ☆ 文学的の人は、多くは、描かれたる自然物を見て起こる種々な連想によってのみ絵を鑑賞する。裸体画は助平なる道徳家に排斥される。彼等は色や形の配合に就いては多くの意味を有たぬ。 |
| ☆ 絵は見る可きものである。目の生活の事業である。絵で歴史を語るのも宜い、地理を説明するのも、人情を説くのも、宗教心を起こさしむるも宜い、一枚の画は天地のすべてのものを含み得る、それ等のすべてを含み得る画は立派な絵であるに違いない。 我等目の世界に住む人は、商売人が一文の価せぬと思うものも尊い事がある。教育家が眉をひそめるものに対して非常な賛美を捧げる時もある、宗教家の悪魔をよろこび、文学者歴史家には何の価もない、色と形との組合せに、霊のすべてを捧げる時がある。 |
| ☆ 絵の有って居る宗教を忘れ、絵に現れ得る文学をわすれ、歴史を無視し、人情、伝説、諷刺、比喩を打ち棄ててただ自然物に現れたる色と形と線と調律など楽しむことに純粋な絵の事業がある。 |
| ☆ しかも、自然物の何の形も色も忘れ、外界自然の何に象どりたると言う事を想わず、何を写す事もせず、形と色と線と調子とを心のままに、心の要求と、手の動きと、カンバスとブラシと絵の具との協力によって、自ら構成され、築き上げられたる一種の絵も、絵としての生命を有って、人の心の状態を表現し、人の心を動かさしむる力のある可きものである事を私は信ずる、そしてそれを試みようとしている。 |
| ☆ 外界自然の何者の象をも写さずに、自分の内心の動くまま踊るがままに、色を布に塗り行くとも、そこには、やがて、自然に比べて考ふ事の出来る、形と色とが現出するであろう。心と外界とは切っても切れぬ縁があるから。心の動きは常に多界万物の動きと適応する故に。心そのものの動きに適応して出来た絵にもやはり自然万有を見出し得るだろう。それにはやはり、外界に在る、明暗、大小、遠近、光沢、軽重、安定、運動の感が現れ、石や木や山や空や水や波や火や血や岩や花やすべての自然物にコレスポンドしたる感覚を与え、連想を呼起すものを有って居るのであろう。 |
| ☆ 罪なき百姓の、民謡の旋律が、罪なき心から、自ら湧き出た様に、自分もインノーセントの心持ちにかえり、その心が歌う調律を、この画布の上に塗りたいと思う。 |