村井正誠が実際に鉛筆で線を引いたり、円を描いたりする場面には授業の時はもちろん、普段のときでもよく遭遇した。村井正誠の線を描くスピードは速くもなく遅くもなく、どちらかというとゆっくりめで強弱はつけず、鉛筆と紙の接触を確かめるように描いていた。一本の線を引くにも無意識には引いてはいなかったのがよくわかった。だから、たった一本の線でもタブローの中で生きていて、それだけで絵になったのだ。その様はこうするんだよと我々に教えてくれているようでもあった。たどたどしく引かれた線は、楷書の世界であって、草書の世界では決して無かった。
それは、彼のサインをみればよくわかる。漢字であってもアルファベットであっても一文字一文字意識を切らさずに一つの形として描いた。線を草書のように一気に繋げて描くようなことはしなかった。多少、大人の崩し創作も感じられはしたが、丸みと膨らみを廃したまさに少年の字なのである。彼の絵画はもとより、彫刻、レリーフの作品にはこのペース、リズムは生涯変わることなく貫かれたといえる。
私が芸術科に入り、村井正誠による最初の授業は、我々を円座させ中央に立った村井正誠が、左手に開いた新しいF6号のスケッチブックを持ち、右手に持った鉛筆でまず画面一杯にゆっくりと円を描いた。それをわれわれに見せ、「まず円を描いて下さい」いわれるまま我々は同じようにスケッチブックに円を描く。次にその円を見つめながらしばらく間をおいてその円を囲むように四角を描き、またそれを我々に見せ「今度は四角を描いて下さい」といって再び我々に四角を描かせる。それが終わると、また画面を見つめ、今度は、左隅のほぼ中央から画面を横切るようにやや右上がりに右隅に線を終わらせた。そしてスケッチブックを見せながら「線を一本引いて下さい」と終わるか終わらないうちに「もう一本引いてもらおうか」といって上部中央から、やはり画面中央を横切って左よりの縦線に近い斜め線を画面の下部で終わらせた。ちょうど十字のように。そして、再び間をおいて、左下にサインをゆっくりと描いた。そして、それを見せながら、「これでも額に入れるとりっぱになるんだよ」と中央をくり抜いたマットを画面にあてがい我々に見せてくれた。更にそのマットをそれぞれの生徒の画面にあてがい「いいねぇー。りっぱだねぇー」「○○円するな」などといって生徒を喜ばせた。同じように描いたのだが、それぞれが違っていた。音楽で言えば音色が違うといったらよいのかも知れない。
たったこれだけだったが私はこの最初の瞬間に、村井正誠の全てがわかった!!と思ってしまった。妙に納得してしまったのだ。その瞬間から村井正誠との長い付き合いが始まってしまった。

線とは何か。それは運動とリズムを持ち、時間を持ち、表現を持つ。面はパッシヴだが、線はアクティブである。それは点と点を結ぶ運動だ。点とは何か。原要素である。それが封じられた緊張意志であるなら線は速度による解放だ。一本の線が、線自身の運動の自律性であるが、数本の線は空間の占有物となりそれによって生まれた空間は人工自然ともいえ、層となる。村井正誠はその層を切り取りバラバラにして再構成をした。
村井正誠の油彩画における線は、線のようであって線ではない。面なのである。エッチングの細い線、鉛筆、パステル、コンテ等で描かれた線ももちろん、村井正誠にとっては面なのであって、一本一本がコンポジションなのである。
クレーの運動力学と靜力学のせめぎ合いに堪えている線や、小川孝子ののびのびと画面を駆けめぐる線とも違う。村井正誠の線は、そこにある線なのだ。「見ればわかる、それ以上何があるというのだ」という線なのである。
全ての線描がそうであるというわけではない。例外もある。
村井正誠本人から直接画集を買ったときのことだったが、扉にマジックインキのサインペンでサインと共に鳥の絵を描いてくれたときには、あっけにとられるくらいの早さで書き上げた。描かれた絵が早さを感じる物だったかというとそういわけでも無かった。
一頃、テレビデッサンといって、一瞬にして切り替わるテレビ画面のデッサンを良くしていた。その現場に居合わせたわけではないので真偽ほどは保証できないがたぶん速かったのではないか。そして無意識の線がかなり含まれていたのではないかと思う。

○僕らは黙っていい画を描けばいいんだよ。そうすればみんなわかってくれるよ。


○さっとできた絵はダメの時が多いね。絵は難しいね。


○絵はムズカシイんです。だから面白いんです。


○この絵は裏が描けていないんだよ。表をいくら化粧してもね。


○きれいだね、きれい過ぎると面白くないよ。


○マルは誰でも描けます。でも私のマルはチョット違います。


○絵はカンニングが出来ないんです。また、する必要もないんです。線一本引いても、その人らしさが出ていればいいのです。しかし誰が見てもその人だ、ということがわかるようになればシメタ物です。