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更新日 2016.11.21







HOME > 不退院の起源と歴史








応永8年(1401年)に悦山暢喜を開山として、徳永城主・徳永小七郎義雄が一宇を草創したのが始まりである。悦山上人は応永初期に当国遊化の折、法蔵寺開山龍芸の化導を受け弟子となった高僧である。応永18年(1411年)4月23日に義雄は入没し、当寺に葬られた。 その後、正親町天皇の元亀3年(1572年)、当山6世本翁意伯(鳥居忠吉の子)が勅願によって参内して曼荼羅を講演し『上衍寺』の勅額を賜った。 永禄10年(1567年)9月29日に入没した八ツ面城主荒川義広、及び文禄2年(1593年)5月2日に入没したその妻・市場姫(徳川家康の異母妹)の墓も当寺にある。 当山7世頓翁意傅の代、慶長7年(1602年)には徳川家康より寺領13石5斗の寄進を受け、御朱印寺として寺紋に三つ葉葵の紋を授かった。

所在地

愛知県西尾市上道目記町中屋敷11番地

交通手段

名鉄西尾線の西尾駅から幡豆郡一色町方面へ約4キロ。
名鉄西尾線の福地駅から徒歩で約20分。

関連項目

三河十二本寺

ウィキペディア百科事典より


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