女房と烏骨鶏

烏骨鶏を飼うようになって、我が家の雰囲気に変化が現われてきた。
会社から帰れば、今日はどうであった、何個生まれた、何々が可愛い、とか必ず報告がある。
産卵時期には産卵率の記録の為に「今日は何個」と聞いたり、また女房からの情報で得ることもある、自然に会話の中心が烏骨鶏の事になり、会話の量も以前にまして増えてきた。
その女房は烏骨鶏の為に、思いもかけない突飛な行動もするし、言葉も吐く。これは女房の烏骨鶏にまつわるエピソードの様なものである。

イザちゃんがね
帰宅すると、女房が「イザちゃんがね」と話しかけてきた。何を言おうとしているのか分かったが、敢えて「どこかのイザベルがどうかしたか」と、とぼけると「違う、違う、うちのイザチャンがね」と言い、そして「イザちゃんと名付けたの」と言う。
現在は親鶏が3羽と雛が7羽いるが、雛には名前が付いていない。雛の1羽は孵化後、3週齢の頃から足が悪くなり、両足とも主要3趾が内側に曲がり込み、3趾で立てないで、膝以下でいざり歩いていた。既に2羽を淘汰していたが、これも淘汰せざるを得ないなと考えていたのだが、女房の頑強な抵抗に遭い、そのままに捨ておいた雛である。
その雛は食欲も旺盛で足の問題さえ無ければ、脚毛も良いし、烏骨鶏としては申し分がない雛だ。これが3趾の内、真ん中の趾が真っ直ぐになってきて、歩き始めたと言うのだ。
そんな筈はないと聞き流しておいたのだが、ある朝、出勤前に庭の雛を見ていると7羽とも立って歩いている。この前まで、イザリ歩いていたのはどれだろうか注意してみると、中に一羽、歩き方に少し不自然なのがいる。そうか、あれが、イザか!
その日以来、会社から帰宅すると「イザちゃんがね」が続く。雛の健康が回復したのは良いが、鶏漬けの女房の相手も煩わしい。
どうして回復したのだろうか?年末に与えた太刀魚の骨付き切り身が効いたのかな?、それとも黒烏骨鶏が居なくなった効果かな?、正月に与えた御神酒が効いたかな?
今では、注意深く見ないと、どれがその雛か分からなくなってきた。淘汰していなくて良かったなぁ!
(2000.01)
パンよ、お前もか
ある日、庭を見ると丸く白いものが2個見える。何かと側に行って見てみるとパンの様だ。鶏達が啄ばんだ後なので何パンかは分からないが、パンには違いない。
それから、庭には、トマトが、小松菜が、パンが見える様になった。多分、これら以外にも、あれこれと鶏達に供されたに違いない。ただ、鶏達に気に入られなかっただけであろう。
今もピーナツは買い置かれている。食べるのは女房と鶏くらいだ。
正月あけのある日、メロンパンを何袋も買ってきた。「そんなに買ってきたどうする」「もう、鶏にはやるな」と言うと、「子供が朝食にも食べるから」と子供まで鶏のだしに使われる。
付ける薬がない、ついにメロンパンまで登場してきた。
(2000.01)
白菜よ、お前もか
正月3日、鶏養の友人から白菜を4個貰った。別に鶏の餌用として貰った訳ではない。
次の日に庭を見ると、小松菜が吊り下げられており、そして半分に切られた白菜が庭に転がっている。
見れば白菜も葉先の部分が結構食べられて後と見え、形を止めていない。その後も白菜が庭にみられた。充分に人間の食に供される白菜が、、、
「人間が食べた残りをやれ!」と言うと、「じゃ、そうする」とは言ったもののその後、白菜が食卓には上っていない。
(2000.01)
人間も食べているよ
トマトに続き、ついに小松菜まで登場してきた。
それは、たまたま大漁であり、魚を捌かなければならないので持参する時間が無く、従姉妹に魚をあげるから取りに来てと言った日にさかのぼる。その時、庭に僅かではあるが、鶏に食べられないようにとネットを張って小松菜とラジッシュを栽培していた。
それを見た従姉妹が「野菜を作っているの?」と聞いたものだから「鶏の餌だよ」と答えたのだが、この言葉を女房が立ち聞きしていたのだ。もともとは人間用の積りで、余れば鶏にもと思っていたのだが、この一言ですっかり鶏用になってしまった。
その日を境に女房はせっせと小松菜の葉を摘んでは鶏に与え始めた。鶏達も小松菜が気に入ったとみえて良く食べる。だんだん、庭の葉が少なくなっていく。「あんまり、やるなよ」と言うと「この前、鶏用だと言っていたじゃないの」と言われると、ついそれ以上言えなくなってしまう。
ある日、買い物から帰ってきた女房が買ってきたものを後ろに隠し持っている。見ると小松菜ではないか?ついにトマト同様、買い与える様になってしまった。それとは別に青草も与えているが、鶏は緑餌を良く食べる。ケージの鶏はその点では可哀相である。
何時も買い与えているので「買い与えるな」と言うと、「外側の汚れた部分を与えているだけで、中の部分は料理しているよ」と言う。そう言えば、少しは人間の食卓にもまわっているが、やはり、鶏にまわった後の残り物だ。
一端、規制事実を作ると後は何を言っても頑固な女房である。買い与えるのであろう!言っても一時的効果しかない、諦めるか!
(2000.01)
トマトが高いのよねぇ
現在、我が家の烏骨鶏は抱卵に入っている。その以前からであるが、毎日のようにトマトを食らっている。
ある日、「最近、トマトが高いのよね〜」と、勿体をつけながら、女房が小生の夕食を出してきた。食事についてきたトマトは半分である。その時は、「何を言やぁがる、鶏には毎日呉れてやるくせに」とは思ったものの、何も反応せずにおいた。
多分、小生の夕食に出てきたトマトは、鶏達に与えた残りの半分なのであろう。
数日後の月曜日の朝、玄関を出ると、既にトマトが鶏達に供されている。しかし、緑時を与えた形跡がない。仕方なく、昨日取ってきて、刻んでおいた緑時を鶏達に与えた。女房の奴、会社へ行って、もういないだろうとでも思ったのか、顔を出してきた。隣の女房の、「奥さん、一日に何回も鶏小屋に入っているよ」の言ではないが、鶏小屋を覗こうとしたにちがいない。そこで、一言、嫌味をくれてやった。
「トマトが高いのよね〜、と言いながら、よ〜く、トマトやるよな〜。ちゃんと、緑時もやれよ」と。
すると、お返しに「今やろうと思っていたのよ。それにしても、よく、聞いたり、見たり、しているのね〜」と言いながら、テレを隠すかのように、ケラケラと声をあげ、朗らかに笑っている。
阿保らしぃ、何も意識して、聞いたり、見たりしているのではない。出されたトマトが「高いのよね〜」と言われれば頭の片隅には残るし、見ようも思わなくても目には入る狭い庭だ。女房の笑い声を背中に受けながら駅に向う小生である。
(1999.11)
水を飲めないから
或る日、女房に「もう、トマトをやるな」と言うと、「水を飲めないから」と言う。「高いのよね〜」の件の数日後のことである。
抱卵中の2羽の前にはトマトを半分づつ必ず置いている。そして、鶏も喜んで食うらしい。それが、女房には嬉しいのだろう。
また、数日後の或る日曜日、女房が「あれが面白いのよね〜」と外を指差す。
見ると、抱卵中の鶏が小屋から出てきて水を飲みながら鳴いている。普通ならば、「コケーコッコッコ」と鳴くのだか、水を飲みながら鳴くものだから、「コケー」と鳴いては、頭を上げ水を飲む、また「コケー」と鳴いては、嘴を水入れに入れ、頭を上げて水を飲み干す、この繰り返しである。
水を飲むなら飲む、鳴くなら鳴くであれば、何も可笑し味はないのだが、両方一緒にやろうとするから可笑しい鳴き方になってしまう。この様な鳴き方はその前にも見られた様だ。
抱卵中の鶏と言えど、水を飲めない訳でもないし、飲みに行かない訳でもない。「面白いのよね〜」と「水を飲めないから」との間に百歩の距離がある。何時ものことではあるが、その時の状況に応じて、奔放に言葉が出てくる女房である。
(1999.11)
別れの朝
5月9日、住宅街で烏骨鶏を飼うのは結構気をつかう、近所への騒音を考慮し、羽数を半減することにした。今日は5羽を持参し、貰ってもらう日である。
女房は朝から鶏舎に入り浸りで鶏達に餌を与えている。その後、持っていく鶏を選別する為に鶏舎に入ってみて驚いた。別れの馳走の積りか、色々な餌と共に小生が釣ってきた赤イカも餌として供されている。
女房の別れる烏骨鶏に対する気持ちか、それとも女房の反対を押し切って羽数を半減することに対する気持ちか、心境は複雑。
朝食はどうなっているの
5月7日、今日は珍しく6時頃、鶏達を鶏舎から開放する。普段よりは1時間以上遅い。
ボス(愛称)が「クウァ、クウァ」と鳴き続けている。育雛後、産卵する前は落ち付きがなく、鳴きながらあちこちを徘徊している。
鳴声が聞こえなくなった。大人しく鶏舎で産卵の体勢に入ったかと歯を磨きながら見てみるとチビ(愛称)が一羽大人しく座っているだけで、ボスの姿が見えない。
隣の庭に入れたかと見てみたがいない。女房の姿も見えない。
そうこうする内に女房がボスを抱え、手には緑餌を持って前の公園から帰ってきた。
まるで、猫でも抱えている風情である。聞くと、煩いから公園の草を食べさせていたのだと言う。ミミズも多いらしい。その内、一羽だけでなく、何羽も連れて行きそうな予感がする。
小生の朝食はまだである。
隣の庭の草取り
5月5日、朝、起きると隣の庭に娘達が放たれている。
隣とは金網で仕切られており、娘達が勝手に行くことなど出来やしない。女房が放ったに違いない。
訳を聞くと、「隣が庭の雑草を娘達に食べさせてほしいと依頼してきたから、頼まれて放ったのだ」と。
庭の草取りを鶏に頼むとは考えたものだ。多分、3−4日で奇麗に草を処分してくれるだろう。頼む方も面白いが、頼まれる方もまた可笑しい。
この日、一つの謎が生れた。娘の内の1羽が隣から我が家に帰り、そして鶏舎の中で卵を産んで鳴いていた。
わざわざ、鶏舎の中で産卵する為に帰ってきたのではあるが、金網越しをどのようにして帰ってきたのであろうか。夕方、娘達を家に帰す為に隣の庭に入り、帰ってきた経路を想定して、娘達を追ってみたが、庭から我が家に帰れない。結局、1羽づつ捕まえて我が家に放り投げて帰した。どのようにして、帰ってきたのであろうか?
死んでいるかも
5月4日、午後5時前に神戸から我が家に戻る。家に着くと女房が雨具を身にまとい庭にいる。
3羽の娘達と5羽の雛達が雨でびしょ濡れになって庭にいる。今までも雨の日にも放し飼いはしているが、これ程に濡れているのは初めてである。
次の日、女房曰く、「死んでいるかもと思ったが、朝見てみたら皆元気だ」と。
気になるくらいなら、鶏舎に入れればいいのに!
いい気なものだ!
娘達が「コケー、コケー」と鳴く声に目が覚め、居間のカーテンを開け、外を見ると既に庭に放たれた娘達が鳴いていた。
とにかく大人しくさせようと、庭に出て大人しくさせる。居間に帰り、時計を見ると未だ5時15分である。この前、「4時半には出してやろう」と女房が言っていたが、その言葉は冗談でなかったらしい。
当の本人は鶏舎の戸を開けて、また寝入っている。珍しく、猫が近くでないている。サカリ気のついた耳ざわりな鳴声だ。この猫の気配に鳴いたのかもしれない。
何れにしてもいい気なものだ!
勝手にしろ!
久しぶりに娘達の鳴声に起こされた。雛が生れてから初めての事である。
雛が生れてからというもの、卵も期待出来ないが、鳴声に悩まされることもない。
ここ1ケ月、烏骨鶏を飼う苦労をすっかり忘れていた。その安逸な日々も今日で終わりか!
外はかすかに雨が降っている。その中を女房が庭の娘達に餌を撒いている。女房、曰くに「娘達が鳴くので外に出てみたら、猫が来ていた。猫は居なくなったが、鳴き止まないから餌を与えていた」と。
時計を見ると、まだ5時である。まだ起きるには少々早い。
鶏舎の中に抱卵中の新入りと他の娘達を一緒にしていると他の娘達、特にボス(愛称)が新入りにチョッカイをかける。それを意識して、「4時半には開けてやろう」と言う。
もう、すっかり自分のペットとして扱っている。勝手にしろ!
わかったものではない
遅い朝昼兼食を終え、新聞に目を通す。
そろそろ、ホームページの原稿でも打つかとパソコンに向かう。椅子に腰掛け何気なく、外を見るとガラス越しに女房が見える。
見れば、何やら小椀を持っている。その小椀を娘達の近くに置いたが、娘達の反応はない。それではと、小椀の中の物を手のひらにのせて娘達に差し出した。
見ると、それは小生が昨日、釣ってきた赤イカの切り身である。つい先程まで、台所で赤イカの処置をしていた筈だが、・・・
すると娘達ばかりか雛まで寄ってきて手の上の赤イカをせわしなく啄ばみ始めた。
驚いたことに、小生がそうすると、決して小生の手の上の物を啄ばまないチビ(愛称)までも啄ばんでいる。驚きである。あのチビが、・・・
女房と娘達の普段の付き合いの程をいやと言うほど見せつけるシーンだ。
余程、美味かったのか娘達も雛達も瞬く間にそれを食い尽くしてしまった。
一部始終、小生に見られていたことを見止め、最初はバツ悪そうに「初めてやったのよ」と声出して笑いながら、そして、「足の長い所を2つ刻んでやったのよ、普段は面倒だからしないけど」と嬉しそうに言う。
わかったものではない!
鶏の為に食べて
朝食を終え、外に出て昼釣の支度にかかる。
女房も外にきて、「メロンを食べて」と言う。メロンが食卓に出されていたことは知っていたが、気がのらないのでそのままにしておいたのだ。小生無言。
女房、続けて言う、「鶏の為に食べて」と。
実の娘より可愛い
雛が生れ、一緒に観察していた。
女房が言う。「烏骨鶏だけでも可愛いのに、雛がいると益々可愛いね」
続けて言う。「実の娘より可愛いわ」と。実の娘に聞かせてやりたい。
朝から買い物、ご苦労さん
雛が生れて間もない頃、女房が珍しく朝、出かけた。
帰ってきて、メロンが出された。その意図がよくわかる。
家族の為というより、烏骨鶏とその雛の為に買いに出かけたのだと。
娘みたいなものよ
実の娘に対するよりも愛情深く鶏達の面倒をみている。
或る日、余りの面倒見の良さに、「自分の娘よりも良く面倒見るねえ」と皮肉ると。
女房曰く。「自分の娘みたいなものよ」とシラーと言ってのける。
最初の「しらないからね(面倒みないからね)」からのこの変わり様。
ない、ない
娘達は未だ抱卵中である。3月中旬とはいえ、まだ寒い。家族は居間で暖を取りながら、テレビを見ている。女房は落花生の殻を黙々と剥いている。
かなりの数を剥いた筈だが、自分が食べる気配はない。やおら台所に行き、ドンドンと音を立てて、何かを叩いている。
そして、砕いた落花生を抱卵中の娘達の前に置いている。チャンと餌は与えているのだが、・・・
抱卵中、食が細くなるのは自然の道理。それを心配して好物を食べさせようとの考え、解らぬではない。
次女に聞いてみる。「おまえの時、あそこまで面倒みてくれると思う?」
次女「ない、ない」と。小生もそう思う。
愛情の押し売り
ある寒い朝、居間から外を見る。何と鶏舎の周りがダンボールで覆われており、その上、上部の隙間には丁寧にも厚めの布で覆ってある。
防寒、暴風のつもりであろう。昨夜、小生が寝た後、女房がしたのであろう。
「鶏は寒さに強いから、そこまでしなくてもよい」と戒めると。
女房、曰く。「その本(神秘の鶏、烏骨鶏)にも書いてるが、寒い時、人間だけが温かい思いをしているのは良くないよ」と。
可愛いだけの愛情の押し売りに付ける薬もなし。
その後、雨の日、寒い日、変わることなく励行、只ただ、感心!
何時から
ある日曜日、居間に腰かけて娘達が庭で遊ぶ様子を眺めていた。
小生が落花生を袋から取り出したりすると、その音に娘達は寄ってき、手の中のものまで取ろうとする。
娘達が一斉に此方に向かって「コッ、コッ」と甘え鳴きをしながら寄って来る。小生は何もしていない。
小生を目掛けて寄ってきているのではない。玄関の方に向かっている。その方を見ると、女房が玄関から顔を出したところだ。
この娘達の反応はどうだろう!「一体、何時から、お前達は女房に抱き込まれたの?飼い主は誰?」
糞の始末をしろよ
外に出すと庭に糞をする。しかも産卵中は卵か思うくらい大きな糞をする。
「出すのは良いが、糞を拾って土に埋めろよ」と条件つける。
その後、始末したり、しなかったりで庭が見苦しい。「糞の始末が出来ないのなら、(鶏を)出すな」と命令。
と、女房、庭の糞ばかりか、鶏舎の中の糞まで拾い集め、土に埋め始めた。
そこまでは言っていないのだが、・・・
出してやろうは、いいけれど!
「出してやろう、ね、出してやろう」と言う。鶏達を庭で放し飼いにしてやろうと言うのだ。
「そのかわり、チャンと見ておけよ」との条件で了承。
外から帰ってくると、我が家には誰もいない。
鶏達は庭で長閑に遊んでいる。猫がきたらどうするの。いや、泥棒も!
女房、買い物から帰ってくる。「チャンと見てないじゃないか」と文句を言う。
女房、「大丈夫よ、何もないじゃないの」。それは結果である。
話はさかのぼるが、或る日、外から小生が帰ってくると、女房は座椅子にもたれ居間で眠りこけている。
「眠って見ていないじゃないか」と小生、「寝てないよ、何かあれば鳴いて起こしてくれるから」。何とでも言い抜ける女房である。
