
| 3 | 本書はかつて不登校だった二人の娘との子育てと、地元函館・登校拒否と教育を考える親の会「アカシヤ会」とのかかわりなどを通して見えてきた体験をもとにまとめられたものである。 行動派と見た著者の本職は公務員。しかしその姿からは民間営業マンとも言えるフットワークの軽さと発言力をもって、様々な不登校関係者等との縁をつないできた。社会福祉行政にも長く勤務されてきた経験もある方で、社会福祉士や精神保健福祉士の国家資格にもチャレンジし、資格取得されてきた努力家としても評されるべき人物である。 こうした立派な父親の子どもがなぜ不登校になるのか、と一般の人たちは思うかもしれない。今でこそ不登校の子どもちの代弁者として活動を展開する著者も、わが子が不登校になったときはそう簡単に受け入れられるものではなかった。本書でも触れられているとおり、不登校にとって大切な共感や受容、自己決定などとは遠い、対極な対応をしていたと自身の過去を振り返り戒めて回想している。著者自身が福祉を学んだ中で心を捉えた社会福祉援助技術論で馴染みのあるF.P.バイステックの「ケースワーク7原則」を引用し、不登校の子どもへの対応に社会福祉援助論の活用も大変意義有る方法であることを理解したのである。 わが子が不登校に陥ったとき、どれだけ早く自分の子を受け止めていくことができるかが大切であると言われてきた。著者はそんな不登校の子どもをもつ親たちに対して、本書では随所に元気の素を与えている。ここでは紙幅の関係上すべてについて触れることはできないが、「不登校の子どもが、学校に行っている子どもと同じくらいエネルギーを使っていること」や「学校や勉強、進路にとらわれがちな傾向に対して、まずは、じゅうぶんな休息が大切であること」「家庭がまず安心できる居場所となること」などは私たち大人がつい見落としてしまいがちな視点をささやかに提示してくれていると思う。 また、じゅうぶんな休息をとらないで行き渋り登校などを強要してしまったり、不登校を先送りすることに対しては、今日の「ひきこもり」と「不登校」との関連づけから著者は述べている。これは今日の都道府県下で見られる不登校の数減らしや半減政策の方向にひとつの警鐘を私たちに与えているのではないだろうか。著者は、そうした警鐘を「不登校は学校のカナリア」という言葉を用いて表現している。学校を通らなければ成長しないというひとつの固定的な価値と幻想がまだまだ世間にはあるように思う。 著者は最後に不登校という現象を通して、いまの社会や教育を改革していくことを述べる。「学校のバリアフリー」という考えもそのひとつということである。学校教師がすべてを抱え込む時代は終焉を告げるべきである。様々人たちの参画。特に当事者主権といわれるごとく、不登校などの当事者や経験者の声を反映した取り組みが求められている。 全体を通して読みやすい内容・構成になっている。多くの悩んでいる人たちの手に渡ることを期待する。今後の著者の活躍を願って筆者のつたない書評といたしたい。(札幌 田中 敦) |
| 2 | 若草色の爽やかな表紙と可愛いイラストがほのぼのした印象だ(イラストはお嬢さん)。タイトルの通り、野村さんご自身がお子さんの不登校を通して体験されたことと、そこから得られたことを、ご自身の率直な気持ちも含めて、真正面から真摯に受けとめ書かれている。不登校から「学んだ」ではなく、「教えてくれた」というところに、野村さんの謙虚で感性の細やかなお人柄が表れているように思う。加えて不登校支援の現場からのアドバイスも、親と教師それぞれの立場に対して、子どもの成長を支援する視点で盛り込まれている。 私自身も子どもの不登校に直面してずいぶん悩みもし、それによって多くのことを教わり、また自分自身がさまざまな社会的活動に関わるキッカケをも与えられた。しかし、野村さんの率直な体験報告とそれについての分析や、導き出される洞察の深さに接して、さらに気づかされることもたくさんあった。不登校は親子共々つらい体験ではあるけれど、見方を変えれば貴重な家族の歴史の一部ともいえる。そのプロセスを通して親も子も、より理解し合える関係になることができることを、この本は雄弁に語っている。 筆者自身の体験から始まって単なる体験に終わらず、子どもへの関わり方、学校の先生への関わり方、逆に先生から保護者や子どもへの関わり方などまで、懇切丁寧に書かれている。さらに、今日の子どもを巡るさまざまな課題への向き合い方、姿勢についても示唆されている点が希望が見えていい。 親が困ったときに発しそうな質問が、そのまま項目になってズラリ並んでいる。きっと困ったときの親の強い見方になることだろう。当時こんな本があったらと思う。今だったら私はどんな対処の仕方をするだろうか。学校に行けなくてうずくまる子どもの側に腰を下ろし、「アイスでも食べようか?」と笑顔で声を掛ける近所のオバサンになれそうな気がする。そういうちょっとホッとした会話のできる第三者の存在が、不登校に限らず、今子育てには必須になっているのではないだろうか。 野村さんの本は、そうした子育ての第三者=近所の優しい(しかも専門的な知識を身につけた)オジサン・オバサンのような本だ。子育て、教育に携わる人に時々思い出して読んでほしい。そんな雰囲気の本だ。この本を時々取り出して読み返すことで、子ども達と良い関係を築く道筋が見つかりそう。そんな勇気と希望が持てる本だ。(埼玉・大本) |
| 1 | 教育関係者として、また保護者として、共感しつつ一気に読みました。不登校の子が、「繭篭り」する時間が必要なように、この本もおそらく必要な「時」を経て出版されたことと、感銘を覚えます。 「もう一方の当事者」である学校や教育のありかたを、常に問い返してみることの大切さを、改めて感じさせられました。学校や教育にその視点が不足していることは否めない事実です。バックラッシュの渦中にあって、学校は子どもばかりか教職員にとっても息苦しさが増しつつある現実。そしてその中で、息苦しさに気づいているのかいないのか、疑問や反論の声をあげずに流れに身を任せてしまう教職員も少なからずいる現実。「適応できない子どもが悪い」という発想ではなく、苦しんでいる子どもや親の、声にならない声に耳を傾け続け、野村さんがおしゃっているように、不登校という現象を教育改革の手がかりとしていければ、学校という場も、かなりいい感じになれるのではないかと、読み終えて思います。"不登校の子は、学校のカナリヤ"という言葉を大事に受け止めながら、声をあげ行動していきたいと思っています。わが子らしく生き生きと育つことを考え、腹を据えた野村さんご夫妻のありかたに、親としての自分も大いに勇気と感銘を受けました。 (函館市・高橋) |