チャップリン

Charles Spencer Chaplin チャールズ・スペンサー・チャップリン(1889年〜1977年)イギリスの映画作家。4月16日ロンドン生まれ。10代から舞台経験を積み、20代前半よりアメリカへ渡り映画の世界へ。生涯にわたり80数本の映画を作る。かかわったほとんど全ての作品で、監督、脚本、主演。後期には音楽までをこなしていた。

代表作「キッド」「黄金狂時代」「街の灯」「モダンタイムズ」「ライムライト」など。


<日本好き>
日本にとても親しみを持っていました。ステッキは日本(竹)製だったそうです。そして、日本人の秘書、運転手、料理人を雇っていました。何度か日本に滞在もしています。

<音楽>
楽器はピアノとバイオリンを弾きました。この若き日の写真、そして晩年の自伝的映画「ライムライト」で、左で弓を弾く姿を見ることが出来ます。

しかし、譜面は読めも書けもしなかったので、作曲する時には、作曲家に演奏を聴かせて譜面を取らせるなどしていました。
「コメディーと甘美なオーケストラの対位法」が理想で、オーケストレーションの編曲なども、雇った作曲家に任せきることはありませんでした。
コメディーだからと愉快にしようとすることや、装飾し過ぎることが気に入らず、譜面は読めなくても、アレンジが行き過ぎだと「これじゃ黒すぎる」と言って直させたそうです。
武満徹も、コンクールの審査員を務めた折、同じようなことを言っています。若い作曲家の技術は立派で「黒々している」と。

映画に関しては、トーキーの時代に入ってもあくまでサイレントを通そうとしていました。この時、音楽の力を必要に感じたのではないでしょうか。

パントマイム、セリフがない映像こそが映画というこだわりは現代にも通じるようで、ジャン=ジャック・べネックス、北野武なども、映画は絵、写真、サイレントの延長として考えている旨を語っています。


<エピソード1>
チャップリンは若白髪で、20代後半にはメッシュのようになっており、30代では、現代人なら染めているほど白くなっていました。本人は、不眠不休の仕事が原因で、一夜にしてなったと言っています。


<エピソード2>
20代、30代、40代、50代と4度の結婚をしていますが、3人目のポーレット・ゴダード以外の相手は皆10代でした。4人目のウーナとは生涯を共にしています。
スイスで生涯を閉じた日はクリスマスでした。








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charliechaplin.com


<エピソード3>

 チャップリンの自伝には、交遊録的な楽しみがあり、面白いエピソードが綴られています。ドビュッシーシェーンベルグ、ストラビンスキーといった、20世紀を代表する作曲家との会話も取り上げられています。

 ストラビンスキーとは、ある日チャップリン邸で夕食を共にした時に、一緒に映画を作ろうと盛り上がったそうです。しかし、その場でチャップリンが即興で作った話を、ストラビンスキーは「神への冒涜だ」と言って流れてしまいます。その後に手紙で、まだ一緒に映画を作る気があるか尋ねられた時には、今度はチャップリンの熱が冷めており、自分の映画を作ることに気持ちは切り替わっていたそうです。もし実現していたら、どんな映画になっていたのでしょうか。

 ハンス・アイスラーというシェーンベルグの弟子が、彼をチャップリンのスタジオに連れてきたことがあったそうです。チャップリンは、シェーンベルクの音楽が好きで、白い帽子にTシャツ姿でテニスを観戦する彼を知っていました。
「モダンタイムズ」を観た後、シェーンベルクは、コメディーは楽しめたが音楽は悪かったと語り、チャップリンも部分的には同意しました。シェーンベルグが音楽を語る中で印象的だった言葉は "I like sounds, beautiful sounds."だと言っています。

他にも、アインシュタイン、コクトー、ニジンスキー、W.チャーチルなど、著名人との対話が沢山登場します。

ドビュッシーとの会話はこちら

チャップリン自伝 Charles Chaplin: My Autobiographyを参照)






ピカソが描いたストラビンスキー

笙とドビュッシー



     



Sho-window 〜笙窓〜
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