雅楽の舞台を観ると、独特の空間を感じるのではないでしょうか。 もちろん、現代では欧米の生活様式が生活の主流とも言えるため、 装束などは時代的要素となり、非現実の世界に入り込むような感覚 があるでしょう。 では、時代的要素を取り除いてもその空間は作れるのでしょうか。 雅楽の演奏で、奏者は装束を身に着けます。そして舞台には、神社 などでも見かける高欄が用いられます。 現代では洋服が主流であり、和服を日常生活で着ることがありま せん。神社は一般的に見かけますが、現代の生活様式では時代を感 じさせるものです。 伝統とは、形を守り保存することとも言えます。とすれば、伝統 である限り、時代が変わっても変化、改良がなされないということ ですから、いつの時代でも時代的要素を空間と感じていることにな りそうです。 実際、雅楽に触れる時には「平安」などの時代を表す言葉を良く 聞きます。まるで、遺跡を訪れ古代を想像するかのようです。では、 雅楽に感じる魅力というのは、遺跡と同じなのでしょうか。 もちろん、雅楽が伝統を守って来たと言っても、時代と共に変わっ た部分も多くあるでしょう。しかし、その変更範囲は保存に主眼が 置かれ、新しく作り変えたり、新たな分野に広げていく試みではな く、修繕、修復的に終始して来たのだと思います。 とすれば、遺跡に近いものです。ただ、雅楽は物ではありません。 装束や舞台など、物理的な要因の影響は大きく、それなしでは有り 得ませんが、時代を跨ることにより生じる時空間がその全てではな いはずです。 残念ながら、明確な答えは導き出せませんが、演奏を経験してき て感じる雅楽は、感情を持った生身の人間そのものです。雅楽は、 「喜怒哀楽を超越したもの」と言われていますが、実際には、人間 の営み、恣意、思惟、私意、思想が入り込んでいない部分を見たこ とがありません。 雅楽の空間は、そこに集まる人間関係による感情の所在によって 作られているように思えます。そうでなければ、時代的な要素に支 配されながら、人間が行う必要を感じないからです。 もし、雅楽に時代的魅力以外のものを感じられないのであれば、 それは関わる人間に問題があるか、もはや単に時代遅れなのでしょ う。 欧米の文化や価値観が生活に入り込んでいる現代では、日本の伝 統が危機にさらされることも少なくありません。しかし、その失う 危機感から、見逃されてしまった本来の意味を感じることもできる のではないでしょうか。 |
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