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雅楽を目にした時、舞台、楽器の音色、装束などの醸し出す雰囲気から、それは独自であり、伝統の1ジャンルとして認識するのではないでしょうか。要するに、他の何でもなく「雅楽」を観ていると思うのでしょう。雅楽では、楽器の演奏家が歌を歌い舞も舞います。これも雅楽が独自になる要素なのでしょう。まず、雅楽が音楽かどうかという振り分けをするつもりはありません。ただ、比較することで見えてくる違いが雅楽の正体を少し教えてくれそうです。 音楽は世界共通の言語に例えられます。それは、譜面や楽器に見られるように、相互を行き来できる媒体を持っているからではないでしょうか。譜面や楽器の前に、音自体は万国共通と言えますが、その音を表現する道具の共通性の有無によって、対外的な対話、流布は大きく左右されるはずです。 雅楽にも現在一般的に広まっている音楽、楽器同様に12の音があります。しかし、ピッチが若干低く設定されています。西洋音楽も、やはり古楽などでは現在でも低く取る場合があるようですので、昔はどの国でもピッチが低かったのかもしれません。 おそらく、楽器の作りが弱かったことが原因ではないかと思いますので、現在では音にハリが出るよう高くなったのでしょうか。ところが、雅楽の楽器は昔そのままです。もちろん、材料は現在手に入るものしか使えませんし、現代人が制作するわけですから、全く同じ条件ではありませんが、構造は同じなわけです。 日常良く耳にする音楽の殆ど全てのジャンルが同様の楽器を用いると言えると思います。これは、よくよく考えてみると不思議に思えるのは私だけでしょうか? 確かに音楽が万国共通の言葉であれば、世界中どこに行っても通用するのでしょう。しかし、実際には譜面も楽器も訓練が必要であり、いわゆる言葉と同様にある環境下でなければ習得できません。 音楽も言葉と同様に文化の一つですから、突然外から入って来た人が馴染めないのは当たり前だと思うのです。また、言葉同様、通訳や翻訳が必要なこともあるのではないでしょうか。次へ |