シェーンベルグ


アーノルド・シェーンベルグ Arnold Schönberg (1874年〜1951年)ウィーンの作曲家。ナチの台頭とともにアメリカへ亡命。12音技法の創始者として知られている。


働いていた銀行の倒産を機に作曲に専念するようになります。とても速書きで、作品4番、弦楽6重奏(演奏時間約30分)なども、夏休みの2週間程度で仕上げ、ピアノ曲などは、1曲2、3日で終えることもあったそうです。

ドビュッシーがそうであったように、決してお金のために自分の作品を書きませんでした。そのため生涯、金銭的に苦労したようです。マーラーに借金を求める手紙も残されています。

また、弟子のハンス・アイスラーが映画の世界で活躍することで、師匠であるシェーンベルグも注目され、MGMなどの大手からも大金の入る仕事のオファーを受けますが、「音楽に調和する映画を作ってくれれば」と断り、話を貰うことさえなくなってしまいました。

自分の曲が著名な指揮者に演奏される機会にも、スケジュールのため練習が少ないと分かると、それを理由に断ることもあったようです。

ロサンジェルスでシェーンベルグに習ったジョン・ケージは、あるインタビューで言っていました。始めて彼の授業を受けた時の第一声は、「君達に作曲が不可能だということを教えに来ました。」
ケージはその時「全体にやってやろうと思った」と笑いながら回想しています。

このような言動は、芸術音楽や、その作曲という行為に誇りを持ち高めて行こうとしていた、シェーンベルグなりの表現なのでしょう。確かに、少し難しい人ではあったようですが、彼の音楽はとても美しくユーモアもあります。おそらく、同業者から慕われ、尊敬されるタイプではないでしょうか。

シェーンベルグは自分の生まれた日にち(9月13日)であり、欧米では不吉な数字でもある「13」に対し恐れのようなものを感じており、実際、7月13日に亡くなってしまいました。


残念ながら、私はシェーンベルグと日本や日本の音楽との繋がりを聞いたことがありません。強いて言えば、個人的に、弦楽4重奏第2番、作品10番の4楽章。始めて無調へ入った曲の冒頭に、東洋的(西洋人からは異国的?)な馴染みのある響きを感じるということぐらいです。

何かシェーンベルグと日本に纏わる話を知っている方は、ぜひ教えてください!

チャップリンとの会話はこちら


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