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                         房総の山と森林生活

        房総というと海のイメージかあるが、一歩内陸に入ると山また山である。
        その標高は一番高い山でも400mをわずかに越す程だが、その割に充分山深さを感じる山並
        かつつづく。
        標高が低く、交通のアクセスも悪いせいか、登山やハイキングの対象にもならず(100名山が
        一つもない)。その分、静かな山歩きが楽しめる。そんな房総の山々を15年以上マウンテイバ
        イクを担ぎ歩いて来た。
        その山深さの中に突然里があったりする。逆に言えば房総の山は人間にとって優しい自然で
        あって多くの恵みを自然に与えてくれる。また人もその自然を利用し、守ってきた。
        房総の植物はスダジイ、マテバシイなどの常緑の暖帯植物を基本とするが、落葉樹のミズキ
        などもあり、ナラなども充分に育つ許容性と多様性が特色である。
        ツリーハウスは森林生活を楽しむ前戦基地であるが、この多様性があって豊かな森林生活を
        楽しめる。椎など常緑の高木は冬に山の風から家を守るのに必要だし、枝ぶりが大きくなり過
        ぎたものは落してとして、椎茸のホタ木に利用する。同じく常緑のオオイの木はナメコをくるの
        に適している。椎茸のホタ木にもなる落葉樹のコナラにはカブト虫が来るし、栗の木もまた楽しい。
        竹は放っておくとどんどん人の生活領域に侵食してくるが、竹の子を与えてくれる。嶺岡地方の
        竹は八百屋で並ぶモウソウ竹の他に、ハチク、マダケが多い。中でもハチクはあくがなく、味が
        良く、山では皮のまま丸焼きにして食べても良い。
        食べ物だけではない。シュロの木の皮は昔は水の濾過につかった。
        房総の持つ多様性こそ、森林生活の条件なのである。

        山は今、荒れている。杉やヒノキ、雑木も放置され、間伐や枝打ちがされない薄暗い森が増え
        ている。
        木を育て、切り、使い、また育てる。そういうサイクルが日本における木を使うという文化の基本
        であったが、外国の木を安価に使うだけ使い、育てる文化をいつか捨ててしまったからだ。病気
        の森が増えている。病気の森は治らない。年月をかけて完全に作り替えるしかない。
        実は、そういう病気の森に、わがツリーハウス村もある。まず木を切ることから始まる。
        でも、切ったあとの始末が大変なのだ。もちろん、売れる木など病気の森にない。そのままに
        していたら次の木をつくることも出来ない。だからできるだけ森林生活で活用できる用途をみつ
        け建物の基礎や、土止めなどに利用する。チェーンソー彫刻もそんな中から生まれたアイデアだ。
        あとは燃し木だ。竹もどんどん増え、侵略を防ぐため切りまくる。利用もあるが大半は燃し木に
        使う。

        人が入ってこそ、森の荒廃を防ぐことになる。人工林の荒廃した薄暗い森では植物が育たず、
        保水、保土力がなくなり土石流の原因になるといわれている。
        そして、あと10年もすれば日本は森林国でありながら森林資源ではないというみじめな状況に
        なっているだろう。

        さて、どんな森をつくるかはその人の生活スタイルによる。里山は人の生産活動の副産物とし
        て存在した。人の生活スタイルが変われば、ヤマの在り方も変わる。
        炭をつくり、畑や芋床をつくるならクヌギ、ナラの落葉樹の林が良い。
        ガンコ山の森林生活はどうであろうか。建物には杉も必要だし、火付けや掛け物には竹もいる。
        防風林には常緑木もあった方がよい。
        いずれにしても残念なことに森はすぐには育たない。でも諦めることはない。
        木を育てるその間伐採の跡地からも山は、ご褒美に、タラやウドなど多くの山菜を運んでくれた
        りする。

        固定観念にとらわれない森造りが、多くの人を森に引き付けることになるだろう。