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アラスカのサーモン漁

 

アラスカのサーモン漁というのは、アメリカでは短期で儲かるということで有名です。ちょうど日本で言うマグロの遠洋漁業のようなものでしょうか。

僕がそのことを知ったのはかれこれ10年前、22歳の頃でした。その頃僕はサンディエゴで仕事を探していました。新聞の求人欄に、アラスカで一ヶ月5000ドルから1万ドル稼げるという仕事を見つけました。詳しいことは30ドル添えて下記の住所まで、とあったので早速30ドル、送ってみました。そして何週間か経ち、送られてきたのはアラスカでのサーモン漁のことを書いた本でした。それにはアラスカのサーモン漁というのは厳しいが充実感が味わえる仕事だ。そしてアラスカの漁船の名前と住所が100船くらい載っていて、さあ君も船に手紙を書いて仕事を見つけアラスカに旅立とう、というようなことが書いてありました。僕はてっきり仕事をもらえると思っていたので、本が送られてきた時にはガッカリしましたが、漁の内容がわかる面白い本でした。しかしそれには、睡眠時間の少ない厳しい仕事だとあったので、アラスカのサーモン漁のことは、それからは忘れていました。

 しかしそれから6年の間に、何人かのアラスカサーモン漁経験者に出会い、話を聞いていつかは、やってみたいと思うようになっていました。そう言ってみると、彼らは決まって

「やったらいいよ。楽しいし君ならきっと出来る。」

と言ってくれるのでした。その人たちにどこでどういう様に、仕事を探すかということも詳しく聞いておきました。人の紹介というのがやはり一番いいのですが、誰も知らないなら、直接港に行って、船に聞いてまわる事もできるし皆そうしているという事でした。

港はアラスカのベーリング海にあるダッチハーバー、ホーマーズベイ、チグニックよりもシアトルのほうがいいということも知りました。ベーリング海は行くだけでも、飛行機や船を何回も乗り換えねばならず、その値段も高くつく上に、港に着いた後も船を見つけるまで宿代が高いということでした。ベーリング海の港は全部島にあり、そこは港とバーとホテルしかない、さみしい所だそうです。野宿するにも少し寒すぎると言っていました。道が無いので交通手段は車でなく全部ゾディアックという小さなボートで行い、それが面白かったと言っている人もいました。

 シアトルの港で探すのがいいと教えてくれたのは、カウアイ島で会った若いアメリカ人のカップルでした。そのカップルは二人共サーモン漁をしたというので、女でも出来るのか、と僕は根掘り葉掘り聞きました。仕事の内容や、給料、それに仕事の環境などです。その二人は知っている限りのことを教えてくれました。

「船酔いなんかないよ。アラスカの東南部は島にさえぎられて、波ひとつないところなんだよ。湖みたいだね。本当。ほとんどまったく揺れないよ。仕事もそんなにきつくない。彼女でもできたんだから。レッヅという網の下についているおもりのついた縄を、こういうふうに巻いていくだけ。ほんと簡単だから。それが一番簡単な仕事だけど、なんにしても、最初から難しいことはやらされないよ。まあひとつ言うなら、一日中働かされるけどね。でも魚獲らないと、お金にならないんだから問題ないよ。えっ。お金。最初の年はハーフシェアといって、半分の給料しかくれないんだ。二年目からフルシェア。一人前扱いしてくれるわけ。それは船によって違うかもしれない。船によっては良く働けば、一年目からフルシェアもらえることもあるよ。彼女は今年初めてだったからハーフシェアで5000ドル貰ったよ。」

彼は、興味しんしんの僕が真剣に話しを聞いているのを見て、一生懸命話してくれました。余りにも具体的に聞けたので、このとき初めて、本当にできそうだと思いました。

僕は二十八歳の時アメリカ大陸を旅していました。ハワイから西海岸。そこからプエルトリコにサーフィンをしに行った後、ニューヨークから西海岸まで行くという長距離バスをフルに使った、一年間の出たとこ勝負、行き当たりばったり貧乏旅行でした。2001年の5月にサンフランシスコに着いたときは、ハワイに戻るつもりだったのですが、アラスカでサーモンが始まるというのを聞いて、シアトルに行ってサーモンの仕事を探すことにしました。

サンフランシスコを出て、シアトルにグレイハウンドという長距離バスで着くと、僕はとりあえず海のほうに向かって歩きました。シアトルはさすがスターバックスの本店があるだけあって、バス停から海の間、1キロ足らずのあいだに、何軒かのスターバックスがありました。せっかくだからということで、そこのひとつでコーヒーを飲みました。

「こっ、このコーヒーは。みっ、水が違うのか。そっ、それとも。まさか。」

やはりシアトルで飲むスターバックスは、一味違っているような気がしました。

 海に着くと、そこにはパブリックマーケットという大きくてにぎやかな、市場がありました。その中でも一番にぎやかで目立っていたのが魚屋さんでした。氷の上に大きなサーモンが所狭しと載せられていて、他にも、かにやアンコウのような寒いところの魚もありました。店で働いている人たちはみな大柄で、漁師のひとが着るようなゴムの合羽をはき、魚屋さんというより漁師さんのようでした。魚が売れると、大きな声を出して売れた魚を投げてまわし、市場にいるお客さんにアピールしていました。

「はい、これ、こちらのお客様のおっきなサーモン一つ入りました。」

「はいー。サーモンひとーつ。」

それは見ていても面白く、魚屋の周りには、観光客がぐるっと囲んで見ていました。写真をとっている人もいます。おおきい魚というのは見ているだけでも面白く、しばらく目の前の魚介類に心を奪われてましたが、自分のやることを思い出して、お店のお兄さんに聞いてみました。

「すみません。サーモン漁の仕事探しているんですけど、どこに行けばいいですか。」

「ああ、それならフィッシャーマンズターミナルだね。バスで行くと、ダウンタウンから何番のバスに乗って二十分ぐらい行くとあるよ。がんばってね。」

と、丁寧に教えてくれました。

 僕はバスに乗りフィッシャーマンズターミナルを目指しました。バスが大きな橋の上を走っているとき、橋の下におおきな港と沢山の船が泊まっているのが見えて、すぐにそれがフィッシャーマンズターミナルだとわかりました。フィッシャーマンズターミナルという港は、海にあるわけでなく、海から少し内陸にある大きな湖にあります。そして、シアトルの町から見て手前の港にはサーモンやひらめ、かになどを獲る小型から中型の船が泊まっていて、橋を渡った反対かわにはニシン、タラ、鯛などを底引き網でごっそり取る水産会社所有の大型船が泊まっています。もちろんその時はそんなことは知らず、大きな船のほうが立派で儲かりそうに見えました。

僕は次のバス停で降り、港に向かって歩きました。そこは底引き網の大型船の泊まっているほうの港でした。港のまわりを歩いていると、何とかシーフーズというビルを見つけました。ビルのすぐ向こうには大きな船がとまっています。しかし、もうその日は遅くなっていたので、すでにその会社はしまっているように見えました。船にも誰も人がいません。ビルのインターフォンを押してみると、女の人が出てきたので、仕事を探していることを伝えました。しかし

「今日は担当の者がいないので明日来てください。」

と、言われてしまいました。

うろうろしていると港のそばに、美味しそうなクラムチャウダー屋さんがあったので、そこに入ってみました。そこは古びた小さな店で、

「こういうところに漁師さんは、いるんだよな。それで俺みたいのが仕事を探しにくると、さっそく、話が決まって。」

と、僕は自分勝手な想像をしていましたが、中にいたお客さんは

「ああ。サーモン。そうだなー。いつから始まるんだっけ。港行って聞いたほうがいいよ。」

と、まったく関係のない人たちばかりで、何の役にも立ちませんでした。「あー、なんだか厳しそうだな。思ったよりも。」そんな気持ちでした。

もう夜になっていましたが、他にすることもないので、フィッシャマンズターミナルの反対側、つまりサーモン船団が泊まっている方に行ってみました。その時は、そこにサーモン船団があるとは知らなかったのですが、そこのコインランドリーで洗濯をしていた時、僕と同じように船の仕事を探している人たちに会い、その人達が教えてくれました。みな40ぐらいの人たちで、乱暴そうで、教養のなさそうな人ばかりでした。しかし、話してみると、とても優しく、先のことに不安を抱いていた僕の話を、親身になって聴いてくれました。

「サーモンの仕事探してるんだけど、見つかりますかね。」

「今から探せば、まだまだシーズンはまだまだ先だから、見つかるんじゃないかな。きっとだいじょうぶだ。うん。だけど少し早すぎるかもしれないなあ。でも早いほうがいいから、大丈夫。若いし大丈夫。ウン。若けりゃきっと大丈夫だよ。」

と、不安げな僕を励ましてくれるのでした。アメリカ東海岸から来ていた黒人のひともいました。

「僕は前にかにの仕事やってたんだ。かなり儲けた。だけど今はすっからかんだ。」

「何に使ったんですか。」

「よくわからないけど。もうないんだ。家族に使ったんだよな。でも今は家族いないよ。お金なくなったら、どっか行っちゃうんだ。」

「どっか、ここら辺で安い宿知ってますか。」

「ダウンタウンにあるけど。あそこの陸橋の下でも寝れるよ。僕はそうするけど。ところで、明日から日雇いの仕事やるんだけど一緒にやるかい。もし来るなら、橋を渡ってすぐ、道路の右っかわにそういうところがあるから、朝7時に来たらいいよ。」

その人は、身なりはきれいなのに、橋の下で寝るといっています。

金髪ロンゲで体もばかでかく、バイキングのような人もいました。その人は、となりのバーから女を一人連れてきて、コインランドリーの隣のシャワーに一緒に入ったと思ったら、5分後に雄たけびを上げながら出てきました。彼女なのかなと思っていたら、どうもさっき出会ったばっかりらしく

「ありがと。これお金。」

と、女の人になにやら払っていました。その女の人も、娼婦ではなさそうです。

皆、年はいっているのにお金がなく、しかしそのわりにやけに明るい人たちでした。今夜はみんな野宿することになりそうです。しかし、そんな連中に混じっていると、やけに心が和むのでした。彼らは「明日は明日の風が吹く」を生まれてこのかた今日まで毎日やってきたといった感じの人達で、明るく楽しく、とにかく賑やかで、僕の不安をかき消してくれるのでした。

 僕はその日は、シアトルのダウンタウンに戻り、サーフボードケースの中に入って野宿しました。5月といっても、シアトルまで来るとかなり冷え込みますが、大きなビルのかげで風が当たらないようにしていました。

 次の日からサーモン船団に通う日が続きました。

「すみません。クルーになりたいんですけど。」

手当たり次第に、聞いて回りましたがまだサーモンシーズンには早く、30隻あるサーモン船団のうち、半分には誰もおらず、なかなかはかどりませんでした。船員のいる船には、ことごとく断られました。

「ごめん。もう一杯です。グッドラック。」

「今キャプテンいないから、明日来て。」

そんなことが5日も続くともう仕事は見つからないんじゃないかと、思うのでした。いちど、シアトルからベーリング海に行く船で準備をしている人がいました。その人は大きなトラックを船の横にとめて、ヘビーメタル系の音をがんがんにかけて、網をいじっていました。年は僕とあまり変わらないように見えます。体はでかく、きつい顔をしています。

「えっ。やったことあるの。ないならだめだな。ベーリング海のは遊びじゃないんだよ。」

話をしてみると、どうもその人の船のようでした。そんな人と比べると、自分が情けなくなってきました。

 5日ほど港で話を聞いてまわっているうち、かにを獲る中型船の、ペンキ塗りのバイトを見つけました。時給7ドルか8ドルでしたが、そのお陰で街のホステルに泊まることが出来ました。ホステルというのは、一泊15ドル程度で泊まれる相部屋形式の宿で、世界中の人と仲良くなれるアメリカの町にはよくある便利な施設です。そこでメキシカンの男に会いました。彼は底引き網の仕事を探していました。前にやったというので、話しを聞いてみると、獲った魚をさばく仕事ということでした。時給10ドルくらいだが、一日16時間働くから、オーバータイムがつき、9時間目から16時間目間では1.5倍の時給15ドルでなかなか儲かるということでした。僕はメキシカンと一緒に、水産会社に仕事を探しに行きました。メキシカンの話では、彼自身は仕事がほぼ決まっているようなことを言っていましたが、メキシカンと事務所の人とのやり取りを聞いていると、そのメキシカンは前に働いていた時、喧嘩してやめさせられているようでした。彼は一生懸命、もうあんなことはないと謝っていましたが断られていました。僕は履歴書を書くようにと紙を、渡されましたがそんなものは、はなから書く気がしませんでした。電話番号もないし住所も不定、その上ここ三年ほどまともに働いていなかったからです。それに僕が想像していたのは、船かどっかで船員に会って、ざっくりした感じで仕事が決まるというもので、ダウンタウンのビルの一室で女の人に履歴書一枚、紙きれ一枚渡すなんてまるでやる気を削ぐシチュエーションでした。僕は履歴書がだいっきらいです。履歴書なんて読むのに5分しかかからないのに、なぜか多くの場合一週間待たないと返事をくれないからです。一週間僕のことを会議で話し合うわけでもないのに。

 サーモン漁の仕事を見つけるという希望を失った僕は、所在もなく街をうろうろしていました。アメリカの大きな街には日本人街のようなものが大概ありますが、シアトルの街にも日本人街というほどではないにしても、日本人向けの店が何軒か固まっている一角がありました。僕はそこにある旅行代理店で、日本行きの格安チケットを見つけました。僕の弱くなった心は、一気にあきらめて日本に帰るほうに傾きました。飛行機代は残してあったので、飛行機のチケットを予約し、シアトルを出る前にマリナーズのイチローを見に行きました。外野の一番安い席はたったの六ドルでした。マリナーズのプレイするセイフコフィールドは最新式の野球場で、どの席からも良く見えるように設計されているので、六ドルの席でも良く見えました。街ではイチローのユニフォームを着た人を見たり、マリナーズのお店でも、他の人気選手のユニフォームに並んでイチローのユニフォームが店先に飾られていました。僕はそれを見て、日本からイチローを見に来た人が買うんだろうなと思っていました。又、アメリカ人が街で着ているのを見ても、ものめずらしいから着るんだろうな、くらいに思っていました。その時はイチローがアメリカでそんなに活躍しているとは、知りませんでした。

 セーフコでのイチローの人気は、熱狂的でした。イチローの打順が来ると、みなイチローイチローの大合唱。その期待にこたえるから、応援していても楽しくなってきます。作り話のように活躍していました。まるで映画を見ているようです。その年はイチローのマリナーズでの最初の年で、イチローもチームも大健闘し、イチローは新人賞とMVP、チームは驚異の勝率七割。その勝率は歴史的な数字でした。ワールドシリーズにはヤンキースに負けて行けませんでしたが、イチローもマリナーズも大いに盛り上がりました。

 僕はイチローに元気を貰ったんだと思いますが、もう一度がんばってサーモンの仕事を、探してみることにしました。飛行機のチケットは買いませんでした。

 その日もいつもと同じ港で、いつもと同じように仕事を探していました。5日も通って、もうほとんどの船に聞いたのですが、まだシーズンまで四十日あるので、誰も船にいなくてまだ聞いていない船もありました。港の少し広くなった所で、網をいじっている人たちが二人いました。その人たちは50くらいの人たちでした。僕がその前を、素通りしようとすると声を掛けられました。

「仕事を探しているのかい。」

「はい。」

「やったことはあるのかい。」

「いいえ。ないんですけど。」

二人は網をなおしながら、話していました。僕の英語ははっきり言って下手です。

「どこから来たの。」

「日本から。」

「じゃあイチロー知ってるよな。あれはいい選手だ。」

野球の事になるとその人は熱心に話し始めました。

「昨日と一昨日野球見に行きました。すごい人気でびっくりしました。」

「イチローは日本でも人気あるのか。」

「大人気です。日本でも大活躍していました。」

「そりゃそうだ。こっちでも大活躍だ。昔の野球選手はみなああだったよ。打ってはしって、塁をためて。点を取る。そうゆう野球だったよ。今は皆ホームラン狙って、打ったら派手に喜んだりして。ああ、やだやだ。」

「イチローはまじめですよ。スーパースターだけどおとなしいし。」

「そうそう。それがいいところよ。」

二人は網を直しながら、何か考えています。

「うちの船で働けるかもしれないけど働きたいかい。」

「サーモンですか。はい。働きます。」

「それじゃあ。又来週来てよ。その時はっきり返事できるから。去年来たやつがくるかどうかその時わかるから。もしそいつが来なかったら働けるから。」

もう一人の人がくちをはさみました。

「来ないよ。あのコックサッカーは。」

「だろうな。そうだ。来ない、来ないと。そういうことだから多分、オッケーだから。」

僕は急に決まった話に

「じゃあ。アラスカいけるんですか。」

と、確かめました。その人は笑っていました。

「きっとオッケーだけど。一応来週来てくれ。その時はっきりわかるから。ところで僕の名前はトム。僕がキャプテンで、こっちがトニーで、兄弟なんだ。」

僕はなぜかその人がキャプテンだということを意外に感じました。見たところ、キャプテンというより使われる側の乗組員にみえました。威張ったところが感じられませんでした。それまでに会ったほかの船のキャプテン達は威圧的というわけではありませんでしたが、なんとなくはりきっていて元気がみなぎっていました。しかし、この二人はなんだか素朴というか、気さくというか、それでいてとっつきにくいようなところもあって、僕はしばらく網を直している二人を見ていました。何も話すことがないので、

「網、手伝いましょうか。」

と何か手伝おうとしましたが、大丈夫だといわれ、しばらくじっとしていましたが、それではとその場を去りました。

 三日ほどたって、ちゃんとした返事を聞こうと港に戻ると、ちょうど遠くからトムとトニーが歩いて来るのが見えました。二人は楽しそうに何か話しています。僕の事をはなしているようです。僕は相手を確認してからしばらく歩み寄る時間があって、なんて言おうか考えて少し緊張していましたが、一番無難でまともな挨拶をすることにしました。

「ハロー。ハワユー。アラスカ連れてってくれますか。」

するとトムがニコニコしながらこう言いました。

「アー ユー ゲイ。」

 なんて鋭い質問をするんだ。僕の頭は「自分はホモなのか、否か。」という人類の永遠の謎とも言える大問題に、今この場でなんて答えればいいのか、なんて答えれば正しいのか、あらゆる可能性を考えました。確かに僕は平均よりホモに近いのかもしれない。それは認める。しかし、それはこの人にはわからないはずだ。いややっぱり隠せないのかもしれない。待てよ。もしかしたら、おもしろいことを言えばいいかもしれない。僕はトムの目を見つめながら地球の時間ではゼロコンマレイレイ秒の間、どこか誰も知らない所をさまよっていました。

「ノー。」

僕の口から出た答えは「ノー」でした。僕はトムの目を見ながら、自分はオカマ野郎なんかじゃありませんと宣言したのでした。

「なら、オッケー。」

と言ってくれました。そしてその後、トムとトニーと僕は何故か爆笑しました。それが何故なのかはわかりませんが、とてもいいスタートを切ったということは確実でした。

「七月からアラスカで漁が始まるから、六月十七日にシアトル出ることになると思う。それまで船で寝ていていいから。」

といってくれたのは、とても助かりました。その時はまだ五月二十一日で出発まで一ヶ月近くありました。僕は荷物をホステルから船に移しました。その時の僕の荷物はサーフボードケースを半分に折った中に納まる程少ないものでした。ハワイを出た時に中に入っていたサーフボードは、旅費の足しにとっくのとうにプエルトリコで売り払っていました。

 それから一ヶ月は船で寝泊りしました、トムも船に住んでいるので、朝起きると

「なにかすることはないですか。」

と、聞く毎日でした。毎日何も手伝うことがなく、少し悪いなという気持ちも起こりましたが、トムはそんなことを気にするふうでもないので、僕も余り気にしないようにしていました。実際トムも何もしていませんでした。僕は野球を見に行ったり、シアトルのスケートパークでスケボーをしたり、ペンキ塗りのバイトをしたりして、アラスカに行く日を待っていました。野球は一ヶ月の間に8回も見に行きました。

神戸の実家に連絡を取り、アラスカに行くことになったが、時間があるからシアトルに来てみたら、と誘ってみると、本当に両親は来ることになりました。

アラスカ出発も間じか、だんだんあわただしくなってきたある日。トムとトニーが網の最終チェックのようなことをしていました。といっても大げさなものではなく、ああだこうだ、話しているだけです。僕もそばで聞いていましたが、一本の縄がよじれて使えなくなっていました。新しい縄を買うしかないと言っていました。縄は100メートルくらいあってよじれを直そうとしても、きりがないように見えました。二人がいなくなったあと、僕はその縄のよじれをとってみました。その繩は特殊な繩で、芯とその周りという、二重構造になっていました。そして、縄の周りの部分がよじれていて、縄に硬いところとやわらかいところが、できていたのでした。試しによじったりしながら、ヨリを直し始めると意外に簡単にとれました。なかなか面白くて、3時間くらいかけてそのよじれを全部直しあげました。

トムが船に帰ってきて、その縄を見せるとトムは喜んでくれました。このとき僕はトムに船で寝ているだけの奴でなく、役に立つやつだと思われたかったので、縄を直せてホッとしました。

ある日突然、もう一人のクルーになることになる、アルフが登場しました。アルフはサンフランシスコのバークレーで銀細工を作って売っているという50くらいの男でした。若い時にアラスカでかにやサーモンを獲ったと言っていました。今回はコック兼クルーとして働くことになりました。しかし体は贅肉太りで動きも鈍く、体の節々が痛いといっていました。この時、この船に乗っている間中めちゃくちゃにいじめられることになるとは、夢にも思っていなかったでしょう。実際今思い返せば、気の毒になるぐらいです。

トムとトニーの怖さは、このとき初めて知りました。アルフが話し終えて船を出るや否や、アルフのことを話し始めました。

「こーじ。あいつのこと、どう思う。」

僕はどう答えていいものか悩みました。なぜなら正直言って、アルフには第一印象で馬鹿にされたように感じたからです。

「よくわかりません。」

無難にごまかしておきました。

「あれはスキャマー(詐欺師)だな。サンフランシスコから来たゲイのスキャマーだ。でもコックやるって、言ってるんだからいいか。だけど仕事は絶対できないな。」

トムたちはアルフのことを好きなように言っています。そんなにいやなら、やとわなければ良いのにと思うほどです。

「まあ、どうでもいいや、アラスカに着くまでに、料理作らせてまずかったらアラスカに捨てりゃあいいから。」

それを聞いて、それが自分にも当てはまるなと思い一瞬ドキッとしました。

「でも、あいつ訴えるかも。ファッキンアルフ。大体アルフって名前からおかしいぜ。絶対ゲイだ。しかもあんな、デブだったら、船が狭くなるし。」

会話の中でどんどんアルフが悪者になっていきました。いつの間にかゲイに決め付けられていて、事あるごとにファッキンゲイ、ファッキンアルフといわれていました。又、船の仕事で怪我をしたりして、船主を訴えて、金をふんだくる奴がたまにいるので、そういうことに関しては、トムたちは敏感になっていました。

 僕の両親がシアトルに来ると、シアトルから一時間ほど離れたところにあるレイニヤー山というところに行ったり、イチローの試合を見たり、シアトルのパブリックマーケットに行ったりしました。トムとトニーにも会って挨拶をし、日本に帰っていきました。

 アラスカに行く直前になると、二か月分の食料とお酒を積みました。食べ物にはこだわるようで、ステーキやローストビーフ、ローストハムなど肉類が豊富でした。アラスカでは毎日でかい肉を食べていました。

「船によっては,なるべく出費を少なくして,なるべく稼ごうなんて船もある。それはゲイフィッシャーマンのやる事だ。この船は違うよ。いいもの食べて、飲んで、それで儲からなかったら,それはそれでよし。」

トムたちは先祖代代やってきた自分達のやり方にかなりの自信があるようです。聞いていても説得力があります。

「船によっては、魚が獲れるまで、いいものをクルーに食べさせないで、取れたらご褒美のようにステーキを食べさせる船がある。それじゃあつまんないだろ。」

シアトルでつんだお酒はワインをダンボールに二箱。ウイスキーもダンボールに三箱ぐらいあったと思います。多分ダンボールに二十四本ずつくらい入っていたと思うので、ワイン、ウイスキー六十本ずつぐらいあったと思います。酒屋さんが小さなトラックで船まで運んできました。それを積んでいる時に、トムもトニーもうれしそうにしていました。僕も五箱のお酒を見て、これは楽しくなりそうだ、とますますアラスカが楽しみになりました。

「これで準備完了。これがないと始まらないね。こうじも酒代は割り勘で出してるから、いくら飲んでもいいんだよ。アルフは飲まないけど、酒代は出してる。まあどうでも良いや。ファックアルフ。」

アルフはマリファナは吸うのですが、お酒はほとんど飲みませんでした。アメリカでは医療用ならマリファナを吸ってもいいことになっています。もちろんドクターの診断書が必要になってきますが、アルフはそのマリファナを吸っても良いというドクターの診断書をもっていました。

「僕の友達にドクターがいるから、うその診断書を書いて貰ったんだ。オーソライダスという間接が痛くなる病気ってことにして。でもほんとに身体は痛いんだ。」

嬉しそうにその診断書をみせびらかしていました。そのことでもアルフはトム達にいいように言われていました。アルフがどこかに行ってしまうと

「アルフが診断書持ってるから、もしマリファナが見つかっても全部アルフのせいにできるな。グッドアイデア。うんそうしよう。もしそれでアルフが捕まったらそれはそれでいいし。ライトオンアルフ。」

トムたちはマリファナも好きでした。

とにかくトムとトニーは人をこき下ろすのに長けていて、アルフがいないところでは、アルフの悪口をいつも聞かされていました。しかし、それが余りにも面白いので僕の楽しみの一つでした。僕もトムたちのようにアルフのことを馬鹿にしてみるのですが、面白く言うのは難しく、聞いているほうが無難でした。

ここで僕たちの船の説明をします。船の大きさは約三十メートル。サーモンを獲る船は、ほとんどそれぐらいの大きさです。木製で七十年ぐらい前に作られた古い船です。アラスカに集まったサーモン船団の中でも二番目に古い船でした。寝るところは船の先のところから下に入ると、ベッドが四つあります。船を操縦するところは二階建てになっていて、その下にキッチンと食べたり飲んだりするテーブルがあります。その後ろは獲った魚を入れるところがあり、漁をしているときは、冷たい水が張られています。その後ろには網を置くところがあります。アラスカに向かっているときは、網の上にスキフ(六メートルくらいのモーターつきのボート)が載せられていました。この船はトムとトニーが子供の頃から父親の手伝いで働いていた船でした。

六月十八日にシアトルを発ちました。船はフィッシャーマンズターミナルを出ると細い運河に出ました。少し内陸にある港と海とでは水位が違うのでその間に運河がありました。運河に船が着くとそこに船を泊め、船をゲートで閉じ込めます。海側の水位のほうが低いので、ゲートのなかの水位を海の水位に下げます。海側のゲートを開くと船はそのまま海に出ることができるという仕組みになっています。そこにはゲートを開け閉めする人がいて、その人たちが、制御室からやってくれます。

船は海に出てもほとんど揺れませんでした。シアトルは瀬戸内海のように外洋から島で遮られているので、波もうねりも届きません。これはアラスカに着くまでずっとそうでした。アラスカ東南部は北から南はシアトルまでずっと島が連なっていてその内側は湖のように静かな海になっています。そこは氷河もあり風光明媚なところで、豪華客船もそこをクルーズしています。海は湖のように静かで幅が狭くいっけん、川かダム湖のようです。両脇は急斜面の山にはさまれています。山の緑は濃く、高いところには雪もついています。小さな滝も沢山あります。地形は複雑で湾があったり、小さなワンドになっている所もあります。空気もすんでいます。人家はなく、まったく人の手のついていない景色がアラスカまでの七日間、ずっと続きました。何もないところでしたが、退屈することはありませんでした。そこにいる間は、おとぎの国にいるような気がしました。町どころか、家一軒もない世界。そこは今まで見た自然の中でも一番きれいでした。

シアトルを出て最初の日は、サンワンアイランドのフライデイハーバーという高級リゾート地にある港に泊まりました。そこはアメリカとカナダの国境近くの港で、高級クルーザーや遊びの船が沢山、泊まっていました。町の様子もこぎれいで北の可愛い小さな町といった感じでした。トムとトニーは一年に一回のサーモン漁でやけに楽しそうです。僕はうまくこの仕事が出来るかという不安と、トムたちに気に入って貰えるだろうかという不安で、新しい場所を楽しむ余裕はありませんでした。僕はトムたちに恐れをなしていました。船が港に泊まると何かしなくちゃいけないと思い、余り汚れていない、操縦室の窓を拭いたりしていました。しかし空回りしている感じで、すこしみじめでぎこちない感じでした。

次の日は左手にカナダのバンクーバー島を見ながら、北上しました。バンクーバー島にはけっこう人が住んでいて、木からパルプを作る大きなパルプ工場、それを積む大きなタンカーが見えました。バンクーバー島は馬鹿でかく、地図で見ると南北に三百キロほどあります。人が住んでいるといっても、ほとんどが自然のままの、きれいな緑の島です。三百キロの距離を一日で走り抜けるほど船は早くないので、その日はバンクーバー島のそばで泊まったはずです。記憶ではきれいな小さな湾の中に泊まったと思います。アラスカまで五泊か六泊したはずですが、港に泊まったのは、フライデイハーバーとケチカンの二港だけでした。残りは細い海路から小さな湾に入ったり、ワンドになったところに泊まりました。そこはまわりに何もなく、夜になると光も音もないところで、この世のものとは思えない静けさでした。しかも船の中も薄暗く、昔にタイムスリップしたようなところでした。

アラスカへの旅も最初は気を使うばかりで疲れましたが、途中から楽しくなりました。操縦席は二階にあり、操縦するのはトムかトニーでした。二人で一日中運転するので、大体どちらか一人が運転し、もう一人は下で休んでいました。アルフはほとんど上には上がってきませんでした。太っていて動きも鈍いので、上がってくるのも一苦労だからというのもあったでしょう。僕は緊張して寝るどころでなく、いつも操縦席にいました。トムと二人の時は、トムが先行して話してくれました。大体アルフの悪口かゲイの悪口か政治の話でした。これは最後まで変わりませんでした。しかしそれが一番退屈しない話題でした。トムは共和党の支持者でした。ある時、政治に詳しい人と一緒に船で仕事したときに、政治に興味を持ったといっていました。共和党はブッシュのいる方の党です。トムの言い分はこうでした。

「共和党はアメリカ的なんだ。税金を減らして、国民がビジネスを始めやすくするんだ。民主党は何にも意見を持っていない、ただ共和党になんでも反対するだけさ。ところでブッシュは中東を変えようとしてるけど、大賛成だね。中東一帯に一回原爆落とすのが一番手っ取り早いんだけどな。何でそうしないのかわからないよ。」

トニーは、僕と二人きりになると、黙って運転しているのでどうしていいかわかりませんでした。トニーはシアトルを出発する前はちょくちょく船に来ていましたが、その時のおちゃらけた様子はまったくなく、とっつきにくい感じになっていました。怒っているようにも思えますし、無視されているようにも感じます。黙っているわけにもいかず、楽しい会話ができるように色々話してみました。

「今回アラスカに連れて行ってもらって、ありがとうございます。」

「いや。こっちこそ来てくれてありがとう。」

「いつからこの仕事やっていますか。」

「子供の時からやってるよ。」

「楽しいですか。」

「楽しいね。」

会話は、途切れ途切れでぜんぜん盛り上がりません。だからといって沈黙が続くとトニーにつまらないやつだと責められている気がしてしょうがありません。景色を楽しむよりトニーが気になって仕方ありませんでした。話せば話すほど疲れていきます。

「コーヒー飲みますか。」

これが一番、僕の中で楽なフレーズでした。なんの役に立っていないほどつらいことはありません。しかし、これも一時間に一回くらいしか使えません。しばらくの間、僕が質問して、トニーが少し事務的に答えるという形式で会話が続きました。しかし、だんだんトニーは不機嫌になっているような気がして、僕は気まずさでいっぱいでした。だんだん操縦室に立場を失っている気がしてきました。狭い部屋でトニーも舵を持っているだけなので、中途半端に黙っているよりも、なにか話さないといけない感じですが、だからと言って話すこともありませんでしたし、面白い話もできませんでした。まったく二人きりで、お互いに気持ちを共有できない変な気持ちを、共有しないといけない状況。そこで僕は思い切って

「操縦している時に、話をするのと黙っているの、どちらがいいですか。」

とあまりにも単刀直入に聞いてみました。

「黙っているほうがいいかな。」

トニーもそれにはいい反応をしめしてくれました。それからは操縦室の空気も風通しが良くなり、僕の視点も定まり景色やいろいろなことを楽しむことができるようになりました。それからはトニーも僕の事を気に入ってくれました。

トムとトニーと僕の、三人でいる時はトムとトニーがアルフの悪口や仕事の話をしていたのでそれを聞いているだけでいいので楽でした。あるときトムとトニーが英語を教えてくれました。僕はその時十二年アメリカに住んでいたのですが、アメリカ人の英語ではありませんでした。どっちかと言うと丁寧な英語です。

「まず、アメリカで一番大事な英語です。ファックユー。さあどうぞ。」

「ファックユー。」

「上手い。上手い。でもほんとうに、これがアメリカ人の一番大事な論理なんだよ。誰からも、指示を受けない。それがアメリカ人なんだ。君も絶対に人に屈してはいけないよ。じゃあ次。ファックアルフ。」

「ファックアルフ。」

「その調子。その調子。」

すぐ下で、アルフは料理を作ってくれていましたが、やっぱりファックアルフなのでした。もっとも、トムたちは、作ってくれているとは思っていませんでした。

「トニーは凄い料理上手いんだ。俺もアルフよりは上手いな。ただ料理するの、めんどくさいから、アルフにやらせとけばいいよ。」

僕はアルフの料理は美味しいと思いましたが、その料理も、トム達の攻撃のまとになっていました。

「あいつ、ローストビーフ。中まで焼くなっていったのに、あのくそ豚。ガッデムアルフ。」

レストランに出てくるようなエビ料理を作ってくれた時も

「確かにあれはすこしうまかったけど、カマっぽい料理だよ。気持ち悪いぜ。」

アルフのやる事は何もかも気に入らないようでした。

 トムとトニーは今まで会ったアメリカ人とは、何もかもが違っていました。スロバキア系のアメリカ人で、そのことを誇りに思っていました。アメリカのことも誇りに思っていました。フィッシャーマンであることも誇りに思っていました。自分たちの父親のことも誇りに思っていました。自由に生きるのがアメリカ人ですが、彼らは本当に自由に生きていました。僕は本当のアメリカ人というものがどういうものか、判ったような気がしました。

 船は四日目には、アラスカ州のケチカンという町につきました。トムとトニーがバーにも連れて行ってくれましたが、僕は久しぶりの陸地と、一人になるチャンスなのでケチカンの町を歩き回りました。町にはさして見るものはありませんでした。山のほうに行ってみると、大きな十五センチくらいの黒いナメクジが沢山いたり、アメリカの国鳥白頭わしが沢山、空をまっていました。もうそこはアメリカではなくアラスカという未知の土地でした。

 ケチカンを出ると、それまでと同じような景色のところを更に北上しました。六月の下旬で昼間は、ティーシャツ一枚で過ごせますが、夜は少し冷え込みました。日の入りは北に行くに連れて、遅くなっていきました。九時か十時位まで明るかったと思います。夜も完全には暗くなりませんでした。

 ケチカンを出て三日後に漁場につきました。他のサーモン船が三十隻くらい浮かんでいます。まだ仕事はしていないみたいでした。そのうちの一隻にクリスは乗っていました。クリスは船を近づけると、こっちの船にのってきました。クリスはもう一人のメンバーです。これでトム、トニー、アルフ、クリス、僕の5人のメンバーが揃いました。クリスはトニーと同年代で半分インディアン半分白人のあいのこです。色は黒く見た目はインディアンのようです。性格はタフでワイルドでした。原始から変わることのないアラスカで生まれ育った、飼いならされていない男、クリス。ワイルドなクリスが来て、一瞬船も変わるかなと思いましたがそんなに変わりませんでした。

「あのアルフって奴だめだから。」

「ありゃだめそうだな。なんか気持ち悪いやつだった。」

「ゲイだからさ。サンフランシスコから来たゲイ。」

「ゲイか。やっぱりな。」

早速アルフの悪口に、参加していました。それでもトムたちほど残酷ではありませんでした。クリスは自分の話しもしました。

「これ見てよ。2週間前に手術したんだけどさ、お医者さんは2ヶ月は安静にしてろって言ってたよ。するわけないじゃん。このオレが。酒も飲むなって言うし。ファックヘルス。ファックドクター。酒はオレの薬なんだよ。この仕事もオレの人生よ。これが体にいいんだから。現代科学じゃ俺のことはわからないだろうな。アイラブフィッシング。これをやって死んだら本望よ。」

胸には40センチくらいの生々しい手術のあとがありました。クリスも子供の時から父親の船を手伝っていました。トムとトニーとは子供の時からの知り合いです。クリスは船を持っていて、キャプテンもしていましたがその時は事情があって、船を手放していました。トニーも船を持っていてキャプテンをしていましたがその船は沈んでしまいました。今この船には三人のキャプテンがいることになります。しかも、三人は子供の頃からの仕事仲間。にわか漁師でなく先祖代々の漁師です。この三人がひとつの船に乗って、盛り上がらないわけがありません。三人とも割れんばかりの大声で本当に楽しそうでした。そこはアラスカサーモン船団の中心のように感じました。無線で他の船と話していても、他の船はびびっていました。

 船はクリスを拾ったあと、解禁を待つサーモン船団を後にし、さらに北上しました。

「ここはドッグサーモンの卵を孵化させて川に返すところだから、その川に戻ってきたドッグが簡単に獲れるんだ。だけど、ここはゲイフィッシャーマン達がやるところだから、もっといい所いこ。」

トムが気に入らない奴は、皆ゲイでした。

「くそ馬鹿だぜ。こいつら。こんなのフィッシングじゃないぜ。混んだところで順番待って網いれるなんて、そんなことして楽しいのかね。」

「金じゃないってのがわかんないのかね。こいつらは。やだやだ。俺は儲かんなくてもいいから、楽しいのがいいや。気の合う仲間と。」

皆好き勝手なことを言っています。自己中心的でもこれだけ自信があると聞いててさっぱりします。漁場は広く、禁漁区でなければどこに行こうが自由です。船は五時間ぐらいするとフナという小さなインディアンの村に着きました。インディアンの村といっても、皆洋服を着て、普通の家に住んでいます。そこの人は日本人みたいな顔をしたのが沢山いました。濃い顔の人もいましたが、ほとんど黒髪でした。その町には昔、缶詰工場がありましたが、今は産業と呼べるものがなく、少し貧しい村でした。

 その村にはトーテンポールがありました。僕の千葉の小学校にもトーテンポールはあったし、ケチカンでも観光客の為のきれいなトーテンポールを見ましたが、フナのトーテンポールが一番、迫力がありました。そのトーテンポールはかなり古くて、ぼろぼろになっていました。それはどう考えても、観光客のためや遊びや芸術のために作ったのではなく、信仰のために作ったものだと思います。その木には何か宿っているようでした。トーテンポールとはまっすぐの木に、レーブンや熊、サーモンや鯨や人などを彫ったものです。それはインディアンの信仰のために作られたもので、一つのトーテンポールがひとつの話になっています。ちなみにレーブンは大きくて黒いカラスのような鳥で、そこらじゅうにいましたが、そのあたりのインディアンの信仰では、すべてを造ったという、神様のような鳥です。

 フナには郵便局があってそこにはただでEメールを送れるコンピューターがありました。両親に送ったメールを見てみると、六月二十五日にフナに着いて、六月二十八日に最初の漁をしたと書いてあります。手紙も書いて送ってありました。それにはこう書いてあります。

「今日、初めて魚とって面白かった。エルフはコックさんで料理がうまいし、仕事は面白いし、けっこう楽しくやってるよ。」

僕も子供の時から釣りはしていたのですが、最初に漁をしたときは、正直びびりました。

でかい魚が、五百匹くらい、いっぺんに獲れたからです。その時はまだ、魚が来ていなかったので、ぜんぜん少ないほうでしたが、そのときの僕にとっては迫力満点の大漁でした。

 獲れるサーモンには5種類あります。まず一番よく獲れるのが、ピンクサーモン。体長約五十センチ。全体の九十パーセントはこれです。身はピンクで缶詰になります。値段も一番安い魚です。次に獲れるのが、ドッグサーモン。体長は大きいので八十センチくらいになります。脂身がおおく焼いて食べるにはこれが一番です。川に入ると口先がとんがってきて、犬みたくなるのでこう呼ばれています。ソックアイは一番見た目がきれいな魚です。体長は八十センチくらいになります。高級なサーモンでスモークサーモンになるのはこれです。シルバーサーモンは珍しくあまり獲れませんでしたが、ソックアイによく似たサーモンです。どのサーモンも銀色ですがシルバーはさらに銀色に光ったサーモンです。キングサーモンは大きいもので一メートル五十センチくらいありました。しかし売り物にならないことが多くて、ほとんど海に捨てました。もったいないぐらい立派なサーモンですが、売れないので捨てるしかありませんでした。食べても美味しいのですが、買ってくれないことがほとんどでした。

 魚を獲っているだけでは魚の種類まで覚えられません。見た目はほとんど同じで、大きさが違うピンクとキング以外は見分けがつきません。魚の種類を覚えたのは、魚を仕分けないといけなかったからでした。自分たちの獲った四十トンくらいの魚がベルトコンベアーで流れてきてそこから、ピンク以外をはねて、分けるのが仕事でした。

「これがソックアイ。これがシルバー。これがドッグ。わかる。」

一見全部同じに見えます。首をかしげていると

「ほら。ソックアイは目が小さくてビューティフルだろ。シルバーは似てるんだけど、身が細くて、すごい銀色だろ。それに斑点も尾びれのところにある。ドッグは簡単。尾びれの付け根が幅広くなってるし、目もでかいから。これは簡単。」

トニーが説明してくれました。

「俺は長いことやってるから、みたらすぐわかるけどさ。でもすぐ覚えるから。」

のんきにソックアイかな、シルバーかな、なんて見比べている暇はありません。ぱっと見てぱっとわからないと、仕事になりません。ドッグはすぐに覚え、シルバーとソックアイは何回も聞いた末、やっと覚えました。アルフは最後まで

「これドッグかな、ソックアイかな。どっちですか。」

と、ありえないアホさを、披露していました。

 ちなみにサーモン以外の魚は獲れませんでした。ごく稀にドッグともソックアイとも言いがたい、よくわからないサーモンも取れました。もしかしたらドッグとソックアイのあいのこかもしれませんし、養殖のサーモンが紛れ込んだのかもしれません。それは誰にもわかりませんでした。トムは養殖のサーモンを目の敵にしていました。

「養殖の魚には、牧場の牛と同じコレステロールがたまってるんだってさ。養殖は最近ふえてるけど。俺は食べたくないね。」

 海で魚を獲っているのに、産卵前のサーモンのように緑と赤で口もとがったサーモンが獲れることがありました。サーモンは真水にあたると色が変わり、形も変わります。サーモンは川に上って産卵をするのですが、一気に川に上がるわけでなく、河口を上ったり降りたりしながら体を徐々に慣らしていきます。ですから、海で取れた色つきサーモンは、もうすぐ川に上るサーモンということになるわけです。

ここで一番大事な話、サーモンを実際に獲るときの説明をします。まき網漁というやり方でサーモンを獲ります。英語ではセイン、又はセイニングといいます。網を使って獲るのですが、網の長さは約一キロメートル、深さは約五十メートルです。広げてみると、長い長方形の形をしています。網の上のところは水面に浮くようにフローターという浮きがい三千個くらい付いています。日本では、「あば」というやつです。網の一番下はレッズといって、網が早く沈むように、重い綱が付いています。レッズは網の中ではおもりの役目をします。フローターとレッズの間にミートという、ひとつの網目が四センチ四方くらいの網がついています。網は絡まらないように、船の後ろの所に、きれいにたたんでおいておきます。勘違いがないように説明すると、ここで言う網とはフローターとミートとレッズを一まとめにした大きな網のことです。

 魚を獲るには、まず魚を探して見つけないといけません。サーモンは群れになって岸沿いを泳いでいます。サーモンは海から川に帰ろうとしているので、大抵東か南向きの一定方向に向かって泳いでいます。岸沿いをよく見ていると、魚がはねるのが見えます。一匹はねるのが見つかると、そこをじっくりみると、二匹も三匹もはねるのが見えます。

「岸の近くを見てたら、魚がジャンプするのが見えるから、そしたらジャンパーって叫んでくれ。その時どこかって聞いたとしても、指を指したらだめ。ほかの船にばれるから。口で言ってくれ。あとどっちに向かって跳んだかも見といてくれよ。年で目が悪くなったから、頼りにしてるよ。」

僕は魚を探すこの仕事が好きでした。楽しいし役に立っていると実感できるので張り切ってやりました。

 群れを見つけると網を入れます。このとき船は岸から三百メートルくらいの所にいます。船は群れが泳いでくるほうを向いています。そして岸と船の間を群れが通過するようにセッティングします。網の端はスキフという六メートルくらいのエンジンつきのボートについています。スキフはクリスが操縦しました。スキフは母船のそばにいて、群れが近づいてくると、網がゆるい半円を描くように岸に向かって走って、網を張ります。スキフはこのときものすごい勢いで走っていくので、網は母船の後ろから、ものすごい勢いで出て行きます。スキフは岸に着くと、岸沿いに群れの来たほうに向かって走ります。このとき網は袋のようになっていて、群れはどんどん網の中に入ってきます。魚は網にぶつかると、網沿いに泳ぎます。岸のほうに泳いでもスキフはエンジンの爆音がするし、スキフも岸の近くにいるので逃げられません。母船のほうに泳ぎきれば逃げ切れます。

 船には四メートルくらいの鉄の棒に、おわんのようなものが付いたものがありました。この棒を水の中に勢いよく、突っ込むとボコッと音がして、泡が出ます。トニーが説明してくれました。

「これはアザラシが水にもぐる時の音なんだ。それで魚が驚いて、網の中に戻るってわけさ。この音を聞いてもどる場合もあるし、戻らないでそのまま逃げていく時もある。だけど、なんにせよやるに越したことないから。」

これはやけに疲れる仕事でしたが、意地になってやっていました。せっかく網に入った魚を目の前を通って逃がすわけにはいきません。それに弱いところを見せるのもいやでした。

 大漁の時は、フローターのところで、魚が跳んでいるのがよく見えます。群れが網の中に入り終わると、スキフは母船のほうに、母船はスキフのほうに走って網を閉じます。スキフについていた網の端は、母船につけます。このとき魚は網の下からは理論上は逃げれます。しかし実際は、網も深いので下から逃げることはありません。網を仕掛ける所は、地形がドン深なので、岸の近くでも網は下につきません。網を閉じると、ドラムという機械で網を巻き上げます。スキフに付いていた方とは反対の網の端から巻き上げていきます。ドラムはぶっといヨーヨーのような形をしています。深さ五十メートルもある網ですが、ドラムを通る時は一束になって海から上がってきます。ドラムは船の上につるし上げてあるので、網はドラムを通って船の上に上から落ちてきます。

このまま何もしないと、船の真ん中にぐしゃっとした、網の山ができてしまいます。それでは次に網を張る時、絡まってしまうので、フローター、ミート、レッズに分けてきれいに順々にたたんでいきます。一番簡単なレッズはアルフが、一番難しいミートは若い僕が、フローターはトニーがやりました。初めて漁をしたときは、ものすごい勢いで落ちてくる網についていけませんでした。

「かなり早いですね。ついていけないです。」

「慣れたら簡単だぜ。寝ててもできるよ。ほんと。すぐ慣れるから。イージーイージー。」

トニーは目を閉じて、寝ながらやって見せてくれました。トニーはデッキ(甲板)ボスでした。

 僕は少しショックを受け、次の網のときは猛スピードでやってやろうと考えていました。次の網のとき必死になってやってみたら、意外に簡単にできました。

「かなりセンスあるよ。サーファー辞めて、フィッシャーマンなったほうがいいな。アウタボーイ。」

トニーも喜んでくれました。アウタボーイというのは、それまで聞いたことのない英語でしたが、「でかした。」という意味です。その船ではよく使われていました。

 網を半分ぐらい巻き上げると、そこでいったん網を巻き上げるのを止め、残りのレッズを機械で巻き取ります。残りのレッズは網に固定されていません。網に十メートルごとに鉄のリングが付いていて、その中を通っています。残りのレッズを巻き取ると、網の下のところが巾着袋の様に絞られるという仕掛けになっています。網は袋の形になり、これでもう魚はどこにも逃げられません。こういうややこしい仕事はトムキャプテンがやっていました。僕とトニーとアルフはその間、網に引っかかった魚をはずしたり、海草やくらげを捨てたりします。

 それが終わると、又網を巻き始めます。どんどん魚の入った袋は小さくなっていきます。魚もバチャバチャやり始めます。最後には魚だけ入った、網の袋になります。その袋を機械でつるし上げると、二メートル四方の穴の中に、魚が落ちていくようになっています。その中は氷水が張ってあって、魚は凍死しますが、魚が新鮮に保てるようになっています。

 獲れる量は、多い時ではハイエース一台分くらい獲れました。そんな時はいっぺんにあげようとしても、網が重過ぎて上がりません。無理をしたら、船が傾いて沈んでしまいます。そんな時は袋を二度に分けて持ち上げます。少ない時は五十匹ぐらいしかとれませでした。

 網を巻いている間、クリスはスキフで母船を、網の反対側に引っ張って網が絡まないようにします。

「俺の仕事は楽そうに見えるけど、頭も使うし、精神的にきついんだ。経験をつんでからじゃないとできないよ。」

確かに、子供の時からやって地形を知っていないと、浅いところに網を引っ掛けるかもしれません。そうだとしても、クリスはさらに大げさに自分の偉大さを話すのでした。

 これが魚を獲るワンローテーションですが、これを一日に多い時で二十回、少ない時で五回くらいやります。

夕方魚を獲り終わると船は獲れた魚を降ろしに行きます。魚を積むためだけにある大きな船に、魚を降ろします。大きな船から塩化ビニルのパイプを、魚の中に突っ込んで、掃除機のように魚を吸い取ります。これはトムの仕事でした。パイプを通った魚は種類別に仕分けるためにベルトコンベアーの上を流れてきます。種類によって値段が違うので仕分けるのです。仕分けるのはトニーとクリスと僕の仕事でした。アルフはほとんど役に立たないどころか、船から船に移るのに一分くらいかかって、皆をいらいらさせていました。

それが終わると魚が入れてあったところを洗って、一日の仕事は終わります。他の船で混んでいる時は、待つので夜中に終わることもありました。次の日も朝は早いのですが、アラスカの自然の力を貰って、どうにかできました。

 サーモン以外には何も獲れませんでしたが、一度サメが網の中に入っていました。三メートルくらいの大きなサメです。ロープを尻尾にかけて、機械でつるし上げて海に捨てました。それ以外にも一度サメを見ました。魚を探していた時、ジョーズのように背びれを出して泳いでるサメを見つけました。

「あっ。サメだ。ほらすぐそこ。」

サメは船のすぐ近くをゆっくり泳いでいました。

「よく見つけたな。グッドアイ。」

トニーも嬉しそうです。そんな時は誰でも楽しい気分になります。何十年やってもアラスカの自然はいつも新鮮なんだと思います。疲れたときも、アラスカの大自然を見ると疲れが吹っ飛んでしまいます。見渡すと湖のような海と濃い緑の山が見え、空には白頭わしが沢山とんでいます。大自然の中で仕事をしていると、自分も大自然の一部になった気がします。だからトムもトニーもクリスも気持ちのいい人なんだと思います。アルフもだからアラスカに戻ってきたのでしょう。

 鯨は毎日見ました。家族で泳いでいて、子鯨は生まれたばかりなのか、かなり小さい可愛い鯨でした。いつもいるので、そんなに注意してみませんでしたが、時々、体全部が飛び出るくらいジャンプすることがありました。そんな時は、やはり誰でもびっくりするのでした。鯨は漁場にも出てきます。もし鯨を網に入れてしまったら大変なので、鯨がいるときは鯨がどこかに行ってしまうのを、待ちます。

別の船で鯨をとってしまった船がありました。船は網の中の鯨に引っ張られています。傾いていて、船がひっくり返るんじゃないかと心配しました。しばらく引っ張られたあと、鯨は網に大きな穴を開けて出て行ってしまいました。

「ああ。かわいそうに。あの網直すの大変だよ。鯨に穴開けられたら、編み直すのに一週間かかるんだよ。でもしょうがないな。くじらのすることだから。」

アルフには厳しいトニーも鯨には優しいのが、おもしろいなと僕は思いました。

僕らの船も一度鯨を獲りかけましたが。運よく網の下から逃げて行ってくれました。その時はトムも、網を巻きながら

「神様お願いだから、引っかかってないで。お願いー。」

と、かなりあせっていました。

鯨といえば信じられないことがありました。その日は仕事のない日で、船はフナの港についていました。僕は船から釣りをしていました。鯨がいたのですが、最初はあまり気にも留めていませんでした。その鯨は餌をとっているらしく、岸沿いを泳いでいました。近くに来たのでよく見ていると、潜ったあとしばらくすると、泡が筒のように円を描いて沸いてきます。その泡で餌を閉じ込めるのでしょう、そこから大きな口を開けて鯨が飛び出てきます。何回も何回もそうやって餌をとりながらこっちに向かってきました。鯨は潜ったかと思うと、船のすぐ下まで来ていました。筒の泡がすぐそこに沸いています。僕はかまわずそこにルアーを放り込んでみました。鯨の馬鹿でかい口がすぐそこで飛び出てきて、又潜っていきました。そして僕の竿に何かがかかりました。ドラッグ(リールの機能)もきかず糸はどんどん出て行きます。ルアーか糸が鯨に引っかかったのです。スピードはありませんがものすごい力です。

「トム。鯨がつれました。」

僕はびっくりして皆に知らせました。

「よし。逃すな。」

トムもびっくりしています。二十秒くらい引っ張られると、ふっとルアーが外れて軽くなりました。ルアーが鯨に取られなかったのと、鯨に引っかかったままにならなったので、ほっとしました。

 アラスカの海ではシャチも見ました。あまり見ないのですが、家族ででかい背びれを出して泳いでいるのを見ました。熊も見たかったのですが、熊は見れずじまいでした。そのほかにアラスカにはビッグフットという雪男がいるという話を聞きました。本当にいるらしく、何人かの人から話しを聞きました。インディアンの伝説にも出てきています。トニーは

「これは人に言ってはいけないんだけど。」

といって話してくれました。

「オレは山をひとつ持っていて、山の中に家族で住んでいるんだ。犬を飼っているんだけど、ある夜、犬がものすごい勢いで吠えて止まらなかった。俺はライフルをもって外にでてみた。大体そんな時は熊かなんかなんだけど、その時は少し様子が違っていた。その犬は熊も怖がらないんだけど、その時は毛が逆立っていて、ものすごいおびえていたんだ。今までそんなことはなかった。しばらくして犬は泣き止んだ。そしたら今まで、聴いたことのない泣き声が暗闇から聞こえてきたんだよ。長いこと山で暮らしてきたが、あれは何の声かわからなかった。ものすごい泣き声で、心底ぞっとしたよ。この世のものとは思えない音だった。あれはきっと怪獣だと思う。」

クリスも雪男を信じていました。

「俺の爺さんが見たって言ってたよ。いるんじゃないか。」

確かに人の住まない大自然の中、いてもおかしくないと思いました。僕はアラスカの仕事を終えたあと、雪男か金を探すのも悪くないなと思っていました。

 アラスカでの仕事は仕事じゃないくらい面白いのですが、仕事以外も面白いことだらけでした。漁は二日禁漁で二日漁というスケジュールだったので、週休三日か四日でした。まず起きるとコーヒーを飲みます。休みの日にはコーヒーの中にウイスキーやアイリッシュクリームという甘くてクリームの入ったウイスキーを入れます。そこから夜寝るまで、ずっと飲みっぱなしという時もありました。退屈になったら、釣りをします。ルアーを投げたら、二回に一回はあたりがあります。釣った魚は、サーモン、タイ、ひらめ、たこ、タラ等です。美味しかったのはロックフィッシュというタイです。これは船が漁場に前の日からイカリを下ろしているときに釣れました。夕方に船からそこにルアーを落としこんでしゃくってやると、ガツンとあたり、キビキビ、グイグイと引いてくれました。三十センチくらいでひきも強く、釣っても楽しい魚です。これが同じところから次々に上がりました。刺身にしてもよし。焼いてもよしの美味しい魚でした。

たこも根がかりかとおもったら、深い海底からでかいのが上がってきました。それにしても、これだけ魚のいるアラスカ、海の中はどうなってるんだろう、海の底は、と想像するだけで楽しくなります。

クリスがえびを取る仕掛けを持ってきていて、甘エビも獲りました。入ったら出れないモンドリかごの中にサーモンの頭や骨を入れておきます。七つ位に連なったカゴを海の底に沈めておきます。漁に行って二日後。そのかごを引き上げます。かごをなくさないように、ロープの端に浮きをつけておきます。機械で海底からかごを引き上げると、中には丸々太った甘エビがざくざく入っていました。大きなもので十五センチくらいありました。卵のついたのも在ります。生きたまま皮をむいてその場でたべると、ほんとうに甘くておいしいのです。最近までそれがなんというエビか知りませんでした。最近テレビに甘エビがでていて、それによく似ていたのと、甘かったのとで、多分甘エビだったんじゃないかと思っています。日本の甘エビも寒い時に日本海でとれるみたいなので、きっとそうだと思います。甘エビは刺身でしょうゆとわさびとでも食べました。米をたいて、酢を入れてすし飯を作って、にぎりにもしてみました。どう食べても、美味しいエビでした。アルフもエビににんにくやオリーブオイルを合わせたヨーロッパ風の美味しい料理をつくってくれました。

かにも獲りました。かにもカゴで獲って食べました。ある日、仕事も終わり、港に帰る途中、何もないところで船が突然止まりました。トムとトニーとクリスはやけに楽しそうにしています。

「誰もそばにいないな。注意しろよ。誰が見てるかわかんないから。」

トムは双眼鏡で辺りを見回しています。そのかごは僕らの獲った魚を買う人のカゴでした。

「大丈夫だよ。どうせあいつのカゴだし。サーモンも少しごまかされてんだから。ファックヒム。」

クリスは、カゴの目印の浮きを、すでに拾い上げています。そして、浮きについている、ロープを機械で巻きとり始めていました。ロープはかなり長く、なかなか上がってきません。

「もうすぐ、かにのカゴが上がってくるから、上がってきたら揺らしてデッキにのせよう。でかくて重いから、気をつけろよ。」

トニーと僕はかごが来るのを待ち構えました。

「ウオーッ。バグ(虫)が上がってくる。バグがーっ。」

トムは空に吠えています。

二メートル四方のカゴが上がってきました。中には隙間がないぐらい、かにが詰まっています。重いかごをデッキの上においてふたを開け、ひっくり返すと、かにがガチャガチャ言いながら出てきました。長い足をしたかにが、デッキ中にあふれガチャガチャ言っています。確かに、かにが虫に見えました。かごはすぐに海に戻しました。

「小さいやつは違法だから逃がさないと。」

皆で、デッキの上のかにを捕まえて、小さいかには海に捨てました。そのかには、動きが遅いので簡単に捕まえられました。小さいのを捨て終わると、五十匹ぐらいいたかにも、十二匹ぐらいになりました。しかし、残ったかには、足の長さを含めると一メートル二十センチくらいある大きなかにでした。キングクラブという甲羅の色は薄い紫色で、足も太く、体も大きい、見事なかにでした。僕はこの時とばかりに、アルフに、かにと一緒に入っている写真を撮ってもらいました。

 トニーはかに漁をしていたので、かにのことは何でも知っていました。トニーは大きななべに海水を入れて沸かし、真二つに割ったかにをゆでました。ぼくは二つに割るやり方を教えて貰い、それがおもしろかったので残りのかにを全部割りました。かには十分ぐらいゆでて、水にさらすとすぐに食べれました。そのまま食べても美味しいし、しょうゆをつけても、酢醤油をつけても、ケチャップとタバスコをつけても何をつけても最高でした。獲れたてのゆでたて。ただの食べ放題。しかもかにの足の太いこと、太いこと。その中からボソッと出てくる。かにの肉のことは今でも鮮明に覚えています。

「これが、アラスカの本当の楽しみ方なんだよ。他の船は臆病だから、こんなことはできないよ。サーモンを獲って、金を稼いでそれだけさ。わかるかい。この船が一番なんだよ。君はこの船に乗って本当にラッキーだったんだ。」

トムは僕にそう言いました。

「この船が一番だよ。皆のことも愛してるぜ。」

クリスも吠えています。

僕は、かにのこともさることながら、この船に乗れて本当によかったと思いました。僕はこの船に乗って、トムたちといると、血が沸き立つような気がしていました。ものすごく強くなったような気がしていました。

 アルフの作ったスモークサーモンも最高でした。アルフは小さいスモークマシーンを買って、スモークサーモンを作ってくれました。アルフはスモークマシーンはこの船に置いていくと言っていましたが、トムはそのスモークマシーンは、シアトルに帰ったら海に捨てると言っていました。

クリスは瓶詰めを作ってくれました。サーモンの切り身を瓶の中に入れて、瓶のふたをします。その瓶をゆでると、瓶詰めになります。瓶は透明なので中が見えますが、中身は缶詰めと同じで半永久的にもちます。クリスは瓶詰めをとりつかれたように作っていましたが、瓶がなくなると、フナの店から瓶を万引きしていました。そのお店には瓶詰め用の瓶とふたが売っていました。アラスカでは魚やブルーベリーを、家庭で瓶詰めやジャムにすることが多いんだと思います。瓶は店先で売っていたのですが、クリスは僕に、

「船のところでこれを受け取ってくれ。」

というと、堂々と瓶を箱ごと何箱も持ってくるのでした。僕はそれを万引きしたものとは知らず受け取っていました。あとで盗んだと知っても後の祭り、笑うしかありませんでした。アラスカにはインディアン、ハワイにはハワイアンがいて、両方ともアメリカの原住民ですが、彼らの中には、俺達はアメリカ人に全てを取られたんだから、俺達はなにをやっても決して悪くないと考える人が結構います。

 食べ物のほかにもうひとつの楽しみがありました。それは温泉です。その温泉はテネキーという、人口五十人くらいの小さな村にありました。そこは村の公共の温泉になっているらしく、ただではいれました。アラスカは何をするのもただでした。ほとんど財布を開けることはありませんでした。アラスカからシアトルに帰る途中、もうひとつの温泉に入りました。そこは大きな滝の上にあり、温泉のすぐ横には、ものすごい勢いで川が流れていました。テネキーも川の温泉も船がないといけない秘湯中の秘湯です。

 アルフのいじめは日に日にひどくなるばかりでしたが、アルフにも意地があったのか最後まで船をやめませんでした。しかし最後には口でアルフはついに泣かされてしまいました。でもそれも今まで我慢してきたのが、やっと開放されたんだと思います。その日は、アラスカからシアトルに帰る途中ケチカンにとまったときでした。皆少し暇だったのかもしれません。皆でトムがアルフにどれだけアルフがだめだったか、説明しているのを、聞いていました。アルフは泣かずには声も出なかったんだと思います。ついにアルフは泣きながら叫びました。

「今まで、僕はこの船でずっといじめられてきた。毎日ご飯を作っても、ぜんぜん感謝されなかった。それでも毎日ご飯を作ったんだ。感謝してくれよ。僕はそんなにだめなのかい。」

僕は、少しかわいそうに思いましたが、面白くなってきたとも思いました。ドラマだったらここは十中八九トムが謝り仲直りする場面です。しかし僕の予想はあっさり裏切られました。トムはあきれたように言いました。

「わかった。じゃあ言うよ。料理を作ってくれて有難う。これでいいのかい。料理を作るのは君の仕事だろ、そんなこともわからないのかい。それに僕はいじめてなんかいないよ。ただ本当のことを言っているだけじゃないか。」

僕はこんな残酷な人は見たことがないと思いました。

「ファックユー。」

アルフは泣きながらそういうと、どこかへいってしまいました。トムは

「あんないい大人が泣くのは、初めて見たよ。女みたいだな。」

と、言ってアルフの真似をしていました。

トニーも最後にアルフをどうするか色々考えていました。

「入れ歯ケースにおしっこを入れてもいいんだけどな。でもそれじゃあ洗えばすむし。」

「じゃあウンコ入れればいいかも。」

トムは本気で言っています。トニーはおもむろに台所からアルフの包丁を取ると、包丁の刃を鉄の角で全部落として、もとあったところに戻しました。

 アラスカからシアトルに帰る途中、ケチカンに寄りました。その時、ケチカンの川にはもうサーモンが帰ってきていました。河口にはサーモンが大群になって川に上るのを待っていました。川にもサーモンがあふれていました。川を歩いて上ってみると、幅が五十センチくらいの浅いどぶのようなところにも、馬鹿でかいサーモンが泳いでいました。川は河口から上流までサーモンであふれていました。当然これを獲ったら簡単に獲れるなと思いましたが、禁漁なのか誰もとっている人はいませんでした。そんなことよりも、橋の上から川を上るサーモンを飽きるまで見ていたとき、やっとアラスカの旅が終わったなあ。やっと終わってくれたなあ。やりおおせてよかったなあ。自分でサーモンを獲ったなあ。面白かったなあ。と思っていたと思います。シアトルに戻ったのは出発の二ヶ月半後、九月三日でした。その時、僕はベンチュラにイワシ漁に行こうと思っていました。トムによると、簡単で馬鹿ほど儲かる仕事ということでした。