そんなにあわてなさんな
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                 陶淵明「帰去来の辞」
                 [胡為(なんす)れぞ 煌煌(こうこう)として何(いず)くにか之(ゆ)かんと欲する」

06-07-17(火) 弟の癌
 弟の膵臓癌が発見された。段階で4Bという最悪のレベルだ。余命5年というものの、分かったものではない。
13日告知を受けて14〜16自宅にもとり、夕方金沢八景?の市大の付属病院に戻っていった。
 人間は必ず死ぬ。生けるもの全部だ。だが、感情の動物であり、思惟する人間は余計に死について恐れ、納得しようと努力する。あがいても如何とはしがたいのだが。
 見舞いに行こうと思っても、逢いたくないらしい。落ち着いてから出向くとするか。京都に転居して、これるものなら、
呼んでやろうかと思う。



05−11−06(日) 早朝の信号無視
 私は、何もなければ夜明けと共に散歩することにしている。百間川の堤防を東進すると備前富士を正面に見て歩く事になる。黒い山、少し白い空、そしてその上の黒い雲。これが徐々にあかね色に染まり、普通の色に戻る。この間わずか20分である。私この景色に見せられていそいそと出かけるのである。
 ところでこのテーマである。早朝は車が少ない。途中に旧国道2号線があり横断するのであるが、時折見かける散歩ひとは、信号が赤であろうとなかろうと、左右を見、安全を確認して渡っているのが90%あろうか。こういう私は、さすがに信号無視は気がひける。そこで100メートルほど行き過ぎて、左右を確認して渡っている。
 信号は、その筋の専門家が点滅からの切り替えを設定している。それを素人が無視する。しかし、殆ど車がない。臨機応変でいいではないか、とも思う。こんな経験はないだろうか。



05−05−27(金) 目は口ほどにものを言う
 TVを見ていて思うことがある。目の演技である。正しくは心の演技と云うべきなのだろう。つまり、表題のことわざにある様に、目は心の動きを表す。それがない役者が多くなった。その役柄に身も心もなりきらなければ、心の動きを目で表現することは出来ないだろう。何か考える場面がある。役者の目はうつろである。心の演技がない。泣き崩れる場面がある。画面の中では、皆が一生懸命に演技をして泣いている。ところが主役からは何も伝わってこないのである。脇役の方が上手だ。人材不足なのか。未熟を承知で主役にしているのか。そこへいくと、名優と云われる人達はすばらしい。何分黙っていても結構楽しめる。心身共に役になりきっているからだろう。



05−04−30(土) 済んだ
 昨年から準備していた「津田永忠奉公書」の出版準備の大半が済んだ。あとは、製本を専門会社に依頼する。
 解読文の校正・読み下し文の作成とその校正・原文ー解読ー読み下しのセット作業・さらなる校正・印刷。校正は会員の全部にお願いした。
 印刷は、当初先生にお願いする予定だった。ところが、CD−RWの関係で、私が印刷することとなった。
 カラー写真8枚33部、1枚4分、約18時間。白黒177枚、1分間2枚、33部、約50時間。合計約70時間と計算上は成るが、ミスのやり直しや段取り、整理を入れると80時間以上要している。
 終わってみると、よくぞ根気が残っていたものだと感心する。もう一度やれ、と云われたら、多分辞退するであろう。とにかく疲れた。
 本は関係先への贈呈となるが、5月下旬の予定である。
 パソコンが故障した。仕事が終わるまで頑張ったようだ。よくぞ働いたと誉めてやりたい。
 最後に、印刷の整理・チェックに協力してくれた 石原・金田・鈴木・横山さんに感謝します。
 




05−03−09(水) 知っていることと使い分けること
 花粉の飛散が非常に多い、ということなので、散歩を止めて県立図書館に出かけた。興味ある人物の本を見かけたので、立ち読みを始めたが、直ぐに止めてしまった。
 たしかに、語彙は豊富な様だ。だが、何か違和感がする。文章が不自然なのである。だいぶ前に、日本人なら誰でも知っている事の本を見つけた。作者もまあまあ聞こえた人である。だが、読むのを中断した。平易な文章の中に
ぼこん、ぼこんと死語になった難しい漢語が登場するのだ。よく似ているな、と思った。
 小説家は知識を見せびらかす物ではあるまい。芸術性を求めるのも結構。だが、読むのは現代人である。もっと適切な表現があるはずである。
 私に受け入れる度量が不足しているのだろうか。感覚の相違だろうか。
そんなことを考えながら、他の本を借りてきた。

04−11−18(木) 運動は、私にとって最高の妙薬である
 8月24日から毎朝日の出と共に歩き出した。10月始めに、それまで苦しんでいた。左の50肩が治りだした。
今日現在、多少の不自然さは残るものの、90%の回復である。
 先般の、川鉄病院での検査では、血糖値、肝機能も含めて全て正常値になっていた。これは毎朝の散歩の
賜と思っている。歩くこと平均9000歩、約6.3キロである。1時間10分。主治医もびっくりで、是非続けてくださいという。無理のない、ストレスにならないように続けるつもりである。
 楽しみも一つ。双六宜しく新幹線の線路を歩いている。今日は浜松駅を通過する。

04−09−02(木)古文書に思う@ (津田家奉公書きより)

@関ヶ原合戦前の人質について
  関ヶ原合戦は、1600年、徳川家康と石田三成の対立の合戦である。当時、家康は会津の上杉景勝を討つため、諸大名を引き連れ関東にあった。石田三成はその留守を利用して、挙兵した。そして、秀吉恩顧の諸大名に檄(げき)をとばして、味方するよう交渉に忙しかった。そして、当時大阪に住んでいた諸大名の妻子を人質にしたのである。以下は、関連部分の記述である。「 」内は原文の読み下しである。

 (1)「……しかる処に、石田治部(じぶ)少輔(しょうゆう)逆謀(ぎゃくぼう)により、諸大名衆の御妻子方大坂城中へ人質に取り入れ申すべき趣(おもむき)の由(よし)……」
  現代の国内の人質事件は、身代金を要求するものであるが、この場合は、味方を強要し、裏切り防止が主たる目的と思う。江戸時代も、徳川幕府は江戸に大名の妻子を住まわせている。それでも不足の場合は、重臣も対象になっていたようだ。これも人質の1形態である。 

石田治部少輔:石田三成のこと

逆謀:筆者は家康方の池田家の家臣であるため、このような書き方になっている。もしも、石田方が勝っていたら、「……家康逆謀により……」となっていたかも知れない。逆謀は反逆のはかりごと。

大坂:昔は土偏の大坂だった。明治に商人が土が付くのはよろしくない、としてコザト偏の大阪になったとか。

(2)「……その節、細川越中守(えっちゅうのかみ)殿御奥方を急に城中へ取り入れるべく仕(つかまつ)り候に付、御奥方自害これあり候由(そうろうよし)……」
 明知光秀の娘、お玉 クリスチャンになりガラシャ夫人という。細川忠興に嫁す。光秀と秀吉が衝突した山崎の合戦では、細川家は秀吉に与(くみ)した。光秀敗れて、彼女は2年ほど幽閉された。
この頃を扱った小説には、この事件に触れているものが多いと思う。人質として大坂城に入ることを強要され、彼女は敢然と拒否して、家屋敷に火を放った。クリスチャンは自殺を認めていないが、彼女は自害した。辞世に
「ちりぬべき時知りてこそ世の中の 花は花なれ人も人なれ」
がある。

この古文書は、解読分も含めて岡山大学の図書館に眠っていたものです。世間に出るのは初めてと思います。
   


06-07-29(木)
今朝、みそ汁をお代わりしようとして、連想したことがあります。

戦国の世、小田原北条100年、5代の中に4代北条氏政とうい人がおりました。この人、頭脳明晰・深謀遠慮の誉れが高いのですが、どういう訳か、その時代を書いた複数の小説には、暗愚の逸話が登場します。記録があったんでしょうね。
私の記憶に多少解釈が入っていると思います。

ある時家族そろって食事をしていました。氏政がご飯にみそ汁を2度かけたのを見て、父3代氏康が嘆息しました。
「ああ、この北条家もわし1代で終わりか」
顔色を変えて、氏政が問いただしました。
氏康曰く
「食事は、生まれてから何千回となく稽古している。それなのに、ご飯にどの程度みそ汁をかけたら適当か、まだ分からない。
これでは、武田、上杉、佐竹などと戦えない。だからわし1代で終わりといった」

ある大名は、氏政をウジムシと読んで軽侮していましたが、人物評がいろいろありおもしろいですね。これを機に変わったのかもしれないし、競合大名のヤッカミかもしれないし、意図して暗愚に見せたのかも知れないし……。
当時、このような大名の食事でも、みそ汁をかけて食べていたのですね



05−07−01木) ウイルス
 私は、パソコンのウイルス対策はプロバイダに依頼している。最近1日数通の妙なメールがある。そして、プロバイダから「ウイルスを検知したから、削除しました」とのコメントが届く。この変な発信者は、どこで私のアドレスを知るのだろうか? ウイルスを伝播してなにが楽しいのだ?
 彼らはアドレスを、どうやら写真送付で入手するらしい。最近、お世話になった信州のある教育委員会に写真を送付した。そしたら、先方のプロバイダから受信拒否された。その対策をしているのだろう。私のPCに侵入しているのだろうか。明日、プロバイダに相談してみるつもりだ。
 世の中には、人様に迷惑をかけ、非常識な行為をして楽しんでいる輩がいる。人間は誰しも、心の暗闇にそのようなものを持っているのだろうか。「性悪説」というのがある。それである。しかし、人間のほとんどは、暗闇に閉じこめたままで、決して表に出そうとはしないし、その存在すら否定する。世の中に、表面に出てくる、ほんの一握りの性悪と人間は未来永劫戦い続けるのだろう。
 「小説十八史略」を読んだことがある。紀元前千年頃の話も載っている。殷(いん)の紂王(ちゅうおう)・太公望の時代である。人の心の描写があるが現代の人となんにも変わらない。科学文化が進歩しても、心は旧態依然だ。



04−05−28(金) 田植えの便りに 少年時代を思い出す
 郷里の甥から、田植えをして腰が痛い、との便り。少年時代の田植えを思い起こしてみる。便りでは5月15日が田植えだったようだ。昔は6月20日頃と、すぐ上の姉が言っていたから、1月以上も早くなったようだ。
 この作業を3段階に分けてみる。
(1)田植え前
 稲刈りが済んで、霜が降りる頃田を耕す。刈り取った後の稲株が下になるように耕すのである。そして表層土に十分な酸素を供給する。農具はマンノウという鉄で出来た刃が3〜4本の熊手のような物、そして牛馬を使ってのスキ(漫画)である。

  私の郷里では牛を飼っていて、私はその牛を連れて耕耘に田んぼに行くのである。小学生(多分、高学年から中学生)の私には、このスキがとても重く、100メートルも担いで歩けまい、と思った。田んぼは遠くても1キロもないが、私には数キロもあるように思った。着いた頃には疲れ切って田を耕すところではない。
 どうにか気力を取り直し、牛にスキをつなごうとするのだが、牛は思うように動いてくれない。やっと、耕耘開始だ。やはり、牛は思うように動かない。子供と見て侮(あなど)っているのだろうか。重いスキを操り、牛とたたかい、どうにか日が暮れる。

(2) 田植え直前になると、代掻(しろか)きといって、田をスキ起し、水を入れ表面を平らにする。これもそれなりの農具を使う。表面を平らにする作業である。馬を使ったことがあった。馬の轡(くつわ)に1間ほどの竹の棒をつなぎ、平行して歩き、作業部分が重複しないように、そして抜けないように誘導するのである。背が低く、足が短かい小学生である。馬の早さについて行けず、泥田の中を転びそうになりながら走りまくった思い出がある。

 その頃、家族の一部は、苗代で苗をとり、直径5センチ前後にわらで結わえて運び出す準備をする。当時は、各農家が種籾を保存し、時期になると苗床で苗を育てたのである。さて、この頃になると、家業が農家でない親戚のおばちゃん達が手伝いに集まってくる。

(3) 田植えが始まる。苗代から運び出された苗は、畦から適当な間隔で投げ込まれる。畦から畦に1本のひもが渡される。そのひもには、苗の植え幅の玉がついていて子供から大人までそれに従って植えていく。もちろん、その紐も移動する。映画やドラマでは、男衆が歌を歌い、そして笠をかぶり、かすり着物に赤いたすきの女性達が植えるのだが、現実はそんなものではない。ヒルに血を吸われているのも気づかず、腰が痛いのを我慢して植えるのである。当時は麦の栽培もあり、刈り取った残りの株は鋭いもので、まともに踏むと足を傷つけるため、そちらにも意を注がなければならない。雨が降ると、終戦後数年は、笠をかぶり、蓑を纏っての作業であった。この蓑、こ結構暖かかった記憶がある。写真があれば、素晴らしい記念になったのだが……。
午前と午後に休憩時間がある。畦道で、または農道で弁当を広げる。これが最大の楽しみであった。

 田植えが済むと、根付くまでの作業として、朝は水田の水を少なくし、夕方に水を張る。田の草取りと称して、苗と苗との間に生える草を泥田にはいつくばって取り去る。田車という農具があった。いわば小さな耕耘機である。植えた苗と苗の間を走らせ、土を返して酸素を根に供給するほか、生えた雑草を土中に埋め込んで枯らすのだが、大きな雑草には効き目が無かったようだ。これが済むと、一段落である。

 今では、耕耘から田植えまで機械化されて農家は楽になった。苗も農協に発注する。除草は農薬であろう。素晴らしい科学の進歩である。


 
04−04−26(月) 「……なんだ」という表現
 最近の女性の会話に出てくる言葉である。私の記憶では、以前、男の子への女子アナのインタビュウーでの話し言葉だったように思う。男の子との目線というか、会話線というか同じレベルで話して、云わんとすることを代弁する。確認して相手に「ウン」といわせる。そして、インタビュウをスムーズにしようと云うわけである。
 一過性の言葉で、すぐに廃れると思っていたが、中々根強く残っている。女性同士の、そして男性との会話しかり。
当分長く続くんだろうな。使うのはほとんどが女性である。



04−03−12(金)  遅かった孝心
 3月14日は、姉嘉根子の一周忌である。昨年4月16日に逝ってからはや1年である。月日が過ぎるのは速いものだ。帰省して、姉の墓前で冥福を祈ろう。
 いったい、あの世とやらはあるのだろうか。あったとしたら、ご先祖様や、両親、姉は何をしているのだろうか。
最近、母を思い出すことが多い。寂しそうな晩年の母の姿である。それで私が悔むのは、生きている間にもっともっと、心の孝行をしておけばよかった、ということである。孝行とは、形だけのつまり、金銭ではない。「心」である。私は、孝行息子といわれているようだが、私は不幸者だったと思っている。母は、噂はうわさとして事実が違うので、寂しかったのであろう。あの格言は誠に真実を言い当てている。
 「孝行を したいときには 親はなし」



04−02−27(金) かつての企業戦士はいま
 東岡山公民館の囲碁クラブに入った。第1,2,3土曜日の午後13時から和室が碁会所となる。最初に入って間もなくどんどんと集まってくる。40人ほどになった。見渡すと、お年寄が殆どである。トイレが近い人、座るのが長続きしない人。ご婦人も2人。
 対局の申し込みがあった。3級という。3段というと恐縮して強い人と打ってください、という。私は一向にさしつかい無いですよ、と打ち始めた。次は初段の人と打つ。かなり年輩だ。しょっちゅうトイレに席を立つ。その間に考えた。
 ここに集まっている人達は、かつては、職場にあって会社の為に身を粉にして働き、家庭にあっては、一家の主として、妻子を養い、教育し、守りそして生きてきた。
 そして、いま社会の家庭の役目、義務を果たし、静かに、囲碁を囲み1石1石に疲れた心を楽しませている。長い人生を旅とするならば、彼らは、あの世行きの停車場の待合室で、列車がくるのを待っているのだ。他人事ではない、私もそうだ。乗る列車は、いつ来るのだろうか。誰も分からない。
 




04-01-26(月) 「今の若い者は……。」
 この言葉は、昔の記録にもあるそうだ。つまり、年寄り達が若い者を批判する時に使う言葉だ。私は、この部分では誉めることに使う。
 今月の中旬、私はローカル線で各駅停車の鈍行でノンビリと旅を楽しんでいた。ある駅で、中高生と思われる生徒たちが、どっと乗り込んできた。向かい合わせの4人掛けの席に座っていた私は、カバンを膝の上に乗せて、席を空けた。ここにきたのは。中学生か高校生の娘さんたちだ。弁当を広げて、にぎやかにやっていた。私はぼんやりと移り変わる外の景色を眺めていたが、「なぬなぬ!」と思わず耳が彼女たちの会話に集中した。それは、大人顔負けの議論をはじめたからだ。要約すると、
1.メディアのあり方について
 理想追求型のAさん
 「最近のメディアは、おかしいわ。危機感ばかりあおって、客観的的でないわ。もっと公正であるべきだわ。……」
 現実直視型のBさん
 「それは、会社によって方針もあるだろうし、読者、視聴者も獲得しなければ。ついつい、センセーショナルになるの は仕方ないかもね」
 無批判のCさん
 「……」

2.進路について
 Bさん「私は、薬剤師になるわ」
 Aさん「何故薬剤師なの?」
 B  「……}
 A  「考え方をしっかり持ったほうがいいわよ。例えば、今の薬では治らない病気があるでしょ。少しでも治る人が増   えるように研究するとか……」
 B  「あなたは、何になるの?
 A  「裁判官」
 B  「何故なの?」
 A  「裁判を見学した時、女性の裁判官が黒い服をきていた。とっても格好よかったからあこがれたわ」
    この辺になると、あどけなさが残る。
 
姿かたちをよく見ると、チョンマゲのヘアースタイル、眼鏡をかけたがり勉型の女子高生であった。
 



04−01−15(木) 夢でよかった。だが、夢の中でも前向きにこなす意欲が感じられなかった。 
 場面は在職中のこと。どういうわけか、あるドラマに明日出演する。多忙を理由に台本も読まず、台詞も覚えずで明日に迫った。さすがに放置できず、居留守をつかって、別室にこもって見てみると、ずいぶんと台詞が多い。こりゃー覚えられるだろうか、と不安になった。そこへ事務の女性が来て、「どうしても会いたいお客様が来ています、応接室でお待ち願っています」という。
 応接に向かう途中で、姿を見られて居留守がばれてしまった。次々とメッセージの山である。曰く
「社長がお客様と食事に出ました。後でくるように」
「取引先から、今日、明日のアポの問合せが○○件あります」
「監査が入っていて、是非話を伺いたいんで監査室へ来ていただきたい」
「至急、決済をいただきたいことがあります」
次々と退きもきらない。
「ううん!」
というところで目が覚めた。夢でよかったのだが、積極的にこなそうという意欲がなかったのは、残念であった。
ところで、このときの職位はなんだったろうか?



03−12−25(木) 運命に逆らわず 

 江戸時代の名僧良寛和尚は、任運騰騰と生きた人といわれる。たくさんの研究団体がある中で、数冊を拾い読みした程度なので、その方たちから見ると、「分かったようなことを!」とそしりを受けるかもしれない。が、あえて書いてみたい。
 私は彼のこの生き方を彼の手紙に見た。1828年、三条大地震があった。越後での被害は
  死者       1600人
  負傷者      2700
  全壊家屋   12900戸
  焼失家屋    1200
と、かなりのものだった。
 マタイトコの山田杜皐(とこう)の見舞いの返書に       
  うちつけに死なば死なずて永らへて         
    かかる憂き目を見るがわびしき              
(注) だしぬけに死んだならばよかったのに、生きながらえてこのような悲惨さを見るのは辛いことだ
と書いている。さらに続けて
  「災難に逢時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
とあった。「死ぬ時節には死ぬがよく候」とは、覚悟はいらない。ただ死ねばよいと解釈している。
 以上の歌と文章から感じられるのは、彼は、災難に逢って、何の戸惑いもなく、悟りきった聖人の如く受け入れたのではなさそうだ。当たり前の人間と同じく、ショックを受けて、憂い・嘆き・哀しみ、隠すことなく赤裸々に心を見せて、感情を表している。つまり
 あの時死んでしまえば、このような惨状を見なくて済んだのに……。
と。そして立ち直って、運命を受け入れる心境へと移っていった。
 運命に逆らわず、とは良寛和尚の場合、多いに憂い・嘆き・哀しみ、そして到達したもののようだ。

  
  
03−12−13(土) 所管違い
昨日(12/12)の岡山県内のTVニュースでは、どの番組でも取り上げていたことである。
要約すると
1.ある書店で若者が心不全で倒れた。
2.救急車を誰かが呼んだ。
3.その救急車は、最寄の消防署からではなく、遠い消防署から来た。
4.若者は手当の甲斐なく死んだ。
である。
最大の問題は (3.)である。何故遠い消防署なのか。難しいことは分からないが、行政単位に関わるらしい。
 遺族と、消防関係者は、寸刻を争う病気であり、近くの消防署からだったら助かったかもしれない、として県へ改善を求めに行ったとか。その結末は聞いていない。
表現は悪いが、変な縄張りは取り払ってもらいたい。できなければ、状況に応じて弾力的な対応ができる態勢にしてもらいたい、と思った次第です。


03−11−28(木) 自転車ごと小川に落ちる  ・・・  少年時代の思い出
 多分、小学3年くらいと思う。当時のわたしは、親の言いつけは実に素直にきいたものだ。そのためか、「善行賞」をいただいたこともある。この項目はそのうちの1つである。
 家から西のほう約2キロに、水車の力を利用して米をついているところがあった。その水は、江戸時代に沢村カンベイという侍が渇水対策のために苦心の末にひいた川から流れている。因みに彼は、讒言により切腹させられている。
 わたしは自転車の後ろに玄米を積んで時々精米を依頼に行っていた。体格に恵まれなかったわたしは、空の自転車なら何とか乗れるが、米を積んでいるので平行を保つのにもずいぶんと苦労をしたのである。特に当時の自転車はハンドルの下からサドルまで1本のパイプが渡してあった。体が小さく、短い足のわたしはサドルに腰をかけるどころか、パイプの上が股である。そして、左右交互に腰を移動させながら踏み込むのである。
 精米所までは何とか着いた。精米は無事済んだ。事件は帰りに起こった。先ほどから述べているように、平らな道で、広いところはまだよい。当時の田舎道は、舗装はしていない。そして、わだちの所を除いて雑草が生い茂っていた。
おそるおそる走っていたわたしは、遂にバランスをくずしてしまった。荷台が重いので、前輪が宙に浮き、そのまま道路に平行して流れたいる小川に落ちてしまった。
この後の結末は、思い出そうとしても全く思い出せない。


03-11-18(火) 謀将真田昌幸(1547ー1611)
 15〜16と信州を走ってきた。上田城を見たくなったのが最大の目的である。
 真田昌幸とは、
 幸隆の3男として生まれ、武田信玄の小姓として仕える。名族武藤家が絶えるので信玄は彼に継がせる。武藤喜兵衛と名乗り、足軽大将も務めていた。
 武田勝頼と織田信長の長篠の戦いで、兄2人が戦死するや真田の当主となる。その頃、上州岩櫃に本拠地を置いていたが、上田に城を築き(1583〜)本拠地とする。
 
1585 第一次上田合戦。 沼田城を北条氏に明渡すようにとの徳川家康の要求を拒否。ために、家康は7000の大軍で攻め寄せた。迎え撃つ真田勢は1500?。各種策略で徳川勢を翻弄、撃退した。
 
1600 第2次上田合戦。 西軍の石田三成に味方して、西上する秀忠率いる38,000を3日間に亘り、上田城に釘付けとした。このために秀忠は関が原合戦に間に合わなかった。
彼は、西軍が敗れたために、高野山麓の九度山に流された。
 
以上の概略から、寡兵を持って大軍を破った彼は、これぞ「男の本懐」と満足したに違いない。「いや、まだまだ」と現状に満足せず、さらに遠い處を見据えていたのかもしれない。さあ、どちらだろうか。会うことがあったら聞いてみたいものだ。



03−10−22(木) さんぎっちょ、わらぼっち、熟し柿・・・・少年時代の思い出
 今では殆ど見かけることができないない田舎の収穫時の風景である。稚拙な漫画なので、田舎道をカメラを持って探し回るのだが、なかなか見かけない。見つけたら漫画と交換する積りである。また、わたしのHPにいらっしゃったお客様で写真をお持ちでしたら使わせていただきたいと思います。
 


           さんぎっちょ                        わらぼっち
           広辞苑に三脚稲架とあるのが該当          脱穀後の藁束をこのように積み上げる
           刈り取った稲を乾燥させる

 私は百姓の倅として生まれた。したがって、少年時代には家業である農作業の手伝いをした。どのくらい役に立ったかは知らないが、手伝うのが当然と思っていた。批判したい向きは、「問題意識が足らんぞよ」と意識の幼稚さを指摘するに違いない。ここは、そんなことではなくて、思い出に浸りたいのである。
 昔は、現在と違い機械化が進んでいなかった。したがって、すべてが手作業である。刈り取りからの工程は
@ぎざぎざのついたのこぎりの歯のような稲刈り鎌で刈り取る A適当な大きさに結わえる Bさんぎっちょに架けて乾燥させる C適当な時期に脱穀する(この場合は稲藁とモミを分離する) D脱穀(籾殻を取り去り玄米とする)
の手順を踏んだのであった。今はこの工程が瞬時にしてなされている。
 Cの脱穀は大体において夜の作業である。そして私と弟は、脱穀した後の藁を星空の下、わらぼっち置き場まで運ぶのが仕事だった。
 最近は、このさんぎっちょとわらぼっちの田園風景が見当たらないのが寂しい。
 私と弟は、近くにあった渋柿をとってきて、出来上がったわらぼっちのすき間に入れておく。この中は温かいのである。日数は忘れてしまったが、しばらくして取り出すと、熟れて柔らかくなり、皮がツルンと剥け、ジューシーな甘い柿が口一杯に広がるのである。誰かが入れた柿もあったが、黙って失敬したことも何度かあった。姉たちのものだったかも知れない。
 時節柄の思い出話である。因みに。天日干との注意書きの米が少し高めに売られている。とても美味しいものである。上記の「さんぎっちょ」で乾燥させたものと思う。             



03−10−22(水) にこごうり
 現在の食卓では死語となっているかも知れない。私がご幼少の頃(^0^)、大好きで食卓に上がるのを待っていたものである。
 どういうものかというと、煮魚の汁が寒さで凍って(カチンカチンになるのではなく、ゼリー状になる)しまうのである。翌朝食卓に出るときは、魚が、そのにこごうりの上に浮いているようにでてくる。当時は贅沢な食べ物はない。これは大変な贅沢で、魚の味と、醤油の味が調和して最高の味でなのだ。時々出るのだがとても楽しみであった。そして、魚より先にご飯に乗せるのだ。そのにこごうりがご飯の温かさで溶けて、汁がジワーッとご飯に溶け込む。そのときが食べごろだ。一気にかきこむ。うまい!。もっと食べたい。戦後のこと、家の窮状は子供心にも分かる。平気な顔でご馳走様、と言ったが、芝居下手な私に誰も何も言わない。皆同じ気持ちだったんだろうな。
 今日は、昨日買ってきた赤魚の煮物が冷蔵庫にあった。レンジにかけようとして、昔を思い出してそのまま食べた。魚は堅かったが、美味しかった。これからはレンジにかけずに食べようと思った次第である。



03−10−13(月) え と いの発音
 私は若いときから「え」と「い」の発音の区別がつかなかった。落ち着いて考えれば問題はないのだが、普通の生活では区別なしで生きている。
 在職中の電話でのやり取りである。
 「いひめ県の○○へ製品を送ってください」
 「……?」
 「分かりましたか?」
 「もう一度、繰り返してください」
 「いひめ県の……」
ここで発音が違うことに気がつく。彼は電話の向こうで笑いをこらえていたに違いない。
 パソコンのワードでも、最近他の言葉で同じことをやらかしている。挙句の果てに、このパソコンは漢字を知らんわい、とパソコンのせいにする。そして単語登録の段階で気がつく。愛媛県は「えひめけん」なのだ、と。
 人間を60年以上をやってきて、今更直らん。



03−10−05(日) 開かずの踏み切りのいったん停止の怪
 
私の住む仮住まいの長屋の近くに踏み切りがある。山陽本線のコンテイナー車、客車がよく通る。つまり、踏み切りが遮断されていることが多い、という事である。従って車の長い行列がいつもできている。
 私は、自転車や徒歩で食料品の買出しにここはよく通る。そこで観察して思うのだが、規則どおり、車はいったん停止しているだろうか、と。そして観察してみた。
 結果は、点数で表記するならば、30点以下である。
 たしかに、いったん停止している。そして前方だけ確認している。左右は見ていない。前方を見るのは、信号赤で車が停止するスペースがあるか否かである。左右の列車の接近は注意していないようだ。なぜか。
 北進する場合は見通しがきく。だが、南進する場合は高く生い茂った雑草で左右は見えないのだ。自動車学校では、そういう場合は窓を開けて耳で確認せよ、と教えるだろう。
 現実に停止して、耳で確認している車はあるのか。否、である。待たされて先を急ぐため耳の確認はなされていないとみた。事故があったら、その原因はどのようになるのだろうか。踏み切りいったん停止の義務違反である、と処理されるのだろうか。
 規則、法律は人間社会がスムースに機能するたの約束事である。守れない、現実離れした規則等は、目的の為ではなくて、規則の為の規則ではないだろうか。決めてしまえばそれでいい、ということならば、なにおかいわんやである。
 守りやすくする為の管理者側の努力は指導されているのだろうか。当事者には、目的はなんなのか。そして、何をなすべきなのか、暖かく血の通った対処をよくよく考えてもらいたいと思った次第です。
 


 03−09−29(月) 人生の推測
 今の仕事では、いろいろな人に会う。人は、人生の年輪を重ねてくるとその人生の過去や現在の生活や職場の環境が人相に顕れてくると言う。ただ、私の平凡な目には、極端な人しか分からない。
 ある日、二人ずれの30歳前後の女性2人を送り出した。二人とも笑いを忘れた暗い顔つき。一人はうつろな目、もう1人は隙があったらかみつこうという目つきだった。さらに会話にも抑揚がすくなかった。
 考えてみた。過去は?、現在は? 
 同じような暗い厳しい環境にあるのだろう。何がそうさせているのか分からない。気の強い方が後者であり、弱いほうが前者なのだろう。また、後者は何とか糸口があったら、藁にでもすがってでも現在から脱出しようという意志が見え、前者は諦めてしまったように見える。両親は健在か、子供は? 夫婦の中は?家庭生活はうまくいっているのか。経済的にはどうなのだろうか。健康状態は?よい友だちはいるのか?どんな趣味を持っているのだろうか? どんな悩みにさいなまされているのか。
 昨夜はそんなことを考えながら眠りに落ちた。
 
 



03−09−17(水) 飲みすぎが肝臓に悪いわけ
 私は遅まきながら初めて知った。なんで?と言う疑問はあったのだが……。
 酒は消毒作用がある。だが同時に細胞をも破壊する。つまり肝臓の細胞をも破壊すると言うわけだ。肝臓には再生作用がある。だから心配ないよ、というのはある意味で正しい。だが、アルコール漬けになると、再生する暇がない。だから、週に2日くらいは休め、というわけだ。
 これは最近あるTVでやっていた。こんな因果関係を、なぜ知らなかったのだろうか。
自称酒飲みが聞いてあきれるわい。



03−09−04(木) 杞憂も理解できる
 杞憂とは簡潔にいうと、要らざる心配。語源は中国古代の杞の国の人が、天が落ちてくるのではないか、と心配して夜も眠れなかった、という事からきている。日本語訳は
「杞国に、人の天地崩壊して、身の寄る所亡きを憂いて、寝食を廃する者あり」
 たしかに、風の強い日に雲がちぎれるように飛んで、山の端にぶつかるのではないかと、思ったことがある。文字通りの解釈では、多分その人も同じような場面を見たのかもしれない。
 「人の天地」の言葉にこだわって解釈すると、どうだろうか。少し脱線するが、天子とは、天が地上を治めるために遣わされた天の子である。ここから、人の天地とは、人間社会と云うこともできる。当時の社会不安がいかほどのものかは知らないが、末法思想的な思いが、中国太古にあったとしてもおかしくない。
「ああ、世も終わりだ!」
と、嘆いたのかもしれない。



03-08-23(土) 処暑にして扇風機を出す
 今日は処暑、暑さが止まり新涼が間近い日だそうな。一方気象のほうは暦とは関係なく、猛暑が始まった。昨日は35.7度で今年の最高温度だった。今日も同じくらいの予想気温だ。昨日は外出していたので、気がつかなかったが、今日はマンションにこもっている。暑いのなんのって……。我慢比べをする気は無いので、こらえきれずに扇風機を取り出した。エアコンでもよいのだが、経費節減(^0^)。ああ、涼しい。



03−08−10(日) 嬉しい噂
 私の仕事は、最終的には機材の離陸を見送ることである。国際線搭乗待合室の入口のロビーでのことである。
「ご苦労様です。離陸はどこで見送ってくれているのですか?」
「はい、国内線の入口のロビーです」
「前回の旅行の離陸時、あのセンダーさんは、きっとどこかで見送ってくれているね、と二人で話していましたよ」
これは、30歳代のご夫婦との会話である。前回の出発は、どこへ出かけたのか覚えていない。また、顔も覚えていない。しかしお客様は覚えているのである。
 何の変哲もない噂話だが、不親切だとか大ざっぱだとかの低い評価の噂ではない。寧ろ好意を込めたものである。私は気持ちが軽くなるのを覚えた。晩酌がうまかった。



03−08−01(金) 200円安いものを300円の経費をかけて
 私はトマト大好き人間である。自宅から15キロの所に、ある農協の直売所がある。私はときどき車を走らせる。そこには、季節の野菜果物が破格の値段である。いまなら、白桃、マスカット、ニューピオーネ、などなどがこれまた安値でたくさん並んでいる。私の目当ては、トマトとキュウリである。主婦の方なら値段はピンとくるに違いない。勿論商品の内容によっていろいろある。
トマトは、1個100〜120円が当地区のスーパーの値段である。ここではその半値である。たくさん仕入れて恵比須顔で帰ってくる。この場合、経費として余分にかかるガソリン代は、その日支払うわけではないので、無視してしまう。いや、正確には考えないことにする。つまり、考えると、自分の行動が合理的で正当なものであると日常思っていることに矛盾するからである。言行不一致によく似ている。知っていてやるんだから罪が重いかな(^−^)
 自分で自分をぬけぬけと誤魔化す。考えたら他にもたくさんあるだろうな。
さて、これからトマトを買いに出かけよう。




03−07ー23(水) 「受け取ってない!」
 今日、お客様へ搭乗の説明をしていたときであった。先ほど説明を済ませたお客様が、「帰りの航空券を貰っていない!」 と駆け込んできた。同業他社のセンダーたちがいっせいに注目。私は対客中だったので、少しお待ちください、と言って業務を続行した。
 かのお客様はポケットやカバンの中を点検していた。私は横目で見ながら次々と業務処理。しばらくして、「すみません、ありました」とばつの悪そうな顔があった。「よかったですね」 と笑顔で一件落着。
 このようなことが以前にもあったので、結果はわかっていた。それで、受渡しの時点に目前で確認をしてもらうことにしている。このお客様の場合も、確認済みなのである。 帰りの航空券は紛失するとノーマルの高い運賃で買わなければならない。一連の書類と一緒にしておけば問題ないのだが別に大事にしまいこむのである。そしてしまい込んだところを忘れてしまう。見つからないと、センダーのところに駆け込む。当人は、「ない! ない!」頭が真っ白になっているに違いない。気持ちの半分は助けを求めてくるのである。
 これからも何度もあるに違いない。(^0^)
 


03−07−09 チャラ書き
 離陸を確認するため待合室に待機していたときのことである。
「そんなチャラ書きをすると、後で分からなくなるから、チャンとした字を書きなさい」
「ウン」
ぎく! として振り向くと、おばあちゃんと小学生低学年の男の子との会話である。
かつての私のメモの風景を知っているかのような言葉である。在職中、会議、商談などで私はメモをとるのが習慣であった。後で整理をして、復習し確認するのである。ところが自分の字が読めずに苦労したことが多かった。なんとか、前後の話を思い出しては整理したものであった。それにしても、あのおばあちゃん、小学生の教育にしては、よくご存知だ。自分の経験からの言葉かな?



03−07−03 立腹の原因はなんだろう
 先日、いつものように業務をこなしていると、近くで男性のかんだかい怒号がする。70歳前後であろうか。断片的な言葉を総合すると、受付開始時間を表示していないのはおかしいではないか? と当該センダーにかみついている。
 一般的に、国際線は出発の2時間前が集合時間である。そしてその30分前がセンデイングのスタンバイで、各センダーはそれまでにチェックインし、書類等の段取りを済ませて、旅行会社の看板を揚げる。どの旅行会社も受付開始時間の表示は無い。しかも旅行客達は集合時間前であっても、カウンターの前に立ち、粛々と手続を済ますのだ。これが常識であろう。
 となると、このご老人はいったいなにが気に入らないのか。彼の常識が一般の非常識なのか? 
 当該センダーは辛抱強く話を聞き、何か言っていた。おさまったかに見えたかの老人、しばらくわめいていたが……。



03−06−28 老眼鏡
 私の仕事は、朝6時前後に事務所に立ち寄り書類をピックアップする。それから岡山空港で搭乗手続の代行をするのである。昨日、事務所での作業を終わり、岡山空港で仕事を始めようとして眼鏡が無いことに気がついた。さあて困った。近くには眼鏡屋は無い。しかも時間は7時前である。家に帰るには7:20のスタンバイの時間に間に合わない。仕方が無いので眼鏡なしで開業だ。普通の字はじっと見つめていると見えてくる。航空会社から渡された小さな字には泣かされた。お客様は不審な目で待っている。
 私は老眼鏡がこんなにも体の一部になっている事を今まで思わなかった。そして、大事にしていなかったことも思い知らされた。
 「ご主人様、やっと気がつきましたか?」
と眼鏡が言っていた。



03−06−24 沙羅の花
 21日、倉敷市の藤戸寺を友人と訪ねた。22日は岡山市の曹源寺。藤戸寺では観覧できなくて、入口の小さな木の花を見つめた。曹源寺では、訪れる人も無く静かな寺の一角に大きな木が白い花をつけていた。
 釈迦入滅の4隅の沙羅の木ではないらしい。熱帯の植物なので日本では育たないと辞書にも載っている。それを承知で訪ねる。藤戸寺で見れなかったのも、曹源寺で見れたのも、生かされているという思想からすればそういう必然なのだろうか。現像が出来たら掲載する予定。




曹源寺の沙羅の花





藤戸寺の沙羅の花






03−06−05 反対の立場
 今度は実務研修である。船中を含めて3泊4日。座学で大変な事は分かったが、チーフの素早く、自然にそして全般に渡る気配りはなかなか真似が出来ることではない。だが、やらねばならない。初任者なんてことはおくびにも出さずにである。そのためには、常日頃の自己訓練が必要と思った。抽象的な表現ばかりだが、今回は仕方が無い。
今までは、反対のお客様の立場で、添乗員、ガイド、ドライバーの事前の準備や勉強、実務での苦労など、全く意に介していなかったが、経験して(チーフが大半実施したので全部ではない)その大変さが身にしみた。 お客様の中で、私が研修生である事を知ってか、観察しておられた方がいた。「お疲れ様。大変な仕事ですね」、また別の人は「頑張ってください」と声をかけられた。あり難くもあり、気恥ずかしくもあり。いままで、相手の立場をこのように見ることはどれほどあっただろうか。あわただしく動き回り、情報の氾濫の中でおぼれ、静かに自他を思う時間をもっただろうか。時間的な余裕が無い、というのは遁辞なのだろう。こころすべきことである。



03−05−22 久しぶりの研修
 退職後何年ぶりかである研修を受けた。2日間、朝から夕方までの2日間である。受講生は私を含めて6人。平均年齢は50歳代後半らしい。理解して、覚えてもらわなければならない。講師は必死である。硬くして気分を引き締め、或いは軽いジョークをいれて気分をほぐそうとする。大半が自分よりも年上である。年齢関係なしと言いながらも、気配りは感じられる。また、受講生も必死であるが、そこは年齢や体力やらいろいろと邪魔をする要因を抱えている。さて、研修効果であるが結果は来月のテストにかかっている。50ー60歳ははなたれ小僧という、まだまだ春秋に富む。彼らはある意味での戦友である、全員合格してもらいたいものだ。こんな事を考えている私が落ちては何にもならないが……。



03−05−14 愛車も飲兵衛
 私はだいたい月のうち20日は晩酌をする。酒は芋焼酎である。あまり県内では売っていない銘柄で、無くなると離れた販売店まで買いに行く。月に2本くらいのペースである。お湯で結構薄めて飲む。従ってあまり悪酔いは無い。
 今日は在庫がなくなりかけたので、いそいそと買いに出かけた。ついでにと思い、大手スーパーの勾配の急な屋上駐車場に登った。そこまではよい。帰りに少し焼酎の臭いがするのに気がついた。自宅に戻りトランクを調べてみると、2本のうち1本が割れて、全くなくなっていた。どうやら坂道の上がり下がりにやったものらしい。愛車は已に8年、126000キロを文句もいわずに私に付き合ってくれたのだ。まっ、ええか。たまにはガソリンばかりでなく、酒をご馳走した、と自分に言い聞かせた。



03−05−11 先入観で評価する意識の硬直化
 NHK の大河ドラマで宮本武蔵が放映されている。私自身、ドラマからの迫力を感じないし、盛り上がりを欠いている。付随して、役者の会話にもちぐはぐなものを感じている。何故なんだろう? と考えてみた。
 若い頃、吉川英治の宮本武蔵を何度も読み返して、このドラマは彼の筋書き通りにあるべきだという潜在意識が出来上がっている。そして、そこから違うものを批判し排他するようになってしまったからとみた。
 硬直化した意識は、発展を阻害する。もっと柔軟に心豊かに見てもよいではないか。新しい筋書きの挿入もよいではないか。先入観よ、さらばだ。
 今夜8時から放映がある。自分の意識改革ができるかな。
 


03−05−06 新型肺炎
 鎮静化している国に比べて、中国の広がりはすごい。上海行きのセンディングがあったが、乗客はまばらだ。
搭乗待合室の前では、マスクをつける練習をする人たちがいた。そして、搭乗待合室にはぎりぎりまで入ろうとしない人達もいた。用心する気持ちは皆同じだ。観光客は全くいないので、用事があって渡航するのであろう。
はやく、全て鎮静化してほしいものだ。



03−05−02 五月晴 八十八夜
 昨日今日と素晴らしい好天に恵まれた。お茶も霜の害もなく、味がよいという。郊外を走ると、3匹、4匹と鯉が嬉しそうに空中を泳いでいる。花花もいまや盛りと咲き誇っている。のどかなものである。それに引き換え、私は不快である。微熱だが、夏風邪を引いている。
自然界に和して楽しむために、早く治そう。



03−04−28 議員の勤務評定
 選挙が終わった。悲喜交々である。有権者が決めたのだ。しかし、立候補者と関係者は有権者が決める為の十分なデータを提供しているのだろうか? 私は疑問に思っている。
 そのデータとは、現、前、元の経験者には、選挙公約とその実績の対比評価を、新人には、過去の業務評価を。
 問題がある。公約を訴えても、当選後違う担当分野、党の方針との違いなどで果たせない場合がある。それを承知の上で公約を作っていないだろうか。その場合は、実績評価をどうするかだ。
 当選してしまえば、大過なくその期間が過ぎればよい、とは考えていないだろうか。
 選挙運動期間は名前の連呼だけではないか。1箇所に留まって熱意を語る候補者はどれだけいるのだろうか?
このままでは、投票率がどんどん落ちてしまう。素晴らしい発案者が出てこないものだろうか。



03−04−27 謝罪しますと謝罪したい
 「謝罪したい」、著名人の不祥事での、ばれてからの当人の会見で見かける光景である。……したいは、願望である。つまり実現が約束されたわけではない。謝罪する心があるならば、謝罪しますと、言い切るはずである。……したいという彼らには、反省の心がなく、適当に誤魔化して、その場をとりつくろっているとしか思えない。



03−04−23 大小事件が絶えぬ
 9・1・1同時テロ、アフガン、イラク戦争、SARS、国内では誘拐殺人等々人間の為せる行為とは思えぬことばかり。小説18史略の最初に殷の紂王の記事がある。それから約3000年。文化文明は進展をみたが、心はその時と変わっていない。
 学問的に分析は進んだが、なんともならぬことなのかねぇー。皆が聖人君主になるのは夢かねぇー。


 
03−04−20 姉逝く
 16日、1回り上の姉が逝った。18日、野辺の送りをすませ、昨日夕刻自宅に戻った。告別式当日は、月は真ん丸く、桜は満開で旅立つ人に自然は花を添えているようだった。新幹線からみえる景色は、名古屋近辺から雨模様となり、自宅近くでは小ぬか雨となっていた。まるで、姉が泣いている様だ。
 会者定離、生者必滅のならい。分かっているが、哀しく寂しく、こみあげてくる激しい感情を抑えられない。



03−04−16 すっぽらぽんのぽん
 頼山陽について、図書館で関係書籍を探していたら、表題の本があった。
 これは、頼山陽の母の父親が「夜鶴草(やかくそう)」と名付けた文章にまとめて、彼女に送った中にあるという。儒者の妻としての心得が書かれている。
 「よの中に 道より外は何ごともすっぽらぽんにしておけ」
つまり、道とは儒者の妻が守るべき道で、それ以外は程々にしておけ、ということのようだ。
含蓄の多い言葉と受け止めた。



 


 

          
                 

          

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