激流派ブラックリスト


陳宮(字:公台)
 管理人達に勝手に激流派筆頭に祀り上げられた人物。
あの人殺しマシーン(呂布)の下にいたというだけでも十分激流だが、演義では彼自身、県令(警察のようなもの)の地位をあっさりポイして曹操と夜逃げしたり、
未遂に終ったが曹操を殺害しようとしたりと激流な半生の幕開けをきっている。
曹操に謀叛を起こしたかと思いきや、次の主・呂布へも起こしていたり(しかも不問にされる)、実は呂布とは裏切り主従。
そりゃ呂軍も滅びるよ。曹操に降伏しようとした呂布を「やめろヴァカ!首になんのがオチだっっつーこともわかんねェのかよ!」と喧嘩腰で諌める激流っぷりや、
乱世の奸雄の勧誘をきっぱり断って堂々と自ら刑場へ向かい、あの曹操を泣かせた終焉など、実にバラエティに富んだ激流人生を送っている。
中でも、呂布に嫌気がさして劉備のもとへ逃亡を図ろうとした途中にすれ違った伝令を、ちょっと態度が不審だからと言ってばっさりやってしまった行動は正に激流である。

劉曄(字:子揚)
 『劉』という姓だけでなんとなくわかるが、漢の皇族の末裔である。
つまり名門のボンボン。
そんな彼の何が激流だと言いたいのかと言うと、彼そのものが、である。
「側近がヤバいから、いつか取り除いて」という母の遺言をまもり(?)、わずか十三歳で殺しを覚えただけでもう激流。
『取り除く』=『殺す』という思考回路は更に激流。
それを知った父に怒られたが、「え、何?良くない行動だったの?じゃあ罰でも何でも与えればいいしょ!」と開き直ったので、その度胸のため許してしまう。
数年後、鄭宝という不良を宴会の席でこっそり専門家に暗殺させよう、と準備していたが、鄭宝は全くスキを見せなかったので劉曄は暗殺を諦めて自らの手で鄭宝をばっさばさ殺った挙句、
そいつの兵を吸収した。しかもすぐに「やっぱいらん」と劉勲に譲ってしまう。
行動や人生云々といよりも彼自身が激流ってことで。

臧覇(字:宣高)
 泰山付近で、義賊を気取った盗賊まがいをやっていたようなので前科がある。
そんな生活を送っていた彼は18歳の時、無実の罪で捕らわれた父親救出戦をやってのける。
わずか10人ばかりの食客を引き連れて約100人をけちょんけちょんに蹴散らしたのである。
この激流な武勇はそこらへんに轟いた。
その後黄巾討伐に召し出されたりもしたが、彼の次の激流は曹操に攻撃された不利に見える呂布に荷担したところである。
わざわざ不利な方につく。逆境なんか目じゃないぜ!これは激流の基本だ。
同僚と些細なことで喧嘩をして呂布に怒られたこともある。
そして呂布が曹操に敗れたあとは「変態人材コレクターに捕まってたまるもんか!」と素早く逃亡を決意。
結局賞金をかけられて捕まってしまう。
その後はぱったり激流を抑えてまっとうな人生を送ったために、激流派の中でも普段は大人しくぽやぽやしている、と管理人に思われている。

法正(字:孝直)
 仕えていた劉璋を劉備に売ったから激流。
いやいや、そんなことでは全くない。
それ以前に素行が悪くて劉璋に重用されなかったという点がちょっとだけ激流がかっていると思う。
彼が本当の激流を発揮したのは劉備に仕えるようになって後、過去の恨みを晴らすために些細な罪にこじつけて何件もの殺人事件を起こしたことだろう。
激流の為せる業だ。
しかもこのとんでもない行動は多大な功績のお陰でうやむやにされている。
ちょっとしたいざこざで殺人を犯すような人物ではあったが、主君である劉備からの信任も厚く、諸葛亮とは仲が悪く、彼のいた場所に激流が流れていた感も否めない。
彼の死後、夷陵の戦いで負けた劉備と諸葛亮が声を揃えて「激流の法正が生きていれば…」と、他勢力にて某半病人軍師祭酒にも言われていたような言葉を送られている。

魯粛(字:子敬)
 演義では三国一のお人好しっぷりを展開中のくせに正史でハードな黒さを見せる辺り激流。
というか「死刑」と常に誤変換される字がまず激流。
富豪の家に生まれ金を湯水のようにばらまき、ごろつきと付き合いまであったと言われる。
「魯家も終わりだ」とまで言わしめたかどうかは定かではないが現代にそんな人間がいたら明らかにそう思われるだろう。
米をせしめようとした周瑜をあごで使い米倉ひとつドドンとプレゼントしたのは有名な話。お陰で周瑜には金づる認定された。
しかしそのせいで孫権に紹介された訳だから、もしかして米倉は将来への投資のつもりだったのか。
あの劉曄と文通していた点も見逃せない。一体どういう共通の話題があったのだろうと思うとやはり「激流」の一点しかない。

凌統(字:公績)
 任侠者の凌操の息子。将来は突撃隊長兼人間魚雷である。
大好きな父親を、当時敵だった甘寧にしゃさつ(写真撮影の略ではない)され、恨みに思って仇討ちをしようと日々奮闘。味方なのに。
宴会の席で剣舞に紛れて殺そうとした行き過ぎた激流行動を、呂蒙に止められている。
でも実際に陳勤という上官をばっさりやってしまった事件もある。
大好きな父親を貶されて頭に血が激流。
上官をつい殺してしまった詫びにと戦場に無謀にも突っ込んでいき大勝利を収めてしまう。
更に合肥の戦いではピンチになった孫権を助けたあと重傷で河を泳いで渡るという快挙を成し遂げた。しかも鎧装備のまんま。
よく出血多量で死ななかったな、と日々思う。激流の血は強いらしい。

徐庶(字:元直)
 若いうちに剣を学び、侠の精神旺盛だった彼は友人の仇と言う事で殺人に加担。
どこにそこまでする義理があるんだ。若気の至りですむレベルか。
その後指名手配されると、狂人の振りをして逃れようとした。
地方へ遁走するのではなく、あえて狂った振りをする辺りが激流。
そうまでして土地にいたい理由はやはり母か。
重度のマザコンなのは周知の事実。
無気味な抵抗も空しく捕縛された後は、「剣は時代遅れぜよ」と学問に乗り換えたとか。
その後は有名すぎる激流人生を送り、最後は赤壁でホウ統を羽交い締めにして逃げる方法を聞き出した。
戦場から1人でさっさと帰ったのを見るに、余程魏にもそこの人にも愛着がなかったらしい。
誰が死のうがしったこっちゃない激流精神。

満寵(字:伯寧)
準備中です。しばらくお待ち下さい。


※尚、今後人が増える可能性があります。そこは管理人らの気まぐれやさぐれということで一つお願い致します。