濁流派→賄賂や運動などをもとに仕官したり出世コースに無理にわりこんだりした、宦官と繋がる集団。若しくは宦官。
では、郡の太守に選抜の段階で目をかけられなかった豪族は一体どうすれば官界への道が開けるのでしょうか。
曹操は宦官の養子なので、本来濁流の中に身を置く立場ですが、彼の統治する国家は清流も濁流もない、実力主義の世界でした。
間違ったところもあるかと思いますが、以上。
激流派云々の前に、「そもそも清流派や濁流派ってよく聞くけれど何だ?」と思われたかと思うので、ものすごく簡単かつ勝手な解釈をしてみました。
清流派→学業を終えた後、真っ当な出世コースから仕官した、宦官大嫌いよ〜清廉潔白官僚集団。
なんとなく清流派が良くて濁流派が悪い、というようなイメージがありますが、実際どうなのでしょう。
ちょっと気になったのでもう少し詳しく語ります。語らせて下さい。
ちょっといきなりな話ですが、官を得る(出世する)ためにはどうすればいいのでしょうか。
中央から任命されてきた郡の太守(長官)が、その郡の住人の中から属僚(主簿とか)を招聘することで郡の上層部は構成されています。郡太守は誰も知らないような土地にいきなりきたので、選ぶ属僚はいざという時に頼れるようにできれば強力なバックアップのある豪族がいい、と考えます。そうなると、代々選ばれる豪族が定まってきて、世襲的に郡の属僚が任用されます。こうした豪族たちが中央官僚の予備陣を形成していきます。
このような流れを辿り、中央に推薦され、朝廷の要官に就く、というのが清流派だとしましょう。
それが、もう一つの出世コース『裏口』です。ただ単にお金があるだけでは太守は選んでくれないのです。重要なのは力。資産がそれ程莫大でなくとも影響力などの力を備えていればそれが相当の魅力足りえました。
しかし、金持ちであるというだけの豪族や、有名になる時機を失した豪族などの中には、比較的楽に官界を遊泳しようとする者も当然出現します。そういった豪族は、宦官に賄賂を贈ったり、中央政府に勢力を得ている外戚や宦官に働きかけて、清流派で占められそうな中央官僚の座を奪っていきます。この手法でのしあがるのが濁流派です。
・・・う〜ん。悪いですね、濁流。
でも、選抜されなかったことは運が悪かったということもあるかもしれないので、ちょっとだけ同情でも何でもしてみてもいいかもしれません。
もう一つついでに、清濁について。
漢代の制度について、形式だけの官僚制が誕生して順当な発達を見せないまま、その下から貴族制が発生します。この頃はまだ清濁の色分けはありませんでした。官僚制が甚だ貴族的に運営されてきたということにより、清濁の色分けが起こったのです。
後漢の時代に、清流派と濁流派の対抗が大きくなり、清流派が多く処断された『党錮の事件』を引き起こすまでに至ったりもしました。
この頃にもなると、能率第一の官僚制国家が形成され、清濁などという貴族主義は姿を消しました。