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旧邸宅当主の竹中半兵衛重治が父重元と共に、敷地奥の霊域に勧請し御給仕していた三光稲荷社。永禄五年二月七日、父重元没後は家督を継ぎ
北方城主安藤守就の娘を娶って住し、稲葉山城へ出仕していました。三回忌にあたる永禄七年二月七日が有名な稲葉山城占拠です。地元では「さんこうさん」と呼ばれ、多くの方々が親しみお参りされております。 旧暦の初午の日に大祭があります。
鳥居.幟 献灯等,随時奉納受け付けております。
三光天子とは法華経序品に登場する守護善神で、それぞれ
日天子(寶光天子).月天子(名月天子).明星天子(普光天子)のことです。
家運隆昌.商売繁盛.新規事業達成祈願.心願成就.
元々は小さな祠と眷属塚郡が散在した霊域でしたが、江戸中期以降多くの参詣者、
信徒.護持丹精者の方々のご寄進御尽力により除々に整備拡張され 現在に至ります。
文久四 甲子年 二月吉辰付で日本稲荷総本宮 愛染寺より 当山三光稲荷 御社の
建立に伴う(再勧請に際して)賜った
認可證書。
慶長五年 六月廿八日付 (城主)織田秀信公よりの当地 寄進状 添状アリ 當山が管理給仕していた妙見宮の隣接地だった旧竹中屋敷及び家来衆屋敷を(接取後?)寄進賜りました。当地以外の城下武家屋敷群は、後の攻城戦で火を放たれ 大半が焼失しました。
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