浪人宣言〜宣言するようなことじゃないけれど〜

 アホだな、と自分でも思う。
別に浪人することがアホなんじゃなくてそれをわざわざ宣言してしまう、
私がアホだ。
別に宣言しても誰の利益になるわけじゃないのに時間を使って書くなんて、
正直ナンセンス。
でも、言葉で残しておいたら、中だるみしたときに読み返せるし、
言ったからにはやらなければならない気にもなる。

 私は口だけ立派だ。
親にお墨付きをもらうほど立派である。
でも、本当に「口だけ」だから困った人間なのだ。
そこはかとなく偉そう。でも、中身はない。
これほど困ったものはない。
中と外のバランスがあっている方が、生きやすいし、対人関係も良い。
黙っておとなしくしておいてもいいのだけど、見た目もぱっとしない、
中身もダメなんて、なんか無用途な人間じゃないか。
 だから、浪人で中身を作ろうともくろんでいる。

 しかし、別に中身を作るだけなら、大学はいってからでも遅くない。
そもそも、大学は高校までのぱっと見、無駄な勉強を応用して、
社会に役立つ知識を得るための場所であり、
しかも、勉強ができることと中身があることは違う。

 それでも何故浪人するのかと聞かれたら、
そのぱっと見、無駄な知識を覚えることができるのが今しかないからだ。
それなら何で高校のうちにやっておかなくてはいけないのかとよく父に言われるのだけど、
それは他のもっと無駄な考えたいことがあったからである。
 例えば、以前の私が参考書を手に入れたとき、一番最初にやることは、
本当に使える参考書かどうか疑うことだった。
しかもやらずに疑っていたため、何の勉強にもなっていない。
中身を考えずに参考書の意義、勉強の意義について考える。
哲学的といったら聞こえはいいが、ただのバカだ。
参考書はとりあえずやってみるだと最近実感している。
真ん中ぐらいまでやって信じることができる。

 口だけ立派であるのは私のこういうところから養成されているのだろう。
物事に関して深く考えている人は賢そう。
しかし、私の場合、それがどうでもいい事柄についてだからいまいち勉強ができない。

 このまま普通に大学行ったらそれこそやっぱり「どうでもいいこと」に専念するような気がする。
そして今、丁度、その「どうでもいいこと」にあたるのは勉強なのだ。

 それではどうでも良くないことはなんだといわれれば、「生活」である。
衣食住をいかに私に適した形にして、気持ちよく過ごすかだ。
精神病は日々の生活に力を注ぐことで直るのではないかという研究テーマがあって、
本当にそれが効果あるのか調べることが多分、私の考えの中心にある。

 今、私は、家で浪人しようとしている。
これには友達からも「宅浪はのびない」といわれ、父から反対され、怒られ、
大学で政治経済を学んでいる兄からは、予備校を人生に大事な投資と言い換えた話を、
電話で延々とされ、弟にはバカにされと周りはさんざんな反応を示している。
 でも、今まで言ってきた私の性格から考えると、
予備校の勉強するべくつくられた環境の中の勉強よりも、
生活の中にある勉強、そして、勉強が生活を変えていくのを見守った方が今後の益になるような気がする。
 勉強をやれといわれる環境の中ではほかのことを考えたくなる。
高校受験のときの話なのだが、私が塾に行ってやってたことの一つは、
教師のファッションチェックだったりする。先天性天邪鬼なんだろう。

私は、生活、生きることのなかで勉強という無駄なことに専念してみようとおもう。
勉強を極めることができれば無駄にはならない。
 最近毎日、ターニングポイントに立っている気がする。
一年間、毎日ターニングポイント。
一年続けて、効果が出れば、一生この気持ちは続くかもしれない。

志望校いわなあかん?
・・・経済学部か文学部。
大学以外でやりたいことは、広告関係の勉強。
・・・・詳しくは来年のエイプリルフールに!!

最後に、具体的なやることを並べておこう。

・一ヶ月に一回は大阪市内の予備校での模試。
・模試の帰りに、参考書天国、天王寺で参考書を物色。
・一週間に一回、家にたくさんあるセンター試験の形をした問題集を時間を計ってやる。
・一日最低6時間勉強をする。なお、水曜日は休日と称して、最低3時間にする。
・勉強は時間じゃなく内容なので、やる量を決めて、一日にきちっとそのノルマを達成する。
・手帳に時間とやることを書き留め、平日にノルマを達成できない場合、休日にその分をまわす。
・このHPの日記は30分で書く。(短い方が読む方も楽やし。)
・寝る前30分は、英語で日記を書く。
・数学は一日最低一問といて勘を養う。
・毎日のストレッチと二日に一度の筋トレは欠かさない。
・3月中に基礎完成。あとは過去問が豊富な、参考書に任せる。