徒然草 in Bhutanブータンあれこれ |
||||
|
ブータンの言語 ブータンはレッサーヒマラヤ(グレートヒマラヤの前衛をなす山地群)に属する山国である。この国の人々はなぜか高いところに住むのを好む。一説には、高いところほど早く朝日が見られるからという。人々が住む山里は、それぞれが深いV字谷によって隔てられている。そのため、長い間交流はなかったのであろう。そのような事情から言語がV字谷ごとに異なっている。言語の数は数十にも達するという。大きく分けると、ブータンは4つの言語圏に分けられる。一つはブータン西部のゾンカ語をもともと話していた地域、空港のあるパロや首都ティンプーである。ゾンカ語は現在標準語となっている。次が中央ブータン地域で、この地域ではブムタン語を話す。東ブータンではシャチョプと呼ばれる言語が中心である。もう一つは南部ブータンに住むネパール系ブータン人が話す言葉で、ネパリと呼ばれる言語である。多くのブータン人は3〜4の言語を話すことが出来る。まずは自分の生まれた地域の言語、それとゾンカ、ネパリ、ヒンズー(インド語)はたいていの人が話せるようだ。これは、その人たちとの交流は生活上欠かせないからであろう。そして、学校に行った者なら皆英語が話せる。学校はP.P.(Pre Primary School)と呼ばれる幼稚園教育から英語で行われている。 ブータンの交通 ブータン最初の自動車道はプンツォリン、ティンプー間に1960年代になってインドの手で完成した。この道路は国道1号線として現在も使用されているが、細く曲がりくねった道で運転操作を誤れば命はないであろうと思われる箇所が非常に多い。そのような道路にもかかわらず、事故率は比較的少ないようである。それは、比較的スピードを抑えて走行しているためと思われる。国道の制限速度は40km/時である。しかし、外国人の運転者にとっては緊張の連続であることはいうまでもない。S字カーブの連続で崖を削って作った道路のため、先の見通しが全く効かず、突然カーブの先からトラックが現れることもしばしばである。私は出来るだけカーブではクラクションを鳴らし、スピード緩めて走行するよう努めている。標高の高い山間部の道路(一般的には2000m以上、時には4000m近い)であるから、濃霧に悩まされることも多い。驚くのは、そのようなときでもヘッドライトを点けずに走行する車が多いことだ。ヘッドライトを点けるとバッテリーが減るとでも思っているかのようである。そのようなことは市内でも同じである。夕方になっても、ほとんどの車はヘッドライトを点灯しない。私が点けていると、パッシングをして注意をしてくれる(余計なお世話だが・・・)。ほとんどが中古車(といっても日本では捨てているような)で、バッテリーもいつ上がってしまうか分からない代物の所為もあるだろう。時には、日本の会社の名前(00株式会社)をそのまま付けた車も多く見かける。政府は中古車の輸入を禁じているのだが、抜け道もあるのであろう。市内も急な坂道がほとんどなので、カーブではスピードを落とさずに曲がってくる。私がゆっくり曲がるとクラクションを鳴らされる始末だ。 この国では、追越をしたいときはクラクションを鳴らす。トラックの荷台の後ろには「Blow Horn」と書いてあり、警笛を鳴らすと適当な場所で横に寄って、手で合図をしてくれる。これは、厳しい道路事情の国ならではのマナーである。困るのは、交通ルールを知らないで運転している者が多いことである。左折しようとすると、同時に向かいから来た車が平気で右折する。ゼブラゾーンの歩行者を通そうと待っていると、後ろからクラクションを鳴らす。ただでさえ狭い道路に、二台の車が並んで話し込んでいる。クラクションを鳴らすと、不満そうな顔をして少したってから移動し始める。ウインカーをつけずに曲がる。小路へ曲がるときには必ず反対側へ膨らむ。それが癖になって、大きな道路でも膨らんで曲がる。等々数え上げたらきりがない。 ティンプーで面白いのは、ガソリンスタンドの中が道路と化していることである。給油しないものもガソリンスタンドの中を平気で通過する。しかも、ここを通らなければ行けない道路がその下にあるのである。警察本部の真正面にこのスタンドはある。ちなみにこのガソリンスタンドのオーナーは王様のおじさんである。 町の中には、2箇所のポリスボックスがあり、ここでは手信号で交通整理を行っている。それは良いのだが、5時勤務時間が終了するとさっさと帰ってしまう。ちょうど車が込み合う時間帯である。 自動車は脱穀機?先日、所用で空港のあるパロの街まで車で出かけた。パロの町に近づいた頃、道路一面になにやら穀物(米か麦?)の穂が一面に敷き詰められている。道路で乾かしているのかと思い、私は慎重にそれらの藁が付いたままの穂をよけて進行した。通り過ぎた後、車をとめて文句の一つも言おうと思い、傍らにいた人に聞いたところ、あれはよけて通ってはいけないのだという。実は、通りがかりの車に轢いてもらって脱穀しているのだそうだ。そういえば同じ経験がもう一つあった。ブムタンという中央ブータンへ行った時、道路一面に竹が散らばっていたことがあった。それも私は避けて通ったのだが、訊いて見るとそれも竹を割るためのものだったそうだ。竹を車に轢いてもらって細く割り、それを編んで建物の一部に使ったり、塀を作ったりするそうだ。たくましいブータン人の知恵ともいえよう。 王制社会主義?ブータンはご存知の通り国王親政の国である。しかし、時々社会主義ではと思う場面に出くわす。国王の姿勢からしてそうだ。国王は国会に対して、国王リコール制を提案し、国会に認めさせた。「国会が決めたのなら、それがどんな体制であろうと私は従う」とも述べている。又、地域による経済格差を出来るだけ無くしようと、国の機関等を各地に散らせるよう努めている。大学がブータン東部のタシガン県の小村落に設けられたのもその一つの現れであろう。医療や教育は無償である。 乞食がいないこともそう思わせる要因の一つだ。物乞いをする人はいなくはないのだが、皆進んで食事などを与える。少々のお金を与えることもある。施される側も堂々とそれを受ける。持てる者はそうではない者に施すのが習慣のようである。それは仏教思想から来るのかもしれないが、私は原始共産社会の名残と感じられてならない。というのも、私有財産意識が少々希薄なのである。 私の借家には塀をめぐらしてあるのだが、人々がその中へ平気で入ってくる。時には窓から平気で家の中を覗く。しかもガラスの反射を防ぐため、両手を顔の横につけてガラスに顔を付けるようにして覗くのである。「お前の家のテレビがあるのだから少し見てもいいではないか」とでも主張しているかのごとくである。それも僧職についている大人である。僧職といえば、我が家のとなりに自ら高僧の生まれ変わりと称し、人々も認めるリンポチェ(位の高い僧侶)が住んでいる。彼は、私の家のホースを勝手に使って自分の車を洗う。自分の車が調子悪いからといって、私の車を貸してくれとたびたび言ってくる。近いところなら貸してやるのだが、先日などは片道1時間半かかるパロの空港まで貸してくれという。さすがに私も断らざるを得なかった。そのときの彼の顔は口ではOKを言いながら、不満の色が漂っていた。そのようなわけで、気を許せない場面もたびたびある。 職場で出張するときなど、運転手を雇って自分の車で行くことが多いのだが、行き先をうっかり言えない。もし行き先がわかると、職場の人間ならしかたがないにしても、私が見たこともない人たちが乗り込んでくる。遠距離ならばなおさらである。そのために、私の妻が同乗出来なかったという苦い経験もある。又、政府の車はナンバーが黄文字で書かれているのですぐわかるのだが、土曜日曜ともなると家族がその車にいっぱい乗っている光景に出くわすことが良くある。救急車にだって家族を乗せていることだってあるのだ。 このような事情から、この国の体制はひょっとして王制社会主義とでも呼ぶべきではないのか、と私は考える。
|
|||