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インド>ダージリン>ダージリン・ヒマラヤン鉄道概要 |
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![]() ▲ヒマラヤの尾根を紡ぐように走る蒸気機関車。
ダージリン・ヒマラヤン鉄道はインドの東北部辺境(North East Frontier = N.F.)地区、または東ヒマラヤのシワリク丘稜に施設された軽便鉄道である。英語名では「Darjeeling Himalayan Railways」、またインドを含めた英語圏では「DHR」と表記されることも多い。日本語では「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」と表記される場合もある。 インドの山岳鉄道として世界遺産に登録される3鉄道の中の1本であり、インドでもっとも知名度の高い鉄道でもある。同鉄道が世界遺産に登録されたのは1999年で、当時は「ダージリン・ヒマラヤン鉄道」として単独で文化遺産の列に加わった。現在では大人の事情が重なった結果、「インドの山岳鉄道」の象徴的な鉄道としての地位に落ち着いているようだ。 運用路線は全長で約88kmで、始発駅がNJP(ニュー・ジャルパイグリ)、終着駅がダージリンとなっている。全線が軌間610mmのナロー・ゲージ(極狭軌)と使用していることから「トイ・トレイン」との愛称が定着して久しい。 同路線内には現役のループ橋が3つとスイッチバックが6つが存在している。また、いずれも世界で最も初期に設置されたものとして知られている。一説によればスイッチバックは同鉄道が発祥の地と言われているが、この件はやや怪しい。何故なら同鉄道開通以前にすでに実用していた鉄道が存在しているからだ。 なお、開通を急いだり、予算不足などの理由でトンネルは一つも作られなかったとも言われているが、この話もかなり怪しいと言わざる得ない。何故なら、すでに放棄された第0番ループ橋の近くに、ループ橋と同様に放棄された鉄道用トンネル跡を発見できるからである。 同路線の高低差は同鉄道の公式資料「グランドプロファイル」によれば約2131m。最低標高地点は始発駅のNJPの126.5mで、最高標高地点は2258.23mとなっている(最高標高地点は一般的には2257mと言われている)。 現在使用中の車両は、蒸気機関車は英国製「B形」が1機種、ディーゼル機関車はインド製「NDM6形」の1機種となっている。車歴100年を超える世界最古クラスの蒸気機関車「ヒマラヤン・バード」を有することでも知られる。なお、同蒸機はインド国内ですでに二回のリビルトを経験したことが確認されている。
![]() ▲DHRのB形蒸機とディーゼル機関車。 蒸気機関車には重油燃料化の試みとしていくつかの改良型プロト・タイプが存在していた。しかし、重油燃料化計画が放棄された後ため、順次石炭燃料側に復帰作業を受けつつある。ディーゼル機関車は蒸気機関車に負担軽減と運行速度の向上のために導入された。現在では難所とされる峠区間はディーゼル機関車の独壇場となっている。 無動力車は、貴賓車、1等車、2等車という3種類の客車に分類できる。製造された時期によってブレーキなどのスペックが異なるが、改装時に順次アップデートする努力が行われている。なお、現在はVANと呼ばれた貨物車両は運用されていない。 大英帝国による統治時代、インド帝国期の馬車鉄道に起源を持つ。当時、コルカタに滞在する英国人の避暑地であったダージリンへのアクセスは、麓町のシリグリーからヒル・ステーションのダージリンまで施設されたヒル・カート、または馬車などの交通手段しかなかった。その馬車鉄道に蒸気機関車牽引列車を走らせることを思いついた者がいたのだ。 運行開始は1880年だが、3月には麓町のシリグリー・タウン駅から絶壁の上のチンダリア駅まで、8月になってようやく中腹の峠町カルシャン(コールシーエン)駅までが開通した(その距離はおよそ53km。NJP駅〜シリグリー・タウン駅の約4kmの路線は1964年に拡張されたもの)。開通当時は運営組織の名所は「ダージリン・蒸機・トラムウェイ会社」だった。 翌年になってカルシャンからダージリンまでの残りの31kmを含む全線の開通を達成している。そして同時に名称が現在でも使用されている「ダージリン・ヒマラヤン鉄道」に変更されている。 なお、1885年にはダージリン駅の1km先のチョーク・バザールまで路線が延長された。
![]() ▲夕日を浴びて真っ赤に染まるB形蒸機。 ただし、その後もモンスーンの季節に繰り返される大規模な土砂災害によって復旧、改善、回路が続けられた。路線が本命と見なされる現在のルートに落ち着くには、最後に建設されたループ橋「バタシア・ループ」が完成する時代まで待たなければならなかった。 最盛期では道路線以外に2本の鉄道路線を経営することに拡張された。本線も観光だけでなく、現地の主力産業である紅茶の搬出などのために輸送能力の充実が図られた。数々の試験的な蒸気機関車、ディーゼル機関車、ガソリン・カーが路線に投入された。最終的にB形蒸気機関車が他形式をすべて駆逐することなる。B形は余剰車両が売却された事情で、現在では同鉄道だけでなくアッサム州内の私営鉄道でも活躍中である。また、フル・コピー車両が英国と米国にそれぞれ存在する。 なお、避暑地としてダージリンを利用するのは「英国人社会でもあまり地位の高くない人たちが中心であった」とする文献も存在する。それを知ると歴史ある高級リゾートとしてのイメージにひびが入ってしまうかも知れない。当時としては、インドの気候が原因で体調を崩す者が後を絶たず、可能であれば本国で治療に専念するというのが理想であったようだ。 一応、「こういう話もあるよね」程度で良いから念頭に止めておいて欲しい。一方的な情報の鵜呑みほど退屈なことはない。歴史との付き合いは問題の提起と検証の連続であるべきなのだから。
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