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インド>ダージリン>DHRの蒸気機関車について

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▲DHRの名物の一つ。急斜面を登坂する鉄道施設『スイッチバック』。英語圏では『ジグザク』または『リバーズ・ステーション』。

 

  ダージリンヒマラヤン鉄道が運用中の蒸気機関車は、『DHR-B形』と呼ばれる軽便鉄道用小型蒸機。動輪配置は0-4-0ながら35トンの牽引力を誇る。初期型は約120年前、1889年に英国のシャープ・スチュワート&グラスゴウ製で製造されたもの。

DHR-B形の第一製造期は1889年〜1904年。これらはDHR-B形17〜28号と呼ばれていた。その後に新たなIR車両番号が割り振られ777〜785番と呼ばれるようになった(何故か同期の3両にはIR車両番号が与えられなかった)。同鉄道最高齢の蒸気機関車『ヒマラヤン・バード』はこのグループに属している。

Indian Railway車両番号、または蒸機機関車番号を指す。DHRの場合、777〜806が割り当てられた(途中にDHR以外の機関車も混じっている)。

同鉄道はどんなトラブルに見舞われても製造メーカーを頼ることはできない。何故ならすでに頼るべき産みの親は記憶の中にしか存在しないからだ。シャープ・スチュワート&グラスゴウは、1903年にニールソン社やダブス社との合併によって『ノース・ブリティッシュ・ロコモーティブ(=NBL)』へと社名を変更した。しかし、大平洋戦後に革新が続いた新技術への対応に失敗した結果、1962年に破産→解消されてしまったのだ。

ディーゼル機関車の開発に失敗して独逸マン社との競争に敗れたことが最初の躓きになったようだ。1904年以降に納入されたDHR-B形、29、30、32-36、42-44号は社名をNBLに変更した後で製造された車両である。

もっとも、DHR-B形は製造からあまりに長い年月が過ぎてしまっていることから、NBLが存続していたとしても運用の継続不可欠の消耗品の供給や技術的なサポートは見込めなかったろう。何と言っても消滅寸前(=末期)の同社は完全に三流の電機機関車メーカーとなってしまっていたのだから。

そのため同鉄道はルーツである英国系サプライヤーからの自主独立、自己供給、自己管理を徹底することを余儀なくされた。消耗品の製造はチンダリアにある配下の工場に担当させ、ボイラーの大規模補修などではニルギリにある鉄道工場まで外注に出すなど臨機応変な対応によって運用の維持を成功させてきた。

蒸気機関車は新陳代謝を繰り返した結果、車両を構成する物質のほとんどがインド製に置き換えられてしまった。実際、英国で製造された当時のオリジナルはコア・パーツを除けば車歴板くらいではないかと言われている。

DHR-B形を製造したは組織は、開発メーカーであるシャープ・スチュワート&グラスゴウ、合併で社名が変わってNBL、生産が間に合わなかったことなら委託製造を担当した米国ボールドウィン社、NBLから供給されたパーツで製造したDHRティンダリア鉄道工場、の4つである。英国、米国、印度の3国で製造に携わった。筆者はDHRに直接納入された車両数は33〜40両ではないかと推測している。

 

▲DHR-B形蒸気機関車の中でも最古の車両、IR車両番号779番『ヒマラヤン・バード』。DHRに最初に納入された車両の1両で、製造はシャープ・スチュワート&グラスゴウ社で1889年。


   DHR-B形はダージリン以外でも見つけることができる。ほとんどが同鉄道が払い下げた中古車両たちである。輸送量の激減や車両の経年劣化などを理由に、不要となったローリング・ストックを放出していた時期があるのだ。最も有名な例は、インド国内ではアッサムの炭坑鉄道に払い下げられたことだろう。

また、払い下げ車両の中には海外へ渡ったケースもある。例えば、米国イリノイ州のElliott Donelley氏はDHR-B形19号の買い取りに成功し、自宅敷地内に線路を敷いて運用を楽しんでいた。

同氏が他界された後は、同19号は米国インディアナ州のHesston博物館でしばらくは展示されていた。しかし、すぐに英国の鉄道博物館に引き取られることで話がまとまった。

英国に渡った後はバーミンガムでリニューアル整備が施された。おかげで同19号は、現在でもAdrian Shooter's private garden railwayや隣接するナロー・ゲージ鉄道などで列車牽引機関車としての役目を果たしていると聞く。

例外は2つだけ確認できている。大成功を収めたDHR-B形はDHR以外にも活躍の場を広げる異なった。

DHR同様の山岳鉄道であるヒマチャール・プラデッシュ州のカルカー・シムラー鉄道がDHR-B形の成功を認めて発注し、1900年に納入されている。ただし、こちらは納入後に軌間762mmにが更新された為に短期間使用した後、ダンド・コリエリ鉄道に譲り渡された。もう一つはデカン高原の北にあたるマディヤ・プラデッシュ州のライプール森林鉄道で、1925年に納入されている。こちらの車両の一部は後にDHRに買い取られている。

2009年までは燃料の重油化などDHR-B形の改造試作車両が複数存在していた。しかし、すべてが運用的に失敗と判断され、2010年現在、運用車両は従来型DHR-B形(=石炭燃料式)に統一されている。

なお、古い写真でテンダー式のDHR-B形やDHR-A形の姿を見つけて驚くことがある。これらは平地の路線であるキシャンジャンジ支線を走行する為に改造を施された実験運用中の車両だ。給水や級炭の作業の軽減を狙ったものだった。

歴史的には蒸気機関車には『DHR-A形』、『DHR-C形』、『ベイビー・シヴォーク』、『ガーラット形』など多用な形式が存在していた。しかし、DHR-B形以外のそれらはすべて成功とは見なさず早々に消失してしまった。

 

▲DHR-B形蒸気機関車の第三期納入分の最終番号を与えられた車両、IR車両番号791番。製造はNBL社で、1914年。全足回りの分解整備中。


  

DHR所属蒸気機関車の納入リストの一部(オマケ)

1880年納入 DHR-Tinny形、軸配置040、マニング・ワードル製。鉄道施設工事用に購入したDHR最初の機関車。使用後即売却

1880年納入 DHR-C形1-8号、軸配置040、シャープ・スチュワート&グラスゴウ製。俗に言う『旧C形』。パワー不足が著しくA形と即入れ替えで売却

1882-1883年納入 DHR-A形9-16号、軸配置040、シャープ・スチュワート&グラスゴウ製。そこそこのパワーを発揮していたが、これも決定打とならず

1889-1903年納入 DHR-B形17-28号、軸配置040、シャープ・スチュワート&グラスゴウ製。もっとも理想的な特性を発揮して、現在でも現役であり続ける

1904年 DHR-B形29-30号、軸配置040、ノース・ブリティッシュ・ロコモーティブ製

1911年 DHR-D形31号、軸配置040+040(第1期のガーラット式)、ベイヤー&ピーコック製

その他いろいろ。面倒なので割愛。

  

  








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