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インド>ダージリン>カルシャンという町について

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▲カルシャンの商店街を通過する蒸気機関車。

 

  1880年8月、チンダリア駅に続いて二度目の開通式が行われたのがカルシャン駅だ。それは今ではダージリンヒマラヤン鉄道(DHR)の中継駅だが、開通後しばらくの間は終着駅であり続けた。

   カルシャンはシワリク丘稜の中腹の街。標高1072m付近で、街からは平地であるタライ平原を見下ろせる。同時に8000m級の稜線を持つヒマラヤの屋根を見上げることもできる。

   鉄道の施設工事に関してルート選択で困るのはせいぜいカルシャンまでだろう。マハナディー駅に隣接する岩の閘門(切り通し)の手前まで立ち塞がっていた絶壁の様な急斜面を、スイッチバックやループ橋で這い上がる様な試練はもう終わるのだ。ここから先はヒル・カート・ロードに沿って行くだけで、頭を悩めることもなく最終目的地のダージリンまで到達できる(勾配率で語ればこの先もまだまだ油断できないのだが)。


▲カルシャンで見かけた母子。

  この町こそ人界と天界の境目に位置するとも言える。何故ならこれ以上の標高の街では高度障害が出やすいからだ。短期滞在の旅行者であれば何の問題もないレベルだが、一生をそこで過ごすとなるといろいろ厳しい。

  高齢になると住人には微妙な低酸素や低気圧による各症状が十中八九現れる。特に心臓病は多くの住人を苦しめている。また、紫外線も強くなるので皮膚や遺伝子に掛かる負担のせいか、年齢以上に老いて見える人も少なくない。

  金回りの良い家なら平地のシリグリーの辺りに別荘を購入して、老人はそちらに住まわすのが一般的だ。しかし、カルシャン程度の標高なら一生を通じて生活することも夢ではない。

   カルシャンは観光地というよりも地元民のための町だ。インフラも生活必需品や生活情報の交換に便利な市場を支えるためのものしかない。

   だから旅行者がここを訪れる場合は、かなりの玄人か物好きに限定されると思う。例えば茶園にしても周辺で外国人を積極的に受け入れているのはカルシャンに接する、つまり域外のマカイバリーくらいだ。

 


▲カルシャン駅。



カンチェンジュンガの展望台?



   ダージリンは「カンチェンジュンガの展望台」として世界的によく知られる観光地だ。それは世界第三位の高峰を町のどこからでも眺められるという絶好のロケーションに支えられる必然だ。毎年のように新たな観光客が訪れている事実はその名声を揺るぎないものとしている。

   一方、カルシャンの知名度はダージリンと比べるとかなり低いと言わざる得ない。ダージリン域のカルシャンは観光客にとってはただの通過地点に過ぎないのだ。しかし、意外かも知れないがダージリンよりかなり標高の低いカルシャンからでもカンチェンジュンガを眺めることができる。だから、ここもまた「カンチェンジュンガの展望台」の一つとして数えて上げて欲しい。

   その際に秘密にしておいて欲しいことが二つある。一つ目はカルシャンからはグゥーム(ダージリンのあるシワリク丘稜のピーク付近)の尾根に隠れて万年雪がかかる標高8000mくらいから上しか見えないということ。そして二つ目は、カンチェンジュンガの頂上付近だけで良いなら、寝台特急ダージリンメイルの終着駅である平野部のNJPからでも見えることだ。ははは。


▲カルシャンから見えるカンチェンジュンガ。

 


カルシャンの町の配置

  カルシャンの町はT字形に構成されている。 「|」という縦棒の部分はヒルカートロードで、「ー」という横棒の部分はパンカバリーロードだ。麓のスクナーから伸びるパンカバリーロードはカルシャンでヒルカートロードに突き当たりダージリンへ向かう交通を吸収する。

   ヒルカートロードを端から端まで歩くと30分くらい。パンカバリーロードは街並みは5分で抜けてしまうが、キャッスルトンまで歩くとこれも30分程度だ。

   T字形の付け根に鉄道駅が建てられている。カルシャン駅はまさに町の中心に位置するのだ。以前は駅構内にインドでもっともまともな西洋お菓子店「グレナリーズ」の支店があったが閉店してしまった。それには事情がある。ダージリンの旧支配者の後援者に名を連ねていたため、新支配者体制になってからは痛い目に会い続けているのだ。

  ただ、以前から各地で思いつくがままに開店と閉店を繰り返しているという字事情もある。実はソナダにもグレナリーズ支店跡地があったりする。なお、カリンポン支店は別の店として独自色を出しながらも似たような商売を続けている。

   T字形の付け根にをさらに奥に歩いていくと、電波塔と閉鎖された遊園地がある。遊園地の方はやや壊れかけた、というか誰の責任でも管理されていない気配を漂わせる展望塔がある。カルシャンに遊びに来た人間にとってはその塔に登るのが掟のようだが、日本人の感覚ではちょっと勇気が必要だ。



▲駅から眺めたカルシャンの山頂部。

   T字形の付け根からヒルカートロードのゆったりとした坂道をダージリン方面に登ると、そこが目抜き通りになっている。こちら側は住民用けのお買い物エリアと言えるだろう。周辺でもっとも栄えた商店街が軒を連ねている。

  冬季に必要になる防寒着などの服飾、野菜やパンなど住民の生活を支える食料、各種雑貨、携帯電話、パソコンまでを購入できる。常に人で賑わっているが、1日4回ほど人混みお書き分けてDHRの列車も通過する。その時ばかりは線路の上にも売り物を並べた商人達も急いで荷物をまとめて待避する。

   T字形の付け根からヒルカートロードを下ると、明らかに現地人とは異なる顔つきの集団を見かける。こちら側は旅行者向けのエリアと言えるだろう。道幅がやや広いことから、バスや乗り合いタクシーの乗り換えや休憩場所としているようだ。日本人旅行者にはとてもオススメできない環境の有料トイレもあることはある。



▲目抜き通り沿いに伸びる鉄道。

   先へ進めばインド人向けの宿泊施設を見つけることができる。あるていど日本人にオススメできそうなレストランもあるので腹下しが恐い人はどうぞ(でも味付けばベンガリーなのでオイリーだから、違う意味で下す可能性はある)。また、DHRの車両車庫もその先にあるで脚を伸ばしてみる価値はあると思う。

▲蒸気機関車がトラムの様に走る。

     T字形の付け根からパンカバリーロードを下ると、右手に茶園、左手に学校が見える。カルシャンもダージリン同様に教育レベルの高さがインド全土に知られているので州外からも沢山の留学生がやってくる。また、ネパールやブータンからも王族や富裕層の子弟が送られてくることも多い。

   さらに脚を進めると、名門茶園「キャッスルトン」の看板が現れる。左手に直販所、右手に加工工場が並んでいる。ダージリン・ティーの象徴とも言われる「マスカット・フレーバー」はここで製造されている。かつてお茶のオークションで過去最高の金額でハンマープライスを叩かせたという生ける伝説を持つ。

   ただし、2009年には収穫期にグルカランド独立派を名乗る、というかダージリンの与党モーチャの影響化で行われたと噂される「バンダ(強制サボタージュ始動)」が行われ、高品質茶の出荷に過去例を見ない滞りを見せた。

   その先の九十九折りの坂道まで下れば有機栽培で名を馳せた茶園「マカイバリー」があるのだが、そこはもうカルシャンではない。

   T字形の付け根から山道を登ると、学校、チベット寺院(ゴンパ)、茶園、などがある。もうそこは完全に住民のエリアだ。この急坂を上り下りできるのは現地人だけ(坂道が不得意なだけでなく平地と比べればカルシャンでも酸素が薄くなっている)。平地のインド人には無理な相談だ。車による交通が困難だったり、それほど往復する必要のあるほど重要なエリアでないので、かなり静かで良い。自動車などの排ガスまみれの空気に飽きた人はどうぞ。



▲カルシャンのピーク付近の展望。

   なお、ダージリンよりの急坂を選んで登っていくと、完全寄宿制の名門学校も存在する。我が友人の息子もそこで囚われの身となっている。よほどの理由がないと釈放されず、自宅への一時帰宅もままならない

   カルシャンはお茶と鉄道の街だ。街を取り囲む茶園の一つ名門「キャッスルトン」である。

   実際、ダージリン・ティーの象徴とも言われる「マスカット・フレーバー」を上手に作り出せるのもキャッスルトン。かつてお茶のオークションで過去最高の金額でハンマープライスを叩かせたのもキャッスルトンだ。

   なお、ダージリンからNJP駅やシリグリーへ向かい場合、T字形の付けであるカルシャンの町を通らずにヒルカートロードからパンカバリーロードに通じるバイパス道もある。ダージリンからNJP駅へ向かう旅行者が「あれ、カルシャンってどこだっけ? 記憶にないなあ」という錯覚に囚われることがあるのはこのためだ。

   また、パンカバリーロードからはミリック渓谷などへ抜ける道も分岐する。この分岐道はモンスーンによる土砂災害でシリグリー〜カルシャン間のヒルカートロードなどが通行不能になると迂回路として使用される。



▲カルシャンの車両車庫。


小言

   なお、最近になって地球の歩き方で町の表記が「カルシャン」から「クルシャン」に変わった。無茶だと思う。声調や有気音・無気音に慣れた人間になら「コー(ル)シエン」くらいに聞こえると思う。そして英語読みでは「カルシャン」が広まっているので現地人も慣れている。しかし・・・ローマ字読みの「クルシャン」は通じないと思う。

   タイ関係の旅行情報書/誌などでもページをめくるだけで分かるのだが、あきらかにパックツアー2泊3日くらいでしか現地にを訪れたことのない人間が作っている。タイ語表記などが昔はまともに近かったモノがどんどん改悪されている。制作費削減を目的に出せばよいという観念で、つまり無責任に造り棄てする気で発行しているので仕方がないことだとは思うが(同じ制作担当者が翌年に担当することはまずないし)。

 


▲シリグリーの夜景を見下ろす。


  

  








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