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インド>ダージリン>鉄道と紅茶

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▲紅茶畑をかすめて走るDHRの蒸気機関車。

 

  ダージリンヒマラヤン鉄道はダージリン行きの下り列車には麓から運ぶ日用品や食料品を満載し、シリグリー行きの上り列車には搬出する紅茶を満載していたそうだ。高原で文化的な生活は麓から運ばれる物資に支えられ、本国の英国人の優雅な生活は高原から搬出される紅茶に支えられていたわけだ。

  同鉄道は観光と貨物の両立が求められていた。旅客輸送も物資輸送のどちらもダージリンを支えるに欠かせない、絶対に不可欠なインフラであったのだ。

  しかし、それも今では昔話。紅茶を大量輸送できる唯一の公共交通として経済活動の一翼を担っていた栄光の日々はすでに歴史の1ページに刻まれた事実に過ぎない。21世紀現在ではモータリゼーションの発展が極まった結果、旅客輸送はそこそこの結果を出しているが、貨物輸送の需要・実績が共にゼロにまで落ち込んでいる。

 


▲ダージリンの茶園。


  植民地時代では、同鉄道は現在とは比べものにならないような密な運行を実施していたようだ。単線なので各所に用意された待避線を利用して頻繁に列車を交換してたことだろう。現在ではすでに遺跡となり果てたそれらからは想像するのも難しいのだが

  カンチェンジュンガの麓に広がる茶畑。尾根から尾根へとどこまで途切れることなく続いていく。これこそダージリンを象徴する景観である。これらの大規模な開発は、英国植民地時代にはすでに完成していたそうだ。

  インド独立後には政治運動が盛り上がったことから一時期は収縮に向かったそうだが、今では英国人が経営を行っていた全盛期の生産性を取り戻しているそうだ(しかし最近になってまた同じ理由で収縮傾向に向かいつつある。2009年にはキャッスルトン茶園でセカンドフラッシュ収穫時に民族主義者主導の職場放棄が起こった)。

 


▲ダージリン茶で楽しむ午後。


  ダージリンが世界最大の紅茶の産地となったのはアヘン戦争以降のこと(大英帝国がアホム支援でビルマと戦った時代の後のことだ。アホムからアッサムの主権を奪った頃は茶園栽培など念頭にもなかった)。清帝国が大量な需要を誇るお茶の市場への供給を絶ったことから、英国が自給体制を作ろうとしたことに起因する。この頃、アッサムなどのヒマラヤ山脈の麓で大量に自生する茶木群が発見される。これらは後に「アッサム」と名付けられる品種である。

  ※アッサム種は一説に寄れば野生種ではなく、品種改良されたモノが野生化したものであると言われている。かつての記録で、チベット・ブータン国境に入った測量・探検隊が当地のマハラジャより茶木のサンプルを送られて持ち帰ったという話もある。それらの子孫を再発見したという可能性もあるわけだ。

  苦労の末、英国人は紅茶の自主生産に成功した。その後も長い時間をかけて磨いたために高品質化に成功した。しかし、緑茶は最近になって現在の茶園主たちが中心になって質を向上させる努力を始めたところ。

  ダージリンで栽培される茶木は、インド固有種である「アッサム」、中国由来の輸入種である「チャイナ」、接ぎ木や品種改良が行われた「クローナル」の三種類に大別できる。

 


▲ダージリン茶の花。









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