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インド>ダージリン・ヒマラヤ鉄道 |
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▲終着駅に到着したダージリン・メイル
07時05分、定刻より2分遅れでダージリン・メイルはキシャンガンジ駅のプラットホームに滑り込んだ。キシャンガンジ駅はインド独立直後に、ダージリン・ヒマラヤン鉄道にディープ・インパクイトを与えるきっかけになった駅であることを、ボクは後で知ることになる。しかし、その時は無個性なインドの規模の大きな田舎駅にしか見えなかった。 08時45分、終点のニュー・ジャルパイグリ駅に到着。定刻より5分遅れだが、それはプラットホームへの入線前の信号で10分ほど待たされたからだろう。インド鉄道の機関士も最高の仕事をしたということだ。実は、このニュー・ジャルパイグリ駅は世界一だかインド一か忘れましたが、いちばん軌道数が多いために横幅も広い駅だとか・・・。 ニュー・ジャルパイグリ駅では昨夜に知り合ったインド人紳士と一緒にダージリン・ヒマラヤン鉄道への乗車券を求めてカウンターをさまようことになった。ダージリン・ヒマラヤン鉄道は駅の東側の端に独立したオマケのようなプラットホームが始発駅になっている。 しかし、本来あるべき列車の姿は見えずに車掌から直接に切符を買うという当初の案は実現不可能だった。そこでボクと紳士は駅長室をめざすが、結局は「今日は事故でニュー・ジャルパイグリ駅〜シリグリー駅の間しか走らない」と告げられて追い返されてしまった。 この困った事件の真相は後に知ることになるのだが、ニュー・ジャルパイグリ駅〜シリグリー分岐駅の間の鉄道員は10年の間も変わることなく進歩から取り残された人々で、ダージリン・ヒマラヤン鉄道の切符を売ってくれないことで有名だったのだ。また、駅前などの乗り合いタクシー業者達との共存共栄というお金の流れもあるようだ。 この複雑怪奇な現実は日本人のボクには極めて不効率で唾棄すべき習慣だが、インドのようにまったく異質な文化や過剰な労働力が溢れる両道社史上などの厳しい就職難を考えれば、一時通過するだけの旅人が口出しすることではない。郷にいれば郷に従うのが安全な旅のルールなのだから。 では、外国人はどのようにダージリン・ヒマラヤン鉄道へ乗るかという疑問が生じるだろう。いちばん簡単なのは乗車する前日までにコンピューター予約で乗車切符を買い求めておくこと、そうでない場合は、袖の下を無賃乗車の罰金という名目で100ルピーほど使うという手段がある。なるほど、世の中うまくできていますね!
▲マハナンディー駅周辺の街並み そんな事情が重なって、インドの現実にボク以上に頭を抱えたインド人紳士は旅客用の約10本の軌道とさらに貨物用の約10本の軌道を一気にフライオーバーする長い長い歩道橋を使って駅舎を出てロータリーを目指した。 かなりの台数の乗り合いタクシーと一面に溢れる客引きを慣れた手つきでかき分け、インド人紳士はダージリン行きの乗り合いタクシーを捕まえてくれた。さらに、シッキムへ向かう前に見事な値段交渉を行ってくれた。 「ダージリンまでは120ルピー支払う。タクシーのナンバープレートはメモに書き取った」そう言って一枚のメモをくれた。「余計な運賃を請求されたら私のこの携帯電話に連絡しなさい。運転手にきっち後悔させてやるから」 「どうもありがとうございます」 インド人もインド人を信じない。これは濃い人間関係のやり合いに慣れた彼らには空気のように馴染んだ日常なのだ。一筋縄ではいかないインドを再確認しつつ、ボクは一人残されて、タクシーのドライバーが次の客を連れてきてダージリンへ出発するのを待った。 ダージリン域の乗り合いタクシーのほとんどがトヨタのランドクルーザーにあまりにも似すぎたインド国産TATA製オフロード4WD風車両だ。そうでないものは三菱ジープに近い外見だが、お金がかけられずにあまりに貧相な作りになっている。 三菱ジープ風の車両は旧式車だ。それらはフレームとエンジンだけで販売されていて、その他の外装のほとんどは防水布などを人民パワーで縫いつけたりする手弁当なテイストを払拭できない。 古いだけあってエンジンのアイドリング不安定は間違いないどころか、出力もかなり低下していて坂を上るのも苦痛な仕様なのだ。平地でこれなのだから高地できちんと出力を出せるのだろうか? やっぱり自動補正不可なキャブレター式ですか? 真っ黒な煙を吐きながら駅のロータリーから少しずつ少なくなっている乗り合いタクシーを観察していると、ドライバーは一人の白人さんとたくさんのインド人さんを連れて帰ってきた。 そこでやっと1階建ての襤褸屋に囲まれた要塞のようなニュー・ジャルパイグリ駅の大駐車場を後にした・・・と思うと襤褸屋通りの今度は床屋さんの前で急停車。そこで運賃の徴収を始める。 「日本人、120ルピーくれ」 「インド人、120ルピーくれ」 最後に白人さん、目的地に到着するまでお金は払えないと言い張るが、ドライバーの「実はその金でオイルを買わないとダージリンに行けないんだ」という情けない答えにしぶしぶ支払いに応じた。後で知ることになるが案外これは良くあること、珍しくもないそうなのだ。
▲モモはチリ・ソースで食べる ガスをタンクに流し込んだ後で、乗り合いタクシーはさらなる乗客を求めてシリグリー分岐駅・バスターミナルやバス停などで停車を繰り返していた。その間ボクの目を奪い続けたのは時々、チラチラを見える軌間610ミリのやつれたレール。 まるで廃線後のように黄昏がれていたが、これこそ今回の旅の目的であるダージリン・ヒマラヤン鉄道なのだ。ボクは10年もの間、それはそれは長いことヒマラヤを登る蒸気機関車牽引列車にあこがれ続けてきた。しかし、以前は情勢が不安定なダージリン・シッキム域は入域許可などが不可欠だった(シッキムはいまだに入域許可が必須)。 前回の若かった頃の旅ではあこがれの鉄道に一度もお目にかかれなかったのだ。その後、ソニープレゼンツの某世界遺産TV番組で「カルシャン〜ダージリンの間を往復していた蒸気機関車牽引列車(通称スクルール・トレイン)も無煙化された。蒸気機関車はすべてが引退した」という天下の大誤報によって「間に合わなかった!」と大落胆していたのだ。 しかし、それでも「もしかしたら・・・」と思って、一大決心をしてボクはダージリンへやってきたのだ。乗り合いタクシーがシリグリーの外れのロータリーを越えてダージリン方面への細い舗装路に入るとお茶畑が広がった。 ここに蒸気機関車牽引列車が走ればなあ! と夢想しているとやがて前方に列車の後部に描かれた「×」が見えた。これはインド全土で見られる追突防止の処理だ。日本の場合は「赤ランプ」や「赤い○鉄板」が最後尾に掲げられることになる。 さて、お願い! 蒸気機関車牽引列車! と祈っているとタクシーが列車をゆっくりと追い越す。先頭には小さなディーゼル機関車が付いていた。残念! 「ああ、蒸気機関車はやはりいなかったのか・・・」と落胆するボクに隣に座った白人さんは「きっち蒸気機関車に会えるよ!」と元気づけてくれた。 乗り合いタクシーはスックナー駅を通り過ぎてタライ平原を外れヒマラヤの麓へと乗り入れた。森林に囲まれたS字カーブにそって鉄路と道路が併走・交差・別離を繰り返す。 森の中の停車駅ラントンを越えるしばらくすると、車窓からタライ平原の眺望が楽しめるようになる。かなりの高度を稼いだようだ。突然に霧が発生して、雨が降り始める。さっきまで熱帯気候だったのに急に寒さを感じ始める。
▲あこがれの蒸気機関車に初遭遇&初撮影! 標高約860メートルのチンダリアの鉄道工場の横を乗り合いタクシーは通過する。ボクはかなりのラッキーな星のモトに生まれついていたようだ。実はシリグリー〜カルシャンの間にはより快適で所要時間の短いバイパス路があったのだ。 しかし、もっと乗客を集めたドライバー氏の強突張りのおかげでより時間のかかる「ダージリン・ヒマラヤン鉄道」添いの旧道を走ってカルシャンを目指していたのだ。おかげで、スイッチバックやループ橋などを確認しながら鉄道ファン好みの旅を楽しめた。 さらに途中で乗り合いタクシーはガヤバリ駅手前でランチタイム休憩を撮る。小さな展望レストランでチベット料理の「モモ」と初遭遇してしまった。モモとはチベット・餃子。日本の餃子によく似ているが、中国の蒸し餃子とほぼ同じダージリン地方ではお馴染みの料理なのだ。 その後、ダージリン滞在中はボクの主食の1つとなったが、決して飽きることはなかった。ただ、ちょっと変わっているのはこの餃子は醤油ではなく真っ赤なチリ・ソースで食べるのだ。うん、味覚が日本人や中国人やタイ人とは違うんだね。 乗り合いタクシーはダージリン〜シリグリの中継地点となる標高1182メートルのカルシャン駅へ到着した。この先でシリグリーからのバイパス路と合流して、さらに標高2000メートルを目指す。そして、ツンソン手前でボクは衝撃の出会いをする。 なんとあこがれ続けた蒸気機関車牽引列車が道路前方から現れたのだ。白人さんが驚いてボクに声をかけてくれた時、ボクの右手の人差し指はすでにデジカメのシャッター切っていた! 一眼レフは間に合わないので胸のポケットからワイアット・アープよろしく早撃ちで撮影を成功していたのだ。 ただし、蒸気機関車が逆向きでちょっと残念。それでも10年間あこがれ続けたSLに出会えた悦びは大きかった! まあ、その後は毎日目撃できるようになったり、蒸気機関車牽引列車で通勤したりしたんだけど・・・。 某TBSの大誤報の蒸気機関車の引退、いったいどうなっていることやら。嬉しい誤算に胸が熱くなる。その後、落ち着いたのでボクは安らかな眠りに落ち込んでしまった。次に寝覚めるのは標高2096メートルのダージリン。 待望のダージリンに到着。外は霧雨で、平地を基準で作られた地図では現在位置や方向がさっぱり分からない。上り坂と息切れ・・・そして頭痛という軽度の高山病に見舞われる。 どれだけの急坂なのかは行ってその目で確認願いたい。30キロの荷物を背負って体調不良で登るのはかなり厳しい。力尽きて入ったホテルで400ルピーで展望バツグンの、ベッド類のリンネが乾燥している中級ホテルに部屋を取ることに大成功! 乾燥しているというのは湿り気の多すぎるダージリンではかなり貴重。当時はそんなことは想像もしていなかたが。それと宿代はあとで調べると付近価格では激安だった。それが縁で経営者のミストリー家との長い付き合いが始まることとなる。 ホット・シャワーを浴びてからTVを付けるとヒンドゥー語で日本のアニメ「Card Caputer SAKURA(桜小姐)」が放送されていた。10年ぶりくらいに見る子供用アニメがヒンドゥー語なのは不思議な感覚。 日本に帰国しましたが、まだ日本語で見てはいない。あれはどういう話なんだろう?? |
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