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日本>銚子電鉄 |
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▲キャベツ畑を走り抜けるデハ1000形
1913年、第一次世界大戦などの大事件によって日本を取り巻く世界情勢が大きく転換しつつあった大正時代初期に、銚子電鉄の鉄道路線は銚子遊覧鉄道によって施設された。銚子遊覧鉄道は組織としては短命であり、また銚子電気鉄道株式会社の前身である銚子鉄道株式会社とは無関係であることは知っておきたい。しかしながら、銚子駅を始発して犬吠崎を目指すという同ルートを開発した先駆社であることは間違いないだろう。 銚子遊覧鉄道のころは鉄道路線は現在とは異なり、銚子〜犬吠という全線5.8キロという距離で営業運転を行っていた。また当時の犬吠駅は、現在の位置より300メートルほど外川港(現在の感覚では外川駅といったほうが分かりやすい)方面に建てられていた(跡地は現在でも確認できる)。しかし、その5年後には鉄鋼の価格の急激な上昇によって資材の転売によって廃業となる。クズ鉄を老朽船で輸出し、船ごとまるごと「鉄資源」を売り払うことで大きな利益を上げた逸話で知られる佐藤商店などの例を上げれば、仕方のなかったことと納得できるだろう。 ▲銚子電鉄の車庫とヤマサ醤油工場
▲銚子電鉄の車庫に停車中の電車たち
日本でも多くの製鉄用の高炉の稼働状態が安定しはじめ、鉄鋼の流通量と価格が安定し始めた1923年になって現在の銚子鉄道株式会社が誕生する。銚子鉄道は銚子遊覧鉄道のインフラを再利用して営業を開始する。また、銚子〜犬吠だけでなく犬吠〜外川駅へと500メートル延長して路線全長は6.3キロへと伸びた。さらに犬吠崎へのアクセスという観光面での利便性を考慮して、犬吠駅を300メートルほど銚子よりに移動することになる。最後に1925年になって直流600ボルトによる全線の電化が完了した。これによって、現在の銚子電鉄の姿が整うこととなる。
▲中ノ町駅の駅舎
▲中ノ町駅のプラットフォーム
第二次世界大戦後の銚子電鉄は激動の時代を迎えることとなる。1948年に銚子鉄道株式会社から銚子電気鉄道株式会社と改名し、1955年には旧国鉄の車両の乗り入れが開始される。これによって大量の観光客が銚子電鉄を訪れるようになった。さらにヤマサ醤油の貨物輸送の増加によって財政的にもかなり安定していた。しかし、この頃が銚子電鉄の絶頂期であったようだ。その後は転落の運命が待ち受けていた。
▲中ノ町駅で電車同士が交換を行う
1958年に国鉄車両が全長20メートルクラスに大型化したことから乗り入れ継続を断念。1956年にはヤマサ醤油が銚子駅へ直接乗り入れる専用線を完成させ、銚子電鉄の貨物輸送量は激減する。1963年には一度、収入の激減による運営機器を迎えて銚子電鉄の廃線が決定する時代に陥る。その後は銚子市や千葉交通などの援助によって経営努力が続けられたが1990年にはとうとう限界に達した。その後は地元企業が経営権を引継いで観光業を中心とした経営再建に乗り出す。しかし、1998年にその地元企業の背任によって銚子電鉄株式会社は大きな負債を追い、経済面でも壊滅的な打撃を受けることとなる。もし、その時に銚子市が全面的な支援を決断していなかったら今日の銚子電鉄は存在していなかったことは間違いないだろう。
▲現在の犬吠駅に停車するデハ1000形
銚子電鉄が現在にところ暖かい支援によって生き延びている時事は、実はたゆまぬ経営努力によるもので、決して幸運に恵まれただけではない。1976年以来、鯛焼き、たこ焼き、ぬれ煎餅などの鉄道には無縁の商売によって収入増に勤めていたことに由来する。つまり、現在同様の経済危機に陥っている他社と違って早い時期から強い危機感をもって自己改革を実行してきたということだ。この事実かなければ、銚子電鉄に対する異常とも感じられるほどに強力な市民レベルの支援は納得できないだろう。
▲外川駅の駅舎
▲外川駅のプラットフォーム 超史電鉄の車両たち(笑)
銚子電鉄の象徴的な電車。1930年に新潟鐵工所で製造された。鶴見臨海鉄道→旧国鉄→銚子電鉄と買収歴を持つ。製造時はトローリー式(ポール式)だったが、現在ではパンタグラフ式に改造されてある。
1942年に日本鉄道自動車で製造された。近江鉄道→銚子電鉄と買収歴を持つ。半鋼製電車として誕生したがかなりの改造が加えたことで、すでに別の車両になっているといっても良い。もちろん、台車はすでに別物となっている。
1950年に帝国車両で製造された。元伊予鉄道の車両。本来は製御車(クハ)だったが、ワンマン運転が基本の銚子電鉄で制御動力車(クモハ)化された。
銚子鉄道の最新型電車。旧営団地下鉄2000形を原型にして生まれた銚子電鉄独自の改造車両。
銚子電鉄が保有するもっとも魅力的な車両。1923年にドイツ・アルゲマイネ社で製造された。一時は身元不明の車両なっていたが、車体番号などが刻まれたプレートが発掘されて出処が明らかになった。ヤマサ醤油などの貨物廃止後は活躍の場は奪われたが、その人気にかげりはまったく見られない。
デキ3形は製造時はトローリー式(ポール式)だったが、ビューゲル式に改造されてある。ビューゲル式であっても高速運転には不向きなことは間違いないが、デキ3形はそういうことがまったく無意味な次元に昇格しているので運営側にも旅客側にも文句はない。むしろ、パンタグラフ形に改造したとしたら、各方面から無言の大きな怒りを被るであろう。
澪つくし号の愛称で知られる開放式のトロッコ列車。原型は旧国鉄のワム8000形だ。
超史電鉄のグラフ(笑×2)
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