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カンボジア>カンボジア鉄道の幽霊路線(北本線タイ国境線)

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▲フランスから持ち込まれた蒸気機関車

 



 カンボジア鉄道にはミステリーがいっぱいだ。しかしその中でもっとも笑えないミステリーは幽霊路線の話だろう。その困った路線は世界中で印刷されるカンボジア地図に、営業路線として描き記されている。しかしながら、カンボジア鉄道運行本部の列車管理表によればその区間を運行する列車は一便もないのだ。これをミステリーと呼ばずに何と呼ぼう?

 この幽霊路線とはカンボジア・タイ国境にあるポイペッド駅〜シソポン駅の区間ことである。全長は約48キロ、カンボジア鉄道とタイ鉄道を連接していた重要なインフラ、なはずである。そうでありながら両国をつなぐ国際列車は、タイ鉄道鉄道運行本部の列車管理表の方にもまったく記載されていない。ではこの区間は他の私鉄がカンボジア鉄道の路線を借り切って独占的に列車を走らせているのだろうか? いやそんな会社もやはりカンボジアには存在していなかった。ではいったいどういうことなのだろう?

 このミステリーの種明かしは「現在ではポイペッド駅〜シソポン駅間には物理的にレールが敷かれていないので列車が行き来できない」ということである。しかしカンボジア鉄道にとって二・三昔前から放棄されている約48キロ間は公式には営業中の路線ということになっており、資産リストの中にもきっちりと数えられている。おかげでカンボジア鉄道としてはレールすらの存在しない廃線区間を地図から消し去ることができず、結果として世界で印刷されているカンボジア地図の上で存在しつづけているのである。

 また現在の最新のカンボジアの地図でさえ、1970年代に米軍の空撮資料を元に1979年からカンボジアに進駐していたヴィエトナムが多少変更を加えただけのものなのだという事情も幽霊路線の存在に一役買っているのかも知れない。

 カンボジア鉄道の路線管理表には、ポイペッド駅〜シソポン駅区間の3つの停車場がしっかりと左記の通りに記載されている。「ポイペッド駅」→「トゥーク・コウブ停車場」→「サーラー・サムロン停車場」→「トゥーク・タラー停車場」→「セーレイ・ソーポアン駅」がそれである。しかしその地域に住んでいるカンボジア人でも「ここが○○停車場があったところです」などと自信をもって言い切れる人はいないだろう。

 またセーレイ・ソーポアン駅とはシソポン駅の正式名称だが、ここをカンボジア鉄道の北の折り返し地点であるということが利用者の間ではコンセンサスを得ているのも事実だ。それを承知の上で、カンボジア鉄道が後生大事に実体の存在しない路線と停車場を大切に管理し続けているふりをするのにも理由がある。

 この消えた約49キロ間の復活を夢見続けているからだ。この路線さえ復活すればどこの国の鉄道とも連接していないカンボジア鉄道の目前に新たなフロンティアが広がる。そしてタイからカンボジアへ流れる物資輸送の雄として甦ることができる。

 またその夢がまったく現実味がないというわけでもないのだ。カンボジア政府とタイ政府は互いの鉄道を連再接することでは合意に達しているので、後は計画に基づく工事が行われるのを待つだけなのだ。

 これだけ聞くと来年にでも連接が実現しそうな印象を受けるだろうが、やっぱり現実は甘くはない。以前に両鉄道を連接していた路線跡地の上には大規模なカジノ施設が横たわり、ポイペッド駅の駅舎は鉄道とはなんの関係もない人々に長いこと占拠され続けてる。占拠者たちにも彼らなりの言い分があり、生活がかかっているのでそう簡単には立ち退かないだろう。この幽霊路線が実体をともなって再び「転生」できるか、今後が楽しみである。

 しかしどうしてこんなことが起こってしまったのだろう。かつては国際列車が往復していた約49キロもの距離に敷かれたレールを剥がして、その跡形さえも抹消するというのは相当な労力が必要とされる。だからどんな暇人であっても、書類上の「廃線」というところですましてしまうだろう。

 なぜならカンボジア鉄道には常に緊急な対処を要する大問題が山ほどあるので、それほどにマンパワーの余裕があるならもっと前向きな事業にそれを投入するだろう。こんな愚かな大事業の全貌をつかむためには、まずこの路線を弄んできた歴史を知るのが一番だ。

 まず1940年12月に旧陸軍宣伝部隊隊員の作家・高見順がこの区間の路線の工事風景を目撃したことを日記に書き記してあるので、両鉄道の連接は1941年に行われたと推測できる。その後1958年にカンボジアとタイが国交断絶したために、鉄道連接条約の期限であった1961年をもって両鉄道の連接は解かれてしまった。だがそれは書類上のことだけですべてのレールを引き剥がすということはなかった。

 その後の1970年代初頭、インドシナ全域に展開していた米軍によって制作されたカンボジアの地図にもポイペッド駅〜シソポン駅間の路線が描き記されている。またその頃カンボジア鉄道はタイ鉄道よりその路線を経由して蒸気機関車の無償供与を受けた形跡もあるので、やはりレールは敷かれていたに違いない。となるとやはりカンボジア最大の悪役の顔を思い浮かべるしかなくなってしまう。

 そこで1975年から始まったカンボジア共産党支配時代の記録を集めると「やっぱり」と頷くしかなくなってしまう。カンボジア共産党支配時代の極初期には、カンボジア鉄道の列車はカンボジア・タイ国境付近まで姿を現していた。それはカンボジア共産党が、プノム・ペンに住んでいた人々から巻き上げた米ドルキャッシュをばらまいて、タイの商人から相場の二倍の金額で購入した医薬品や燃料などの物資を輸送するためだった。

 しかし1976年になってからは無駄遣いが過ぎたために米ドルキャッシュが底をつき、またタイへの国際的な圧力が加わったこともあり、カンボジア共産党とタイ商人との国境での交流が途絶えがちになった。やがてカンボジア共産党の実権を掌握したポル・ポト派はカンボジアのすべての陸路の国境を閉鎖して鎖国状態に入ると宣言した。そして彼らの意志が強固なものであることを世界に示すために、タイ鉄道と連接していたカンボジア鉄道のレールを撤去したのであった。

 レールの撤去は見事なまでに徹底して行われたので、その48キロ区間で現在に残される鉄道の跡は数えるほどしかなくなってしまった。それらは「カンボジア・タイ国境を結ぶ鉄橋」、「ポイペッド駅の駅舎」、「シソポン市北部の鉄橋」、「シソポン駅から1キロほど続く線路」のことである。これらはまさに墓標である。

 しかしカンボジア共産党に息の根を止められてしまった哀れな49キロ区間は、まだ成仏できずにこの世でうろうろしているのである。そして時よりカンボジア地図の制作者をたぶらかし、自らの存在を描き加えさせている、のかも知れない……。








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