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カンボジア>運転台からの景色
カンボジア鉄道応援会 Reborn!

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▲1050形ディーゼル機関車運転台からの眺め

 

  カンボジアを訪問する度に目にすることになる、高温多湿による異常に成長の早い草木と、大雨による容赦ない冠水。熱帯気候に覆われたカンボジア鉄道の苦労は並大抵ではなさそうだ。

 熱帯気候だけでもやっかいなのだが、カンボジア鉄道にはもう一つの問題がある。それは山岳路線という列車運行にも、レールの保守作業にも障害となる区間、つまり「難所」の存在だ。「カンボジア鉄道の難所」とはダムレイ山脈の東の端をかすめるプルサト〜ローメア間である。1960年代までは難所の両端のプルサト駅とローメア駅にはサミットに挑む蒸気機関車をバックアップするために、車両整備ができる鉄道工場が不可欠だった。もちろん「カンボジア鉄道の難所」は、鉄道施設ルートの選択にも慣れた設計者の見事な配慮によって、一直線の登り勾配の区間が長く続かないようになっている。線路が勾配が大きくなる最短距離で敷かれたものではなく、回り道をしてでも小さな勾配を連続させる、つまり小さなアップダウンを繰り返しながら少しずつサミットを征服するという方法が採られているのだ。おかげで蒸気機関車の泣き所である粘着率の低さも多少軽減され、より多くの貨物車両を牽引することに役立ったに違いない。同時に、釜に石炭を絶え間なく投入する機関助士も息を付く余裕を持てたことだろう。

 しかし蒸気機関車と比べれば格段に登坂力に優れるディーゼル機関車の時代に突入しているカンボジア鉄道にとって、大昔の難所が今だに難所であり続けているは納得がいかないという方もいるだろう。それもそのはず、鉄道界では蒸気機関車牽引列車→ディーゼル機関車牽引列車→動力分散型電車と進化することによって、蒸気機関車牽引列車の時代では考えられなかった急勾配を克服しているからだ。それではなぜディーゼル機関車牽引列車方式を採用しているカンボジア鉄道は、山越え区間を克服できないまま70年以上が経過してしまったのだろうか?

 それは同区間が長年の整備不良によって「危険区間化」してしまったからだ。実はカンボジア鉄道では資金不足から、ほとんど路線の保守作業が行なえていない。その結果は左記のような状態がカンボジアでは一般的だ。@レールは長期間に渡って交換されずに激しく歪んでいる。Aレールを支えるバラストは度重なる洪水で流され去り跡形もない。B道床は軟弱な泥土なのでレールが継ぎ目では浮き沈みしていることも多い。このような状態にありながら、機関車牽引の混成列車が毎日峠越えをしているというのは驚嘆に値する。

 これらの悪条件を克服して、列車の運行を何とか可能としている要素はたった一つ。カンボジア鉄道が誇っても良い、マン・パワーである。路線の状態を知り尽くした運転士たちは、峠の上り下りをしながら、比較的安定したレールを探して加速・減速を繰り返すのだ。

 逆に言えばディーゼル機関車だからこそ、整備不良によって誕生した難所を克服できるのである。もし蒸気機関車ならば、貨物列車の牽引はあきらめるしかないだろう。

 これでボクがダムレイ山脈越えの区間を「難所」と表現した事情が見えてきたと思う。カンボジア鉄道のそれは、実は日本のそれとは大きく性質が異なっているのだ。決して66.7パーミルもの急勾配を誇った碓氷峠のような不可避なものでなく、技術的に克服可能でありながら財政的な理由によって人為的に作り出されたものなのだ。

 さらに夜になれば暗めの前照灯しかないので、目を凝らしながら前方確認をするしかないし、部品不足から来る整備不良が運転士を苦しめることもある。確かに登坂時に機関車のパワー不足や動輪がスリップするといったことはなし、シリコンや砂をレールに吹き付けるようなこともないが、これほどの悪条件に挑んでいるのだから難所と認定しても良いのではないだろうか?

 ちょっと熱くなってしまったが、こんな事情で20世紀初頭の難所は21世紀になってもまだ難所であり続けているわけである。前置きはもう十分だ。それでは難所越えに取り掛かることしよう。

 


▲運転と食事を両立する運転士のワン・パン氏

 

  ●プルサト〜バムナック間

 そこはプルサト駅。混成列車PB12番は停車中だ。ボクはその隙に貨車を降りてディーゼル機関車1052番の運転台(キャブ)へと走った。それはカンボジア鉄道の難所越えを運転台の助手席で体験するためだった。

 話はそれより2日前から始まる。ボクはバッタムバンからプノム・ペンへ向かう「混成列車PB12番」を牽引する機関車の運転士がワン・パン運転士のローテーションとなるのを首を長くして待ち続けていた。ワン・パン運転士はボクの友人である。ボクには20カ月前に彼と交わした約束があった。それはボクがもう一度カンボジア鉄道に戻ってきたら、運転台への立ち入りの許可を取ってくれるというものだった。それを支えにボクは日本での生活に耐え続け、再びこの地に帰ってきた。そうかと思うと感動一際である!

 辺りが暗くなった頃、シソポンからバッタムバンへ向かう「混成列車BS32番」が現れた。5枚ほど連写してからファインダーから目を外すと、お待ちかねのワン・パン運転士が運転台から身を乗り出しているのが見えた。彼はボクを見つけると警笛を鳴らして手を振ってくれた。ボクも手を振り返す。彼はボクのことを忘れてはいなかった。

 こんな訳で、ボクはディーゼル機関車運転台での取材許可をゲットしたのだった。ボクが運転台に登ると、真っ黒い顔のワン・パン運転士は親指を上げて「行くぞ!」と合図をした。

 運転台から見ると分岐機の向こうで緑の旗を持つ鉄道員が立っている。混成列車PB12番は警笛を鳴らして、出発を告げた。列車からたくさんの売り子さんが離れていく。ワン・パン運転士が列車の右側面を確認して、ボクが左側面を確認する。「ノッ・プロム!(=障害無し)」と答えて混成列車PB12番はゆっくりと前進を開始した。機関車後方でガンガンガンと車両間の連結器が連鎖的に音を立てているのが聞こえる。それはカンボジア鉄道も日本のJR同様に車両間に緩衝器を備えていないからだ。しかしその音と衝撃は機関車が非牽引車両に気合いを入れる儀式のように思えるので、ボクは決して嫌いではない。そしてボクの旅の始まりをドラマティックに演出しているかのように感じさせてもくれる。

 ノッチを進めるワン・パン運転士はカーブの手前ではかならず警笛を鳴らす。それは線路の両側には、たいてい列車とほとんど同じ高さの雑草の茂みがあるため、カーブの先の見通しがきかないからである。そして道路が進路を横切る時もかならず警笛を鳴らす。

 この辺りまでは客車に乗っていた頃から予想は付いていたのだが、運転台に乗車して初めて分かったこともある。それはカンボジア鉄道の線路を無断使用しているトロッコ車を発見した場合、進路上から退くまでしつこく警笛を鳴らし始めるということだ。進行速度はやはりトロッコ車より混成列車PB12番の方が多少は速い。トロッコ車は混成列車PB12番に道を譲るために、一度線路の上から退かなければならない。しかし面倒くさいのか混成列車PB12番と競争をしているつもりなのだが、なかなか進路を譲ってくれない。おかげで混成列車PB12番は加速できずにノッチオフ、つまり惰性で走り続けることになる。これがカンボジア鉄道の遅延の原因の一つにもなっているので何とかして欲しいところだが、やはり何事も穏やかなカンボジアでは社会問題になる兆しはない。

 やがて混成列車PB12番は鉄橋に迫る。橋の上でも補強レールはない。代わりに線路脇の林から折ってきたと思われる木の枝が申し訳ない程度に補強のために打ち付けてある。
「ぷぉ〜!ぽぉ〜!ぷぉ〜!ぽぉ〜!」
 ワン・パン運転士が警笛を鳴らすと、鉄橋を歩いていた人々が橋脚についている待避場所に移動して列車の通過を待つ。待避場所とはいえ車両すれすれなので、見ているボクとしてはハラハラしていまうのだが、ワン・パン運転士も待避している人たちもいつものことらしく冷静である。しかし! である。もし貴方が橋の上にいる場合、待避場所が列車の進行方向に対して右側にあるなら走って橋を渡り切るか、それが無理なら川へ飛び込んだ方が良いかも知れない。何故なら緑色の客車のそちら側にはトイレがあるからである。これは断言しておきたいのが、カンボジア鉄道の車両から飛び散る水分の9割は糞尿である。カンボジア鉄道の客車のトイレは水洗式ではない……。

 


▲鉄道橋の待避場所に身を寄せる漁師

 

   いろいろと問題の多いカンボジア鉄道だが、未舗装の道路と交差する時はほれぼれとするほどにかっこいい。まず、機関車が踏切に進入する。そしてその直後に運転台から頭を出して後ろを振り向くと、乾燥した泥粒が巻き上げられて、まるで蒸気機関車の煙のように牽引されている車両にまとわりつくのだ。そちらの車両の方に乗車していれば勘弁して欲しいところだろうが、機関車から見ていると実に美しい。しかしこの事情を考慮すると日本ではお馴染みである、踏切からの列車を撮影するというテクニックはカンボジアでは通用しない。

 混成列車PB12番は徐々にトゥートゥン・トゥガーイ停車場に接近して行った。ワン・パン運転士は右手でブレーキをかける。ブレーキをかけると、レバーから圧縮空気が激しく噴出する。ブレーキは少しずつ列車のスピードを抑制し、いつの間にか滑らかに停車させていた。すると列車に乗車する人や売り子さんたちが列車にわっと群がってくる。停車時間が秒単位なのだから仕方がないのだが、その様子はまるで映画「アラビアのロレンス」の中に出てくる列車強盗のシーンのようだ。

 トゥートゥン・トゥガーイ停車場での純粋な停車時間は約30秒とJR山手線なみに短い。プノム・ペン行きとバッタムバン行きの列車が1日1本ずつしか停車しないのだから、もうちょっと停車していても良いような気もする。

 停車時間は終わり、ワン・パン運転士は警笛を鳴らしながら、身を乗り出して後方確認をしている。ボクも後方に気を配る。しかしなかなか列車からカンボジアの人々は離れてくれない。しかたなくブレーキを解除して、警笛を鳴らしながら微速前進を開始した。すると人の波がゆっくりと退き始めた。その様子は次のコムレーン停車場でもまったく同じだった。さすがカンボジアとでも表現しようか。これは隣国のタイでは決して見られない風景である。

 話は変わるが、カンボジア鉄道の機関車には風変わりな標準装備というものが存在していることをご存知だろうか。多分ご存知ないと思う。何故ならボクが知ったのもつい最近だからだ。で、その装備とは3つある。(1)一房のバナナAプラスティックポットのジャスミン茶(2)2つのココナッツこのうちの@一房のバナナ、(3)プラスティックポットのジャスミン茶は何となく分かる。カンボジア鉄道での運転士の業務は通常14時間の長丁場だ。場合によっては20時間に及ぶこともザラである。であるからして、運転士のための食べ物と飲料水の確保は乗客の安全を守るためにも必然だ。おかげでカンボジア鉄道は運転中の食事行為を許可している(日本のJRでは御法度だ)。@とAは人間の生理的欲求に適うものだ。しかしB2つのココナッツとは一体何の役に立つのだろうか?

 これは実は最悪の場合に備えた飲料水の確保を考慮してなのである。ココナッツの中にはご存知のようにココナッツジュースが満ちている。そして厚いクッションに覆われているココナッツならば対衝撃性に優れているので、機関車がつぶれるほどの事故に会ったとしても割れて水分を失うことはないだろう。オマケに生きているので腐敗する心配もない。これなら非常用飲料水としては申し分ないはずだ。この非常用ココナッツは機関車横のバッテリーボックス付近の空箱に収められていることが多い。もし貴方がカンボジア鉄道利用時に、万が一の事態に遭遇した場合はきっと役立つことだろう。

 ワン・パン運転士は時々運転台から半身を乗り出して前方と後方に気を使いながら混成列車PB12番を進める。機関車の足下を見ればカンボジアでは珍しく砂利がレール周辺にまき散らされている。しかしこの砂利は列車通過時の騒音を減少させて隣接する民家の負担を軽減させたり、衝撃と重量を減少してレールの変形を防ぐ効果のある「バラスト」ではない。これは山岳路線でのみ見られる光景で、雨期に発生する土砂を大量に含む濁流からレールを守るために例外的に採られている対処方法だ。それを承知しているのでワン・パン運転士はノッチとブレーキを使い分けて極めて低速で列車を進めている。


▲食事中もノッチは握ったまま

 小川の鉄橋や見通しの悪いカーブを幾つも越え、混成列車PB12番はバムナック駅に近づいた。列車の前方の分岐点では、待避路線入り口の所に緑の旗を持つ鉄道員が立っている。これは分岐点での分岐機の動きを示しているのだ。 カンボジア鉄道では分岐機の切り替えはすべて手動で、運行管理本部による集中管理は行われてはいない。分岐機を管理・運営している最寄りの駅や停車場である。しかし機関車の運転台には分岐機の管理者からの指示を受けるための鉄道無線が備え付けられていない。そのために運転士は分岐直前に旗信号を視認するまで、分岐機の状況が分からない。また全線単線であるために、列車同士の正面衝突を防ぐためにも「閉塞タブレット」などを使用するはずなのだが、これもカンボジア鉄道には存在しない。おかげで駅などで勢いよくタブレットを受け取ったり、抜き取ったりする光景を見て楽しむこともできない。これらは希薄な列車密度だからこそ実行できる、カンボジア鉄道ならではの特殊な運営方法である。

●バムナック〜ローメア間

 バムナック駅に停車するとワン・パン運転士はジャスミン茶に口を付けた。バムナック駅までだけで彼は7時間以上1人で運転している。しかもこれからまだ6時間も運転し続けなければならない。カンボジア鉄道の運転業務は体力勝負だ。

 ローメア駅は今までの通り過ぎてきた駅や停車場とは比べ物にならないほど大きな敷地を要している。この駅は蒸気機関車の時代はダムレイ山脈越えの最前線基地であり、現在に至ってもカンボジア鉄道北線全線(シソポン〜プノム・ペン)をカバーする保守基地としてカンボジア鉄道を支えている。ただし他国の保守基地では一般的な、バラストを突いて道床を安定させるマルタイや、レールの表面を削正するスペノなどの事業用車両の姿はない。

 混成列車PB12番はまた微速前進で駅に集まった人々を引き離しながら、カドル停車場へ向けて発車した。列車がスピードに乗ったところでワン・パン運転士はオヤツのバナナに手を出す。ボクにも食べろと房ごとバナナを渡してくれた。

 線路の勾配はいよいよきつくなり、列車は速度を上げずにゆっくりとした前進を続ける。線路の回りを見るとV字型の切り通しになっていたり、森の中だったり、無人の草原だったりと車窓は絶え間なく変化していく。しかし前方と西に見えるダムレイ山脈の山々だけはその姿を消すどころか近づいてくる。正直、フランスはよくもこんなに人気のないところに鉄道路線を建設した物だと感心してしまう。2001年現在でこれほどに人口密度が低いのだから測量や建設を行った1920〜30年代にはほとんど無人の広野だったのではないかと思われる。

 タイでも第二次世界大戦中に旧日本軍が泰緬連接鉄道を建設した頃、カンチャナブリー周辺はほとんど無人で手つかずのジャングルだったそうだが、戦後は鉄道が残されたために開発が進んだ。今ではタイ屈指の観光地となり、マレー半島一の豪華観光列車「イースタン・オリエンタル・エクスプレス」が停車するほどの人気を誇る。

 一方、カンボジアの草原や林は建設当時と何も変わってはいない。ただ線路の周辺に列車乗客が投げ捨てた大量のプラスティックやビニールのゴミが目に付くようになっただけだ。

 列車はガドル停車場を通過して、そのままクランスキィア停車場に近づいた。そこでふと外を見てみると機関車の影の上に黒い何かが伸びている。不思議に思って機関車をよじ登って屋根の上を見てみると3人の乗客が立っていた。なんということだろう。機関車の屋根の上というのは、ディーゼルエンジンの真上であり排気ダクトの出口なのだ。

 ディーゼル排気ガスにまみれる不健康なところにどうして……と思って牽引される車両を見るとそちらにも乗客がいっぱいだ。どうやら屋根の上の3人には本当に機関車の屋根にした居場所がなかったのだ。しかしいくら何でも排気ダクト真上に座ったまま、終着駅のプノム・ペンまで旅行するのは無理だろう。どうするのだろう、と思っていると3人はクランスキィア停車場で下車して、映画「フィールド・オブ・ドリームス」に登場する野球選手の様に草むらの中へとすぅ〜っと消えて行った。どうやら一区間だけの乗車だったようだ。

 混成列車PB12番はローメア駅に向けて再び走り出す。前方には青い空と白い雲と一面が緑の水田、そしてまっすぐの線路が一本だけが伸びていた。日はどんどん落ちていき、山脈の向こう側に落ちてしまいそうだ。やがてカンボジア語で書かれた青い標識が現れ、列車がサミットを征服したことを知った。しかしこの後はすべて下りというわけではなく、やはりアップダウンを繰り返しながら少しずつ平地へ降りて行くのだ。


▲貨物車の乗車スペースの風景

 

●ローメア〜PK9間

 数々の丘を征服した後で、混成列車PB12番はようやくローメア駅に到着した。

 機関車から降りたワン・パン運転士とボクは草むらに行って小用を足す。こればかりは男であることを神に感謝したい気分である。そして夕食の仕入れに出た。焼き鳥と蛙焼き、それから元気を付けるために東南アジア版栄養ドリンク「グラティン・デーン」買い込む。「日本で蛙を食べるのは一般的ではない」「じゃあ、お前はどうなんだ」「ボクは一般的な日本人ではない」そんなことを話しながら食事をしていると、車掌さんと駅員さんが発車の時間だと教えてくれた。車掌さんは承知しているのだが、何も知らない駅員さんはボクが当然のように運転台に登っていくのを見て「不条理な物」を見たかのようにぎょっとしている。そこでボクはちょっとイタズラをする気分で、焼き鳥を口にくわえたまま駅員さんの声をかけた。「ポー、モアン・チャー・チュガンナハッ! ニャン・ルー・テー?(=おじさん、焼き鳥おいしいよ、食べる?)」すると駅員さんはもっと驚いた。

 ワン・パン運転士が笑いながら列車を発車させた。ボクは駅員さんに手を振る。さようなら、ローメア駅。きっとあの駅員さんの夕食の話題はボクのことだね。そう思って一人でほくそ笑む。ワン・パン運転士が楽しそうにこっちを見ていた。

 日は落ち、辺りはすでに暗い。東の空には星が見えつつある。ここから先の車窓を楽しめるのは運転台ならではの贅沢だ。今までボクは客車を利用してこの路線を往復していたが、暗くなってしまうと寝るか、近くの乗客と煙草の交換をしながら「プノム・ペンはまだか〜!」を繰り返す以外にすることがなくなってしまうのがかなり辛かった。しかし運転台の車窓からは暗めのライトに照らされた丸い世界が見える。その世界は列車が終着駅に着くまで、時速10〜20キロの速度で変わり続けるのだ。この新鮮なドラマを喜ばずにいられる人間がいるというなら、その人はきっと近眼なのだと思う。

 ここから先はずっと停車場の連続だ。そして首都であるプノム・ペン特別区の手前までは真っ暗な闇夜の連続でもある。しかし突然、はるか遠くに小さな光が現れることがある。それは大抵長い間、真夏に見える逃げ水(蜃気楼の一種)のように一定の距離を保ち続けるのだが、機関車が警笛を鳴らすと姿を消す。それからしばらくすると線路の横に、1枚の板とエンジンと2つの動輪軸に分解されたトロッコ車両と数人の乗客に出会う。しかし時々消えない光がある。それはどんどん機関車に迫ってくる。やがてそれが停車場の分岐点の存在を列車に伝える、鉄道員が手にしたカンテラなことが分かる。こんな夜のドラマを初体験しながら、ボクを乗せた混成列車PB12番はバーラン、クラン・ラヴィア、メアノック、タベーン・クポッ、ダムナ・スマッチという停車場を後にして、さらに走り続けるのだ。

 しかし何一つ問題が起こらなかったわけでもない。ドゥラーッ・ドン停車場を過ぎてすぐだったと思うが、ライトに照らされた丸い世界の中に一頭の野犬が突然現れたのだ。今からではブレーキは間に合わない。「あ〜!」とワン・パン運転士とボクは悲鳴を上げた。だが列車が進んでも犬の悲鳴は聞こえなかった。うまく逃げてくれたようだ。それから先、列車はいくぶん速度を落として走行を続けた。そして次の停車場のバッダンで機関車を降りて確認する。廃障機には血も肉片もこびりついていない。ああよかったと安心した。

 漆黒の闇というのもカンボジアならではなのかも知れない。本当に機関車の外には明かりという物がないのだ。ワン・パン運転士とボクの周辺で明かるいものは、機関車の前照灯とノッチをニュートラル(オフ)に入れたときに点灯する緑のランプだけだ。ただし夜目が効かなくなるので、撮影時の標準装備の一つであるガムテープで覆ってしまった。

 だが機関車の中を漆黒の闇が支配するようになると問題がないわけではない。この路線の回りにも内戦の被害者の遺骨が人知れず埋まっているはずなので、不謹慎ながらお化けが出ても不思議はないのではないだろかと思う。そんなことを考えているとボクの背後からぬ〜っと手が伸びてきた。ひゃっ! と、驚いて肩を引っ込めると後部運転台にいた機関士さんが、車内通路を通ってやって来たのだった。「お腹が減った」と言うのでバナナを渡す。するとそのまま後部運転台に戻っていく。どうも寝ぼけているようだ。アンタ、プルサトでボクと席を交代してから今まで寝てただろう? 後部運転台に吊してあったハンモックで……。

 やがて左手のはるか彼方に動く星が見えた。時計を見ると20:00。どうやらそれはポーチェントン空港に着陸する飛行機のようだ。きっとカンボジア鉄道を初めて利用する人なら、もうプノム・ペンも目前だと思ってしまうだろう。しかしそれは甘い。終着駅はまだまだ先なのだ。ボクも以前そんな誤解をして、大変落胆したのを覚えている。

 しかしながらその後は、線路の周辺にも人間が生活している証明が所々に現れる。左に大きくカーブしながらプノム・ペンへ近づく列車の運転台から見える光がどんどん増えていくのだ。それはたき火だったり、真っ暗な森の横にある一軒家だったり、食堂のTVだったりとイロイロだ。

 驚いたのはトロゥーペアン・タナオ停車場の付近でぐるぐるとUFOのような動きをする光が現れた時だった。何だろうと思って接近を待つと、その正体は停車場で乗客を待つバイクのヘッドライトだった。しかしそれで本当に人間の住むエリアに近づいたことが実感できた。プルサト以来、ボクは自転車しか見ていなかったのでちょっと感動してしまった。

 トゥール・リアップ停車場に到着した時に、「ワン・パン運転士が残り4つ……」とつぶやいた。彼も疲れている。丸い事務用の椅子の位置をずらして、気合いを入れ直している。

 実はカンボジア鉄道の機関車に備え付けの椅子はない。日本のJRの近距離列車同様に直立姿勢で運転する設計になっているのだ。しかし保線作業の滞りから、ガタガタになったレールのおかげでスピードが出せなくなったカンボジア鉄道ではバッタムバン〜プノム・ペンの実際の距離は274キロと短くても、時間的には新幹線の東京〜博多間に匹敵する長いものになっている。この劣悪な労働環境をより快適なものにするために採られた対策は、何でもいいから椅子を積め! である。おかげでいつの頃からか、カンボジアの機関車にはバーの止まり木のような椅子が載せられるようになったという。これは実話である。PK9(クロアー・ロード)〜プノム・ペン間 早朝から走り続ける混成列車PB12番はやがてPK9駅に到着した。ここはカンボジアでは珍しく、駅舎が生きている光と人が集まった駅だ。それもそのはず、PK9駅とはプノム・ペン中央駅から伸びる北線(シソポン〜プノム・ペン)と南線(プノム・ペン〜シハヌークヴィル)の分岐点なのだ。交通の要所であるのだから、それなりの貫禄を示さなくてはならないというところだ。  本当に、本当に、列車の旅に飽きた頃になって、混成列車PB12番はポーチェントン駅を出発した。この辺りから車窓には幹線道路を照らす街頭の明かりや、オドロオドロしいライトでデコレーションされた怪しげなビルが目に付き始める。おかげさまでプノム・ペン特別区の外縁に到着したようだ。気が付くと線路の回りにはバラックが建ち並び、前方が目が眩みそうなほどに明るいと思ったら久しぶりの踏切である。

●PK9〜プノム・ペン間

 懐かしの・・・カンボジア鉄道車両工場やバイヨンセメント社の倉庫、そしてスクラップとなったSL231型506番が見えた。そう、とうとう混成列車PB12番はプノム・ペン中央駅の構内に入ったのだ。列車はやがて駅舎前の櫛形プラットホームの一番端に停車した。時間は21:00。バッタムバンを出発して約13時間で274キロを走り抜けたのだ。ボクはワン・パン運転士と堅く握手をして礼を述べた。そして機関車を降り、夢のような9時間が終わったのだった。 宿に向かうために歩き出したのだが、やっぱり後ろ髪をひかれて振り向いてしまった。そこには混成列車PB12番を牽引したフランス、アルストーム社製BB1050型ディーゼル機関車2号機の雄志があった。 少し疲れた趣を見せているのは、車内灯のつけられた運転台に人影が見えないからだろうか? それともボク自身がもう二度と乗ることがないからだろうか? そしてこの機関車は明日は何処に行くのだろう? ボクを乗せずに……。

 ボクは一人で感傷にどっぷりと浸かりながら、カンボジア煙草の「アラン・ドロン」を口にくわえた。すると「お前は何処に行くんだ?」と声をかけられた。振り向くとバイク・タクシーのお兄ちゃんだった。ああ、そう言えばボクもさっさと宿に行かないと危ないなあ、ということを思い出した。ここはタイのバンコクでもカンボジアの田舎街でもなく、極悪非道な事件が多発するプノム・ペンだったのである。ボクは煙草に火を着けてからこう答えた。「ジョン・タウ・ハロー・ゲスト・ハウ!(=ハロー・ゲスト・ハウスに行っておくれ)」そして彼のバイクの後ろに乗った。ボクの感動的なシーンをぶち壊してくれた男は、さらにこう言った。
「スヴァイパー! ボンボン!」「阿呆!」
ボクは完全に夢の世界から現実へと引き戻されてしまった。苦笑いをしながら、彼のバイクを無理矢理に宿へ向かわせた。なお、最後のカンボジア語にだけは注釈を付ける気になれない……。

※2001年の乗車記録です。








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