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どないしたん?

2008年7月10日 (木)
 

なんだか中間管理職的仕事が多くなってきた昨今。
会議出席のためアフリカはセネガルへ。
我がアフリカ初踏地となったのでした。

会議の開催された首都ダカールは、海沿いの穏やかな町でした。
まぁ、裏路地には、やはり昼まっからロイロイと暇そうになさっている若人達が少なからずおりましたが。
当地はムスリムのお国ということですが、モスクも四角い塔だし、女性もそれ程肌の露出制限がかかっているとも思えず、HYDのようなディープなムスリム色はなかったような。路上でお商売されている方も、外国人と見るや

「ようよう、どうだい?これ?買わない?」

とやって来ますが、

「いらない」

とハッキリ言うと、それ以上は押し売らない穏やかさ、、、、
というか、すっかり物事のスタンダードが印度になってる自分に呆れたりして(笑)。と、交差点に留められた警察車両になんだか見覚えが?!ちゅーか、なんだかどころの騒ぎではなく、これって印度道路事情をメチャクチャにしている根源、且つ印度の誇り?バジャジ社のオートリキシャーじゃぁあーりませんか!うーん、遠くアフリカの地で頑張ってる姿を見ると、愛おしさすら感じますなぁ(と、このあたりが我ながら顕著な印度化)。それにしても、どういう経緯で遥々とダカールの地まで?
そーよねー、、、一台だけでみると可愛いけど、HYDに帰って来て群成す傍若無人なオートどもを目の当たりにすると、やはり「ぶん殴って」やりたい衝動を禁じえない、まだ微かに倭人なワタシなのです。

有意義な会議でしたが、それにしても行き帰りに利用したエールフランスのインフライトサービスの横柄さには頭にきました。もう二度とエールフランスを利用するコトはないでしょう。

2008年6月18日 (水)
 

朝晩、雲が現われるようになった我らがパタンチェルです。
来月からは、雨季作用の黍植え付けを始める予定です。

さて!!日本でヒヨコマメを育ててくださっていた方より

続報!!

なななーんと、ヒヨコマメ結莢!!!
素晴らしい!!!
手をかけてあげるとチャンと祖国でも育つんだ♪
新しい挑戦とその成功に乾杯です。

2008年3月24日 (月)
 

以前、我が職場を訪ねてくださった方から、とても嬉しいお知らせです。
なんと祖国で、ヒヨコマメ栽培にチャレンジしてくださったのです。
そして、

ポット栽培成功!!

湿度の高い祖国では、ヒヨコマメ栽培は難しいのです。
以前、ワタシが夏に行った栽培試験では、、、、、、な結果でしたが、冬の室内(?)栽培という発想で、可愛いヒヨコマメの花を咲かせてくださいました。

ありがとうございます。祖国でも頑張れ、雛豆っ!

2008年3月18日 (火)
 

HYDはすっかり乾期の3月です。祖国はそろそろ花見なのかなぁ。

今月は親友モヒットさんと園子さんの結婚式に出席してきました。
デリーで行われた式は、ご両人、ご両家の皆様の人柄が伝わってくるとても素敵なものでした。おめでとう♪

その後、ワタシは祖国から参加の愛しの人とデリー観光。よくよく考えてみると二人ともデリーはユックリ観光していなかったのですね。歴史を誇る大印度国首都デリー、何だかんだ言っても見所満載です。駆け足でしたがとても楽しい毎日だったなぁ。今回、旅の脚としてデリーメトロを大いに利用したのですが、これはかンなり便利でした。渋滞知らずで明瞭会計。インドらしくないと言えばそうかもしれませんが(笑)。とはいえ、停車位置が微妙にあっちゃこっちゃだったり、ドアが開くと同時に席獲りお兄さんが駆け込んできたり、と市民の足として自然なものとなるにはもう少し掛かりそうですね。

2010年に開催予定のアジアカップに向けて、主要地点は全てメトロで結ばれるのだそうです。国際-国内空港に乗り入れるようになったら、すごく便利でしょうね。期待しております。

2008年2月7日 (木)
 

気がつけば2008年も、一ヶ月が過ぎ去ってしまっているのですね?!
いやぁー、早いものです。
ってことで、HYDよりネギなのです。
年末年始は、素敵に楽しく祖国で過ごすことができました。
みなさまは如何でしたか?

去年あたりから、仕事の方が忙しくなってきたのですが、週末は元気に岩に貼りついています。今月は、会議にヒヨコマメの収穫、、、、来月は年度末の報告書達作成、、、、

アッという間に4月になるんやろなぁ(笑)。

2007年11月9日 (金)
 

本日はデワリです♪
お祭りムードの印度国なのですが、、、
ワタシは、例によって乾季作の実験に楽しく大童です。

週末のクライミングも、少しは楽しめる領域に入ってきたし、日々忙しいコトを除くとエエ感じなのです。そういえば、我がクライミング師匠が、この間生誕記念日を迎えられました。力強いクライミングを見ているので、実年齢が信じられない若々しさです。ともかく、

「いやいやぁー♪」

とテレ気味の師匠を、HYD在住の正司さんご夫妻とともにお祝いしたのです。最近リニューアルオープンしたHYD長期滞在外国人には欠かせない外国食材のお店「Q-Mart」に入っている焼きたてパンとケーキのお店から、恭子さんが美味しそうなバースデーケーキを見つけてきてくれたのです。バースデーソングが響きわたり、ロウソクの灯を吹き消し、晴れて(?)四十?歳となられた師匠。誕生日会って、誰のものでもやっぱ嬉しいものですね。ワタシもなんだかホノボノとした気持ちで「師匠これからもよろしくっ!」と切り分けられたケーキをパクつこうとすると、そこには

「NO」

の文字が、、、。
いや、師匠の名前(Nomura)の最初の部分なんですけどね、、、、(笑)。

2007年9月7日 (金)
 

HYDのみなさま、

ただいまー

と、印度国に帰国(?)いたしました。

「ネギさんって、印度に帰国。日本は”来日”って感じですよね」

って言われる昨今ですが、、、、、

この自画像を見ると、それもそうかも、、、、

ニッポン人ですっ!

2007年8月28日 (火)
 

HYDでは、爆弾事件があったそうですね、、、、
幸いワタシは祖国にいて無事でした、またHYD邦人には犠牲者がなかったそうですが、多くの印度の人々が亡くなったとか、、、、

どうして、こんなことするんだろ、、、、

とても悲しいですよね。

残念です、、、、、。

2007年7月3日 (火)
 

雨季の訪れを感じるHYDです。
さて、HYDと言えば奇岩・巨岩のメッカなのですが、町の名物ともいえるこの眺めにスッカリ慣れきっていたワタシなのです。この岩に登れたら、楽しいだろうなぁーとは考えていたのですが、ハウツーを指導してくれる人もなく、虚しく時を過ごしていた訳なのです。
ところが、先月ひょんなことから、クライミングの達人(というとご本人は「いやいや」とおっしゃるのですが)、我が師匠、

野村さん(通称「トニー」)

との出会いが。嗚呼、、、、神様ありがとう♪

ということで、週末はインドアでのスポーツクライミング、アウトドアでのボルダリングを指導して頂いているワタシなのです。やはりやってみると、とても楽しい♪鉢巻は締めたものの、夢中で楽しんだ初日は、保護を忘れた我が頭頂部が真っ黒焦げに、、、。ボルダリングサイトは湖畔にあるのですが、湖面の照り返しを、わ、忘れていた、、、、。
ともかく、不惑のネギ、激しい筋肉痛に苛まれながらも、楽しく登っております。

2007年6月15日 (金)
 

祖国は、梅雨真っ盛りなのですよね?HYDも、時々雨模様の日が出てきました。部屋の中が少し湿っぽいですね。

計算したり、書き書きしたりという本来業務のほかに、あっち行ったりこっち行ったりすることが増えてきて、色々と忙しい日々を過ごしております。この前は、シリアにある研究所に行ってきました。コムギ、大麦に加えてヒヨコマメの研究もしているのです。ヒヨコマメ担当の研究員は、やはり印度の方で、品種改良の方針や、普及について有意義な話ができました。それにしても、シリアの大部分を占める砂漠地域。砂漠を生で見るのは初めてでしたが、

う〜ん、、、、ココで育つように品種改良、、、

と考え込まざるを得ない状況のように感じました。まずは、灌漑施設を造って水を引き込むコトが第一かなと。一面肌色の乾いた砂に強烈な日差しですもん。遠い昔、船とか飛行機が発明される前は、砂漠に点在するオアシスが東西大陸貿易の中継地として栄えたようで、今もその遺跡が砂漠の上に建っています。物理的にも文明的にも交易路の変更って、諸行無常なんだわ、っと熱中症気味の頭で考えていたワタシなのでした。

2007年5月8日 (火)
 

こがね色週間は如何でしたか?
さて、ここHYDは灼熱です。焦げそうです、、、、。
毎年の事とは言いながら、この時期はキツいですねぇー。

と、そんな時期にもかかわらず、HYDよりもはるかに灼熱の地デリーに出張して参りました。発展著しいデリーで、地下鉄に乗ってみました。中央官庁街駅への地上部入り口には、デリーお馴染みの武装警官の方々が警護の任についてました。でも、熱いですもんね。庇の下に座り込んでの警備です(が、チャンとAK-47アサルトライフルは握ってるもんねぇ)。
地下鉄駅は、涼しく、明るく、綺麗でしたよ。天井に下がっているサインボードも明るく見やすいです。

「空港よりイイ感じだよねぇ」

とか、話しながらチケット売り場へ。窓口のおねいさんに「コンノートプレースまで」というと、テキパキとプラスチック製の回収式チケットを渡してくれます。うーん、スムーズ♪とイザ自動改札へ向かうその前に、立ちはだかる空港並みのセキュリティチェック(金属センサーゲートをくぐり、手荷物検査)。

「く、空港みたいだねぇ」

警察官、警備員さんが多いがチと気にはなりますが、プラットホームも綺麗だったし、車両も(座席が硬いコトを除けば)美しく、綺麗で、快適でした。2駅乗って8Rsなり。渋滞知らずの地下鉄。この快適さなら、是非デリー市中心部と空港を結ぶ路線を開通して欲しいもんですね♪
このメトロ(地下鉄)、なんとハイデラバードにも開通予定です。新聞によりますと、今年10月頃に起工して、2009年に第一路線(アミールペット−ミヤプール間)開通の予定なのだそうですよ。順次、新HYD国際空港(2008年開港”予定”)への連絡路線も開通するそうです♪

ホントだといいなぁー。

2007年4月9日 (月)
 

バンコクのお寺で見かけたスイレンの花です。

美しいですね。

2007年4月9日 (月)
 

所用旅行中に1日、タイ国はバンコクに滞在しました。

「ミャンマー越えると、なんか急激に異国になる気がする」

って、以前会ったアジア横断チャリンコ旅行中の人が言ってたけど、そうかもなぁ。バンコクは、なんか懐かしいさを感じる大都会でした。人当たりもソフトな感じがしました。町行く人々に気楽に笑顔で聞ける雰囲気。

いやぁー、リラックスできるなぁ♪

路地裏で食べたスープ麺。香菜がたっぷり♪入ってて優しい。お店のおじさん、おばさんも優しい。露天のお兄さん、おねいさんもグイグイと来ない。

いやぁー、リラックスできるなぁ♪

王宮寺院でお祈りをして、対岸のワット・アルンにも手をあわせて、のんびりとチャオプラヤー川を水上タクシーで下りました。はしけで知り合ったフランス人おばさんのタイ国滞在記が船中ではじけまくり(笑)。川面の風を浴びながら「居心地いいわよ」と話してくれました。そんな気がする町やなぁ、、、ただ、屋台で見た

食用タガメ!?

はNGですけど。

2007年1月18日 (木)
 

フト気がつくと、今月も後半戦ですね。大変遅くなりましたが、あ、あ、明けましておめでとうございます(笑)。ハイデラバード市内は、また違うらしいけど、我がパタンチェル村では太陽暦の年末年始って、毎年ながらやっぱり

One of the 365days

って感じです。「ま、なんか祭りらしいぜ」みたいな、ノンビリした感じです。が、畑ではヒヨコマメが今日も盛りを迎えております。来月の収穫前に畑での測定にもうひとふんばりなのデス。

そうそ。去年から引っ張ってる世界遺産の旅の記録は、また後ほど日付を遡ってUPしますね。注意深くお待ち下さい(笑)。

7年目を迎えるインド生活(笑)。今年もよろしくお願いいたします。

2006年12月11日 (月)
 

デリー出張から戻ってきました。本当に開発著しいデリーを肌で感じました。
仕事は予定していた通りの事が、ほぼできたかな(笑)?忙しかったけど充実の出張でした。

ところで、アラブなお国でアジアカップ(?)やってるんですね。デリーのホテルで晩御飯食べながら観てると、

か、カバティー!!on TV

わおぅ!参加チーム数やその戦績については分かりませんが、印度の独壇場なんじゃ?とか思いつつTV観戦したのは印パ戦。16-12で印度が勝ってますが、何をどうすれば、どういう風に得点となるかは、全く不明なり。熱く真面目にジャッジする審判員(国際A級とかなんだろか?)。そして、しかし、めちゃめちゃ加熱する実況!(それもそのはず印パ戦)に、ついつい最後まで観ちゃいました感化されやすいワタシなのです(笑)。結果は印度の勝利。一時的感化印度人のワタシもビールで乾杯したコトでした。

デリーを離れる前に、モヒットさんの実家に寄って、お父さんお母さんにモヒットさんからの贈り物を届けてきました(お父さんは66歳の誕生日)。最近お母さんの具合が少しよくないのが気がかりですが、、、いつ行っても春風のように素敵なお二人です。お母さんには、このところモヒットさんがデリーに戻ってこないコトとか、ワタシが実家の両親に長く会っていないコトを真面目に叱られてしまいました(何故モヒットさんのぶんまで?)。独り言というか他人事のように叱るので、なんだか素直にゴメンなさいって気持ちになるワタシでした(笑)。「飛行機に遅れるよぉ!」って催促にもかかわらず、結局ギリギリまで、色々なお話を聞かせてもらったのでした。本当にありがとうです♪

2006年11月12日 (日)−11月13日(月)
 

日もとっぷりと暮れたアウランガバードの町に戻った我らですが、

「明日も1日あるよねぇ?」

ってコトでタクシーを捕まえて、ここから170kmも離れたローナーってトコにあると人のいう、、、、、

世界で三番目にでかいクレーター

に行くコトに。前日のアジャンタからの帰りに、旅の友となった倭人Gさんも一緒にタクシーに乗り込んだのでした。タクシーの運転手さんは、とても誠実な人、そして深夜の田舎道をガンガン飛ぶように愛車を走らせる素敵な人でした。延々走って着いたのは、かんなり感じの悪い宿でしたが(宿は良かったけど管理人が、、、)、それほどの観光地でも無く他に選択肢がある訳も無く、ま、そこはそれ、途中でチャッカリ購入した地ビールに舌鼓をうった後は、ともかく激烈に疲れた身体を意識不明に横たえたワタシ達なのでした。

翌日、日の出と共に起きてクレータへ。サスガにめちゃデカ!3万年前の隕石の衝突でできたクレーターと言うコトで斜面は木々に覆われ、クレータも湖になってました。そういうフシギな光景ってせいか湖の周りには12もお寺が建てられているそうです。途中で知り合った地元の青年に、ガイドをお願いしてクレータ湖の周りをノンビリ散歩。ハヌマンスのお寺には、隕石の巨大な欠片がハヌマンスの足型(確かにそんな形だった)ということで、ご本尊として納められてました。木陰で水浴びしてる水牛さんやヤギさんと戯れ、太古から時間が止まったような近くの町にあるヒンドゥー教のお寺にもお参りして、ローナーを後にしたのでした。帰り道も豪快に飛ばす運転手さん。途中、ムガール帝国と勇敢に戦ったマラータ族の雄シヴァジーの母君の要塞跡に寄って一服。その後は一路アウランガバード空港へ。楽しかった旅も終わりなのです。

って感慨浸るまもなく、遅れに遅れてるムンバイ発の飛行機。どうなる?!ムンバイでのハイデラバード行きへの乗り継ぎ?なんだかんだで、出発時刻にちょっと遅れて着いたムンバイでは、セキュリティー全省略!しかし、空港規則遵守の手強いセキュリティー達が我らの前に立ちはだかる!!と、ここで同行してくれたそれはそれは美しい印度国空港女性職員が、テキパキと「どきなさいよ。アンタ!」的迫力の捲くし立てるような状況説明を展開して、セキュリティー退散、難なくクリアー♪

「ムンバイで足止めかなぁ」

と翌日の重要なお仕事への影響を考えて、凹んでた我が相棒も、素敵な笑顔で

「さんきゅう♪」

味方になってくれると本当に頼もしいそれはそれは美しい印度国女性空港職員さんなのでした。

次はまたユックリと行きたいですね(笑)。でも、ホーントに楽しい旅でした。

2006年11月12日 (日)
 

さて翌12日は、エローラツアーです。アウランガバード郊外は軍の駐屯地みたいです。基地の間を縫う様にして、バスはまず郊外のダウラタバード要塞に向かいます。軍用道路なのか、世界遺産のご利益なのか、極めて快適な道路なのです。
さてこの要塞は、12世紀頃この地がデオギールと呼ばれていた頃から存在していたそうです。その後、デリーに都を持つトゥグルク王朝二代目の王様ムハンマド・ビン・トゥグルクが、1327年に突然に都をこの地に遷して、ダウラタバードと改名したのだそうで(色々不満が多くてまた数年でデリーに遷都したそうですが)、それに伴って要塞も強化されたのだそうです。ハイデラバードのゴルコンダ要塞もスゴイですが、これはさらにスゴい!スケールがちゃうっ!って感じの圧倒的迫力感です。築城以来難攻不落を誇ったそうですが、そうやろなぁ。広大な要塞の領域は、強固な防御壁で幾重にも囲まれてて、そのうえ山の斜面を削って絶壁にすると共に深い水堀も備えてます。要塞内は仕掛けだらけのトンネル通路が張り巡らされていて、攻め手が同士討ちするように設計されてたりなんかします。ガイドのおじさんの手馴れた説明に感心しきりのワタシ達なのでした。

時間の都合で、最頂点まで行けなかったのは残念ですが、要塞中階からの眺めは雄大なものです。また、外壁の所々には、当時の鮮やかなブルータイルがまだ残っていて往時はさぞや煌びやかに威厳をもってそびえたつ要塞やったんやろなぁ、、、、と暫し妄想に浸っておりました。

2006年11月12日 (日)
 

ダウラタバードも圧倒されたけど、、、

遂にやって来ました。エローラです!!30ほどの石窟群で、5世紀頃から仏教徒、ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒がそれぞれの石窟を造ったのだそうです。ココでの圧巻はヒンドゥー教寺院石窟No16!!こぉーれは、スゴイ!!

「筆舌に尽くしがたいっ!!」

ってゆーのはこういうコトなんやろなぁ。写真では、執念の迫力的美しさが伝わらないのが残念です。何しろ岩崖をコツコツコツコツ切り出し掘り出して、寺院を切り出したうえに、さらに寺院のいたるところに緻密な彫刻が施されているという。
これ全部が切り出し作業やモン。もし誰かがラストのトコでドジったら、また一面全部削ってやり直しやん?こんだけの寺院石窟完成させんのに一体何世代、どのくらいの人が、ココで生まれて、生活して、命を終えていったんやろ。静かでひんやりした空気の中で、石彫刻に手をあてながら、シミジミと1500年前の人々が情熱を傾けて完成させた一品を、1500年もずーぅっとココにあるその一品への想いを感じていたワタシ達です。と、ツアーで一緒になった異人さんが、

「金かかったやろなぁ(笑)」

と現実に連れ戻してくれるジョーク(?)を。
いやいや、いつまででも、そこに佇んでしまいそうでした。
ともかく大大満足のエローラでした♪

次の停車駅は、印度国に幾つかある由緒正しいシバ寺院の一つ。ということで、我が相棒モヒットさん大興奮。チャンと、寺院でお祈りする時に着用するマイ法衣まで持ってきてます。ココはツアープランでは、ちらっと立ち寄るだけだったみたいなんですど、そんなコトはお構いなしの我が相棒。ばっちり着替えては、専属のお坊さんと共に寺院の奥にある祈りの場で、本格的にヤル気マンマンのお祈り開始。タップリとお祈りして、大幅に時間超過したワタシ達なのです(ワタシも何故か一緒に)。でも、バスはチャンと待っててくれてるし、ツアー客の大勢を占める印度の方々は、

「おっ。チャンとお祈りできたかい?」

といたってノープロブレムな雰囲気よ。
素晴らしく素敵に大らかな雰囲気を感じつつ、人迷惑な我ら二人を乗せたバスは暗闇の中を爆走して、「なんちゃってタージマハール」「送水施設」へと。いやぁー、堪能しきりましたデス。

素晴らしき哉、ビバ!エローラの旅。

2006年11月11日 (土)
 

激動的に忙しかった今年の2nd halfですが、フト気が付くとはや残すところあと僅かなのですね。暮れる年はやはり暮れるものなのですねぇー、と今日もヒヨコマメサンプリングに追われ、明日からはデリーに出張のネギです。友達ともメールで話したことですが、仕事を追いかけて四苦八苦していたお年頃は過ぎ、仕事に追われて四苦八苦する年頃になったということなのでしょうか。

さて、そんな激動な最中にもかかわらず、先月は我が兄弟モヒットさんと世界遺産のアジャンタ・エローラ窟に行って来ました。我が印度の家族としてお問い合わせの多い我が父クリシュナモーティーに次いでのHP登場です(笑)。ホントは二人でヒマラヤに行く予定だったんですけどねー。降雪著しい今年のヒマラヤン。現地の山岳ガイドに

「キミタチは死にたいのかね?」

と言われ泣く泣く断念。予定は大幅変更ですが、11月11日発イザ世界遺産への旅へ!
ムンバイで遅れた飛行機と、荒れ道を飛ばしまくる市バスを乗り継いで、アジャンタ窟近くの村に着いたのは、やっぱり深夜(←無計画男二人の旅。笑)。マハラシュトラ州政府経営というゲストハウスを

「まだ、開いてるとイイねぇ♪」

と何故か楽天的に訪ねる我々なのでした。予想通りというか幸運にもカギかける直前のゲストハウスの人々は、陽気に我らを迎えてくれたのでした。モヒットさん自前のお弁当を温めて食べたいっ!という我らのために、「関係者以外立ち入り禁止」とかかれたキッチンを「ま、自由に使っとくれな」と自由解放♪悲鳴をあげていた胃袋を穏やかに鎮めることが叶った私達なのでした(ありがとうです)。

翌12日、ゲストハウスの人々の助言に従い、早朝宿を発ってアジャンタ窟へ。印度の観光地ではよく見られる、日本語堪能な印度の方々を掻い潜るようにしての現場入りなのでした。このアジャンタ窟、日本の資金援助で窟内の壁画を傷めないように照明設備などを整えた事もあってか、珍しく日本人と認知されたワタシにとても友好的なのでした。

壮観でした!!壮大な崖肌をくりぬいて作られた洞窟の中には、最も古いもので紀元前2世紀からそこにある仏教壁画が。それぞれの洞窟内部そして外部もまるで寺院のように、美しく彫刻された柱があり、ドームがあり、仏教彫刻があり、これが全て崖を切り出して作られたものとはとても信じられません。その一つ一つに触れては、目を閉じて、紀元前から続く息吹のようなモノを感じていた私達なのでした。半日契約で雇ったガイドさんの説明やら実演(窟の柱は叩くとその音が反響してえも言われない瞑想的雰囲気になる)を楽しみながら、悠久の石窟を心行くまで楽しんだ我が兄弟なのです。

その後、石窟の向かいにあるアジャンタ窟を見下ろす展望台へ登り、村人と一緒に7重の滝を見に行きました。彼いわく、雨季には滝つぼの水位が上昇するので我らが写真を撮った地面から、滝つぼに飛び込めるとか。

「また、雨季に来よう♪」

と沸き返る我が兄弟なのでした(←単純。笑)。

帰りのバスでは、ムンバイでたまたま知り合ったアメリカ人と、たまたま再会したり、何故か彼に日本の旅人を紹介されたり、満員で運転席横に席を得た我々と一緒になったのはこれまた日本の旅人だったり、本日(11月12日)の宿アウランガバードのゲストハウスでは、アジャンタ窟探訪中にお友達になった英国人一行と再会したり(お部屋で酒盛りでご機嫌の我が兄弟♪)、ととてもとても楽しい一日なのでした。

「明日はエローラね♪」

と楽しく過激に疲れた身体を休めるべく、早々にベッドに潜り込んだ私達なのでした(笑)。

2006年10月24日 (火)
 

お元気ですか?10月の印度は、全国的お祭り続きなのです。

先週末は、ラクシュミー女神さんの光の祭りデワリでした。裏通りの家々はロウソクで飾られ、表通りの商店は派手に電飾され、そして人々は爆竹と打ち上げ花火で陽気にお祝いなのです♪

そして、今日はムスリムの方々のラムザン(断食)明け。ここんトコ、現場でも日に日にやつれる一方だった皆様も、今日からご飯解禁なのです♪

そんなこんなの全国的お祭りムードで、今月はなんだかそわそわウキウキして仕事も手につかない(←オイ!)印度国の皆様でしたが、我がヒヨコマメ班は今日も休日返上で、種播き作業に全力投球なのでした(笑)。おつかれさま。夜は思う存分祝っとくれ♪

でもね、、、、明日は仕事だよっ!!

2006年10月6日 (金)
 

十月ですね。早いものです、、、って毎年同じコト言ってるワタシは進歩がない(笑)?

格差が拡大しているというコトでもありますが、確実に富裕層が増えているここ印度国。最近ローカルチャンネルでは、よく通販番組を目にします。やはり多いのは、ダイエット系。ヒンディー語吹き替えなので詳細は間違っているかもしれませんが(でも多分大勢は正解だと思う)、

「今までの腹筋マシーンは、ダメね。我社の腹筋マシーンは最新の人間工学に基づいた画期的なもの。ほら!テレビを観ながらでも、あなたもこんなに簡単に板チョコみたいな腹筋腹に!」

なんてなコトをうたっております。もっとも、ワタシが知ってるこちらのお友達ン家では「腹筋マシーン」見たコトないですけど(笑)。スリムにならなきゃねぇ、って言ってる人は多いですが。散歩とか、バトミントン、卓球、ヨガやなんかしたりってゆー方向に進む人々が我が友には多いですね。

ダイエット系についで多いTV通販は、妖しいアクセサリー系ですね(やっぱりそうくるか)。中高生くらいの頃、多少後ろめたい気分で、でも興味津々で覗いた場末の本屋の日陰棚に並んでいたイケナイ御本の裏表紙やなんかによく載ってるテのアクセサリーね。これまた、現地語なので何言ってるか詳細は不明ですが、清潔感あふれる福福しいおじさんがTV上に登場し、

「ワタシどもの苦心の結晶のこの首飾り。あの偉大なる○神と△神のパワーを込めちゃいました。学業で、結婚で、職場で、病気や悩み事も霧散しちゃいます。そう!あなたの人生に必ずや幸福をもたらします!」

てなコトを繰り返し語りかけたりしております。その合間に、

「ワタシもこれで試験に合格しました!」
「ワタシもこれで突然昇進しちゃった!」
「腰の痛みが軽くなりました!」

なんてな体験談(?)が挿入されたりして。いずこも同じなのだねぇ、、、などと思いつつも、そのお値段たるや

5000Rs?!(昼飯=10Rs)

別のコトに使った方が、確実に幸福をもたらすと思うんですけど。

2006年9月27日 (水)
 

フト気が付くと、もう9月も終わりですねー。早いものです。日本はなんだか秋の様子ですね。パタンチェル村では、先週まで雨神様最後の大サービス的大雨でしたが、ココへ来て太陽神大活躍の様相です(笑)。空気も乾いてきました。

雨続きだったからって訳でもないのですが、すっかりテレビっ子なワタシです。仕事後リフレッシュすべく、

スイッチオン!

と、聞こえてくるのは、英語あるいはヒンディー語(印度国共通語)はたまたテルグー語(AP州共通語)、、、、、うーん、、、あんまり素敵じゃない(笑)。

よく見るのは、やっぱり映画チャンネル♪HBO、スタームービーは、「うーん、、、先週もこれやってたねぇ」的難はあるものの、色々楽しい企画もあってイイ感じです。とは言っても、米国的英語、英国的英語はワタシが慣れ親しんでいる印度国的英語とは「やや異なる」感じで、、、、、?いや正確には「印度国英語」が米国的英国的ものと「やや異なる」と言うべきでしょうか(笑)、ともかく聞き取るのが結構面倒です。シリアスなストーリーモノとか

「、、、、、、?」

ちゅーまにエンディング?ってコトもしばしば(笑)。
同じコトはニュースにも言えて、BBCの英国的英語はギシギシ軋みながら脳ミソに到達するのですが、IBC、NDTB24x7の印度国的英語はなんとも心地よくスッキリ脳ミソに到達しちゃうじゃありませんか。ビバ♪印度国英語♪←なんか違う(笑)。テルグー語とかヒンディー語のローカルニュースやなんかは、話を勝手に想像しながら観れるが楽しいですね(というか他にどうしろと?)。テルグー語とかヒンディー語の印度国的映画では、この能力の有無が番組を楽しめるかどうかを決定すると言っても過言ではないでしょう。とは言っても、日本国時代劇的粗筋テンプレートがここにもあるので、実はそれほど困るって訳でもありません。つまり、

若い美男美女が恋に落ちる⇒何らかの理不尽な障害が立ちふさがる⇒打ちひしがれる(あるいは引き裂かれる)二人⇒怒り爆発主人公!か人々の心温まるサポート⇒ハッピーエンド♪

もちろん「⇒」の部分は前後のストーリーに関係なく印度国的ダンスが印度国的大音量ミュージックと共に挿入されます(←必須)。

スポーツチャンネル(スタースポーツ、ESPN、TENスポーツ)やなんかも、言葉を気にせず楽しめるのがイイですね。問題は印度の国民的スポーツ「クリケット」が番組の殆どを占めるという、、、野球が観たいよぉー。他にも、アニマルプラネット(野生の王国←引用が前時代?)、ナショナルジオグラフィック(自然科学系教養番組)、ディスカバリー(全般的教養番組)もなかなか楽しいです。そしてリフレッシュの王道といえば、お笑い♪Pogoというお笑いチャンネルで放映される、ここ大印度国で大人気の番組といえば、

「TAKESHI's CASTLE」

そう!風雲たけし城!!懐かしいぃぃぃ!いつでしたっけ?祖国で放映されてたの?端整にオトコマエの谷隼人さん(こちらのアフレコでは何故かリー将軍とアダナされている)は、やはり端整にオトコマエでぇ(当たり前か。笑)。おぉぉぉーお久しぶりです♪谷さんの

「今日も1日頑張って欲しいっ!いけぇぇ!」

で始まる楽しい番組ですね。日本語にも触れられる貴重なお笑い番組なのです(笑)。

2006年7月7日 (金)
 

七夕ですね(日本は)。ヒヨコマメ収穫終了からこのかた、ズっーとデスクワークの日々で、運動不足…というか、知恵熱の解消に困る毎年のこの時期です。が、雨季に入っているにもかかわらず、なんだかこのところ妙に天気のいいHYDです。

ということで、仕事終了後は広大なICRISAT畑をサイクリングしたりして、汗を流していたりします。今この時期は、孔雀さんの恋の季節だったりするので、いつもに増して神経質な孔雀サン達と畑のそこここで対面したりします。デート中をお邪魔してしまうこともしばしば。長距離飛行が苦手な人々なので、脱兎のごとく(?)専ら地を走るその姿は、微笑ましいのですが、当人達にとっては一大事なのでしょうね(ゴメンなさい。笑)。

にしても、我がチャリンコ。「マウンテン・バイク」的外観にもかかわらず、やたら重い…!で、丈夫かといえば、結構よく壊れる←故障ってレベルではない。手のかかる愛車なのです。サドルのシートも「おい喧嘩うってるのか?」ってくらい極めて硬く、今なおその頑固なこだわりを主張し続けているのです。ということで、「スポンジ入り柔らくてお尻に優しいサドルカバー」を購入しに出掛けました。

にこやかなお店のオニイさんは、

「ウチは、もうそりゃバラエティー盛り沢山でさぁ!」

と積極的にこやか営業なのです。で、まず出してきたのが、写真のサドルカバー。

ネギ:  「こぉーれは、ちょっと…」
ニイさん:「おう?なんで?流行よコレ」
ネギ:  (み、見たことないゾ)

ワタシの感覚からすると、一般にやや派手系のデザインを好む印度国人には、受け入れられるのかもしれませんが、チャリンコのサドルにカラフルなヒョウ柄ってどうなのよ?ためらうワタシに、オニイさん曰く

「ノープロブレム!うちはバラエティー豊富だからさ。他のも見てよ」

とワンサカ出してきたのは…

色違い……。

しかもさらに派手?

これって、「バラエティー豊富」なのか…。ま、表現的に間違っている訳では、ないのだろうが…。正解と言うにはあまりに辛すぎるこの「バラエティー豊富」な状況。

結局、青のセミ・ヒョウ柄をはいて、オトコマエになった我が愛車なのでした。ま、お尻にも優しくなったしね(笑)。
 

2006年5月15日 (月)
 

日中の気温がイイ感じで40℃超えちゃってるここHYDです。そうHYDは今が「盛夏」♪いやいや「♪」どころじゃありません。毎年のコトとはいえ、この時期の屋外活動はかなりエゲツなくキツイです。そんな夏真っ盛りの灼熱HYDですが、この前職場の技官さんで統計計算担当のライカ女史のご長男生誕1周年お披露目パーティーがありました。
何でも印度国では、我が子の1歳の誕生日を盛大に祝う風習があるそうです。その後色んな友達に聞いてみたところ「うちんトコではそうでもないで」なーんて御意見もあったところからすると、どうも各地域、各階層で多様性があるようですね。嗚呼...素晴らしき哉多様性の宝庫インディア♪ま、ともかくHYDの中産階級では、我が子生誕一周年お披露目会は外せないイベントのようです。その気合の入れ方たるや、確かにハンパじゃありませんでした。イベントホールを借り切り、印度国的陽気BGMが鳴り響き、煌びやかな電飾が輝きまくるステージには1歳を迎えた可愛い長男(ホントに可愛い)がマハラジャのような豪華な椅子にご鎮座なさっておりました。軽く100人越えてた招待客は、順にステージに上がって御長男を祝福させていただく、というのが本会の趣旨です。我らも共同購入した玩具を手に、ステージへと上がり御長男へ御挨拶させて頂きました。喜びを全身全霊でもって表現する印度の皆さんですが、今回も

「うちの子、一歳になりましてん!♪」

という喜びに満ち満ち溢れた陽気で盛大なパーティーでした。このあたり日本の七五三とは少々発想の点からして異なるような気がしました。にしても、このお披露目に掛かる経費はかなりのモノで、ライカ家の場合「50万円!!」もしたそうです(印度の物価を考えると、大変な出費)。
それにしても、夕刻からとはいえ過酷な残暑のHYD市街地で芋の子洗うような超高人口密度パーティー.....(しかも停電とかあったりして)。毎度のコトながら元日本人は遭難しそうになりながら、体力の限界と激烈に戦っておりました。と、ふとステージを見ると、派手なガラの厚手(!)のマハラジャ服を着せられた御長男も、もはや愚図る体力も喪失し果て、マハラジャ椅子上で意識不明に爆睡しておられました。「鍛えられとんなぁー」の一語に尽きます。
その後は、隣の広場で立食夕食会があり、HYDお馴染みの激辛料理の数々に舌を痺れさせつつ舌鼓をうっておりました。たっぷり唐辛子をジックリ煮込んだ激辛抽出液たっぷりのスープカレー。ビックリするくらい邪悪に真っ赤です。しかもバケツから豪快に「汲み分け」方式。餌やないねんからね.....。
最初から最後まで、豪快に(色んな)汗を流しまくったお披露目会。やむを得ぬコトとはいえ、生まれる日を考えていただければ....、と朦朧な意識の中で考えていたワタシなのでした。

2006年4月22日 (土)
 

さてさて、4月ももう終わりですねぇ。早いものです。

祖国は、桜⇒お花見⇒GWと楽しい季節のようですね。いいなぁー♪ここHYDは、一年で最も熱い時期にさしかかっております。いやぁー。ホントに熱い…

ところで、印度国というと…?

カレー、手で食べる、菜食主義

と、食に関しては、ユニークかもしれないけど、今一つキラリぃーん♪としたイメージがないかもしれません。が、ちゃーんと有機農産物が販売されていたりするのです(www.24letteredmantra.com)。HYDにも全印度に展開している印度国有機農業・農産物店があります。質と量と言うのは農業のみならず両立させるのが難しい訳ですが、有機農業という分野も消滅することなく市場の中で常に選択肢として存在していて欲しいですね。
このお店で、食パンを買おうとしてどれにしようか迷ってた時(いろんな種類の食パンがあるのです)、爽やかで有機農業に誇りと幸せを感じておりますっ!ってオーラが全身から満ち溢れている店員さんに

「お客様。こちらなぞ如何がでしょう?」

と、爽やかに差し出されたのは…

「糖尿病の方にも優しい」

のステッカーの貼られた優しい食パン…。

商売としてのあり方には、もすこし改善の余地があるやもしれませぬな…。

2006年3月29日 (水)
 

みなさまお元気でしょうか?今年もやってきましたこの季節....。日々高温灼熱化しつつあるここHYDでは、麦酒を欠かすことはできません。さて、先週は灼熱のウッタル・プラデシュ(UP)州はカンプール→ラクナウ業務の旅を強行したワタシでございます。

カンプールへはデリーから汽車の旅です。が、HYD→デリーフライトの出発が遅れに遅れたうえ、機内の美声アナウンスでは「HYD→デリーは1時間50分の予定でごぉざいます」とかって言ってたのに、どう考えても2時間半くらいはたっぷりかかったりして(本気出せよ。エア・サハラ)、デリー空港着は汽車出発30分前。「大丈夫かね?ドライバーさん!」と困惑顔のワタシに

「ノープロブレム!」

いやぁー。確固たる自信があって言ってんだかよく分からん時も多いけど、こういう時の「ノープロブレム!」は精神衛生上一過的意味不明劇的速効効果がありますね(笑)。まだ、駅に着いた訳でもないのに、根拠のない安心をしてしまったワタシでした(印度人化)。で、ドライバーさんってば、激走!(今信号無視したよね?)→激走!!(急カーブでタイヤが泣きまくり!)→激走!!!(いや”その車”を追い抜くのはヤバイと思うよ...)と、デリー駅到着はなんと出発15分前。ダンニャワール!

夜行寝台特急乗ってカンプール着は翌日の朝6時過ぎで、カンプールが終着駅であるにもかかわらず国立農試の方が車内まで迎えに来てくれました(VIPネギさん?笑)。カンプールは革製品の産地としてとても有名だそうで、街中はどことなくなめし皮チックな匂いに包まれておりました(気のせい?)。こういった二次産業が基幹ということもあって失業率も高いそうで、治安は他地域と比べると悪いとか。言われてみると、気軽にライフル銃をひょいと担いで、暢気に町を行くチャリんコおじさんとかも結構目にしたりして(笑)、我らがHYDとは違ってノンビリとした中にもチョイト微妙な緊張感を感じるワタシなのでした。イイ感じお仕事した後、試験場のゲストハウスへお泊り。ゲストハウスそのものは割とシッカリしてたので安心しきったワタシやったんですが、思わぬ落とし穴が......

深夜の停電!

いやぁー!めっちゃ熱いンですよ。カンプール!で、ゲストハウスの周りは、蚊がブンブンと陽気に舞い踊ってたりなんかして。かくなる状況の下、夜は窓締め切ってエアコン+電気蚊取りで、まずは快適な眠りについたワタシだったのです。そう....午前2時頃までは....。なんか、寝苦しい....灼熱な気分で目が覚めると、エアコン停止の真っ暗なお部屋。寝ぼけつつ窓を開け、多少は涼しい夜風を入れて、再びベッドへ。

電気蚊取りも「オフ」になってました.......。

朝6時、停電が解消するまで、暗闇の中で独り....終わりのない戦いでした....今、蚊という生命体を心から憎んでます....。

カンプールの後はラクナウ(UP州の州都)へ。灼熱風の吹きすさぶ中をジープは窓全開で疾走します。カンプール−ラクナウ間の国道はナカナカ快適でした(燃えそうでしたけど)。途中ガンジス河も越えたりしながら、夕刻ラクナウの国立農試に到着。一仕事の後で行った町にはムガール帝国時代の建造物が残っていてなかなかの趣でした(流石は州都)。特に、イマンバラってゆーモスク?パレス?はラクナウっ子自慢の建造物というにふさわしい巨大で堂々としたでもとても美しい建物でした。閉館間際で建立のいわれとかもゆっくり調べる余裕がなかったのが残念でございました。

2006年2月16日 (木)
 

2月も酣となり、日中の灼熱度は止まるトコロなど全く関知していないご様子のパタンチェルです。圃場のヒヨコマメもそろそろ収穫の時を迎えつつあります。
先月は我らが印度国友達のお世話になりながら愛しの君とともにアマラバティー(AP州南東部)やシュリサイラム(AP州中央部)を旅したのですが、今月は愛しの君と二人でカジュラホーなる地を訪ねました。汽車とバスに1.5日ほど豪快に揺さぶられて、降りても地面が暫らく揺れていたカジュラホーは、AP州都ハイデラバードからすると「タウン」って感じの小ぢんまりした街でございました。カジュラホー行き地元バス車中で声をかけられたオジサンのホテルに腰を据えるコトにして、その日は豪快に眠りに落ちるワタシ達なのでありました。
翌日は貸チャリンコを豪快に駆って、現在もジャイナ教の寺院として現役の東部寺院群へ。にしてもこのチャリンコ、印度人標準車高なんでしょうけど、我らが日本人標準股下高には著しく不具合な程の高さ。慣れるまで二人ヨロヨロしておりました。カジュラホー寺院といえばeroticな彫刻で有名なのですが、東部寺院群のそれはeroticというよりはとても優しい感じのする彫刻が多かったです(写真)。寺守りオジサンの優しい説明を受けながら拝観して、微笑ましい気分で南部寺院群に向かったワタシ達なのです。
途中の川で地元子供達と一緒に涼み、畑の小径で農家のオジサンと小話を楽しみ、地元の母娘さんに南群寺院に案内してもらいました。川を越えたカジュラホー南部は本当に長閑な田園で、みなさん心優しい人々でした(畑の中から笑顔で手を振ってくれたり)。最初のお寺の本尊は、とても優しいビシュヌ神でした。大きくて美しいとても素敵な像なのでした。日暮れ時には西日がビシュヌを照らして、それはそれは美しいのだそうです。案内してくれた寺守りオジサンも素敵に優しい人で、ビシュヌの横顔を間近に見れる石段に上らせてくれたり、やや高所が苦手な相方に手を貸してくれたり、寺の外側を飾るレリーフの説明をユックリとしてくれました。本当にありがとうです♪で、

「ところで、あなた方は日本の総理大臣とは友達かい?」

とか話が豪快に飛躍したりして(笑)。お寺の修復基金を何とかしたいのだ、という優しい気持ちがじかに伝わってきました。
もう一つの寺でも底抜けに優しい警備のお兄さんが、(残念ながら崩壊した)寺跡を案内してくれました。何気なく「69」ジョークを放っておきながら、相方の切り返しにテレれてしまう純朴な人なのでした。お兄さんの案内で、寺跡の頂から見た風景はvery綺麗だったなぁー♪麦畑や木立を越えて、カジュラホーの主だった寺院が遠くに見え隠れする筆舌に尽くしがたい風景でした(しばしウットリのワタシ達なのでした♪)。
素晴らしい風景・人々はともかくとして、これだけ動き回ると流石にお腹が「グぅ...」。と、重い脚に鞭打って相方が見つけたレストラン。これが素晴らしゅう御座いました♪優しい食事♪冷えた麦酒♪素敵なご亭主♪沈む夕日を眺めながら至福なワタシ達なのでありました♪
翌日も楽しいガイドさんとカジュラホー西部寺院群(世界遺産です)を散策♪翌々日にはオルチャーというこれまた思いのほか素晴らしく素敵な遺跡巡り♪

楽しかったスー♪♪♪

2006年1月4日 (水)
 

印度国より、明けましておめでとうございます。

こちらは乾季真っ只中で御座います。熱いので御座います。ヒヨコマメがガンガン育っているので御座います。と、毎年のコトながら、

「謹賀新年??」

と、疑問符とともに過ごす印度国お正月ですが、今年も素敵に御節料理を食べさせて頂きました。しかも、今年は印度で。なんて素敵♪

「今年はキッと素晴らしい年に違いないな♪」

と単純に確信する日印人なのでした。

今年もみなさま、どうぞ宜しくご贔屓にお願いいたします。

2005年12月30日 (金)
 

さて、気がつくと今年も暮れようとしていますね。早いものです。我らがヒヨコマメ軍団の農繁期は12月ということもあり、今月はまさに「師走」です。年末ってなんだかんだと会議も多いですしね。とは言っても、現在も最高気温は30度近くあって、あまり、というかほとんど「冬?」って気がしません。けど朝方とかは結構冷えるので、気温の日地変化は大変なものです。12月下旬からの数週間は、体調がおかしくなってしまいます。
印度で迎えるクリスマスも6度目と相成りました。相変わらず

クリスマス?

って感じのHYDですが、今年のクリスマスたる我が生誕38周年は、とてもとても幸せなものでした。って、ワタシも御歳38歳ですかぁ....。感無量というか、もはや隠し切れない「おっさん」ですねぇ(自覚は全く無いけど)。そういえば、年末に抱く感慨もちょいと昔まで感じていたものと違うかも。
とまぁ、遠い目をするのはともかくとして、みなさま本年もご贔屓くださりありがとうございました(まだあとちょっとありますが)。来る年も素晴らしい年でありますように。

2005年10月30日 (日)
 

今日もHYDは雨です。畑仕事順延に少々気持ちも湿りがちなワタシです。デワリは盛り上がりつつあるし、ラムザンも明けたりでおめでたかるべき週なはずですが、今年のAP州の冬は豪雨に悩まされています。水没した町とか、脱線して川に落下した列車とか、浸水した地方空港など....。

空港と言えば、HYD空港は現在国内線と国際線が共に乗り入れているこじんまりした空港です。国内線−国際線の連絡は空港を移動しなくていいからとても便利です(現状ではあんまりそんな人いないとは思うけど)。羽田−成田とか伊丹−関空とか乗り継ぎだけで小旅行ですもんね。が発展著しいHYD。ココへきて今の国内−国際空港とは別にチャンとした国際空港を空港を建設中(?)。謳い文句は

「南アジアNo1国際空港」

ということで、予算は確保されてる(らしい)し、用地は確保されてるし、その上完成予定模型(写真)まで出来てたりします。一部の友人達(専らハイデラバーディー)の間ではカナリ盛り上がっています。2008年の開港を「目指す」そうですが、正味あと2年。もちろん出来てくれれば、きっと日本との距離もグッと近くなる(?)だろうし嬉しい限りですが、やはり

「ホンマかいな…?」

と眉に唾する感じっスね(いやいつかはキッと出来るんだろうケド)。

開かずの踏み切りをまたぐ高架橋建設:2002年着工。最近ようやく1車線開通したけど、それで安心したのか、もう一車線はもはや何かやる気なし?って感じ。

国道9号線(チャンダナガール=近所の街からムンバイ方面)の拡幅工事:2001年から道の両端を広げる意気込みは見せてるけど、それからほとんど進展なし。

という実情を鑑みるに、

2008年に開港すればいいなぁ♪

って気分です(笑)。

2005年10月26日 (水)
 

今年も盛大に、ダサラが繰り広げられたHYDです。昨年の写真でも紹介した巨大なガネーシャ像、今年は更に巨大になって登場したそうです。嘘かホントか分かりませんが、

「毎年より大きいのを作るのだ」

そうです。
さて、研究所では今ヒヨコマメの種まきの季節です♪昨日も夜に雨が降ったりして、まだ少々不安定なお天気ですが、太陽の下外で働くのはやっぱりとても気持ちがいいですね。共同研究者や技官さん達と、打ち合わせしたり、実験計画に従って準備を整えたりと、何だかワクワクしてきます。やっぱりこの時期は、毎年楽しみです♪
とはいえ、例によって発注した物品が来ねぇ!(「全く進歩しないねぇ...」と心許しているヒトにボヤいたら、「アンタもねぇ」と軽く切りかえされてしまった。笑)、とか会計帳簿が合ってないぞ!みんなぁ祭りで浮かれてる場合じゃねえぞ!とか年度末も近いので何かと書類書かなきゃいけないぞ!と、やっぱりドキドキものの毎日です。やっぱりこの時期は、毎年疲れます♪

畑をベースに研究しているので、日本のような四季とまでは行かなくても、何かとHYDらしい季節を感じることも多いです。ということで、ICRISATに乾季を告げるハタオリドリ(というらしいです)の巣をお届けいたします。樹の枝に枯れ枝で作った提灯のような巣を作ってヒナを育てます。風に揺れる彼らの巣を見ると、そろそろ植え付けだねぇ〜♪とワクワクするのです。

2005年9月6日 (火)
 

さて今年も9月になり、そろそろ乾季の始まりかな....?などと考えながら、週末に車で街に住む友達宅へ向かっておりました。と、突如、サニーデイの空一転掻き曇り始め、あらら?と思うまもなく大粒の雨が。劇的に、急激に暗くなった視界の中には、家路を急ぐライダー達。いやいや、もっとスピード落とさないと危ないよ、というのはドライバーの発想なのでしょうね。「早く家に帰らねばぁぁー!」とばかりビュンビュンとばしておりまいた。そのうち弱まるどころか、益々勢いを増す雨脚に、流石に強気一点張りの印度国ライダーも、「もう、ココまで濡れりゃぁ一緒よね...」と諦めがついたのか、漸く合理的な運転を始めてくれました。というか、フト気づくと、

道路が冠水....!

してるじゃありませんか?ということで、2輪車はスピード出したくても出せない状況になってた訳ですね。街に入るにはジュブリーヒルズをいう高級住宅の広がる丘陵群を抜けなきゃいけないのですが、丘陵の手前は勿論低地であり、勿論そこには丘陵をつたって大量の水が流れ込む訳で.....。今になって改めて感じたのですが、降水量が少ないココハイデラバードの道路には排水用の水路とか排水管が全く整備されておらず、従ってこーゆー玉の豪雨時、低地は急に池とか湖になるようです。てなコトを考えている間にも、周囲の水位は小粋にドンドンと上がり、それに従って交通の進行速度も遅くなり、そうこうする内に、完全に交通がストップ。これ以上水位が上がるとこの車の電気系統もやられるゾ、とちょっとワクワク....じゃなくてハラハラしながら運転していると、少しずつながら車の列が前に進みはじめ、およそ20-30分後にようやく冠水渋滞を脱したのでした。渋滞の原因は、2台の車が洪水の中で動かなくなってしまい、2車線の道路の1.5車線ぐらいをふさいでいたせいでした。好奇心旺盛で人助けが大好きな印度の人々でも、さすがにこの豪雨の中、快適な車を降りて、2台の車を押す元気はなかったらしく、残った0.5車線を脱輪すれすれで通過していたのでした(写真は愛車「青い鳥号」のフロントグラス越しの光景)。

8月の日本もそうでしたが、何だか昨今天候がへんちくりんですよね。大丈夫か?地球?

2005年5月31日 (火)
 

なんだか久々の月記(というか半年記?)でございます。気がつくと、今年も半分目に突入しつつあるんですねぇ。一月の帰省、二月にも公用→私用帰省できて、何だかとてもラッキーな幕開けでした♪その後も、お祭り(ホーリー)やら何やらと慌しく過ぎて気がつくと乾季も最後の足掻きの時期になっております。
にしても去年のこの時期は、ひどい熱波でAP州ではかなりの人が亡くなったと新聞で大騒ぎしてたけど、今年はそういった記事は目にしません.....が、去年以上に熱いような気が.....?部屋でエアコンかけても、冷気がエアコンのある部屋(寝室)から外にいかない。四六時中寝室に居る訳でもないし、今年は天井扇風機が灼熱の空気をただかき混ぜているだけの居間で、体力を消耗する日々でした。ただ、この頃は畑に出ても、南風が黒雲をつれてきているのを感じます。もうすぐ、モンスーンなのかな?

暫くは畑仕事も無いので、知恵熱に悩みながらのデスクワークが続きそうです(笑)。

2005年1月12日 (水)
 

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

今年は、本当に久しぶりに年末年始を日本で過ごしました。いやぁ〜本当に楽しかったっス♪夢のようでした....って、現実=印度国パタンチェル村の畑ではヒヨコマメ君が、スクスクと...それはもう

スクスク

とお育ちで。本業に立ち返り、今年も畑を飛び回るネギでした。

皆様、今年もよろしくお願い申し上げまする。

2004年11月30日 (火)
 

お久しぶりでございます。祖国は寒くなって来たとのコト。そういえば明後日からはもう師走なのですねぇ。早いモノです。

さて、先月先々月とお祭り続きの印度国でした。それはそれはとても楽しくめくるめく日々だったのですが、それはまた後日(っていつ?)。今回は、予てよりお尋ねの多い、且つこちらを訪ねてくれた方々には、とても思いで深いワタシの印度のお父さんクリシュナモーティーの映像をお届けいたします。実は、最近研究所のHPが改定されるとのコトで、カレの顔写真もHPに載るとか載らないとか。ともかく、「照明の角度が.....」「眼鏡かけた方がよいかね?」「背景が映えないね」とか、例によって例の如くすったもんだの末、

「うむ♪」

と言わせた写真をお届けいたします。現在、ヨガに夢中のカレ。週末遊びに行く時も

「今週はヨガの重要な講習なのだ。今週はダメなのだ。」

と時々ツレないのです。が、「う〜む♪最近調子がよいなぁ」とご機嫌です(その前にタバコ止めなよ)。ともかく、いつまでも元気で居ておくれよね。

2004年10月7日 (木)
 

印度にも祭りの季節がやってきました。今月(9月)は、ガネーシャー祭です。このガネーシャ祭、街角のいたるトコロにガネーシャが。ホント、角を曲がると、そこはガネーシャだった....ってくらい(笑)。何しろ所持事始祈願のガネーシャさん。印度国の皆さんにとても親しまれ、人気のある神様なのです。我らがチャンダナガールにも、3mくらいの大きなガネーシャさんが居ました。写真撮ってると、

「こっちにくるのじゃ」

って手招きされて、神殿の上に上げてもらいました♪で、蒸しヒヨコマメ料理をいただいたりなんかして。曰く

「このヒヨコマメには、ガネーシャさまのパワーが込められておるのじゃ!食べるのじゃ!ガネーシャさまのパワーを!」

ってな感じで(笑)。熱く語られたりなんかして。

「あ、ボク、ヒヨコマメの研究してます」

「おおおお〜っっ!食べるのじゃ!ガネーシャさまのパワーを!もっとたべるのじゃぁぁぁ!」

盛り上げてしまった(笑)。

さて、祭りを締めくくりとして、ガネーシャさんは川とか湖に沈められます。ここHYDでは、町の水がめフセインサガール湖に、みなさんガネーシャさんを沈めに参ります(川池湖やなんかにモノを沈めたり、あるいは燃やしたり、空に投げたりすると、それは人間社会を離れて聖なる世界の管轄にはいるそうな)。湖の近くのカラハバードってトコには、アンドラプラデシュ州最大のガネーシャさんがいるらしい。ってことで、一路HYD街へ。渋滞を避けるべく、またHYD街への抜け道探索のために、裏道に入ってみると....?

ガネーシャ神殿、道塞ぎまくり.....

う〜む、今日ばかりは正攻法で行った方が良かったか....?

2004年10月7日 (木)
 

前夜祭(9月27日が宵山です)で賑わうHYDの街は、モチロン大渋滞。ガネーシャさんを積んだ車の列....。その前後で、踊り狂う人々.....。聖なるヒヨコマメ配りにくる人々.....。笛吹きまくるけど誰も聞いちゃいねぇお巡りさん達.....。風船売り。屋台。ってことで、車は諦め、お友達のバイクに二人乗りして、カラハバードへと。神殿に至るまでの参道(?)は、「初詣」なみの人々。知らん間に、知らん子供に、服の裾を握り締められてたりなんかして(笑)。
結構濃いぃぃぃ体臭の印度国の人々に揉みくちゃにされたワタシは、

ちょっとラリって♪

たりなんかして。フラフラぁ〜と迷子になりかけると、お友達が「ネギさん。こっちこっち!」。そして、ついに。

五階建て?

くらいの高さのガネーシャさん(下に写ってる人から実際の大きさを察してくだされ)。周辺では、写真撮ったり、祈り始めたり、群集をコントロールしようとするお巡りさん達で、もう大変な騒ぎ。そんな中、ワタシは.....。

かンなりラリってぇ〜♪♪♪

たりして。

沈められたガネーシャさんは、廃品回収の人々に引き上げられて、彼らの家計に貢献致します。後夜祭とでも申しましょうか?祭りの後も、暫く祭りは続くのでした

2004年7月15日 (木)
 

さて、日系印度人のワタシも、先週ついに「華のようろつぱ」デビューの日がやってきました。西欧の華、仏蘭西国でございます。ネが田舎モノのワタシは、かなりドキドキ。伊太利亜に行ったことのある弟の話を思い出しながら身支度しておりました。
デビュー戦は、「もんぺりえー」なるトコロです。プロバンス地方の観光都市だそうですね(よく知りませんが)。ともかく、ムンバイより出国。デルタ航空で、まずは巴里へ。このデルタ航空が....機内サービスがイケてませんでした。シートも何か硬いし、しかも深夜フライトだったので大変疲れました。さて、巴里での入国管理は非常にラクチン。パスポート見せると、「スタンプも押さず」。へい、ようこそ仏蘭西へ♪ってなもんです。空港は非常に広くて、ターミナルもいっぱいあるので、早速元気に迷子になりました。ここで実感したのは、「仏蘭西って英語が通じないお国」なのね。というか

何が英語やねん!

ってゆー気概とゆーか、お仏蘭西文化に勝る文化なし!何ゆえ我々が英語を学ばねばならぬのか?ってな感じでございました。で、英語分かる人を探すべく、英語で質問してるとだね、ようやく

「キミは英語分かるのか?」

って人と遭遇。やれやれ...って、この人も英語圏から来た迷子観光客だったりして(笑)。「街に行くにはどうすればよいのだ?」って、ワタシより先に質問しないように。危うくどっか違うところに行くバスに乗りかけたりなんかして、荒れるお仏蘭西デビューでしたが、どうにか正しい飛行機に搭乗いたしたワタシです。

もんぺりえーに到着してビックリしたのは、ペット連れが非常に多い(これは仏蘭西人気質か?)。空港のバッゲージクレームでも「お犬さま」入りの籠が続々と出てくるし、空港内は犬連れの人々がいっぱい。が、まぁ、ともかく、もんぺりえーは地中海に面した青空の似合うノンビリこじんまりとした街でした。隣(?)のニースってところが有名な観光拠点のようですね(巴里であった日本人も皆ニースへ向かってたし)。滞在した郊外のホテルから街まで歩いて15分。街も一日あれば隅々まで歩いて見て回れた。ビーチまでは車で15分くらいかな。

にしても、観光地やってゆーのに、何だか閉まってる店が多い。店主もバカンスか?(笑)ま、そのせいもあってか、街は長閑ぁ〜雰囲気。目抜き通りのカフェーで早速ノンビリしたりしてました。裏通りとかそれなりに雰囲気があってよかったけど、残念なのは、やたら落書きが多いコト(暴走族ちっくなヤツ)。地元の若者の手によるものと思われるけど、地元のみんなはどう感じてるのかな?ワタシは街の雰囲気にそぐわないと感じたけど....。

2004年7月15日 (木)
 

目抜き通りのカフェーの前とか、ちょっとした広場の前では若者達がパフォーマンス。スパニュッシュギターの演奏(ジプシーキングスみたいでかっこよかった)、普通の弾き語り、似顔絵描き(カフェーでのんびりしてると突然目の前に現れる...驚き)、ジャグリング、漫才(?←多分ね)、とさすがはお仏蘭西。何となく芸術性?を感じるものばかり。と、

火ぃ噴いてるヤツ

(↑力技やなぁ)も居たりして.....力強い芸術を感じると同時に、いつまでも元気でいて欲しいと願わずにはいられませんでした。

食事は、海の幸が豊富♪。おお〜っ!この機を逃してどうするっ!お魚のマリネ(オリーブ油まみれでちょっと....)、貝のガーリック煮込み(あっさりしてて美味しい)にフランスパン、ワイン〜♪緯度が高いせいか、10時過ぎても外は薄明るい♪空気もカラッとしてて、外に居るのがホントに気持ちイイ♪いやぁ〜時も忘れて、屋外テーブルで、心ゆくまでもんぺりえー料理に舌鼓をうっておりました。裏通りにも沢山小粋な料理店があって、翌日も気さくな店のオジサン、オネイサンと楽しい夕食のひとときを過ごしたワタシです。が、さすがに連日のオリーブ油尽くしには閉口して、あっさりとしたモノは?と探してみると、タイ料理、中華料理、ギリシャ料理ときて

「東京」

という屋号発見!和食なり!と入ってみると、テーブルクロスには

TONKIN

の文字が.....。

2004年7月15日 (木)
 

中華料理かいっ!

ま、でもラーメンが美味しかったぁ....ホントに。お店の人は、アジア系のとても感じのいい人でございました。ってゆーか、この街ではアジア系の定住者をよく見かけたなぁ。どこから来たのでしょうね?で、そして、更に発見した!

「寿司っ!」

これは、ホンマ寿司やったよぉぉ。

やっと、やっと会えたね....マイフレンド。

オリ−ブ油まみれのワタシの内臓も、ココへ来てようやく平穏を取り戻すことが出来ました(やはりワタシは日本人)。その他「インド料理」なんてのもありましたが.....、何もここでね(笑)。

一日、ビーチにも参りましたが、初めて目の当たりにする「地中海」に意味不明にトテモ感動したりして(笑)。薄明かりの空の下、地中海の波と戯れていた日系印度人なのでございます。

帰路は、エールフランス。客室乗務員の対応といい、機内設備といい、機内食(かなりポイント高かった♪)といい、満点で御座いました。帰りは、昼間便だったので、上空から中近東の様子が見れました。一面褐色の大地で乾燥著しいことがよく分かります。改めて、乾燥地農業の重要性を思ったワタシです。

2004年6月19日 (土)
 

なんと!ジュブリーヒルズ(←ハイデラバード発高級住宅街)の近くに「和食レストラン」があるとか?以前の「和食レストラン」(←ってゆーか「和風」レストラン?)をご紹介しましたが、なんだか昨今のハイデラバードって「ニッポンブーム」?かどうかはともかく、お友達からこの情報ならびに「一緒にご飯食べましょ」のお誘いを受けたワタシは、迷わず「YES」。総勢3人で行って参りました和食レストラン。11時過ぎくらいに目的のレストランに到着。場所柄もあってか静かな雰囲気で、2組居た家族連れのお客さんも落ち着いたイイ感じ。にしても印度の「家族連れ」って、ホントに「一族郎党」(笑)。子供も含めて各10-12人くらいはいたでしょうか?(笑)ま、でも他所とは違って「お食事」を上品に楽しんでおられました。
内装は、普通の小奇麗なレストラン。特に、「和」を意識した飾りつけは........

やっぱりあるやん!

壁にかけてある額入りの絵は、なぁんとなく、そこはかと、

水墨画?(か?もしかして?)

いや、よー見ると....ってゆーかよー見んでも、明らかに違うけど、カラフルなインド色調とは一線を画した「静」の絵画。ま、いいかもね。で、その横には、

「すき焼き」

って書かれたシルクの垂れ幕が...。何ゆえ突然に?ってゆーか.......まわりを見渡すと、同様の垂れ幕がそこここに......

やっぱり....お前もか.....

まぁ、草書体でなかなか綺麗に書かれてるし、単語は正確やから、まぁイイのか?独自の文字を使用している人々にとって「漢字」=「ニッポン」なのでしょうね。5-6ページあるメニューには「着物を着た日本人の子供」の写真←OK。「流鏑馬(?)の着物を着た老人」←OK。「積み重ねられた日本酒の菰ダル」←OK。「タイ式伝統舞踊を踊る女性」←なんでやねん?
ほんまねーエエとこまでは行っててんけどね(笑)。が、さすがはジュブリーヒルズ。一味違う品揃え。そう我々は発見した。

「オカユ」

ホンマかい!あの「薄味」を楽しめるのかいハイデラバーディー?日本料理として、調理は簡単やけど、味わいを楽しむにはカナリ高度やぞ。う〜ん、やっぱり「マサラ味」のオカユやろか?ベジ?ノンベジ?柔らかめのめちゃ辛ビリヤーニ?と、もうそりゃワクワクしたさ♪待つ事しばし、

「サー。オカユ」
「OK」

って、見ると薄茶色のトロッとしたモノが.......コーンと何やら野菜めいたモノが見えます。オカユってゆーよりは、「オモユ」かいな?って気分で、一口食べると、味は、ま、マイルドで「いいんじゃない?」と、味はトモカク

「米粒が見あたりませんけど......」

ってなコトを感じつつ、気がつくと最後まで食べ尽くしてしまったワタシ達。ってこれ......

コーンスープ

やんけ!うーん、そーくるか?予想だにしなかった攻撃に、こみ上げるのは......微笑み(←印度人化) 。さて、その他には、
「焼き鳥」:鶏肉、竹串、←OK。が、味は濃厚な辛目の「タレ」のみ。うーん、もう一声。頑張りましょう。
「豆腐料理」:どう見てもパニールの野菜炒め。味は中華風。ま、和食と思わなければ○
「韓国風焼飯」:.....韓国の方に聞かねば分からんが、薄味ベジビリアーニ。
「野菜炒め」:八宝菜を思わせるような気もする
ま、やっぱり「すき焼き」はメニューに無かったのだが(笑)。しかし、

「天婦羅」!

おおお〜っ!これはぁー!パゴラ←印度屋台で御馴染み小型の「しし唐」を水溶き小麦粉でコーティングして揚げたヤツでしたね。中身はエビ(親指大)でしたけども(笑)。っと、まぁ、現地(=日本)での修行ってゆーのも、現実問題としてカナリ難しいから、どこからか仕入れた「謎の和食レシピ」を、かなり強引に変更解釈したのでしょうね。ま、料理は楽しむことが一番。そういうイミでは☆☆☆の「和風」レストランでした。

2004年6月2日 (水)
 

このトコロ、モンスーンの雲達が接近している様子のパタンチェルです。去年は熱波やなんかやって来て大変でしたが、今年は順当に恵みの雨をもたらして欲しいものです。ということで、雨の季節になる前に、屋外実験施設のお片づけに精を出すワタシ達なのです。今日もヒヨコマメ根系用実験設備の後片付けしてたら、何やら蠢くモノが.....?、とシャンカラヤ(技官)が、ワタシの腕をグッ!と掴んだりなんかして。え、なになにキミってそーゆー方面嗜好の人だったっけ?って、ワクワク....じゃなくて、ドキドキ....?ちがぁーう!そう、ハラハラするとですね。

「さー.....こぶら....めいびー」

こ、こ....

こあら....?

って、ちがぁーう!コブラ?ってあのコブラ!?

シャンカラヤが指差す方向をよく見ると、体長1.5mはあろうかという、それはそれは立派なコブラが♪ってことで、「作業中ぅぅぅー止!」「出会え!出会ぇぇぇい!!セキュリティー!」
我々の通報により、セキュリティーの方々がバイク2ケツで「テケテケ〜ん」と颯爽?と登場。で、

「お任せを!」←自信満々

2004年6月2日 (水)
 

と、我らが国連関連機関・国際半乾燥熱帯作物研究所が誇るセキュリティーが取り出した先端科学の粋をこらした「捕獲機」とはっ!

棍棒.....

こん棒....、こんぼう、って「棒」かいっ!
2人のセキュリティーは、「おっ!」とか「ほっ!」とか言いながら、慣れたチームワークでコブラ君を設備の片隅に追いやり、棒でバンバンしばきまくり。何て原始的な.....。わ、我らが、い、インターナショナル...く、クロップス...り、リサーチ.....インスティ..チュート.....(がっくし...)
暫くして「ぐてぇ〜」っとなったコブラの尻尾を捕まえて、「OK!サー♪」と、どこかに去って行きました。
コブラ君は、こちらではかのシバ神の化身としてあがめられてるため、噂によると殺すことはなく(バシバシしばいてたクセに)、研究所の実験圃場の片隅にある「コブラの森」に解き放たれるのだそうです。

「元気になって帰っておいで♪」って

キャッチ・あんど・リリース

しとる場合かぁぁぁぁー!

2004年5月8日 (日)
 

いやぁ〜、ここハイデラバードにも「日本食」のレストランがオープン!です。なんだかんだ言っても、人間の舌(味覚)って保守的だわって痛感するワタクシ。喜び勇んでお友達と共にイザお店へ。店内は、ナカナカ小奇麗ですよ。厨房の周りにカウンター席があって他はテーブル席という、日本の焼き鳥屋さん系居酒屋によくありそうな作りです。壁に「不必要」に浮世絵もどきの絵も無いし、カウンター席の上の天井からは「エエ感じでくずした日本語」で何やら書いてある「行灯」が下がってたりして、落ち着いたイイ感じ......よね.....?が、その行灯をヨクよく見ると.......

「巴里古米」....パリ古米......?パリの古米....?喰うのかい?もしかして....それを。
「プレゼント企画」......。なにを企画しているのだね?
「ひじきな毎日」......。いや、まぁ健康にはイイのだろうが......。その他にも
「駄菓子な毎日」(それは身体に悪いぞ)「海の雑草」(ざ、雑草.....なんかい!)

と、何かイマ一つマトを得てないちゅーか......?ともかく、これだけの「大笑い」、「弾む会話」、いやぁ〜お食事ってのはかくあるものよね♪これは、キッと「消化」にもヨイはずだ。っとメニューを開くと、和食としてあるのは「焼き鳥」と「寿司」で、あとは中華、ベトナム、インドネシア、タイ、モンゴル(?!)料理.....ってことで、どうやら日本でも一時流行った「無国籍料理」ですかな?←客が食べたコトないのをイイことに(笑)
 ってことで、先ずは「焼き鳥」.....やのに、「テンダーロイン」と「マトン」かい?!「鳥」はよ!「チキン」はどこ行ったっ!と早速ツッコミつつ、ま、お味はシンプルでOK。ベジタリアン用にも、キノコ、ピーマン、玉ねぎの「焼き鳥」.....ってゆーか「串焼き」ですよね、コレ。お寿司は、流石に巻寿司オンリー。一応酢飯らしきモノを使用した「カッパ巻」←ま、OKです(ってゆーか頑張ってマス)。「アボガド巻」←?「スモークサーモン巻」←???と巻けばエエってもんじゃ....ってな感じで、とても楽しくお食事できたワタシ達です。そもそも、このお店、ハイデラバードに出店してるマイクロソフト社に勤めてるお友達の所に来た案内状から、その存在が「明らか」になったものです。ってコトで、最初から狙いの客層は「欧米人」なのかもしれません(結構、そういう人いたし)。
 ともかく、「遊びに行く」って気持ちなら(和食料理に関しては、自分で作ったほうがはるかに上手いし美味いと断言できる)、こーゆーお店(隣にはいい感じのバーもあります)もイイじゃぁん♪ってことで、皆さまもハイデラバードへお越しの際は、是非一度!話のタネに!

2004年3月16-17日 (火-水)
 

道を引き返し、今日こそはサルハンに泊まります(笑)。しかし、やっぱり往路を戻るっていうのは、イマ一つ、なんですね。ルートは、やはりサークルの方がイイなぁ〜っと感じつつヒマラヤの峰々に沈む夕日をシミジミと眺めるワタシです...って、今日のサルハンも夜中行かい!例によって、8時頃にロッジ到着したワタシ達です。今日はクリケット(←印度男児ならみんな熱中)の印パ戦。職員も、印度国T博士も食事そっちのけで観戦です(笑)。明日も早いからね、ホドホドにね。一夜明けて、最終日。一路シムラーを目指します。相変わらず豪快な運転手さんでしたが、シムラーに着いたのは、やはり日没後......。流石はシムラーいい感じの宿が沢山ありますね。☆☆☆☆☆のオベロイホテルもあるそうです。我々は勿論、五つ星とはとてもいきませんが、なかなか小じゃれたホテルに到着。けが人も無く、成功裏に完遂したこのヒマッチャル探査旅行も今夜で最後。色々勉強になりましたです。ありがとう御座いました。

2004年3月16日 (火)
 

あ〜た〜らぁしぃ朝が来たっ!ってことで、間近に見るキンマール・カイラシュの山峰から今日の太陽が昇って来ました。昨晩もでしたが、今朝もカナリの冷え込みです。知らず知らず標高も高いトコロに来ているようですね。ま、ヒマラヤがあんだけ近くに見えるんだから、そりゃそうでしょう(笑)。ロッジの周りには、まだ結構雪が残っています。
 これから、今居る山の中腹のロッジをでて、農家を訪ねながら山を下り、麓のカルパの市街地で運転手さん達と合流する予定なのです。

2004年3月16日 (火)
 

日が昇るとのびやかな春の陽気です♪石を積み上げた生垣←正しくない表現ですね(笑)の間をテケテケと散策します。なだらかな丘陵には、何だか懐かしい家並み(っとゆーか館のような立派なお家)。植えたばかりのコムギ畑、満開の杏の木々が続きます。畑の間には雪解け水を引くための水路が張り巡らされていました。で、最初の農家さんでK団長がコムギに関する質問をしている間にワタシは畑をお散歩。と、奥さまとお婆さまが、畑傍で大きくなりすぎた樹を切っている場面に遭遇。傍に行って、しゃがんでながめていると、先方も少し手を休めて「ほにゃほにゃほにゃ?」と何やら優しげに質問。「ん?」って近づいていくと、またしても「ほにゃほにゃほにゃ?」。何を言ってるのか全く不明でしたが、「じゃやぱにー(=日本人)やねん」ってゆーと、「ほぉぉ〜じゃぱにー」と感嘆され、大きな鋸を胸に抱えて、テケテケ歩き出した後にニッコリ笑って「ほにゃほにゃほにゃ」、って何を言ってるのかな?思わずつられて笑いながら「ん?」って近づくと、また少しテケテケ歩いて「ほにゃほにゃほにゃ」。なんてコトを繰り返していると、印度国T博士が追いついて来て通訳。笑いながら「よかったら、お前さん。朝ご飯どうぞ」って言ってる。とのこと、いやぁ〜♪ホントにこのポカポカにた陽気のように「大らか」なのですね♪「お茶でも飲んできな」ってテケテケ歩きだしたお婆さんでしたが、まだまだ調査に向かわねばならないワタシ。「ありがとね♪お婆ちゃん」とお礼言ってから、次の農家さんへと向かいました。

2004年3月16日 (火)
 

ここキンマール地区というのは美男美女揃いの印度人が「真に美しい人々はキンマールに居る」というくらい皆さんそれはそれは穏やかな美しさです。で、カルパというこの街にはそれらの美しい部族の方々が暮らしているのですが、彼らはそれぞれの部族のシンボルとなる綺麗なフェルトの帽子を被っています。この帽子の模様を見れば、所属する部族が分かるというコトです。と、小道を歩いていると地元のオジサンと娘さんと遭遇。やはり綺麗なフェルトの帽子を被っています。お父さんは、朝っぱらからやけに陽気。色々話をしようと近づいていくと、突然「ちゅー」されそうに!「ダメよダメダメ。ワタシが唇を許しているのは、あの方だけなの」←ってゆーか「♂」と「ちゅー」は....、っと距離をおくと、娘さんが「ごめんなさいね。お父さん酔っぱらってるの」って、ヤッパリかい(笑)。ってことで、陽気なお父さんと優しい娘さんに手を振って次なる農家さんへ。
 そこは、カナリの篤農家のようで、栽培しているコムギやオオムギについて詳しく教えてくださいました。っと、やっぱり「じゃぱにー」「おおー!」「お茶でも」という流れになり、ま、ジックリ話を聞かせてもらうためには、これはココの作法で行った方がヨイかね。ってことで、「じゃ、ご馳走になります」って言うと、「そうかね♪そうかね♪」と家の中へ招き入れて下さいました。いやはや、聞き取り調査って「ユックリ」「じっくり」なのね(笑)。当家の若奥様が洗濯の手を休めて、美味しいお茶をご馳走してくれました。本当に「大らか」で「優しい」人々なのですね♪

2004年3月16日 (火)
 

とても「大らか」で「優しい」人々なのです。一軒あたりの聞き取りに1時間以上掛かります(笑)。昼にはカルパの街で運転手さんと合流する予定のワタシ達には、次の3軒目の農家さんの聞き取り調査が最後になります。ここでも、やっぱり「じゃぱにー」「おおー!」「お茶でも」って流れとなり(笑)。「まあま、座りなされ」とポカポカとした柔らかい陽射しの縁側(ホントそういう感じの作りでした)に座って、雪を頂くヒマラヤの峰々を背景に満開の杏の樹々....♪(これ以上贅沢な借景ってあるでしょうか?)に目を楽しませながら、と、当家のお母さんが向かった場所は......?

「牛さんトコ」

ってことで、「乳搾り」から始まった「壮大な時間の流れ」と「悠久の借景」のミックスされた「チャーイ(=ミルクティー)」のお味は、勿論筆舌に尽くしがたいこの世で最高の「チャーイ」でした♪

2004年3月16日 (火)
 

とても贅沢な聞き取り調査を終えて、カルパの街へ。と、とてもとても親近感を感じる「Dhaba」(←ダーバ。印度ではどの街にでもあるチョッとした飲食店。印度国的喫茶店ってトコでしょうか。)が、その名も

「NEGI Dhaba」

おぉぉぉぉぉ〜♪我がご先祖様?(笑)いやぁ〜ココまでワタシの愛称「ネギ」が浸透しているとは♪←勘違いも甚だしい。嬉しい限りです♪で、看板をヨク見ると、

「CHAINIES DISH」

ん?微妙に「CHINESE」とは綴りが違うトコが、またシブイ(笑)中華料理なのね。この微妙なコダワリ(笑)......さすがカルパのネギさんもヤルねぇ。めちゃめちゃ親近感スわ(笑)。

2004年3月16日 (火)
 

カルパの街に到着したワタシ達は、お昼ご飯へと。ご主人お勧めのベジタリアン料理に舌鼓をうちました。ココの料理は、「辛い系」のスパイスは控えめで、ミントのような「スーッと系」←嗚呼何て語彙力の無さ...、のスパイスが多く使われているようです。お料理も、とても「優しい」カルパの街でした。奥に見えるのは「スウィート・ラッスィー」です。日本の感覚で言うと「飲むヨーグルト」って感じでしょうか。とても、ほんのり(?)甘くて、飲みやすくて、美味しいです♪ただ、「スパイス・ラッスィー」ってのもあって、注文の時気をつけないと「スパイス入りの飲むヨーグルト」を、心の準備なしに飲むハメになります(←ワタシは一度これで泣きかけました)。

2004年3月16日 (火)
 

カルパの街で昼ご飯を終えて、少しお買い物。カルパの町があるキンマール地区は美しい織物「キンマールショール」でとても有名です。お土産にショールと民族特定用の帽子(←イイのか売っても?)を一つづつ買いました。
 今日は折り返し日であります。もう少しまで奥まで探査してから、いよいよ引き上げの道をとります(来た道を引き返します)。やはり、立派な館のようなお宅で聞き取り調査。広大な敷地には「家族祠」が。まるで日本の神社のようでした。こういう建物の原型はどこなんでしょうね?

2004年3月16日 (火)
 

さて、この旅でワタシ達が訪れたヒマッチャル・プラデシュの最深部です。急斜面に建つ東洋的な館、満開の林檎、杏の花......。今この世に、桃源郷という場所があるとすれば、それは間違いなくココでしょうね。

2004年3月15日 (月)
 

今日は、さらに奥地の街サルハンへ向かいます。と、ウッタランチェル班のS先生達はどうしてるかしらん?と、颯爽ととりだしたノキア製携帯電話!でしたが、どーもルーミングが上手くいかず、不通状態......。携帯の意味ないヤンと思いつつ、何かの弾みでかかる「かも」しれんし、と早くも神頼みの通信機器を持つニッポン「学術」調査団です。結局、ナルカンダの街中にある公衆電話から、お電話。繋がったようですが、「S先生一行は既にご出立されました」

「.......」←そりゃそうだわな、同じ時間帯で活動してるんだから。

 公衆電話コーナーがあったのは、街の中心部兼バス停留所でした。人が出入りするこの街の玄関口ですね。ということで、待合客のためのお店も沢山ありました。我々の傍では、印度御馴染み「パラタ」を手際よく焼き上げるニコやかなお兄さん。朝から手際よくテキパキ働いている人々を見るのは、とても気持ちイイですね♪い、いやぁ〜ワタシはぁ......「天下御免の二度寝大好き野郎」で御座います。ま、ともかく手際の良さに思わず見とれていた「職人芸」に心魅かれる日系印度人なので御座いますよ。この「パラタ」、練った小麦粉の中に具をいれてから円形に薄く伸ばして焼き上げる「具入りチャパティー」って感じです(完成品は小麦ペーストの皮が具をサンドウィッチする具合になります)。腹持ちもとても良好な、美味しい印度食なのですね。具としては「マッシュド・ポテト+塩+コリアンダー」や「細かくスライス大根+塩+コリアンダー」など、季節や地方、ご家庭で色々なバリエーションがあります。ちなみに、お兄さんが作成中だったのは、ワタシの大好きな「マッシュド・ポテト」版♪でした(お兄さんの左側にあるのがそうです)。

2004年3月15日 (月)
 

ナルカンダの街を出て暫し、ヒマラヤの山並みが遥か遠くに見えます。そこにワタシ達の最終目的地カルパの街があります。まだまだ、先は遠いゼ。
 街外れの谷にはリンゴの木々が植えられ、ちょうど満開でした♪その谷間の道を子供達がユックリと登ってきます。通学バスに乗るために、ワタシ達が居る道まで来るのでしょうね。他にも、スモモ、杏、アーモンド等が植わっていました。

2004年3月15日 (月)
 

リンゴの花満開の谷間を道を進みます、と急斜面に小ぢんまりとしたコムギ畑を発見。停車して、畑の傍でお洗濯中の農家のおばさんに御挨拶。このあたりの女性は「やわらかい柄」のパンジャビドレス(のような服)に袖なしのチョッキを羽織り、頭には布を被るというのが一般的のようです。
 このあたりの家屋は、まさに東洋建築...というのか「日本の家屋」を彷彿とさせます。屋根は薄く割った均一な大きさの灰色の石で丁寧に葺かれています。色合いだけ見ていると、まるで瓦のようです。この石は釘で止められています。家は一階部分が穀物の貯蔵庫、回廊をもつ二階部分が居住区となっています。壁は白塗り(漆喰かな)です。手前に見えるのが「本題の」コムギ畑です。早速、おばさんはじめ「何だ何だ?」と集まってこられた家族の皆様に聞き取り調査を始めます。

2004年3月15日 (月)
 

話し込みすぎたワタシ達は、喉が乾いてしまいました。と、庭先には檸檬の木が。「一つ二つ分けてくれませんか?」とのお願いに、おばさんは快くニコニコ笑いながら「もちろんさね」と、傍に居るおじさんに先が「?型」の長い木の棒を渡して、「取ってあげなよ」。たわわに実った檸檬を2つとってもらったワタシ達の「おいくらですか?」との問いには、笑って「そんなのイイよ」というお答えでした。「洗濯を中断していただいたうえに、それではアンマリだよね」と話していると、印度国T博士が一言

「これが印度のhospitalityなのだ」

ということで、こういった場面では「大らかなる」印度文化に感謝しつつ、先へと進むワタシ達です。

2004年3月15日 (月)
 

さて、ワタシたちは奥地へ奥地へと向かいます。途中の道は、ガードレールもない切り立ったガケ....。運転手さんは、隣に座っている印度国案内人と陽気にお話しながら、「よそ見」しながら、豪快に車をブッ飛ばします。このあたりの岩は、堆積土壌が圧縮されて出来上がったものらしく、細かい地層が剥き出しになった道端のガケに見られます。で、ってことなので、割と簡単に割ったり壊したりしてトンネル(ってゆーか...「鍾乳洞」的なデンじゃらす的穴道)とか道とか作れるようです。ということは、同時に「崩落」しやすいってことでもあり....。道が丸ごと流されて新道建設中、とか発破作業中なんて場面と頻繁に遭遇しました(か、神様...)。
 この地方の電力は、丘陵地を利用した水力発電でまかなわれています。頻繁に小規模水力発電ダムを目にしました。これらのお陰で、この一帯は、安定した電力供給が得られるそうです。もっとも、小型ダムですから、その寿命は短そうですね(すぐに土砂が堆積しちゃいそう)。と、土壌が脆いせいなのか?何なのか?あるダムは建設後、すぐにダムと谷の岩肌との間に隙間が出来てしまい「水漏れ」....していたりするそうです(か、神様...)。

2004年3月15日 (月)
 

神に祈りながらのドライブは続きます。我らが車内では、相変わらずよそ見しながら話しまくる運転手さんの陽気な笑い声とともに、これまた陽気なヒンディーソングが鳴り響きます。気をシッカリ持たないと「体力的」にも「精神的」にもやられてしまいます。
 先を行くK団長が、小麦畑を見つけたようです。我々は停車して、駄菓子屋(ってゆーか、地方によくある「何でも屋さん」)の女将さんから情報収集を試みます。と、「おっ、何なに?」と人々が集まり始め、この辺りの情報通らしいカッコイイお兄さんが、ワタシ達の問いかけに応じてくれました。なんでも、この辺り一帯の畑はココにで暮らしている農家さんとは別の地主さんが管理しているとのコトで、コムギ品種の来歴や、種子割譲のコトについては、「地主さんに聞いとくれな」ってことなのです。で「地主さんどこ?」の質問に、「ああ、すぐそこだよ」っと彼が指差したのは....?

「急斜面の中腹」

「ありがとう♪」の言葉とともに、先を急ぐワタシ達だったのです。

2004年3月15日 (月)
 

本日の目的地サルハンで、お茶をして....え、通過.....?またしても、ダイブ「大らかさ」を獲得している日系印度人は、本日の目的地を思い違いしていたようです。我々は、本日の目的地「カルパ」へ向かいます。
 このあたりは、かんなりの秘境で両側切り立った渓谷の底の川の流れに沿って細い道とポツポツと小さな街村があるのみです。渓谷には、川を挟んでワイヤーが渡してある箇所が頻繁にあります。このワイヤーに籠をつけて、川向こうとコチラとで荷のやり取りをしている....んはエエけど、オイ!「人」が乗ってるぞ!?サスガはみなさん「大らか」です←いや、実際これまでこの地域であった人々は、みんなホントに「大らか」で優しい人々ばかりでした。車内では、神に祈りっぱなしのワタシでしたが、車外での人々との交流では、本当に「〜♪」と楽しく♪心洗われるコトばかりでございました。
 ヒマラヤの山々が随分近づいてきました。ここからは、キンマール・カイラシュ山峰(6050m)が見えます。山峰には神々が宿るということですが、ホントにこうして見るとそう思うなぁ〜。また、こののあたりは、中国との国境に近いせいもあり、印度国軍の部隊が駐屯していたりするのです。我らが豪快にブッ飛ばしている細い道を、国軍の兵隊さん達が行軍しています。と、「おお〜っ!絶好のフォトスポットじゃないか!」と印度国T博士が、カメラを構えて立ったのは....?

「印度国軍駐屯基地の”真正面”の丘」

妖しい機材やら書類を山と抱えて旅をしている我らが探査チーム。スパイと間違われるから、ココでの撮影は控えた方がイイ、という我らの制止をものともせず。

「ノープロブレム!」(←いやいや、違うと思うぞ)

と写真撮影に「無我夢中さ♪」の、とてもとても「大らか」な印度国T博士なのでありました(こーゆー時には身の縮む思い)。撮影終了直後に、さっきすれ違った行軍兵士を迎えに行く軍用トラックが我々の居る丘に上がって着たりなんかして....。危うく「国家反逆罪?」とかになっちゃってたかもしれない「大らか」なT博士とワタシ達なのでありました(神様ありがとう♪)。軍事法廷(?)を切り抜けたワタシ達が、カルパに着いたのはやっぱり「真っ暗闇」....。九十九折の細い山道、一発で曲がれないカーブを何度も切り返しながら、たどり着いたのはシーズン前で「来週開店」するというロッジ。真新しい内装がナカナカ快適です♪ってことで、明日の活動に備えて心地よい眠りにつくワタシ達なのでした。

「おやすみなさ〜い♪」

2004年3月14日 (日)
 

今日からワタシ達5人(K団長、印度国T博士、T先生、ネギ、印度国案内人)は、ヒマッチャル・プラデシュ州での調査に向かいます。早朝、屈強な体格の印度国的案内人に連れられてデリー駅へ。7時40分発の特急SHATABDI号でパンジャブ州を縦断して、まずは同州の州都チャンディガルを目指します。ちなみに、印度の鉄道情報は、http://www.indianrail.gov.in/ で入手できます←なかなか楽しいですよ。
 さて、デリー駅にやって来たSHATABDI号。印度国鉄道の各客車には、大きく等級が書いてあります。「First A/c(エアコンつき一等クラス)」とか「2nd Sleeper(二等寝台)」などなど。我々の客車は「Chair Car A/c」です。これって…..「A/c」=エアコン付きってのはイイけど、「Chair Car」って?直訳すると「椅子つきの客車」だよね?ワザワザ「椅子つき」って記してあるってことは….?「椅子のない客車?」ってのもあるのかい??ま、客車表記上の「?」は、ともかく中へと乗り込む我々一行です。座席指定にもかかわらず、「やはり」我々の席には見知らぬ方々が、さも「ワタシの席」っとばかりに、心からリラックスしております。「もしもし」って尋ねても、「さもメーワクそうに」「他に空いてるトコいっぱいあるじゃん!」って←だからお前が言うなよ。こーゆー「大らかさ?」ってゆーのは、大印度国で一般的によくある光景なのですね。ここで「何言ってンの?アンタ?!」と日本国的正論(←指定席やからね。こっちが正論とは思うけど、笑)で戦うと、恐るべき「印度国的ドツボ」にハマることが多いですね(笑)。基本姿勢は「ノープロブレム」です←とても大切。
 このSHATABDI号、ナカナカ小奇麗ですよ。トイレも洋式、印度式2つあるのです(しかも綺麗)。出発前には、お巡りさんが荷物のチェック。一つ一つ「これ誰ンの?」と確認しては、確認シールを貼っていきます。やはり、沢山のヒトが移動する鉄道。不審物のチェックも万全です...って、確認シールは、非常に「ちゃちい」←今日び簡単に手作りできちゃいそう。しかも粘着が弱いから、うっかりしてるとすぐ取れてしまうという...「何もおきないさね♪」ってことが前提の「セキュリティ・チェック」なのでした。で、まぁ、やはり何事もなく、やはり何事もなく出発。
 検札に来る車掌さんもチャンと制服着てイイ感じです。しかも、無料車内食が配布!素敵じゃない♪(←食べ物が与えられると、スグ幸せになる日系インド人)この車内食、何も言わなくてもボーイさんが、風のように現れて、嵐のように有無を言わせず「テキパキ」と配って行きます。しかも、乗り込んだ直後の「スナック&ちゃーい」サービスと、その後暫くしてからの「軽食」サービス(写真)の2度!う〜ん♪なますてぇ〜♪とノッケから幸福いっぱいのワタシです。いやぁ〜♪これって、「いんでぃあん・えあらいん」よりも格段に素敵だわ。
 シーク教徒の故郷としても名高いパンジャブ州は、印度北部の重要な穀倉地帯でもあります。印度食糧供給の要の地でもあるのです。ってことで、車窓から広がる風景も、一面のコムギ畑..小麦畑...さらに小麦畑...の後にコムギ畑ってな感じです。農家さんのお家の壁や屋根には、牛糞がペタペタと貼り付けられていました。乾かして燃料として使うのですね(印度の農業地帯では一般に見られます)。長閑な光景に目を楽しませるワタシ達一行でした。

2004年4月14日 (日)
 

SHATABDI号での旅は快調に続き、予定通り午前中にチャンディガル駅に。さすが大パンジャブ州都、駅はなんとなく長閑な中にも、多くの人々、荷物で、ごった返しとても賑やかです。駅の近所には、御馴染み印度国軍の大きな駐屯基地があります。ココから我々はジープに乗り換え、一路ヒマッチャル州都シムラーを目指すのです。
 シムラーは、山間の町です。ムガール帝国の夏の離宮(=避暑地)があった風光明媚で過ごしやすい町だそうです。その後英国人の避暑地となり、現在は印度人の皆さんの「ハネムーンリゾート地」として名高いのだそうです。と言うコトもあり、シムラーへの道はとてもよく整備されておりました。山間地なので、曲がりくねった道の連続でしたが、快適な道中です。山肌はパープルピンクのとても美しく特徴的な色をしておりました(←初めて見る岩石色です。主成分は何でしょうね?)。平地は茹だるような熱さでしたが、標高が上がるにつれて涼しくなってきました(流石は避暑地)。と、日本でも御馴染み「お猿さん」(←ニホンザルによく似てた)の群が、そこここに。カーブで車の速度が落ちると、ここぞとばかり寄ってきて、手を出しながら「エサおくれ」攻撃。すっかり「餌付け」状態ですね(あまり良いコトではないように思うケド)。ま、印度でおサルさんと言えば、「ハヌマンス」いう神様待遇ですので、あまり邪険にもできぬのさね、ってコトかもしれませんね。
 途中カンダガットという街で昼食。シムラーへは、4時ごろ到着。ココには、沢山の印度国立農試(高地・寒冷地試験場)が活動していて、我々はコムギ・オオムギ高地試験場へ。日曜日のため、「試験場閉まってんじゃん!」って状況。が、我々に同行して下さっている印度国T博士は、全印度国コムギ育種プログラム部長さん。ということで、サクッと自宅でお休み中の所長さん宅にお邪魔して、試験圃場を案内していただきました。圃場には育種目的以外にも、形質特定のために収集された遺伝資源が栽培されており、K先生は興奮のルツボでした。この試験場、コジンマリしていましたが、品種育成の歴史・過程、また現在育成中品種のサンプルが公開されている「展示室」があって、地元農家さんにとても開かれた試験場だなぁ〜と、とても感心しました。普及所としても機能しているとのコトでしたが、試験場と地元農家の距離の近さを感じました。「さてさて、今日のお宿はどこ?」と、はしゃぐ日系印度人に「何言ってンの?今日は、”ナルカンダ”まで行くんだよ」とK団長。「………」ナルカンダは、ここから更に70kmも奥地の街。もう日も暮れはじめてますけど……? シムラーの後は、何やら山肌剥き出しの切り立った崖の続く、曲がりくねった道…。「あんまりじゃ御座いません?」ってくらいの変り様です。幾つ目かの峠の茶店で、トップリと日も落ち…..「この暗闇を…この道を….?」という一大アドベンチャー状態。ナルカンダ着は午後8時でした(つ、疲れた….)。寝る前にチョッと外をお散歩。吐く息が白くなるほど冷え込む夜でしたが、空を見上げると…?
「わぉぅ!満天の星空っ♪」
 本当にとてもトテモ非常に綺麗でした♪もう、どの星が一等星で、どの星がどの星座を構成しているのか全く分からないほど(い、いや、元々この方面の知識は貧弱なワタシではあるが)、全天静かに輝く星達☆☆☆☆☆
暫し寒さも忘れて、ボンヤリと星空を見上げながら「ろまんすてぃっく」に想いをはせた日系印度人で御座います。