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2009.09.09
カトリック青年連絡協議会の驚くべき手作りミサ
ココ の “Mess” のリストに推薦したくなる手作りミサ
(“mess” とは「混乱」を意味する言葉である。辞書)
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或るブログの記事で上の写真を目にした時、私はこれが「ミサそのもの」に関係するものだとは信じられなかった。
もう少し正確に言い直そう。「たとえこれがミサそのものに関係するものだとしても、まだ “良からぬ立案段階” にあるものであって、まだ “実行” されてはいないのではないか」と思ったのである。そう思いたかった。
しかし、驚くべきことに、既に実行されていたのである。
昨年9月の13日から14日にかけて「カトリック青年連絡協議会」のサポートによる(この協議会は「あっちこっちミサ」もサポートしているが)「ネットワークミーティング」と呼ばれるカトリック青少年部の全国的な交流会のようなものが東京で開催されたが(年二回開かれ、これが第15回目だったという)、その二日目に、東京カテドラル聖マリア大聖堂にてその「ミサ(Mess?)」が執り行われたのだという。 ![]()
「カトリック青年連絡協議会」の報告(PDF)は上の写真に次のような説明を加えている。
第一朗読班
出エジプト記の3章1~6節を題材に、インタビュー形式の寸劇を披露した。モーセや神様など、様々な観点から見た「モーセの召命」を解説していく中、芝役[ママ]が赤レンジャー姿で登場するなどコミカルな内容で、聖堂中を笑いの渦に巻き込んだ。
つまり、これが正にミサの「第一朗読」で行なわれたことなのである。
「ミサそのもの」の中の出来事なのである。 「ミサ」の構成要素そのものなのである。 あなたには信じられるか?
その他、その報告を読めば分かるように、
彼らは「第二朗読(福音朗読)」でも寸劇を演じ、 その直後にまたもや劇(「シスターを交えた劇」!)を演じ、 その中で「自己犠牲の心を視覚的に示すため」に “アンパンマン” を用いたのだそうである。
他にも、ミサのほどんど全ての要素において、
若者達の自発的で自由な発案が許されていたようである。
ああ、しかし、それでも「知的」な人は言うだろう、
「それでもミサの骨子は保たれている」と! そうでしょう、菊地司教様!(何故か菊地司教様)
「知的」な人の一人を紹介する。
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この若者達のイベントをお世話した聖職者は
幸田補佐司教様であった。 ![]()
この「ミサ」の司式者も幸田補佐司教様であった。
彼は、若者達に祭服を「手作り」させ、
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それを御自らこの「ミサ」でお召しになった。
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私はミサの祭服に関する規定を具体的には知らないけれども、
通常、というか「絶対的」に、このようなものは、 つまりこのような感覚は、ミサには相応しくないものである。 ミサは主イエズスの尊い上にも尊い “御生贄” を捧げるものであるから。
何か「議論」が必要だろうか?──「知的」な人々よ。
(私がこのようにも「知性」を槍玉に挙げるのは、
あまりにも多くの人が知性によって 却って「迷って」しまっているからだ。) *
若者達もあんまり喜んではいられないよ。
今の司祭達は、君達の前で、 人間の心に奉仕する者になってしまっている。
私の目から見れば、
君達は “被害者” である。
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Qui habet aures audiendi audiat.
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