日よ臨む
ふぁっさふぁっさと朱色の尻尾が視界を動いている。
がりがりと首の後ろを手で撫でつつ、シカマルは眠たそうな目を更に細めた。
「…で、これがあの九尾の狐だっていうのか?」
「うん」
「…………………………」
ナルトは明らかに周りの空気が呆れているのに気づいて、傍らの真朱と目を見合わせた。
「集まってくれって言われて来てみたら…あんたに九尾が封印されてて、で、これがそれだっていうの?」
「…確かに尻尾を九本あるけど……」
かつて忍としての勉学に励んだアカデミーの教室には、顔なじみのメンバーが集まっていた。
習慣なのか綺麗に班ごとに席について思い思いの表情をしている。
つぶやいたいのとヒナタは同じように首を傾げて、教卓に座る真朱と、その傍らに立つナルトを見つめた。
「お前忍狐に兵糧丸食わしたんじゃねーだろーなー」
「ワンワン!」
冷やかすように言ったのはキバだった。
普段白い毛並みの赤丸は兵糧丸を食べると赤い毛並みにかわる。
尾の数だって忍孤なら変化の術で変えられる。
そう言ったキバを睨んだのはナルトではなく真朱だった。
「忍孤だと? 吾を人間風情に従事する輩と一緒にするでない」
怒気を孕んだ声にしん、と静寂が広がった。
真朱の声を聞いたのが初めてと言う事もあるが、はっきりとした言葉に少なからず誰もが驚いた。
頬杖をついたまま、わずかに開いた目で見つめてシカマルは問うた。
「……じゃあ聞くが、お前は何でナルトと一緒にいるんだ? 里を襲ったお前が何でお前を封じているやつんとこにいる?」
「ナルトには恩がある。吾の声を聞き、吾を信じてくれた。だからだ」
「……あ、そー」
気のない返事だったが、シカマルは納得したようだった。
ちらりと他の忍たちの方へ視線をやって「でもま、…」と口を開いた。
「でもま、…そおいう事ならそおいうもんなんだろ? 害がないんだったら別にいーんじゃねーの?」
「シカマル……」
思わず声が漏れたナルトに、シカマルはにっ、と笑った。
その横で同じようにいのも笑った。
「九尾と仲良くなっちゃうなんて、あんたらしいじゃない?」
「いの……」
呆然とナルトは目を見開いた。
(……嫌われると、思ってたんだけどな…)
九尾は里にとっては禁忌で、それを黙っていままで来た事も全部含めて、嫌われると思っていた。
けれど、みんな、笑っている。
何を気にしているんだ?と笑っているのだ。
『みんなそんな心の狭いやつらじゃないわよ。そりゃあびっくりはするだろうけど、うじうじ悩むぐらいならさっさと言っちゃいなさい』
サクラにそう言われて今日に至った。
彼女の言葉に勇気は湧いたが、やはり恐れは捨てきれなかった。
でも、今見回すみんなの目は、どこにも自分を嫌悪する色は見られない。
恐れていたものはなにも見えない。
ナルトは満面に笑みを浮かべた。
そして一番前の席に座るサスケとサクラを見た。
「良かったじゃない」
にっこりと笑ったサクラにナルトは強く頷いた。
ところで、とふいに飛んだ声はネジのものだった。
「九尾の事はいいとして、お前が暗部だということだが……」
「うん?」
「お前の力を認めていないわけではないが………嘘だろ?」
ネジの言葉にしばらくの沈黙が流れたがナルトははっとすると怒鳴った。
「は!!? 嘘じゃないってばよ!!」
「失礼ですが僕も信じられません。あ、そうです!! 昨日の事はナルトさんが暗部だってことと関係があるんですか?」
瀕死の重傷を負っているとは思えないほどハキハキと言ってきたリーにナルトは反射的に左腕を掴んだ。
精神的な痛みがそこから走って顔を顰めた。
日が暮れる間際、里の大門から滅多に鳴らされない警鐘の音が響き渡った。
無論里はどよめいだ。
音と砂の襲来から1ヶ月近くが過ぎたとはいえ里の防衛施設は万全とはいえない時期。
何事かと驚きと不安が膨らむのは当然のことだった。
皆が息を呑む中、続々と白い面をつけた者たちが門のほうへと飛んでいく。
誰もが今にも混乱しそうな緊張が始まると思われたその時、ゆっくりと砂利を踏みしめる音が辺りに響いた。
夕日の紅い眼差しに染まった炎の羽織。
風になびく黄金の髪は赤銅に燃え、その目は普段は浮かばない冷淡な色で濃紺に染まっていた。
「火影……様」
誰ともなしに呼んだ声に、彼は足をとめ、自分を見つめる者たちに微かに微笑んだ。
「大丈夫、何でもないよ。ちょっとした有名人が帰還しただけだ」
「その通りだ」
ざ、と音を立て皺を刻ませた目元を緩めて声が重なった。
門を仰ぐ2つの影に人々の顔に明るさが戻った。
「三代目…!」
「……っ四代目……!」
四方で上がる声に火影は笑みを浮かべ、そして門の向こうへ強い眼差しを向けた。
夕日を受けて濃い影がかかり、里に入ってくる者がはっきりと見えないが四代目は無表情に言った。
「あの人の処置はお任せします」
「わかった。………ナルトは元気なようじゃの」
「ええ、…でも」
門をくぐり中に入ってくる姿に四代目は目を細めた。
彼の眼には、今し方向かった暗部に固められた大蛇丸も、彼を直接掴んでいる自来也と綱手も、誰も映っていなかった。
「ナルト!」
我が子をのぞいて、誰も。
「……おとうさん!」
ナルトは大きく目を見開いて思わず足を止めた。
大股で近づいてくる父を呆然を見つめた。どこかぴりぴりと張りつめた気配が伝わってきて自然と顔が強張った。
「俺は大蛇丸のほうにまわる。また後で」
脇に腕をまわしナルトが歩くのを助けていたイタチはそう残すと暗部たちの集団のほうへと行ってしまった。
「ナルト、先に行ってるわね」
サクラもサスケも、カブトをつれているカカシも、父の登場に離れて行った。
門の中にほんの数歩入っただけのところ、そこで何日かぶりに見る父の顔を見上げた。
「また会ったの。元気にしとったか?」
「……あなたの顔をまた拝めるくらいにはね」
皺をさらに深くして喉で笑った三代目に、大蛇丸は疲れた顔を歪めた。
それを懐かしそうに眺めて、三代目は綱手へと向きを変えた。
「綱手、急に呼び立ててすまなかったな」
「猿飛先生……、お久しぶりです」
「相変わらずその姿でおるのだな」
「女はいつまでも綺麗でいたいもんですよ」
「肌のはりまでは誤魔化せんがのお」
「自来也!」
瞬間飛んできた手を紙一重で避けながら、自来也は豪快に笑うと、悠然と構えている師を仰いだ。
「懐かしいのう。こうやって揃うのは何年ぶりか」
「お前には面倒な事ばかり任せてすまんな。ようやってくれた」
三代目は微笑むと、ゆっくりと並んだ3人の顔を見ていった。
年を経たが感じるものに変わりはなかった。
「皆、おかえり」
「おかえり」
「た、…ただいま、だってばよ」
にっこりと父は笑ってそう言った。
だが目が笑ってない。
額に汗を浮かべながら見つめていると、すっと父が右手をのばしてきた。
「左手見せなさい」
抑揚のない、声だった。
ナルトは視線を泳がせた。
無意識に右手で言われたところを掴んでしまう。
父は再び唇を動かした。
「ナルト」
「………はい」
ナルトはおそるおそる手を差し出した。
父は無言で袖をまくった。バンドも紋様も何もない手首にさして驚いた様子もなかった。
それに逆に驚いているナルトの前で、四代目はおもむろに空いている手を口元に持っていき、親指の先を咬んだ。腹を押して血を出すとその指でナルトの
手首の腹をなぞった。白い肌に透けて見える静脈にそって血をのばす。
しばらくたつと、赤く染まった皮膚に何か浮かび上がってきた。
黒い紋様だ。
以前ナルトに自らが施した呪印とは形状が似ているがその含むものは全く違うもの。
ぴく、と眉が上がった。金色の睫に囲まれた蒼い双眸がゆっくりと上がって自分の視線を射抜かれる。
刹那空気が裂けた。
「っナルトのバカーーー!!!!」
ものすごい怒号が辺りに響き渡った。
大蛇丸含む三忍の登場にざわついていた里が一瞬のうちに静寂に包まれた。
誰もが四代目の凄まじい剣幕に目を剥いていた。
「バカバカバカバカ!! こんな事して…一体何考えてんの!?」
ぐらんぐらんとナルトの身体を揺さぶって四代目はなお叫んだ。
「…っ……どうしてこんな事するの!!」
「だ、だって……」
「だってじゃない!!」
肩で大きく息をして、四代目は顔を歪めた。
目元をくしゃりと寄せて、それでも自分と同じ色の双眸を見る。
見つめるそれは今にも溢れたものが零れそうなほど震えていた。
だがそれは彼も同じだった。
「……父さんを…、残して逝くなんて事だけは……、絶対にしないでくれ……」
「…………お父さん…、ごめんなさい……」
「……ナルト…」
つぶやくナルトを四代目は抱きしめた。
両膝を地面について頭の高さを同じにして、そしてぎゅっと抱きしめる。
「ごめん……」
耳元で言うと垂れている髪が揺れた。
「……ごめんなさいってばよ」
きゅっ、と羽織が微かにひっぱられるのが伝わってきて、小さな身体がしがみついてきたのがわかる。
そう、しがみつくしかこの子はできない。
まだまだ小さくて、自分の背中に腕をまわすことだってまともにできない。
抱きしめれば腕の中にすっぽりと収まり、頼りないほどに細い。
それなのにいつもいつも限界まで小さな身体で心の感じるままに命を懸ける。
「…ありがとう…」
四代目は噛みしめるように呟いて、抱く腕に力を込めた。
「………ナルトちゃん、ものすごく怒られてたよね」
「は、はは……」
大蛇丸含む三忍の帰還に際し里のほとんどの人、もちろんナルトの同僚達は里の門へと集ま
っていた。
その中で稀な四代目の怒鳴り声。
我が子を抱きしめる父の姿に誰もが注目していた。
「で、昨日火影様が怒ったのと、どう関係あるわけ?」
「それは」
答えたのはサクラだった。
問うたいのも、周りに座るみんなも、そして聞かれたナルトも、微かに驚いた顔でサクラを見つめた。
「……私たちは昨日まで、綱手様捜索の任務についていた。そして、任務先で大蛇丸に襲わ
れた」
サクラは唇を噛みしめた。皆も笑ってはいなかった。
大蛇丸の名に顔を強張らせている。
「カカシ先生も自来也様も綱手様もいた。けどサスケ君はぼろぼろで死にそうになってて、私は恐怖で泣く事しかできなかった。……私は大蛇丸に殺されそうに
なった。でも、それをナルトが助けてくれたの。暗部の月読として、ナルトが助けてくれたの。ナルトがいなかったら、私もサスケ君も、今頃ここにいないわ」
ぎゅっ、と両手を拳にして握りしめたサクラはふっと遠い目をした。
そう、きっと死んでいた。
振り下ろされる太刀の煌めき。
狂喜に満ちた大蛇丸の表情。
世界の音が一瞬で掻き消された、あの絶望。
忍になると決意はしたが自分には訪れないだろうと思っていた出来事。
それが突然目の前に
現れた。
『サクラちゃん!!』
必死の形相で叫ばれたあの声が、今でも忘れられない。
全身から血を流して、風に漆黒の髪を舞わせて、その身を盾にして、
命懸けで守ってくれた。
「月読? お前、月読なのか?」
「ネジ、どうしました?」
平生では上げないような声を出した彼に、ナルトに負けず劣らず包帯を巻いたリーが仰いだ。
ネジは身を乗り出すほど食い入るようにナルトを見ている。
「噂を聞いた事がある」
「ウワサ?」
眉を顰めたまま器用に首を傾げたテンテンにネジは頷いた。
「暗部にかつてないほどの強者が配属されたっていう噂だ。年格好は黒く長いと独特の面をした子供で、全ての任務を無傷で帰ってくると一時期噂になってい
た。その者の名が月読だ」
「って、ようはナルトって暗部のエースって事か?!」
信じられねー! と叫ぼうとしたキバだったが、サスケとサクラに睨まれて思わず口をつぐんだ。
「だってよー、お前らは間近でナルトの戦いぶり見たからすんなり納得してんのかもしれねーけど、見てない俺にしてみれば到底信じられる事じゃねーよ」
「……キバ、お前は中忍選抜第三試験でナルトに負けている……」
「うるせーな!俺だってナルトの力は認めてるさ!けどよ、それとこれとは話が別だ」
あくまで無表情な言ったシノは激しく怒り出したキバには視線をやることもしない。
赤丸共々ますます機嫌を損ねていくキバだったが隣でヒナタが口を開いたのに気づいて2人とも動きを止めた。
「…私もキバ君と同じ気持ちかな……。その……ナルトちゃんを疑ってるわけじゃないの。ただ、なんか実感わかなくて…」
「僕もイマイチ納得できないな。っていうか何で暗部が下忍やってるわけ? それに何でその力を中忍試験とかで使わなかったんだ?」
ヒナタに続けて言ったチョウジはスナック菓子の袋に手をのばすこともなく、じっとナルトを見ていた。
ナルトは微かにたじろいだ。
こうも大勢からじっと見られるとどうも緊張してしまう。
いつも里の人に対して演説まがいの事をしている父にこんな時だが関心してしまった。
「それはーー」
「里の大人達は九尾を恐れてる。だから九尾の器であるナルトがそんな力もってると里の大人達に知ったら何しでかすかわからないから隠してたんだ」
ガラ! といきなり教室の引き戸が開けられた。
いきなりの入室者に誰もが目を丸くした。
銀色の光の加減で白に見える髪。
少し猫背な出で立ちはいつものとおりで左目を斜めにかけた額あてで隠している入室者にはいやというほど面識があった。
「か、カカシ先生!?」
驚きの余り奇声を上げたナルトに銀髪隻眼の上司は大げさに肩を落として見せた。
「ーったく、休校だってのにアカデミーが騒がしいと思ったら…」
はー……と盛大に息を吐いたカカシは、眠たそうな目で教室全体を見回した。
「みんなであーでもないこーでもないって話してても埒あかないでしょ。そんなにナルトの力が気になるんなら、俺がナルトと戦ってやるよ。そうすればこいつ
の力がどんなもんか納得できるだろ」
そう言い放ったカカシに大きな音を立ててサスケは立ち上がるとカカシを睨め上げた。
「ナルトはまだ怪我が完治していない。何考えてんだよ」
「サスケー、そんな恐い顔で睨むなって。それに、普通に考えたら俺のほうが不利なんだぞ?」
褐色のズボンに手をつっこんで、カカシはナルトを庇う姿勢をとろうとしている下忍たちに向き直った。
「ナルトは現役暗部。その点俺は現役を退いて長いし、ここ1年は下忍の教師だ。自慢じゃないが身体はだいぶ鈍ってる。まともにやったら俺の方が分が悪い
よ」
「でも…」
サクラは戸惑う表情を見せた。
ナルトは今教卓の前で立ってはいるがサスケの言うとおり怪我が完治していない。
皮膚は塞がっているものの無理をすれば開いてしまう。
当然感じる痛みだって薬で抑えている状況なのだ。
こんな時にカカシの言った事は得策には思えなかった。
だというのに、明るい声が後ろからした。
「いいってばよ」
「ちょっ……ナルト!?」
焦った声を上げるサクラにナルトは笑ってみせた。
「大丈夫だってばよ。みんなに納得してもらうには一番手っ取り早いってば」
皆が息を呑むのを聞きながら、ナルトは戸口にもたれるカカシを見た。
「決まりだな」
「お願いしますってばよ!」
こんな風に堂々と彼の右目を見れる事が少し不思議だった。
「武器の使用はなし。実際の戦闘を想定した上で相手が降参したらお終い。これでどーだ?」
「わかったってばよ」
さすがにここではなあ、というカカシの一言で教室からグランドへ移動したナルトは今にも愛読書を取り出しそうなほどゆったりと構えたカカシと向かい合って
いた。
アカデミーは設備不十分で今日は休校のため、生徒も教師もいないので異様なほどの静けさが漂っている。
「ほんとに大丈夫かしら。カカシ先生に限ってナルトをぼっこぼこにしちゃうことはないと思うけど」
対峙する2人以外は教室に残り窓から観戦、という事になったのだが、今だ不安の残るサクラは窓枠に頬杖をついたまま眉を顰めた。
真朱はぴん、と髭を伸ばしていたが声音は変えずサクラに返した。
「そう心配するな。もしもの時は吾が止める」
「それはそうなんだけど……」
「サクラ何しゃっべんてんのよ。始まるわよ」
いのに小突かれてサクラは慌てて視線を巡らせた。
アカデミーを囲む木々の落葉が乾いた音を立てて風に舞っている。
何枚も何枚も透けるような水色の空へと向かって巻き上げられ、そしてゆっくりゆっくりと落ちてくる。
その幾枚かが地面についたとき、視界が動いた。
忽然と姿を消した2人に誰もが息をとめた。
「ちょっ……早すぎでしょ!? 見えないじゃない!」
「……上だ」
サスケはつぶやいて、2つの巴の浮かんだ紅の双眸をせわしなく動かせた。
「右…、……上…」
自分に言い聞かせるように呟かれる声に反応して視線を動かせば、2つの影がとぎれとぎれにだが確認できた。
耳を澄ませば風をきる音と衣擦れの幾分かくぐもった音、時に甲高い音がしている。
打ち合う音だ。
そのうちに皆目で追う事にだけ集中しだした。
サスケの余裕も微かになり口を閉じた。
徐々にスピードを早めていくナルトとカカシを呆然と見つめた。
『ナルト、手首で投げるんだ。腕で投げちゃ駄目だよ』
『わかったってばよ!』
自分の手と、赤い印のつけてある木の的を何度も見比べて、そうして放たれた手裏剣は、小気味良い音を立てて目標のど真ん中へと突き刺さった。
それに満面の笑みを浮かべて全身で喜
びを表現する様子に、見ているこちらのほうも嬉しかった。
師と弟子という間柄と戦況の流れに、師の家に出入りする事がおのずと増えていった。
師が唯一の財産だという里の中心部に近いところにあるこじんまりとした一軒家は、住む者の人柄がにじみ出ていて、その頃不安定だった自分にとっては居心地
が良くて仕方なかった。
気が付くと家の中にいた。
火影の責務に追われる師に代わり、家事をこなすこともあった。
師と弟子。
その関係の中にナルトが入ってきた。
そして気が付いたら、自分たちの中心になっていた。
ほ乳瓶をくわえている頃から見ていた。
自分の名をたどたどしく口にするのを見ていた。
だから、まだ声に随分とあどけなさが残る頃から、父とそのような事をやっていた事は知っていた。
時には自分が手ほどきすることもあった。
そして、いつからだろう。
気が付いたらナルトはアカデミーにいた。
一生望めないだろうと思っていた人々の中心にいた。
たくさんの友人、仲間に囲まれて、ナルトは笑っていた。
その頃からかもしれない。
自分は里の上層の任務にあたるようになり、暗部の任務が主になってからは会う機会が減っていった。
やっと顔を合わせたのは下忍の上司となった時だった。
幼い頃と変わらない溌剌とした笑顔に癒され、けれど、明るさの裏に影を帯びたものをときおり見せる事が気になっていた。
自分にみせるのは笑みばかりで、それを追求することは躊躇われた。
今思えば、そんな頃には、ナルトは暗部に入隊し、月読として業績を上げていった。
九尾を懸念していたとはいえ、自らの力を呪印で封じるほどまでに力をつけていたのだ。
そんなナルトの相棒に自分はうちはイタチを推薦し、今では自分がいままでいた場所はイタチの存在で埋まっている。
近すぎても、遠すぎても駄目だった彼女の心の鍵は、自分ではなく、イタチだったのだ。
「ナルト」
高速で動いているために声が風で割れる。
しかし目の前で左半身を庇いながら、それでも拳を振りだしてくる彼女には十分聞こえているだろう。
そう思って見ればその通り、晴天色の澄んだ青い双眸が疑問符を浮かべていた。
カカシはにっこりと笑んで、急降下してくる足を腕をかざして防いだ。
「俺さ、これでも、結構怒ってんのよ?」
ぴくっとナルトは眉を動かした。
戸惑うような色が瞳に混ざる。
「……ずっと一緒にいたのにさ、何にも話してくれないんだもん」
それこそ、あいつよりお前を見てた。
そばにいた。
なのに。
「カカシ、先生っ……?」
一瞬カカシの表情に浮かんだものにナルトは動きを止めた。
上擦った声を上げるナルトに、だがカカシは攻撃を手を緩めない。
ぱん!! と乾いた音を立てて腕と腕がぶつかり合う。
「先生、なんて昔はつけてなかったでしょ? …そんなに俺ってお前と離れちゃった?」
「そんなこと…ない! ありえないってばよ」
カカシの肘を手で支えて下に力を流しナルトは彼の露わになっている目を見つめた。
ぎりぎりと力が相殺し合い関節が悲鳴を上げた。
「…私……は…っ」
ナルトは痛みを我慢した末に押さえ付けていたカカシの力を利用して身体を宙に浮かせた。その
ままカカシの肩を掴み足を振り子に身体を伸ばすとカカシの背後へと回り込んだ。
「!!」
動作の正確さと俊敏さにカカシは防ぐこともできずにナルトの腕が喉にかかるのを感じた。
心なしか切れた息使いが首元で聞こえてカカシは目を見開いた。
「私は……っ……」
「…ナルト、大丈夫か!?」
自分の背中にしがみつくようにして首に腕をまわすナルトにカカシは心からの心配の声を上げた。
いくら華奢な体躯だからといっても今のナルトには己の体重を支えることも辛いだろう。
校舎のほうから息をつく気配を感じた。
「ナルトの、勝ち、なの?」
(ああ、そうだな)
よく考えればナルトは自分の後ろととったことになる。
それに加え腕が首にまわっている。
実際の戦闘では、これは自分の死を意味する。
写輪眼を使ってないとはいえ、こうもあっさりとやられたことに正直驚く。
先日のカブトとの戦闘でその素早さは目にしていたが、こう手合わせしてみてその強さがよくわかった。
「ナルト、俺の負けだ」
カカシはまわされているナルトの腕に触れた。
布越しに包帯の強張った感触がある。
昔から人一倍怪我をしていたことをふいに思い出した。
「………ったんだってばよ」
ぼそ、とナルトが口を開いた。
「ん?」
「……いわなきゃって、思ってたんだってばよ!」
ぎゅうっっとしがみつく力が増した。
「ナルト……」
「心配、かけたくなかったんだ」
「なる……と?」
「……ごめん、ってばよ…」
ナルトはきゅうっと首をすぼめた。
足をぶらんとカカシの背中からぶら下げながら言う温もりに、カカシは目元を緩めた。
ひとつ息を漏らすと腕を後ろにまわしナルトの足にひっかけた。
急にバランスが安定してナルトは驚いて顔を上げた。
「えっわっ何!!?」
「何っておぶってるだけでしょーに。俺が言い出した事だが、無理したな。でもま、あいつらを納得させる事はできたみたいだけど」
「えっ」
カカシはナルトを乗せたまま身体の向きを変えた。
校舎の一階の窓、そこに並んだ顔をナルトに見せてやる。
そこからはいくつも声援があがっていた。
「ナールトー!! あんたほんとにすごいじゃない!!」
「上忍の後ろなんて普通とれねーぞお!!」
ぶんぶんと腕がちぎれるのではないかというほど腕を振って叫ぶ声はひとつだけじゃなくて、ナルトは素直に目を丸くした。
「……やっぱてっとり早かったってばね」
「俺のお陰だってこと忘れちゃ駄目だぞ」
首を捻ってにこっと笑ったカカシに、ナルトは戸惑うように言葉をのせた。
「あ、あのさ……先生、もう怒ってない?」
おそるおそるナルトはカカシの顔を覗いた。
親代わり、兄代わりのようにいつもそばにいてくれたこの人は、本当の感情をあまり表に出さない。
だからこそ尋ねなければならなかった。
ちゃんとこの人の目を見れるようになるには、そうしておかなければならないのだ。
「んー……怒ってないといえば嘘になるけど、お前に謝られると、正直困るんだよね」
軽くジャンプしてナルトをおぶなおしつつ、カカシはいつもと変わらないトーンで言った。
「謝ってもらったしね。ってことで、もう怒ってないよ」
「先生っ!!」
本当に嬉しそうに笑って抱きついてくるナルトに、ただし! とカカシは付け加えた。
「この先内緒事はなし。いいな?」
「わかったってばよ!」
すぱっと気持ちが良い返事をするナルトに、カカシは微笑んだ。
「砂隠れの里との件だが、順調にいきそうか?」
パイプから煙をふかしながら言ったのは、三代目火影だ。
火影の執務室で、窓際で夕焼けに染まる里を眺めていた四代目は、ゆったりと微笑んで振り返った。
「ええ、風影くんも回復したようで、近々会談を開く予定です。今大急ぎで資料を作ってますよ」
「それを聞いて安心した」
「俺もほっとしています」
里には活気が溢れている。
人の声に滲むものは喜。
すべて消え去ったとはいえないが憂ではない。
里人全員での復興は、目を疑うほどの速さで進んできた。
防壁の修復ももうわずかであるし、火の国の大名との関係にも大した影響は出ていない。
あとは、里同士の関係の修復のみ。
これがすめば、すべてが終結を迎える。
肩の力を抜いた四代目に、三代目は笑んだ。
「今日の勤めは終わっておるのだろう? 早く帰ってやれ。ナルトが喜ぶ」
途端四代目の顔がとろけそうなほどに崩れた。
もう嬉しくて嬉しくて仕方がないという様子だ。
「やっぱりナルトが家にいるっていいですね。こうぱっと家に花が咲いた感じで」
「お前はナルトがおらんと駄目人間だからの。おおそうだ。怪我が治ったら一度わしのところに顔を見せにくるように言ってくれ」
「わかりました。それでは先に失礼します!!」
言うやいなや四代目は窓枠に手をかけるとそのまま外へと飛び出した。
ひらひらと視界から消えた白い物に三代目は思わず立ち上がり窓へと駆け寄った。
「っこら! 窓から行くやつがあるか!!」
そう叫ぶものの、当の本人は難なく着地を決めて「すいませーん」と呑気に手を振っている。
「……全く」
三代目は苦笑すると、茜の空をみつめた。
朧に伸びる雲は紫に染まり、青い尾びれをひっつけている。
既に背後にそびえる火影岩は真っ赤に染まっているだろう。
日が沈み、月が昇る。そしてまた燦々たる金色の光を纏った日が昇り、大地の全てを照らす。
それだけはいつまでも変わらぬ事だ。
三代目は日が沈み、黄昏が世界を満たすまで、ただ空を見つめていた。
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