黒き牙の2
家に帰る途中、橋をひとつ渡る。
里を流れる川からさらに枝分れした南賀ノ川に架けられたもので、とても短いものだ。
ただその橋で家のある一族の集落と、里の中枢との仕切りのような印象があって、自分にとってどこか特別な橋だった。
これを渡れば家。これを渡れば里。
里に住んでいてこのような認識はおかしいのだろうが、幼い自分にはそんな風に思えていた。
自分にとって一族の家も、里も、何の面白みもない、ただの空間だった。
言われた通り、望まれる通りの事をすれば周りは自分を稀有な者をして扱う。
ただ写輪眼が早くから扱えて、ただ人より早く中忍に昇格しただけなのに。
それでも、将来の己の利益を考え、笑みを浮かべ人は寄ってくる。
別にそれに嫌悪を示すわけではない。
それが人というものだと、一族の血を一番に考える中で育って出た結論だ。
自分は父の望むよう、里の望むよう、ただ1人の忍として生き、そして死ぬ。
今までそれに不満を感じた事はないし、それが普通だと思っていた。
夢、希望などという想いは、自分にはなかった。
その橋のすぐそばに、大きく枝をのびた木が一本ある。
樫か楠は、はっきりとはわからないが、あまり背丈が無い割に幹の太い、がっしりとした木だった。
中忍になってから任務が明らかに増えた。
時間と手間がかかるものばかりなので任務報告も時間がかかる。
今日は一族の会合があるとかで自分は父について行く事になっていたので母に早く帰って来るように念をおされていた。
自然と足は速くなる。
すでに日は沈もうとしている。
急がなければ。
はら、とその木の青い葉が落ちてきたのはその時だった。
「?」
ちょうど自分の前髪にひっかかった葉に思わず足を止めた。
まだ瑞々しい葉を手に取り、反射的に上を見た。
ただなんとなく見ただけの行為だったが、上を見上げたまま目が逸らせなくなった。
(…誰だ…?)
一際太い枝に誰かが腰掛け、枝の間からずっと遠くを見ている。
歳は自分よりも5つ、6つ上だろうか。
身体つきはが自分の世代の感じではなく、母に近い。
だが服から露わになっている腕は足が異様なほど白く、華奢だった。
掴んで少しでも力を込めたら簡単に折れてしまいそうだ。
一番目を惹いたその髪は月の光のような金色で、胸よりも下あたりの長さで、今は風に舞っている。
肌の白さとは対照的に、唇は瑞々しい果実のように澄んだ紅色をしていた。
頬には引っ掻いたような痣が左右三本ずつ。
そして遙か遠くを見つめる瞳は、抜けるように澄んだ晴天の色だった。
魅入られた。
まさにそんな言葉が合うほど、その人の色彩や雰囲気に惹かれた。
「あ…、」
口から知らず感嘆の声が漏れる。
「ん?」
それに気づいてか、その人が自分を見た。
水晶のような双眸が自分を映す。
身体が震えた。
その人は何度か瞬きをして、首を傾げた。
自分が見ている事に戸惑っているのだろう。
その人の声をもっと聞きたくて何か言おうとするのだが、言葉が見つからない。
「あの、!」
「イタチ!」
声を出したと同時に後ろから母の声がした。
弾かれたように振り返ると母が息を切らせて走ってくるところだった。
「あっ」
慌てて枝のほうを見上げたが、そこにあの人の姿はなかった。
目を離したのはほんの一瞬だったはずなのに、どこにも気配を感じない。
(幻、だったのか?)
呆然と枝を見上げていると、母が自分のすぐ後ろで息を整えていた。
「ちっとも帰ってこないと思ったらこんなところにいたのね。父さんが待ってるわよ」
手をとられ急ぐように促されて、釈然としないまま家へと向かった。
「今日の会合は通常のものと異なる」
「どういう事ですか?」
南賀ノ神社へと向かう途中、父は腕を組んだまま言った。
「他里の輩が里に入り込んでいるらしい。狙いは写輪眼だ」
「……俺たちは囮という事ですか?」
「そうだ。本堂には暗部も配置される。ただ、この話は俺と、お前。あとは数名しか知らない事だ。もし暗部を見ても黙っていろ」
「わかりました」
イタチは頷くと、うちはの家紋の掲げられた鳥居をくぐった。
普段会合は神社の地下で行われるのだが、今回は畳もそのままに本堂の中に人が集まっていた。
「イタチ、お前も来たんだな」
「シスイ…」
入るとすぐにイタチよりも年長の青年が声をかけてきた。
彼は人懐こい笑みを浮かべていたが、きょろきょろと一度辺りを見回すと、イタチに小声で話し出した。
「…何か様子がおかしくないか? いつもは地下でやるのにここだし」
「…さあ。父さんは何も言ってなかったから俺にもわからない」
シスイは自分と歳が近いが、年嵩の者からも一目置かれる手練れだ。
写輪眼でなくとも一族以外の気配など気づけるだろう。
イタチはシスイと一言二言話しつつも、自分も辺りに目をやった。
天井、床、各2人。
あと本堂の外に数名。
断言はできないが確かに暗部はいる。
神社の構造を知っているから気配が辿れるが、他里の忍のように知識がない者になら気配などわからぬだろう。
(さすが、暗部だな)
素直に感心する。自分ならこういくだろうかと思案していると、一族の代表である父の声に皆が座り始めた。
イタチとシスイは上座から一番遠い所に座ると、通例通りの内容で会合が始められた。
はっきり言って、重大な事は議題に上がっていない。
元々囮の会合だ。
そんな内容を父が入れるわけもなく、起伏もなく会合は流れていく。
「……そういえばお前、暗部入りの打診あったんだろ?」
退屈したのか話しかけてくるシスイに、イタチも嫌な顔をせずに答えた。
「ああ」
「さすがだな。中忍昇格からまだ1年も経ってないだろ?」
嫌味ではなく、本心で言ってくれるシスイにイタチは口元を緩めた。
シスイはイタチにとって親しいと呼ぶに一番近い人物だった。
歳が近いのもあり、家も近かった。
幼い時からよく遊んでいて、忍として歩き始めた今は良き先輩として慕っている。
彼は特に幻術が得意で、一族の中でも既に頭角を示している。
自分も倣ってタイミングや術の範囲などを修行しているが、まだまだ追いつけない。
そんなことを考えていると、父の話がまとめに入っているのが聞こえてきた。
「お、そろそろ終わるな」
「ああ、…」
(……仕掛けてこないな)
イタチが眉を顰めた、その時だった。
「!!」
一瞬にして光源としていた蝋燭の炎がすべて消えた。
ガタガタと周りで人が立つ音がした。
忍は暗闇に慣れている。
だから完全に混乱状態に陥ったわけではないが、少なからず動揺する気配が伝わってくる。
「……どうなってるんだ…」
隣でシスイが呟いた。
見れば彼の眼は真紅に染まって、鈍く光っている。
彼の目だけではない。
辺りでいくつも写輪眼が浮き上がっている。
対し漆黒のままの目でいたイタチはとりあえずは状況を確認しようと立ち上がろうとした。
「!?」
イタチは目を見開いた。
足が動かないのだ。
そればかりか指一本さえ動かせない。
(…金縛り……?)
そう思った時首にひやりと冷たい物があてられた。
目だけ動かして見ればそれはクナイの刃だった。
イタチは自分を叱咤した。
ただでさえ動かない身体。
声さえ出せない今、為す術はない。
だが一族の事を考えれば今自分がされがままにされるわけにはいかない。
(……シスイッ!!)
一瞬でいい。
こちらを見てくれれば彼ならすぐに状況を把握してくれる。
「イタチ?」
心が通じたのかシスイがこちらを見た。
だがその彼の動きも次の瞬間にはぴたりと止まった。
彼も術をかけられたのだ。
(…くそ、どうすれば……)
そうこうしているうちに肩に何か細い物を刺された。
途端走る激痛に毒の類だと直感する。
意識が朦朧としてくるうちに強くひかれそのまま人の波から離された。
腕と足に縄をかけられ、クナイが首から離れたと同時に引きずられた。
皮膚を畳で擦り、痛みを訴えるがうめき声さえ出せない。
本堂から連れ出され、すでに境内の外に出ようとしていた。
月明かりの下、明らかになった敵の姿にイタチは目を凝らした。
境内の周りの木々に紛れそのまま逃走する手筈なのか、自分を掴む男の他にも同じ格好の者が何人かが木のそばにいた。
「…予定通りだ」
「ああ、急ごう」
短くそう会話し、男たちが次の行動に移ろうとした時、ひゅん! と風を切る音を共に銀の雨が降り注いできた。
イタチが見ている前で敵が一瞬で声もなく倒れていく。
自分を掴んでいた男も倒れ、助かったと安堵した瞬間まだ残っていたクナイが自分のほうにも降ってきた。
手足を縛られたこの状態では防ぎようがない。
イタチは固く目をつぶった。
キン!! と金属のぶつかる音がしてそのまま身体が痛みを訴えることはなかった。
おそるおそる目を開けたイタチは驚きに目を見開いた。
自分に背を向け、刀を掲げて暗部が一人立っている。
月光に照らされ、風に舞う金色の髪。
(まさか……)
「……間に合ったってばよー…」
安心したように息をつき、暗部はこちらを振り返った。
その顔に着けている面は狐を模したものだった。
イタチは薄れてく視界の中、面の奧で自分を映す青い瞳を見た気がした。
風に舞う、金の糸。
絡みつく、夕日の赤。
自分を映した、晴天の瞳。
この世界には、こんなに美しい存在があるのだと、初めて思った。
「……痛ッ…」
小さな声だが高い声音に意識が浮上した。
今だぼんやりとした思考に、自分が毒を盛られた事を思い出した。
何度が瞬きをして、目に映るものを認識しようとする。
まず見えたのは天井だ。
幾分かくすんだ白みを見せているが、それは薄暗いせいかもしれない。
ただ、自分が仰向けに寝ていて、その薄暗さにここがどこかの部屋だとはわかった。
(……俺はやはりあのまま敵に……)
意識を失うその時に見たあの暗部は夢か何かなのだろうか。
だが朧に視界を満たす光は人工的なものではなく、明らかに月の光だ。
その広がり方はーーー監禁する部屋にしてはおかしい気がした。
そう思って首を横に捻れば自分の寝ているベッドの長さほどの大きな窓があった。
ひかれた薄手のカーテンを透かして、月の光が入り込んでいる。
イタチはゆっくりと身体を起こした。
手足に痺れもないし、頭もすっきりしている。
そうして辺りを見回そうとした時だった。
「あ、起きたってば?」
ふいに声がした。
覚醒する時に聞いた、あの声と同じ声。
イタチは弾かれたように声のした方を見た。
そうして大きく目を見開く。
ベッドから少し離れた、窓の対の壁に凭れてこちらを見ている人がいた。
座っているからよくわからないがとても華奢で、細い肩や腕に艶やかな金色の髪が流れている。
自分を見る双眸は、暗闇でもはっきりとわかるほど、鮮やかな、青。
幻でも、夢でもなかった。
その事実に身体が熱くなる。
「…、あなたは……」
裏返りそうな声で聞けば、その人は曖昧に笑った。
そうして傍らに置いてあった狐の面を見せる。
「これでも今任務中だから名前は内緒でもいいかな? 不安だろうけど、私は君の護衛だから」
あ、つい話しにくいから面外しちゃったけど…まあそこは見逃して。
嘘偽りのない、本当に澄んだ声音が耳に心地よい。
頷けばその人は安堵したように微笑んだ。
「えっと…状況説明しとくと、今里にうちはの能力狙いで他里の者が入り込んでる。で、そいつらが神社にいた君をつれさろうとしたところを阻止。で、君をす
ぐ家に帰してあげたかったんだけど敵がまだ潜伏してる恐れがあるらしくってとりあえず今夜はここで待機。OK?」
「……ここは、どこなんですか?」
「私の家だってばよ。汚いけど我慢してくれってば」
こんなところには来ないだろうから。
その人はそう言うとふらりと立ち上がった。
その時に彼女の手が脇腹を押さえている事に気づいた。
イタチは慌ててベッドから降りる。
「怪我をしたんですか?」
「ん? ああ、ここまで来る途中に敵に見つかってね。私ってばドジだから、いつも怪我するんだってば。気にしなくていいよ」
「でも…、」
そう顔を歪めると、その人は膝を少し折ってこちらに目線を合わせると、にっ、と笑った。
「大丈夫だって。私よりも君のほうが心配だってばよ。傷口は手当てしといたけど、念のため薬ものんどこ」
その人はそのまま奧の部屋に行ってしまった。
手持ち無沙汰に部屋を見渡す。
部屋はアパートだからか、思ったよりも狭かった。
それでも家具やそういうものが少ない分窮屈さは感じない。
ある家具といえばベッドに箪笥。
奧の部屋が台所だとしたらそちらにテーブルがあるのだろうか。
殺風景な部屋に観葉植物の緑だけが唯一生気を感じさせる。
「お待たせ。はい、これ飲んだら寝たほうがいいってばよ。まだ朝まで時間あるから」
その人は小さく折られた薬包紙と水の入ったコップを渡してくれた。
「あなたは?」
促させるままに飲んでコップを返す。
その人は言った事にきょとん、と綺麗な目でこちらを見下ろした。
「私は、起きてるけど…?」
護衛の任務だから当然、というその人を俺は見上げた。
「なら俺も起きてます」
間髪入れずに言うと、その人は首を傾げて頭を掻いた。
「あんな事あったんだから疲れてるでしょ? 私がいると落ち着かないなら奧に……」
「疲れてません。それに、…そばに、いてください……」
自分でも、どうしてこんな事を言っているのかわからないほど気が動転している。
とにかくこの人のそばにいたくて手をのばす。
今し方渡したコップを掴む手に触れる。
細い手首に指をかける。
温かいそれに指先がとろけそうに痺れた。
(なんだろう…)
どうしてこんなに身体が熱くなるんだろう。
その疑問は、目の前のその人がふわりと笑ったことでさらに高まった。
「君が大丈夫なら。…とりあえず、これ、置いてくるね」
やんわりとこちらの手を離して、その人は再び奧に行って、すぐにもどってきた。
その手には手提げのついた箱がひっかけられていた。
里の忍に配給されている救急箱だ。
それに先ほど脇腹をおさえていたのを思い出した。
そもそも自分はこの人の苦痛の声で目を覚ましたのだ。
じっと救急箱を見ている視線に気づいたのか、その人は何度目かの苦笑いをした。
「大した傷じゃないんだけど、血がね」
「俺が手当を」
「えっ、そんないいってばよ」
「俺のせいで負った傷です。俺に手当てさせてください」
救急箱を掴み強く言えば、その人は大してこだわることもなく手提げから手を離した。
ベッドに腰掛けると暗部の白い防具を外す。
「消毒と、簡単に何か貼ってくれればいいから」
軽い調子でその人は言うが、傷口に眉を顰めずにはおれなかった。
黒い上着の腹の部分は明らかにどす黒く湿っている。
それを見たと同時に鼻孔を鉄の匂いが塞いだ。
大した傷に違いない。
そっと上着を捲り上げると、短いが、刃物で斬られた跡があった。
まだ血も止まっていない。
ベッドの脇に膝をつき、傷口を綿布でおさえる。
それにびくりと白い身体が震えた。
この人は、ここにいる。
馬鹿げた実感だとはわかっているが、痛みに震えたこの人が、本当に人なのだと実感できた。
「手慣れてるってばねー」
「…中忍ですから」
「中忍!?」
消毒を済ませ、希望通りガーゼをあてるだけで済ませた手当てをしてその人の顔を見上げると、月の光を背にしたその驚いた顔がぼんやりと浮かんでいた。
「えっ、君っていくつだってばよ?」
「今年で11になります」
「えええっ!!!……いたた」
大声で叫んで、その挙げ句傷に響いたのか傷口をおさえるその人に思わず苦笑する。
この人の反応は、なぜだか不快じゃない。
世辞も何も含んでいない、ただただ透明な声だからだろうか。
それとも
(この人だからだろうか…)
その人はまじまじと見てくる。
「あ、だから君あんな大人ばっかの会合にいたんだ?」
「会合には、写輪眼を使える者であれば誰でも」
「……………ほーーー、ってじゃあ君写輪眼使えるんだってば!?」
「一応は」
「うっわー、何か劣等感を猛烈に感じるってばよ」
これはまいった、と顔を手で覆うその人はひとしきり唸ると手を浮かして救急箱を片づけているこちらを見る。
そして、ん? と首を傾げる。
「……何か初めて会った気がしないんだけど…、どっかで会った事あるってば?」
戸惑いがちなその言葉に身体が震えるほど反応した。
(やはり、あれは幻じゃなかった…)
弾けるようにその人を見ると大きく頷いた。
「今日の夕方、木の上にいるあなたを見ました。話かける前にあなたはどこかへ行ってしまわれたようでしたが」
「あー、あの時の!! ちょっと休憩のつもりであそこにいてさ、君を見て集合時間に遅れそうなの思い出して急いでて…」
「あそこにはよく?」
「そうだってばねーときどきだけど。案外里がよく見えるんだよね」
そう笑う様子にこちらも笑みを浮かべる。
あそこに行けばこの人に会える。そういう事だ。
どうしてこんなにもこの人のそばが心地よいのかわからない。
ただ、この人を熱望している自分がいる。
色のなかった世界が鮮やかになっていく。
それだけで、十分な気がした。
「何にしても、今日は災難だったってばね。ほんと、無理せず休んでくれていいってばよ?」
真摯に言う、その唇と、眼差し。
(本当に、災難だったのだろうか…)
自分には、甘美は含みを持ってさえ響いてくるその声音。
そばにいると思うだけで生まれるこの高揚感。
自分は、一体どうなってしまったのだろう。
太陽が昇りかけ、部屋の中がうっすらと明るくなった頃だった。
他愛のない会話の響く部屋に、2度、ドアをノックする音が聞こえた。
「はいはーい」
その人は大して驚く事もなくドアを開けると、そこには長身の男が1人立っていた。
服装から上忍だと知れるその男は、左目を額あてで、顔の下半分を布で隠した出で立ちで、彼女ににこりと笑った。
「いやあー、自宅で任務ご苦労さん。引率に来たよー」
「そっちこそお疲れだってば。わざわざ着替えてきたんだってば?」
「暗部の格好ではさすがにね。あらま、彼起きてるじゃない」
ちらりと視線を流されて、イタチは立ち上がると頭を下げた。
それに男は目を細める。
「思ったより元気そうだ」
「私に付き合ってずっと起きてたんだけどね。あ、この人が君を家まで送ってくれるから」
手招きをされ、イタチは眉を顰めた。
せっかく一緒にいられたというのに、とこの男に不快感だけが募る。
「あなたではないんですか?」
「んー……、私はちょっとね…」
思わず言えば、困ったように言って彼女は男を仰いだ。
明らかにその男を信頼している様子の彼女の様子。
明らかに自分よりも彼女に近い位置にいる男の存在。
気に食わない。
知らず眼差しがきつくなっていたのか、男は一瞬その目を険しくしたが、すぐにへらりと笑った。
「そんな警戒しないでよ。俺もこいつと一緒でお前の護衛役なんだよ?」
「そうだってばよ。ほら、早くしないとお父さんとお母さんが心配するってばよ」
彼女に促され、イタチは気が進まないながらもドアの方へと歩いていった。
綺麗にそろえておかれている自分の靴に目を落とす。
しかしつっと顔を上げると、やわらかい眼差しで自分を見る彼女を見つめた。
「………ありがとう、ございました」
「ほえ? ああ、そんな事いいってばよ。こっちは仕事だし。でも君と話せて楽しかったってばよ」
そう言って笑ってくれる様子に、強張っていたものが溶けた。
イタチは頭を下げると靴を履き、男の後をついてアパートの階段を下りていった。
男は無言で自分の前を歩いている。
だが常に見られているような、そんな隙のない気配をぴりぴりと感じた。
それでもはっきりさせなければならない事がいくつかある。
「聞きたい事があります」
「んー? 何かな?」
間の抜けた声で男は微かに歩みを遅めた。
「どうしてあの人が一緒ではないのですか?」
「何よ。俺じゃ不満なわけ? それともどうせなら女のほうがいいっていうの? やだねー最近のガキは」
大げさに肩を竦める男に、不愉快だと剣呑とした表情をした。
「俺はそんな事にこだわっているわけではありません。ただ、気になっただけです。これから任務でもあるんですか?」
そう返すと、男は口に手をあてて考え込むそぶりをした。
「いんや、別にそゆわけでもないよ。あいつしばらく夜勤で、今日あたりから休暇じゃなかったかな…」
「ではどうしてです?」
「まあ何て言うのかなー。人には言えない事情ってもんが1つや2つあるもんでしょ? それそれ」
「………あなたは知ってるんですか?」
声を低くして言えば、男は急に立ち止まってイタチを見下ろした。
「まあ、ね。これでも同期だから。あ、そうそう。事情ついでに親に何か聞かれたら、俺と一緒にいたって言ってくれると非常に助かるんだけどなー」
ま、俺でも印象は悪いだろうけどー…。
そう付け足す男に、イタチはますます眉を顰める。
しかしそれがあの人の事情に関係するなら、自分に拒む気はない。
「あなたの名前をお聞きしておいていいですか?」
「おっと、そうだよね。名前知らなきゃ嘘もつけないよね。俺はカカシ。はたけカカシだ」
「わかりました。…あの、あの人の名前は?」
「んん? なに、聞いてないの?」
意外そうに言うカカシに、ますます面白くない、と顔を歪めながら頷いた。
「任務中だからと教えていただけませんでした」
「あいつ変なところで真面目だからなー。でもま、任務一応終わったんだから知っておいても大丈夫でしょ」
その切り返しに、自然と表情が弛んだ。
それにカカシは目を細めながらも言葉を紡ぐ。
「あいつの名前はナルト。うずまきナルトだ」
「うずまき……、ナルト………?」
それが、あの人の名前。
この世界の、彩の意味。
「兄さんっ!!」
そう駆けてくる弟の小さな身体を受け止めて、安堵した表情をした両親の顔を見て、
それでも浮かぶ、金と青の色彩。
あの人に、近づきたい。
強くなればあの人のそばにいられるのだろうか。
そう、何の確証もなく、思った。
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