黒き牙の5
暗部となって一月ほど経った頃だった。
(…とうとうか)
手にある任務書を見て、イタチは微かに瞠目した。
これまで数十の任務を主にフォーマンセルでこなしてきたが、そのどの任務にもこの遂行項目はなかった。
”人身売買組織の壊滅”
”ルートの確認がとれた場合、関係者は残らず殺害”
”殺害”ーーー人を殺す。
不思議なくらい頭の中はすっきりとしていた。
とうとうか、と思うくらいだ。
イタチは任務書をたたむとポーチにしまい、部屋の片隅に置かれている白い防具に手を伸ばした。
今回の任務は火の国の大名家からの直々の依頼だという。
(まず襲撃するのが本部と思われる拠点…。万が一にルートの確認ができなくても、…一部を生かして泳がし、他の拠点があるようであればそこも押さえてい
く)
身支度をし、面をつけたイタチは里の中を移動していた。
この任務も通常のようにフォーマンセルかと思ったらツーマンセルであたるらしい。
機動性を重視し、徹底的に拠点を破壊するのが自分ともう一人に課された任務だった。
その後の処理は別動隊に引き継ぐ流れになるらしく、自分のいる隊はとにかく叩ける拠点をすべてあたって事後処理を別動隊に頼むだけ。
それにしてもーーー、一体誰だろう。
お互い仮初めの呼び名でコミュニケーションをとるので余計に正体がわからないが、戦闘に臨むのであれば相手の戦闘スタイルは把握しなければならない。
相方となる者を想像しながら、待ち合わせ場所ーーー里の大門へと向かう。
今日は新月を少し過ぎたあたりで、空に浮かぶ月は猫の目のように細い。
そのわずかな光源の下でも、目立つ大門はすぐに視界いっぱいに広がった。
この時間帯は門は当然閉じられているので、外壁の上へとイタチは着地する。
まだ誰もいないなーーーと思ったが辺りを見渡そうと思った瞬間に誰かの気配がすぐそばに現れた。
反射的に身構えて、その気配を見たイタチは息を詰めた。
自分よりも3メートル先に気配の主がいた。
華奢な体躯。
そして、夜の闇のなかでもしっとりと艶のある金色の髪。
その顔に狐を模した面を付けていたとしても、イタチにはそれが誰かすぐにわかった。
「っナルトさん!」
「時間通りだってばね」
こみ上げる喜びに名を呼ぶと、彼女は面を外して笑った。
その笑顔を見るのは、実に一月ぶりだった。
暗部の生活はやはりそれまでとはかなり違い、正直ナルトを探して会いに行く時間も余裕もなかったのだ。
暗部にいればいつかは任務で会えるかもしれない。
そう思ってはいたが、一月ほどが経っても会えない状況に心がかなりすさんでいたので、今その人に会えている事実がとてつもなく嬉しい。
イタチは自分も面をはずすと我慢できずにナルトへと近寄った。
まだ自分の方が少し背が低いので少しだけ見上げる形になるが、すぐそばでみる彼女は記憶の中のまま、まばゆかった。
感慨にふける自分の様子に彼女は首を傾げると、どうしたの? ときょとんとしている。
その様子に、相手が年上だとわかっていても、可愛い、と感じた。
「…久々にお会いできて、…嬉しくて…」
「そんな大袈裟だってばよ。…でも、私もイタチに会えて嬉しいってばよ」
そう花がほころぶような笑みで言われて、身体が熱くなった。
嬉しい、この人がそう思ってくれることが。
だから礼を言うと、ナルトは目元をゆるめ、けれどすぐに引き締めた。
「私もありがとうだってばよ。…イタチ、今回が…初めてだって火影様から聞いたってば」
「はい。…大丈夫です。覚悟はできています」
「うん、私もそこまで心配はしてない。イタチのことだから、ね」
まあ、何かあれば必ずフォローするから。
そう言ってナルトは面をつけると、「じゃあ行こう」と外壁から飛んだ。
情報は正しく、襲撃した拠点は本部に間違いなかった。
鬱蒼とした森の中にそれこそ木々に隠されるようにしてあった平屋の小屋は一見すると猟師小屋にしか見えない。
けれど実際は地下へと続く隠し扉があり、広さのさまざまな檻がいくつも並ぶ地下空洞へと繋がっている。
その地下空洞は檻の他に対面室のような部屋や、地図が広げられ簡素な執務机があるような部屋など小さな部屋も多くあった。
また、この地下空洞にはいくつか地下道がつながり、河川や主要な街道へと抜けられるようになっているらしい。
それは既に手に入れていた情報でもあったが、イタチはナルトの指示で執務机がある部屋へと忍び込んでいた。
組織の人間が一人そこで何か書き物をしていたが幻術を施して夢遊状態にさせておいて、イタチはむしろ堂々と姿を見せながら資料を確かめていた。
ナルトは捕らえられている人々の避難経路の確保にまわっているが、イタチによる情報の裏付けと、他の拠点の位置がわかり次第こちらに合流し、組織の人間を
襲撃することになっている。
あまり丁寧に記録をつけているようではなく、ファイリングされていない紙の山をより分けながら、それでも確固たる資料だけをまとめて、写輪眼で見る。
こうやって記憶に焼き付けておけば、万が一に紙などの資料がなくなっても問題ない。
(…組織の規模は…火の国だけでなく滝の国にまで…それなりに広いな。それにしては拠点の数が少ない…)
そう思い売買のやりとりのものと思われる記録をみると、人の確保をして間もなく売りに出していることが読み取れた。
現地で調達し、少なくとも町は2つほど距離を空けるものの、そう遠くないところで売りさばいている。
もしくは女衒に横流しをしているようだ。
それならばそう拠点は必要ない。
人員たちの連絡系統と金の流通経路が確率されていれば回る。
これはーーーこの本部を叩けば大方の事が片付くかもしれない。
イタチはそこまで確認して資料をしまうと、親指の先を口先につけ、短く吹いた。
ヒュウ、という非常に高い音ーーー訓練しているものでなければ聞き取れない口笛で合図を出す。
物的証拠が確保できたらするようにと言われていた指示だ。
「…早かったってばね」
間もなく自分のすぐ横にナルトが軽やかに現れた。
その手には鍵束があり、イタチが目線を遣るとふ、っと面から見える瞳がやわらかくなった。
「捕まっている人たちに私の影分身を紛れ込ませてきた。…乱闘になって人質をとられるようなことはないよ」
他にも地下道やこの拠点の外観である小屋のほうなど、至る所にナルトは影分身を配してきたという。
通常影分身は自分のチャクラも相応に分配されるので多様は避けられるが、完全に逃げ道を断つ点からいえば精神的に追い詰めることもできて効果が大きいだろ
う。
この短時間に完全に体制を整えたナルトにイタチは素直に感嘆しながら、この様子ならば一人で任務にあたっても問題ないのではないだろうか。
そう呟くと目の前のその人は苦笑を漏らした。
「私はそこまで優秀じゃないってばよ。万が一負傷したらやっぱり誰かいないとまずいし、…それに、一人だとアリバイができないから」
「それは…そうですね」
暗部があたる任務は里や国の機密に関わることばかりだ。
そこに誰が関わっているかは別にして、一人であたっていてその任務の内容や報告に疑いがかけられた場合、やはり一人では弁明のしようがない事態も出てく
る。
(…特にナルトさんは九尾の人柱力だから、人の見る目が厳しいのだろうな…)
シスイに話を聞いてからそれとなく中忍時代の同僚や暗部で任務が同じになった隊員の様子に注意をしていたが、多くはないがナルトの話題が出ていた。
ただそれは畏敬と憧憬の真っ二つの意見に綺麗に分かれていて、イタチは下手にその話題に入ることは避けて微かに耳に入る情報だけに気を配っていた。
年配のーーー隊長クラスの者達には、ありのままにナルトの優秀さを誉める者もいるが、多くは蔑む言葉を口にしていた。
彼らにとってナルトは、あくまで里を襲った化け物でしかないようでーーー日々そういった扱いをされているのだ、とその冷え切った眼差しに胸が苦しくなった
記憶はまだ新しいーーー
「イタチ?」
「! すみません」
ふいに記憶に沈んでいたのでイタチはナルトの呼びかけに素直に謝った。
彼女は諫めるわけでもなく、ふわりとイタチの肩から二の腕のあたりに手を置いた。
黒い手袋に覆われているために直に手の平が触れたわけではないのに、イタチはナルトに触れられている部分に熱が集まるのを感じた。
震えそうになる身体を抑えて面からみえる青い瞳を見つめると、それはやさしい眼差しが自分に向けられていた。
「…ターゲットの数は、この部屋のその人を含めて20。…私とイタチが動き出せば私の分身も近いターゲットから攻撃を始める」
「はい」
「見たところそれなりに武装もしているから、油断はしないように」
「…はい」
「あと、捕らえられてる人たちはきっと私たちに怯えて…結構騒ぎになると思うけど…」
「ターゲット殲滅が優先ですね…?」
「うん。そう…。じゃあ、行こうか」
ちょっと散歩にでも、と言うような、とても軽やかにそう言葉が告げられた一拍後、幻術にかかってふらふらとしていた男がドサっと音を立てて崩れ落ちた。
目だけ動かしたイタチの視界に、男を中心に鮮血が広がっていくのが映る。
そして、ナルトが持つ片刃の刀が赤く染まっているのが映りーーーイタチも背の刀を抜いた。
その後は、まさに阿鼻叫喚だった。
犯罪グループの怒号や断末魔の耳障りな声ーーーそしていきなりの惨劇に恐れおののく檻の中の人々ーーー。
その中で、ナルトだけが張り詰められた糸のような凛とした緊張感を持ちながらも、華麗な剣舞を披露するように軽やかに動いている。
ナルトを中心にあたりに止めどなく赤い血潮が飛び散り、けれど彼女は返り血を浴びることなく次々に屠っている。
イタチも刀を振るわなかったわけではない。
ただ、ナルトがとにかく素早くて、完全に援護する側に落ち着いたのだ。
「……」
「っぐ!!」
ナルトの進攻先から漏れた男にイタチは躊躇うことなく斬りつけた。
肉を切る感触ーーーと、切っ先が関節にかかり刀が留まったのを手首を返すことで強引にはずす。
グギ、と生理的に気持ちの悪い感覚と音が鳴ったが、イタチは表情も変えず斬った相手から離れた。
そうして、すべて片付いたのはーーーきっと20分も経っていない後だった。
後から考えればおかしなことだと思うが、その時の自分は、舞うように人を斬るナルトの姿をとても美しいと見惚れていた。
返り血を浴びることもなく、その艶やかな金色の髪が空に広がる様はいっそ神々しい。
むき出しの地面になっている足下は、おびただしい血にどす黒く湿っていた。
ひゅん、と刀を一振りして、ナルトはそれを背の鞘に収めると、檻の奥に固まっている人々に向き直った。
どこからともなく押し殺したような悲鳴や嗚咽が上がる。
自分達も殺されるのかーーーきっとそう思っているのだろう。
致し方ないことだな、とイタチはナルトのそばに歩み寄ると檻の中を見遣る。
大人子供合わせて50人ほどだろうか。
男と女とだけ大雑把に檻を分けられただけの人々は、それぞれの檻の中の他の面々と肩を寄せ合い怯えきった顔でこちらをみている。
中には期待を滲ませた顔、逆に蔑むような、また怒っているような顔の者もいる。
唐突にナルトの声が響いた。
「我々は木の葉隠れの忍である。火の国大名様からの依頼のもと、人身売買組織殲滅のためにここにいる。…驚かせたと思うが、我々はあなた方を傷つけるつも
りはない。まもなく木の葉から増援が、また明朝には火の国から別の隊が到着しあなた方を保護する運びになっている。…ここは検分が入るので、申し訳ないが
上に移動していただきたい」
澄んだ高い声に密やかにざわついていた人々が異様なほど静かになった。
けれどそれもほんのしばらくのことで、すぐに「助かった…」と安堵する声がその場に溢れる。
この様子ならすんなりとこちらの指示に従ってくれそうだとイタチも内心ほっとした。
それはナルトも同様だったのだろう。
ふ、っと肩の力が抜かれて、彼女は檻へと近づいていった。
そして予め確保していた鍵を檻の錠に差し込む。
ギイイ、と錆び付いた音を立てながらも鍵は問題なく開き、それと同時に控えていたナルトの分身らが檻の中の人を引率していく。
このまま人々を上へと移動させ、後は木の葉の別動隊を待つだけだ。
任務は大方終わったな、とイタチが視線をナルトから離した刹那、女の叫び声と、ガっ! と何かがぶつかる音がした。
え、と音のしたほうに顔を戻せば、1人の少女がナルトに掴み掛っているところだった。
背丈はナルトよりも小さいが、華奢なナルトと少女の対格差はそうない。
ナルトは大して抵抗もせず、ただ少女を受け止めるような体勢をとっている。
その事に視線を彷徨わせたイタチは、弾かれたようにナルトへと駆け寄った。
少女を引きはがそうと腕をのばしたとき、けれどそれは瞬間向けられたナルトの強い眼差しに止められた。
有無を言わせぬ眼差しは、如実に近づくなと告げている。
檻の中の人々も驚いたようにその少女とナルトを見つめているがそれだけで、誰も止めない状況に少女はより強くナルトへと掴み掛かった。
その顔は憤っているとしか言いようがなく、発せられた声にも怒りが溢れている。
「あんたどういうつもり!?」
「……」
「私はね、自分で望んで売られたの! 木の葉だが大名だか知らないけど、私は保護なんて望んでない! …何もない村に戻りたくないのよ!!」
「…売られることがどういうことかわかって言っている?」
「当たり前でしょ!? 私は火の国一の花街に売られるって…遊女にしてくれるってアイツらが言ってた。村で貧乏暮らしよりもよほどいいわ!」
「…ご両親は?」
「親? 最初は反対してたわ。でも最後は私よりもお金を選んだ」
「そのとき…花街に売られると言われた?」
「は? 当たり前でしょ? 私なら花魁も張れるとアイツらは言って普通よりも多くお金を積んだんだもの。…っさっきから何なの!? 言いたい事があるなら
はっきり言いなさいよ!!」
淡々と質問を重ねるナルトにさらに怒りが増したのだろう。
少女は息巻くとナルトに抑えられていた腕を動かせるように無理に振り上げた。
それはナルトの左頬のあたりに勢いよくあたり、パアンと鈍い音と共に面が外れた。
面は勢い良く地面に跳ね落ち、湿った音を立てて血溜まりに転がった。
耳をつんざくような激しい音が立った事に、瞬間少女の顔が引きつった。
そこまでするつもりはなかったのだろうが、結果的にナルトの頬を打った少女はけれど開き直ったように眦をさらにつり上げた。
息も荒く睨みつけて来る少女に頬を打たれたまま右方を見ていたナルトは、やはり静かな声音で呟いた。
「言いたいこと…か」
静かな、声。
けれど、それはぞくっとするほど凪いだ声だった。
ナルトはゆっくりと少女の顔を見た。
視線が合い、正面からナルトの顔を見た少女ははっとしたように目を見開いた。
それは見惚れているようにも見えて、そばに留まっていたイタチも、食い入るようにナルトの顔を見つめていた。
無理に面を外したために頬にすり切れたような傷がつき血がにじんでいたが、それがナルトの肌の白さを際立たせている。
白い顔を覆う金色の髪は薄暗い地下でもしっとりと艶やかで、澄んだ青い瞳とうっすらと色づいた唇ーーー。
優しい日だまりのようなぬくもりを一切消した、冬の月のような凍える凛とした表情の彼女は、瞬きも忘れるほど美しい。
まさか何人もの人間を瞬く間に殺した者がこんな女性ーーーそれも美しいと思わなかったのだろう。
ナルトを知るイタチでさえ見惚れていたが、少女はしばらく呆然とナルトを見つめ、けれど自分の怒りを思い出して再び眼差しをきつくした。
それを真っ向から受け止めながら、ふいに、その顔が破顔した。
途端、花が綻ぶような温かい雰囲気を纏ったナルトが口を開いたとき、それまでは無かった気配が突然現れた。
「!!!」
地上へと続くほうから感じた気配に、ナルトも、そしてイタチも弾かれたようにそちらを見た。
(……誰だ…?)
そこにいたのは、全身黒尽くめで、顔の半分に包帯を巻いた男だった。
左腕は…服の中に入れているようで隠れているが、露わになっている右腕は杖で支えられている。
後ろに暗部のものに似た白い面をつけたーーー体格からして男ーーーを二人引き連れている。
気配と姿からかろうじて同里の者と感じられるが、異様な威圧感を持つその男をイタチは知らなかった。
けれどナルトが明らかに警戒度を高め、また緊張しているのが男を見る眼差しの強さからわかって、そっと彼女に近寄った。
新たな人物の登場に驚いて勢いの収まった少女をナルトから引き離して、自分の後方、檻の入り口のほうへと誘導する。
なんとなくであるが、男の視界上に少女を置くのはあまりよくないことのように思えたのだ。
ナルトも同様に思っていたようで、イタチの行動に小さく「ありがとう」と言ってくれた。
存外あっさりと少女がナルトから離れたのは、男の雰囲気があまりに薄暗かったからだろう。
男は無表情にこちらをみており、後ろに面の男を配している様子からも余計に恐怖を誘う。
未だ檻の中で待機していた人々も同様なのだろう。
凡人でない雰囲気の男の登場に隠す事無く恐怖を顔に浮かべている。
立ちこめた暗い空気を破ったのは、ナルトだった。
「…ダンゾウ様、同じ里の者とはいえここは我々が火影様よりお預かりした場所…。勝手に立ち入られては困ります」
「ああ…それは知ってる…ただ、その女のように帰り先に困る者がいれば儂が後見になろうと思ってな」
出先の用事のついでに寄ったのだ。
至極落ち着いた声で言った男ーーーダンゾウにナルトは完全に向き直ると、ちら、と彼の後方を見遣った。
地上にいた分身達はーーー臨時待機場として用意していた簡易テントの中で収容されていた人々といる者以外消されている。
というか、ダンゾウが今あの場所に出現したと同時に消された、というのが正確なところだろう。
そのような勝手を平気でしてくるのは自分が相手だからだろうなとナルトが胸中でため息をついたとき、ふいにダンゾウが嘲笑した。
「…それにしても、保護しようというのに噛み付かれるとは…。お前のような者が今や暗部の筆頭とは…嘆かわしい限りだな」
「申し訳ございません」
「自分に非があると認めるのなら、おとなしく指揮権を渡してくれるな?」
「それはできません。この方達の身柄は火の国に保護されることが大名家と火影様の間で既に決まっております。…お引き取りください」
きっぱりと言い切ったナルトの様子にダンゾウはくつりと笑うと、ついている杖の切っ先でがりっと地面を打った。
「確かに決まっている。だが、本人が望めば酌量の余地はできよう。…女、そこまで郭に行きたいというのなら儂が連れて行ってやろう。もしくは、忍…という
選択肢もある」
「…え…?」
ふいに自分に投げかけられた言葉に、少女は当然のごとく戸惑いの声を上げた。
それにさっとナルトが顔を彼女に向けた。
「…君が本当に遊女になりたいというのなら、私が正式な手順を踏んで紹介する。……言ってること、わかるよね? あの方じゃなくても、できることだ。悩ま
なくて良い」
「…っ…」
落ち着いた声音だったが、微かに焦燥が滲んだ声だった。
少女はびくっと一度ダンゾウを見て、それからナルトへと目を戻すと、何度もコクコクと頷いた。
ナルトも、ダンゾウも、今し方出会ったばかりのーーー少女からすれば得体の知れない者だ。
けれどどちらが自分に親身になってくれるかは、その雰囲気でわかったのだろう。
少女の判断にイタチは納得して、そして警戒を強めた。
ナルトの対応を見る限り、ダンゾウという男は里での重役と思われる。
火影の直轄部隊の暗部へと口出しをしてくる者はそうそういないのだ。
ただ、要注意人物なのだろう。
ナルトも話す言葉はあくまで敬語だが、ダンゾウへと放つ気迫は警戒心を全く隠していないのが良い証拠。
あきらかにダンゾウを危険視している様子に、ダンゾウを初見のイタチはけれどすんなりとそれに沿った。
突然ここに現れて、言葉にはしていないが、捕らわれていた人々の身柄を自分に渡せといってきているのだ。
それだけでも不信感は高まるし、何より、彼はナルトを軽視している。
それが一番気に障った。
知らず睨むようになったこちらの視線にはまだ気づかないのか、ダンゾウはまた喉の奥で笑ってナルトへと言葉を飛ばす。
「ああ、お前はよく諜報にあたるのだったな。…確かに、父親譲りのお前の容姿は郭で男に媚を売るのに役立とうて。…それに、お前は存外人の懐に入り込むの
がうまいようだ。先ほどはその女に噛み付かれていたというのに」
「…。お引き取りください」
「…火影もなぜお前を野放しにしておくのか。…九尾をコントロールできるから良いとは言っても、…そんなものはお前があの化け物にも媚を売っただけで一時
的なものであろう…。のう、狐憑き」
「っ…!」
ぎり、っとイタチは歯を食いしばった。
そうしていなければ沸点に達した怒りが爆発しそうだった。
けれどそれでも口元から堪えきれなかった怒気が息としてこぼれた。
(何を好き勝手に!!)
ダンゾウが一体誰なのかなどもう関係ない。
ここまでナルトを侮辱する者を自分は許せない。
そう、ダンゾウに近づこうと足を進めて、止まった。
形容できないような熱気に反射的に身体が強張ったのだ。
何事かと考える間もなく、視界に朱い熱気がゆらゆらと舞った。
「!」
それはーーーナルトから発せられていた。
彼女を中心に、ちりちりと陽炎のような焔が揺らめいている。
ふれても実際に燃えるということはないようだが、それでも確かな熱気を持っている焔。
それに驚愕しながらも、そっとナルトの表情を窺い、そして、イタチはさらに目を大きくした。
彼女の空のように澄んだ青い瞳は、焔と同じ、鮮やかな真紅に色を変えていた。
自分の持つ写輪眼の赤とはまた違う、それは苛烈なまでに華々しい燃えさかる炎のゆらめき。
話にだけ聞いていた、きっとそれが九尾の力。
イタチはダンゾウに相対するナルトを、さらに食い入るように見つめた。
ナルトが、それはそれは鮮やかに笑ったからだ。
それはあたたかく包み込むような類の、いつもの彼女の笑みではない。
イタチは直感的に、その笑みが相手を威嚇するための故意のものだと感じた。
(ナルト…さん…っ)
ナルトの雰囲気の変化にダンゾウの後ろにいた二人が瞬時に反応して前に出てきた。
それらをナルトはちらりと一瞥する。
刹那、火花が散って男達の面から一瞬ではあるが炎が上がった。
ボウ! と短く上がったそれは男たちが声を上げるよりも早く消失し、白かった面に黒い焦げた跡を残した。
一気に体勢を崩した彼らを尻目に、ナルトはすっとダンゾウへと目を細める。
「私への誹謗はいくらでも…。だが、父や彼女、それに、…九尾を侮辱するような発言はやめてください」
「…お前…! 儂にその力を行使する意味がわかっておるのか」
「わかっていますよ。でも、あなたは九尾のコントロールは一時的なものだと言いました。……今この瞬間に私の媚が九尾に効かなくなった…といえばいくらで
も説明はできますよ」
人柱力が尾獣の力を暴走させるのはよく聞く話でしょう?
そう言って笑うナルトは身を覆う朱い熱気を揺らめかせる。
それがいつしか9つに分かれ、長い尾となって彼女の背を覆う。
9つの尾を持つ魔獣ーーー九尾。
ナルトの姿にふと頭に浮かんだ知識に、イタチは畏敬の念を抱いた。
彼女の身を覆う焔の陽炎は確かに熱く、激しい攻撃性を秘めている。
けれども、その朱色とも金色ともいえぬ色の移ろうそれは、彼女が自分の命を賭して放っているような目映い生命の光のようにも感じた。
それを今、彼女は犯罪組織に拘束されていた人々をあの男から守るために行使している。
そう、自分のためではないのだ。
「……っ」
激情に、身体がさらに熱くなった。
(俺は…)
気がつけば、一度強張っていた足が前に進んでいた。
ダンゾウと、ナルトの間へと立って彼女を背に庇うように立つ。
「…っ」
微かな声で、名を呼ばれた。
自分にしかきっと聞こえないほど、本当に小さな声。
それでもその声には本当に戸惑う気持ちが込められていて、イタチは面の中でそっと微笑した。
きっと今、彼女はあの鮮やかすぎる笑みを浮かべていない。
自分を心配しているはず。
(だめです、ナルトさん)
彼女には、あんな風に笑ってほしくない。
いつものように、ゆるやかな春の風のような、あたたかい笑みをその顔に浮かべて欲しい。
心から笑いたい時にだけ、笑ってほしい。
だからーーー。
(あなたは、俺が…)
イタチは迷うことなく面に手をかけた。
そして顔を露わにして、ダンゾウと一度目を合わせると深く頭を下げる。
「ご挨拶が遅くなりました。うちはイタチと申します」
「うちはイタチ…? お前が…」
微かに瞠目したダンゾウに、イタチは小さく息を吐いた。
”うちはイタチ”
その名は思いの外有名になっている。
自分の会った事の無い…おそらく上役の者に自分のことが知られているか不安だったが、大丈夫なようだ。
イタチは頭を下げたまま続けた。
「恐れながら、私からもこの場からのお引き取りをお願いいたします。…私はまだ暗部に入隊して日が浅い新参者ではございますが、火影様からの勅命である以
上、確証がない限りダンゾウ様の命には従えません」
「フ、…うちはの若造が言いよる」
ダンゾウは薄く笑みを口元に浮かべながらイタチに返した。
向けられる眼差しが強くなったのを感じて、イタチは顔を上げた。
深紅に染まった目でそれを受け止めると、ふいにその場を占めていた圧迫感が弱まった。
ガリ、とダンゾウの杖が今度は地面を短く掻いた。
「…狐憑きとうちはの御曹子が相手ではさすがに分が悪い」
そう小さくこぼされた瞬間、ダンゾウと付き添っていた男たちの気配が消えた。
忽然と消えた様子に、固唾を飲んでいた人々から驚く声が大きく上がった。
「………」
あの男はここを離れたのだとわかったものの、念のためにと視線を巡らし気配を確認する。
かなり遠くに辛うじて感じられるーーーそれに初めて安堵の息をついたとき、名前を呼ばれた。
ナルトだ。
後ろを振り返ろうとするより早く彼女が自分の正面にそばに寄ってきた。
こちらを覗き込む目は、いつもの青色に戻っている。
ナルトは、しっかりと目を合わせると、次の瞬間脱力した。
「っびっくりしたってばよー。度胸ありすぎだってば」
「すみません…勝手な事して…」
「ううん、…ありがとうだってばよ。…ダンゾウ様のこと知ってたの?」
「いえ?」
「うっわー。イタチってホント大物…。あーと、…詳しいことは後で」
とりあえず皆さんを誘導しよう。
そうにっこりと笑って、ナルトは影分身をもう一度出現させると、檻の方へと身体を向けた。
あと数時間で別動隊が到着するというので、収容されていた人々の地上への移動が完了すると、あとは影分身に任せ、ナルトとイタチは地下空洞の物品整理を
していた。
整理といっても後に木の葉の別動隊と火の国からの調査が入るのであまり手はつけず、急場人々に渡せるような衣服や食料の回収が主な目的だった。
既にここには二人しかいない上、成り行きで面が外れてしまっているのでナルトとイタチは素顔を見せたまま作業をしていた。
「んー、食べ物は簡易食ばっかりだってばね。……あ、でも一日一食だったんなら同じものでも食べてもらった方がいいだろうなー」
口ぶりの途中に間があったのはそこで分身が2人やってきたからだ。
うち1人はナルトに触れるとぼふんと煙と共に消え、もう1人がナルトの指示で集めた食料を抱えて上へと走っていった。
食料は固形の栄養食品が多く見た目も小さな固いパンのようなものばかりで、あとはインスタントのスープ(一抱えあるような大きな缶に粉が入っている)もの
しかなかった。
ここに長くいた人にとっては代わり映えがないものにはなるが、ナルトの分身が聞いてきた話ではそれでもいつもの食事は量も少なく、スープに至っては規定の
希釈よりも水の分量が多く、非常に味気ないものだったそうなので、ないよりはかなりマシだろう。
それを食材運びの応援に来た分身らに仕出しをするように指示を重ねて、ナルトはふー、と息をついた。
「まあ、私たちがするのはこれくらいかな。あとは別動隊の到着と…ここのいくつかある通路に行った分身たちからの報告を待ってからだね。イタチ、お疲れさ
ま」
「いえ…ナルトさんこそ。…それより、ナルトさんは一体何人の影分身を同時に扱えるんですか?」
今現在犯罪組織の拠点で人々のそばにいる分身だけでも10人はいる。
それに加えて通路の調査にあたっている分身も通路の数だけいるので…合わせて20人弱か。
影分身は術者の保有チャクラを分身と本体の数で均等に割って成り立つ術なので、戦闘でなくとも同時にそれほどの数を維持するのは相応のリスクがある。
イタチなどは自分の戦闘スタイルのこともあるが、自信を持って行えるのはもう1人分身を作り出したり、囮として片手で足りる人数…ほどだ。
ナルトはイタチの問いにぱちぱちと瞬きをすると、にこっと笑う。
「そうだなー。100人ぐらいなら問題ないかなー。私、チャクラ量には自信あるから」
そう言って、ふっとナルトは真顔になってイタチを見返した。
「イタチは、驚かなかったってばね」
「…?」
「もう誰かから聞いたかな? 私が九尾の人柱力だって」
「それは…」
ただ静かに尋ねてくるナルトに、イタチはしばらく迷った末に頷いた。
ナルトに会えなかった約1ヶ月のうちに、探究心に負けて”九尾”や”尾獣”、そして”人柱力”について調べたのは事実だったからだ。
得られた情報は正直シスイに聞いた話が最も色濃いもので、あとは伝承に似た曖昧なものだかり。
だからこそナルトに面と向かって尋ねるところまでは自分の中で考えはまとまっていない。
けれど、先ほどナルトのその九尾の力の片鱗を垣間みて、思ったことが一つある。
「…ナルトさんに九尾が封印されているという話は、同じ一族の幼馴染みに聞きました」
「そっかそっか。…普段は九尾の力は使わないようにしてるんだけど、ダンゾウ様が相手だとさすがに九尾じゃないと脅しにならないんだよね」
やはり脅すために…ナルトは九尾の力を示したのだ。
焔を背負って紅玉のように煌めく赤い瞳のナルトはーーー。
イタチは一瞬だけ躊躇って、すぐに口を開いた。
「綺麗…でした…」
「…え?」
「…すみません。不謹慎かもしれませんが…でも、本当に綺麗で…」
本心だった。
あのときのナルトに見惚れたのは紛れも無い、本心。
そう告げると、ぽかんと口を大きく開けて目を見開いていたナルトが、その顔をみるみるうちに赤くしていった。
それはもう耳まで真っ赤にして、それに自分で気づいたように目元含めて顔を両手で覆って顔を背けたナルトだったが、それでもその変化は隠しきれていない。
「…っ……」
そんな反応はまさに初めてみるもので、イタチは大きく胸が鳴った。
ドキっとするほど、赤くなったナルトが愛らしかったのだ。
年上に対してそう思うのはおかしいかもしれないが、それでもやはり胸が締めつけられるような甘い感情が頭を支配した。
気がつけば、作業のために離れていた距離を詰めていた。
腕を長くのばせば届くぐらいの距離。
彼女は顔をそらしているせいか、そのことに気がつかない。
イタチは欲求のままに、女性らしい華奢な腕を掴んだ。
はっとしたようにナルトの顔から手が離れたが、もう遅い。
イタチはすぐそばでナルトの困ったような赤い顔を見上げた。
歳は5つ差があるが、身長は5センチも差がない。
背を気持ちのばせば、目線は同じになる。
だから本当に真正面から覗き込んだその顔は、イタチの存在にますます赤くなっていった。
薄紅の唇がわななく。
「っイタチ、えっと…ごめん! 私、綺麗なんて言われたの初めてで、…なんていうかものすっごく恥ずかしいってば!」
「…初めてなんですか?」
「初めてだってばよ! 今まで誰もそんな風には、って近い!! 近いってばよ!!」
二の腕ぐらいの長さほど間が空いてはいるものの、それでも意識してしまう距離だ。
そうナルトはわたわたするのだが、イタチはそれはそれは大事そうにこちらの腕をそっと掴んで、そして嬉しそうに笑っている。
何? 何でそんな反応!?
イタチは女性と見紛う程顔立ちが整っている。
そのせいか、微笑むだけでも見惚れるほど綺麗で、カッコいい。
年下とはいえ男には変わりなく、少年と青年の間の絶妙な華やかさも持つイタチがそれは嬉しそうに笑っていると、なぜか胸が高鳴った。
(何、これ…)
どきどきどきどきと早くなる胸の鼓動にさらに身体が熱くなって、ナルトはイタチの手を腕から離そうとそれに自分の手を重ねた。
そして、さらにどきっとした。
触れた手が、子供特有のまろみのあるやわらかいものではなく、骨張った男性らしい大きな手だったからだ。
カカシよりは小さいだろうか。
それでも、自分のものとは違うーーー異性の手。
それを意識した途端、それまでとは違う恥ずかしさが込み上げてきて、顔に集まる熱に目に涙が滲んだ。
身体が熱い。
どうして…こんな風に…自分の身体は反応してしまうんだろう。
以前、カカシに必要以上にふれられたときにもこんなに熱くなることはなかった。
そう思ったとき、頭にカカシに言われた言葉が浮かんだ。
お前にその気があるならいいけど、よく自分の気持ちがわかってないならあいつとは適度に距離を持てよ
カカシはどこまでの意味でそう言ったのだろう。
それは結局よくわからないけれど、今の状況が自分の何かのキャパシティを越えていることはわかる。
ナルトは意識をして呼吸を整えると、重ねていた手でイタチの手を掴んだ。
大して力が込められていたわけではない。
それでも金縛りにあったように身体が動かせなかったことからは思考を切り離して、ナルトはイタチと目を合わせた。
既に漆黒に戻った瞳には、未だ赤い顔をした自分が映っている。
真っ直ぐなイタチの眼差しと、羞恥心に情けなく歪んだ自分の顔にまた恥ずかしくなって身体が震えそうになった。
だめだ、何か言わなくては、だめだ。
ナルトはいくつか浮かぶ言葉のうち、先程イタチに言われて一番に感じたことを選んだ。
「嬉しいってば」
「ナルトさん」
「イタチにはいつか知られるし…話す機会もあるかもって思ってたけど…正直怖かったから」
真っ直ぐに自分を慕ってくれることが、とても心地好かった。
だから、九尾の事を知られてその信頼が無くなると思うと、とても怖かった。
「本当は、イタチと修業をすると決めたときに話すべきだったんだけど…話して、イタチに嫌われるかもしれないと思ったら…できなかった」
それも本心だった。
なぜナルトと一緒にいるのがだめなのかと聞かれたとき、ありのままに話そうかとも思った。
でも、一心に自分との修業を望み、慕ってくれる彼をーーー私は手放したくなかった。
九尾の人柱力のうずまきナルトではなく、ただの木の葉のうずまきナルトとして自分を見てくれる彼を、自分は求めてしまった。
そして今、秘密知られてしまってもーーー彼は自分のそばにいてくれる。
なんて、有り難いのだろう。
心からそう思い、手の中の彼の手に目を落としたとき、ぱた、と小さな雫がそこに落ちた。
「…え…?」
「ナルトさん?」
何?
と瞬きを繰り返して、ようやく気がつく。
(私、なんで泣いて…?)
ぽたぽたと涙が次から次へと溢れて止まらない。
慌ててイタチから手を離して両手で目元をこする。
「イタチ、ごめんっ…何でもないから」
「…ナルトさんっ」
視界は手で隠れているので、耳にイタチの苦しげな声が入ってくる。
ああーーー、心配させたいわけじゃないのに!
こんな風に感情のコントロールが効かないのは久々で…というよりも泣いたのはいつぶりだろう。
そんなことを考えながらごしごしと手の甲で目元を拭っていると、かなり強い力で両手を顔から離された。
否応なく視界が広がって、イタチの顔が見えた。
彼は少し眉を顰めて、少し怒っているようだ。
「そんな風にしたらいけません。…もう赤くなってる…」
「え、…イタチ…?」
そうため息をついて、イタチはその指先で目元に触れた。
自分よりも体温が低いからだろうか。
彼の指はひんやりとしていて、熱くなっているそこに心地よさをもたらしてくれる。
そう、イタチが涙を拭っていた。
それを認識した途端、ナルトは大きく後ろに飛びのいた。
驚きと全く止まない恥ずかしさに涙は収まり始めている。
ナルトは震える唇で何とか言葉を紡いだ。
「あ、ありがとう! もう大丈夫だってば…。そろそろ別隊が到着するだろうから…私は上に」
「っ…ナルトさん!」
イタチの慌てる声が聞こえたが、ナルトは急いで面をつけて地上に続く階段を駆けていった。
「……っ……」
ナルトの後ろ姿をイタチは呆然と見つめて、そして自分の手を見下ろした。
彼女に触れていた手。
「…………」
その指先に彼女の涙が光っていてーーー無意識にそれを口に含んだ。
涙なのだからやはりそれは塩辛く、けれど瞬きをするうちに淡い甘みが腔内に広がった。
どうしてこんなに甘く感じるのだろう。
当たり前の疑問が浮かんでーーーイタチは苦笑した。
彼女が自分へと向ける眼差し。声。
そして、彼女が自分にふれた肩。自分が彼女にふれた手。
それらが激しく滾って身体を熱くさせ、思考を甘く蕩けさせる。
(俺は、ナルトさんが好きなんだな…)
彼女を先輩として敬愛する気持ちに嘘偽りはない。
けれど、自分が彼女の後を追い、その横に立ちたいと思うこの感情はただの憧れではない。
もっと…一緒にいたい。
もっと…たくさん話したい。
もっと…ふれたい。
1人の女性として、自分は彼女を求めている。
(ナルトさん……)
イタチは静かに片手を顔にやると、意識して息を吐いた。
熱くなったままの身体と感情を落ち着かせる。
いくら初めての恋だからといってこのまま暴走したくはない。
無意識にも近いうちに暴走しかけてーーー先ほどナルトは逃げてしまったのだから。
ああ、でもーーー。
イタチは恍惚とした表情をした。
(赤くなったナルトさん…すごく良いな…)
さわやかな目元を泣きそうに崩して、そして真っ赤になって震えたナルトはとても感情を揺さぶられた。
あのままナルトが自分から離れなければ、一体自分はどこまでナルトにふれていたんだろう。
そう自分でも不安になるほど、完全に理性がなくなっていた。
これからはそれではだめだ。
ナルトの中で、自分はまだ ”目をかけるべき後輩” だ。
先ほどの赤くなった様から自分を異性としては見てくれているのだろうが、それでも自分が感じているような感情の高ぶりは抱いていないはずだ。
「………」
確実にナルトのそばにいられるように、ーーー彼女に頼ってもらえるようにーーーなるには、少しでも大きく彼女に自分のことを意識してもらわなければ。
そのためには自分の欲望のままに動いてはだめだろう。
イタチは冷静になっていく自分を確認すると、ナルトの後を追って地上へと向かった。
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