真の朱の4
優艶と月の光が風に流れる漆黒を照らしている。
「月読、これより火影様よりの指令の任につく」
そう言ったのは白い面。
(月読?)
大蛇丸は目を疑った。
月読だと名乗った少女はナルトに間違いない。
よく考えれば先ほどの煙は変化のものだ。
彼女が髪を黒く変化させ、そして月読と名乗った。
(そういえばカブトが何人か調べられなかったと言っていたわね)
カブトには木の葉の内政、そして所属するすべての忍の情報をとらせた。
下中上忍にわたりほぼ80%の完成率で彼は情報収集を完成させた。
例外が出たのは暗部、そして根の組織に関してだ。
どちらも元々素性を明らかにはしない組織ということもあり、コードネームともいうべき呼び名まではかろうじてわかったものの、何人か全く情報がとれなかっ
た。
カブトの力はそこらの上忍など相手にならないもの。
暗殺技術も合わせてみればそれこそ暗部の中でも屈指。
情報収集にかけては特出したものを持っている。
その彼でも尻尾を掴めなかった忍がいる。
それほどの力を有した忍がいるということだ。
おそらく対峙しているカブトが一番驚いているだろう。
彼は何かとあの少女に目を向けていた。
そう思い視線を転じれば、予想通りカブトは食い入るように月読を凝視している。
「月読…そう確か月読だわ」
暗部の中でも年少の、それでも非常に優秀な忍であると聞いている。
大蛇丸は目を細めた。
「道理で封印術ができるはずだわ。サスケ君が敵わないのも無理はない」
カブトでも危ない。どうする……
いっそ下に降り自ら相手をしようかと思案していた時だった。
複数の気配を感じた。
ものすごいスピードでこちらに近づいてくる。
大蛇丸は目を凝らし、次の瞬間痛みに構うことなく両の手の拳を握りしめた。
気配には覚えがある所かそれ以上の記憶がある。
紛れもない。向かってくるのは自来也だ。
その周りの気配の中にカカシもいる。
もうひとつはいつぞや死の森で会った少女か。
そして彼らの後方にも気配がある。
……綱手のものだ。
「…こんなに早く気づかれるとはね…。それとも…」
月が明るい。
だんだんと気配だけだったものの姿が目に見えてきた。
そして一団の先頭を飛び跳ねる赤い点を見つけた。
「あれは…。…素直に成り行きを楽しんでいたのは間違いだったわね」
(忌々しい…父親共々いらいらするわ)
「…これは…一体…」
駆けつけ、開口一番に自来也は呻いた。
目の前の光景はいささか異常だ。
辺り一帯の岩という岩は粉々に崩れ、砂や石の飛び散る大地にはいくつも血の染みがあった。
その中一際大きな血溜まりの所にサスケがいた。
光に包まれたサスケは悲痛な表情を浮かべたまま目を閉じて横たわっている。
そして彼から少し離れた所にカブトがいた。
忌々しげにしばらくこちらを見ていたがふいに視線をはずした。
その目線を追って、自来也は目を見開いた。
「誰だ…?」
黒い髪で見た事もない面をつけた子供。
暗部には間違いないだろうが異様だ。
疑問符を浮かべていると後ろでカカシが声を漏らした。
「あの面は…月読!?」
「お前あいつを知ってるのか?」
「1年ぐらい前から暗部に来たヤツで、上忍や暗部の間で当時かなり噂が飛び交っていましたね」
「噂だと?」
暗部というのは組織事態が秘密裏な物故に話題が明るみに出る事が極端に少ない。
なのに噂が飛び交ったという。
よほどの事だ。
ええ、とカカシは頷いた。
「全く誰なのかわからなかったんですよ。仲間内ならある程度誰だか把握してるものですが…月読の場合は単独任務がもっぱらで、誰もあいつの正体を見た事が
ないんです。わかってるのは名前だけ」
「だが普通それだけで噂になったりはせん。他のわけは?」
「すべての任務を無傷で帰ってくるって言われるほど戦闘能力が高いと評価されていたからです。1人でも中部隊並みの戦闘能力を持つといわれていて、今でも
あいつは単独、もしくはツーマンでしか任務をこなしてないらしいです。…俺も実際に見たのはこれが初めてです」
そんな力が目の前の子供にあるなどとは到底信じられない。
呆然とカブトと対峙する月読を見つめる2人の横をサクラはすり抜けた。
サクラにしてみても月読という暗部に関心が向かなかったわけではない。
ましてどうして薬師カブトがここにいるのかという疑問も湧かなかったわけでもない。
「サスケ君!!」
今思考を支配するのは地面に横たわっているチームメイトの事だ。
遠くからでも見えた血の池にサクラは気が急いで足をもつれさせながらもサスケのそばまで駆けた。
間近で見下ろした彼の様子にサクラは動揺を隠せなかった。
深い朱色の地面に横たわるサスケの身体には見覚えのある黒い模様が浮き出ている。
それにサスケの服は異常なほどに湿っていた。
水ではない。
血で湿っている。
「…なんなの…この血…。サスケ君!!」
「これは…封印術だな。サスケの呪印のためか」
「先生! サスケ君は…ッ!」
「サスケは気を失っているだけだ」
「でも、この血…」
「大丈夫だ。これはサスケのものじゃない」
よーく見てみろ、サスケの身体や服に切り傷があるか?
サクラはカカシの言葉に自分でも確認をして、ほっと胸を撫で下ろすと、けれど、と表情を歪める。
「…じゃあ、誰の血なの?…まさかナルト…?」
「いや…おそらく月読のものだ」
血だらけの姿にカカシは結論づける。
サクラは信じられないと目を見開いて振り返った。
表情のない面を見つめる。
「すごい出血よ…?どうして立ってられるの…?」
改めて見た月読は全身ボロボロだった。
服は何カ所も破れ、出血の跡がある。
それに元の色がわからないほどに深紅に染まっていた。
服だけではない。
髪も腕もすべてが赤黒い。
「月読の凄さが少し理解できてきたが…それよりもナルトはどこにおるんだ?」
自来也は足下に目をやった。
そこにはガマ吉がいるのだ。
ガマ吉はきょろきょろと落ち着かな気に辺りを見回していた。
「おっかしいのう。あいつ一体どこに行きおったんだ?」
「鼻でわからんのか? わしの所には匂いを辿ってきたのだろう?」
ガマ吉は言われて意識を集中したが駄目だった。
「……いかん、血の匂いで何も感じん! おい! 今すぐそのガキ叩き起こせ! そいつならナルトがどこにおるのかわかるかもしれん!」
「確かに…サスケなら事情を知っているはずだ。自来也様」
「ああ、頼む」
カカシが頷き、サスケに手を向けたときだった。
鋭い声が響き渡った。
「止めろ!」
「!、綱手!! お前、どうしてここに…っ?」
心底驚いている様子の自来也に綱手は目を向けずにサスケの元のしゃがみこんだ。
ざっとサスケに視線を走らせる。
そんな綱手の後ろからシズネとトントンが微かに息を切らせながらもサスケを囲み、綱手の言葉を待った。
「おい、綱手!」
自来也が再度声をかけると綱手を凄味のある眼差しを自来也に投げ付けた。
「慌てて出て行くのが見えたもんでねえ。…それより、起こすな。あと、封印も解くな。解けばこいつは間違いなく死ぬぞ」
「っ!? どういう事ですか!?」
サクラは口に手をあてて上擦った声を上げた。
そんなサクラに一瞥を投げた綱手は眉を顰めた。
「まだ呪印の暴走は起こっているようだ。今封印術を解いたらこいつの身体が持たな
い」
今たまたま封印術のショックで気を失ったいるのが良い方へ働いているだけで、状況は悪いままだという。
「お前では呪印を解く事はできんのか?」
自来也はカブトと月読に油断なく意識を向けながら言った。
綱手はしばらく無言でサスケの首元を見ていたが次の瞬間に零れたのはため息だった。
「この呪印はいわば大蛇丸のチャクラの塊だ。込められた思念もチャクラの量も半端じゃない。私でもあいつのチャクラを完全に取り除ける可能性は低い」
「ではどうしろと言うんですか? サスケはこんな有様でナルトの行方も知れない!」
カカシは苛々と声を荒らすと勢いよく立ち上がった。
綱手は憮然とその後ろ姿を見やる。
「私にあたるな。…それよりこの封印術をかけたのは誰だ?」
「この際カブトを絞めて何があったか吐かせ……って何です?」
「封印術をかけたのは誰だと聞いている」
「え、ああ、おそらく月読ですよ」
「? …あそこにいる暗部の事か?」
綱手は立ち上がるとカカシに並んで辺りに目を向けた。
面をつけた小柄な影を指差すとカカシが頷いた。
「俺たちがここに来た時にはすでにサスケには封印術がかかっていて、カブト…眼鏡をかけた音忍と月読が向かい合っていました」
状況からしてカカシの考察は間違っていないだろう。
綱手は短く頷くと腕を組んだ。
目を伏せる。
(まだガキにしか見えないが…何てヤツだ)
あれだけの傷を負ってそれでも、少しの隙も見せずに立っているなど常人にはできない。見れば生々しい傷のあとが幾つもあるがそのどれもが塞がっている。
(皮一枚という程度だがな。あれでは一発でも攻撃を喰らったら全ての傷が開く)
だがそれでも生きているのだ。
よほど医療忍術に長けているのか何か仕掛けがあるのか…。
「何にしてもどうしてこうなったんだ? 木の葉の暗部がどうしてここにいる? それにそのカブトとかいうヤツは何者だ?」
「わしらにもさっぱりわからん。唯一わかっとるのはカブトが敵だという事だけだ」
「…ひどい言い方だなあ。少し前まで僕も木の葉の忍だったじゃないですか」
ふいに響いた声に皆が一斉にそちらを見た。
カブトはそれを面白そうに肩越しに見やった。
月読が動く気配はない。
当然だな、とカブトは鼻で笑った。
(あの傷だ。早々は動けまい)
今は状況を掻き混ぜたほうが後々動きやすいだろう。
カブトは笑むと半身だけカカシたちに向けた。
「外野がこうもうるさくちゃ戦うもなにもない。まあ皆さん非常に困っていらっしゃるようですから僕が説明してあげますよ」
「…どういう風の吹き回しだ?」
「カカシさん、そんなに睨まないでくださいよ。ちゃーんと順を追って…」
突然カブトの言葉が途切れた。
そして弾かれたように後ろを振り返った彼は目を見開いた。
すぐそば…いやすぐ鼻の先に白い物があったのだ。
カブトはすぐさま後ろに飛びす去った。
白は動かない。
ただ少し赤い巴が揺れていた。
(馬鹿な…っ)
カブトはすぐにクナイを構えた。額から脂汗が吹き出す。
(気配も何も感じなかった…いつの間に近づいたんだ)
自分と月読との間は軽く数メートルはあった。
翔ぶにしても数秒はかかる。
まして月読は全身に深い傷をいくつも負っているのだ。
(…回復したっていうのか…?…でも医療忍術を使った様子はない)
カブトは目を細めた。
「…君、さっき指令とか言ってたね…。一体どんな内容なんだい?」
じゃり…と踏みしめた砂が鳴った。
隙を見つけようと口を開いたはずなのにその音がいやに大きく耳に響いた。
…なんなんだ…?
カブトは瞬きを繰り返した。
そうしなければ落ち着かなかった。
息苦しい。喉が渇いて粘膜が痛む。……この圧迫感は……。
「…これは…君が…?」
白い面は動かない。
だがふと何かに視界を捕まえられた。
青い、淵のような澄んだ青に一瞬意識をとられる。
ゆっくりと、瞳が動いた。
(来る!)
そう感じた瞬間に腕にものすごい衝撃を受けた。
ぱん!と鋭い音を立ててクナイが手から弾け飛ぶ。
カブトは呆然と顔を上に向けた。
自分の肩より上、視界に漆黒の髪が広がる。
(だめだ…)
感じた気配はすぐに消え失せた。
それが意味するものは明白だ。
(…敵わない!!)
ふっと背後に気配を感じた。
だが振り向く前に頭の付け根に四肢がばらばらになりそうなほどの痛みを感じた。
ゆっくりと意識が遠のいていく。
「…すべてが…済むまで…眠っててくれって…ばよ」
とても小さな声だった。
自分だけに聞こえた高く澄んだ声にカブトはふっと破顔した。
(ナルト君…やっぱり君は…)
カブトの身体がその場に崩れ落ちた。
その傍らに月読もしゃがみ込んだ。
片手をつき、肩で息を繰り返す。
(…勝ったの…?でもすごく辛そう…)
サクラは眉を寄せるとカカシのベストの端をひっぱった。
「…カカシ先生、あの子…」
「かなり危ないな。早く休ませないてやらないと…」
カカシはサクラに頷いてみせた。
真実カカシの目から見ても月読の状態は悪い。
満身創痍、いつ倒れてもおかしくない。
(…それにしても暗部がいるとはな。……信用ないな…。せめて一言ほしかった)
頭に脳天気に笑う金髪碧眼が浮かんだ。
自来也は一度辺りを見回すと綱手を振り返った。
「綱手、月読の治療を任せてもよいか?」
「構わないが、事情が見えてこないな」」
「それはわしとて同じだ。だからあいつから聞くしかない」
「綱手様、私も手伝います」
シズネは立ち上がると綱手に続いて月読の元へと向かった。
2人に気づいた月読は少しだけそちらに顔を向けた。
(…綱手のばあちゃんも…来てたんだ…。……やばい…目が霞んできた……)
月読は両手をついて何度か咳き込んだ。震える肩に綱手は手を置く。
ぬるりと湿った感触に一瞬その手が震えた。
「綱手様……大丈夫ですか…?」
「……あ、ああ…」
シズネの気遣う声に綱手は息を吐いた。
(…血など…こいつは生きているんだ。何を怖がる必要がある……)
どこかしこも血で濡れた月読に綱手は目を走らせる。
致命傷といえるものは2カ所。
あとは全身に散らばる細かな切り傷。
時間がかかりそうだが何とかなる。
「安心しろ、今治してやる」
そう、綱手が声をかけた時だった。
凍えるほど冷たい風が一陣吹き走った。
そして響いた声音が絶対的な存在感を持って現れた。
「別にそのままでいいんじゃない?」
地を這うような声。闇に融ける漆黒の髪。
綱手は目を見開いて顔を上げた。
すぐ前だ。
すぐ前にいる。
「大蛇…丸……」
綱手のつぶやきと、銀の旋光が落ちたのは同時だった。
「あぶない!」
聞き覚えのある声が耳朶を打ち、気づいた頃には自分は地面に背をつけていた。
おそるおそる綱手は前を見た。
その頬に何かが落ちた。
ぽたり、ぽたりと降るように顔を濡らすそれ。
全身が総毛立つ。
「……っう……」
だらりと垂れる漆黒を小刻みに震わせて、嗚咽ににた声が辺りに響いた。
かくん、と折れた頭のほうから不規則な荒い息づかいが綱手を包む。
それがパニックを起こしかけた脳に歯止めをかけた。
血に怯える己を叱咤し、必死に自分に覆い被さる重みを掴む。
恐ろしい勢いで冷えていく相手の血肉に焦りながら極力気遣って身体をどけさせる。
「お前…っなぜそんな身体で私を庇った!!」
声が割れる。
月読は大蛇丸の振るった太刀から自分を庇ったのだ。
視界の端でシズネが戦闘態勢をとり、自分たちと大蛇丸の間に入っているのを捕らえたが今彼女の援護にまわるわけにはいかなかった。
(背中を一直線にやられているな…神経まで達しているか……いや)
綱手は両手を月読の背に翳した。
淡い翠色の光が傷を包み込む。
くつくつと耳障りな笑い声が聞こえた。大蛇丸だ。
「ほんとわからない子よね。………ここに来て他人を庇うなど……」
「貴様…っ」
きりきりと睨む付けるが相手の余裕の笑みは消えない。
大蛇丸は一度顔を振ると、頭を下げた。
大きく開けられた口からは灰褐色の蛇の頭が覗いている。
「まだ…君に死なれては困るのよ」
キン、と月の光に反射した銀色にシズネは地を蹴った。
両手をチャクラで多い、斬りつける体勢で跳ぶ。
「何を勝手な事を…!」
「シズネ駄目だ!………っシズネ!!」
綱手が制止させようとしたが遅かった。
ざん!と湿った音を立ててシズネの身体が吹き飛ばされる。
「…雑魚が何を粋がっているのかしら…」
大蛇丸は眉を顰めると刀についた血を払った。
そして金色の瞳で綱手を見返す。
「はやく治してあげてくれるかしら」
「……こいつに何の用だ…」
一度月読に目を戻した綱手は低く唸った。
傷は塞がり始めている。
だが先の出血で極度の貧血を起こすはずだ。
むやみに動かすのは危ない。
「自来也もいることだし……ある程度事情は知っているのよねえ?」
「うちはのガキの事だな? だがそれとこいつとどう関係がある」
「封印術はかけた本人が解くのが一番効率がいいのよね」
気怠げに大蛇丸は言う。
「ねえ、聞こえてるでしょ? あの結界、解いてくれないかしら」
「……な…っ」
掠れた声を響かせて月読が顔を上げた。
肘をついてなんとか身体を起こす。
(…綱手のばあちゃんのお陰でまだ動けそうだってばよ)
だから…もう少しだけ……。
「おい!まだ動くな。お前の治療は……」
立ち上がろうとする月読の腕を綱手が掴むと、相手は首を横に振った。
眉を顰める自分から相手は顔を背け、うずくまっているシズネに視線をやった。
「…お前…」
(私はもう大丈夫だってばよ。だからシズネさんの治療にまわってほしいってばよ)
あまり声は出せない。
だから目を戻して頷いてみせた。
綱手は戸惑っているようだったがじっと見つめているうちにシズネのほうに走っていった。
「あいつ、一体何をするつもりだ」
自来也は綱手の姿と月読、大蛇丸を何度も見比べた。
シズネは動けないようだが意識はあるようだ。
綱手が向かっているし彼女の心配は無用だろう。
(問題は大蛇丸だ。あいつの目的はサスケ以外にはない)
そしてわからないのは月読の思惑だ。
カブトに致命傷を与えていない様子から殺して良いという指示は受けていないようだ。
里を出る際、四代目から暗部をつけるなどと一言も聞いていない
分予測がしにくい。
(今は様子を見ることしかできんの…)
イタチがいれば…とふと頭に浮かんだが、彼は彼で別の任務と同時に受けていると言っていた。
ここには来れない事情があるのだろう。
くっ、と自来也は拳を握った。
何もできない事が腹立たしい。
と、大蛇丸が動いた。
「私なら呪印を抑える事もできるわ。………危ないのでしょう?」
ズル…と太刀を飲み込んだ大蛇丸はにたりと笑んだ。
観察するように瞳を細める。
「さあ封印を解いて頂戴」
「……いや…だ…」
ナルトは声を絞り出した。
素直に肯定できるはずもない。
確かに大蛇丸なら呪印を抑える事が可能だろう。
そもそも自分がつけたものだ。
どうこうできなければおかしい。
聞こえて来た綱手の見立てでは、呪印の暴走がサスケの命を脅かしている。
大蛇丸が呪印を抑えてくれれば、命を助けられる可能性は高まる。
だが、封印を解いた瞬間、サスケが大蛇丸に取り込まれる可能性があるのだ。
そうしたらそれでお終いなのだ。
本当に大蛇丸の手を借りるとしても、綱手にゆっくりとちゃんと診てもらった後でいい。
「……そう…。どうしても駄目というの……?」
ふっ…、と息を零して大蛇丸は心底残念なように呟いた。
そうして顔を上げるとぐるりとその場にいる面々の顔を見回した。
「まあ、仕方ないわね。……それじゃあ…誰にしようかしら…」
(……? なに……?)
嫌な予感がする。
ナルトは大蛇丸の視線を追った。
そして浮かんだ可能性に心臓が跳ねた。
(まさか……)
恐れに動きをとめた自分に、大蛇丸はにたりと笑った。
「誰かがその気になるまで、…殺しましょう」
…………大蛇丸の口から太刀が覗いた。
「そうね…決めたわ……」
瞬間大蛇丸の姿が消えた。
ナルトは後ろを振り返ると瞬転した。
誰かが殺される。
気配は辿れる。
傷つけられるのが誰かも直感できた。
今一番サスケのそばにいる者だ。
間に合うか……否、間に合わせる。
「サクラっ!!」
大蛇丸の動きにカカシはすぐ後ろを振り返った。
回り込もうと足に力を込めた時、それより早くすぐ脇を影が通り抜けた。
「えっ……」
サクラは突然辺りに広がった重い気配に目を見開いた。
気づいた時にはもう遅かった。
狂喜の笑みを浮かべて大蛇丸が太刀を振り下ろした。
恐ろしい速さで落下してくる切っ先がもう目の前まで迫った時、突然目の前が暗くなった。
「サクラちゃん!!」
身体の痛みを気力でねじ伏せ、砂埃を上げて踏ん張ると、面を外して振り下ろされる太刀を受け止めた。
サクラと大蛇丸の間に割り込み、きりきりと軋む面を渾身の力で支える。
「いい判断ねえ………ナルト君」
大蛇丸が面白そうに唇を歪めた。
「…な…ると?」
背後から息を呑む気配が伝わってきた。
ナルトはがちがちと噛み合う太刀の力を真っ向から受け止めながら少しだけ振り返った。
薄紅の髪が風に流れているのが見える。
「サクラちゃん…早く…はや…く逃げて!!」
「…本当に…ナルトなの……!?」
普段とは別人のナルトにサクラは驚きを隠せなかった。
どうしてそこにいるのか。
どうして戦っているのか。
どうして暗部の面なんてつけていたのか。
一瞬にして頭の中がいっぱいになった。
「…どうして…どうしてあんたが……?」
「ごめん! でも今は…早くにげっ………!!」
サクラを動かそうと顔を完全に後ろに向けた瞬間、がりっと音を立てて横殴りに面が斬られた。
次の瞬間、乾いた音と共に面が真っ二つに割れた。
その隙間から大蛇丸の不気味な笑顔が覗いていた。
「別に君でもいいわ。……封印を解くのは誰でもできるからね」
全身に震えが走った。
頭の奥で危険だと激しく音が鳴ってる。
身体が恐怖に強張ってその場に座り込みそうになる。
(駄目だ……)
ナルトは震える足に力を込めた。
まだ駄目だ。
守れなければ意味がないのだ。
「サクラちゃん!」
ナルトは後ろに倒れる勢いでサクラを押し飛ばした。
そちらにはカカシがいる。
最悪の事態は避けられる。
ナルトは微笑んで瞳を閉じた。
『吾が子』
ふに頭に響いた声に泣きそうになった。
「ごめん」
「ナルトー!!!!」
自分の名を呼ぶ声がもう遠くにしか聞こえない。
はっきりと耳に届くのは、刀が振り下ろされる風の音だけだった。
斬られる。
自分はここで死ぬ。
そう思った。
だが耳朶を打った音は肉が切れる音ではなかった。
ギン……と響いた音は金属が噛み合う音だ。
それに続いて何かが跳ね返る音。
ナルトはいつまでも訪れない痛みにおそるおそる目を開けた。
(……う……そ………)
息が止まった。
月夜の下、闇に染められた艶やかな鴉色の髪。
無駄なく筋肉のついた痩身の体躯。
見つめる背中は幾度となく自分が己のものを預けた、最も心が許せるもの。
慣れ親しんだ気配。
…………自分が焦がれていた気配。
「……イタチ…さん……」
ゆっくりと彼は振り向いた。
知らず声に出ていた。
だから本当に呟く程度の、本当に小さな声だったというのに彼は振り向いてくれた。
面をつけていないその顔。
切れ長の目はどこまでも落ち着いていて、形の良い唇が動いた。
「ナルト」
背筋がぞくっとした。
躯が……心が震えた。
ずっと自分の求めていたものに涙が出そうになる。
すとん、と全身の力が抜けてしまってナルトは呆然と月光に常よりも白く見える顔を見上げた。
彼の曇りのない漆黒の目が自分を見ている。
視線を交わしたのは一瞬。
それでも今の自分には十分だった。
疲れが嘘のように吹き飛び、全身に力が湧いてくる。
(やっぱり、イタチさんがいなきゃ駄目だってばよ…)
立ち上がってイタチの横まで行こうとしたのだが足の力を入れた途端身体がふらついた。
そのまま地面に倒れる寸前にイタチに身体を支えられる。
そっと肩を抱かれたまま地面に座り込まされ、ため息が聞こえた。
おそるおそる上を見るとイタチが眉間に皺を寄せて睨んでいた。
ナルトは乾いた笑いを漏らした。
「大丈夫…だってばよ…?」
「どこがだ?………火影様からの伝令が遅れてな。……もう少し早く来たかったのだが」
「ああ、まあ、こういう事態だと決断はね」
「大蛇丸の見張りについたあたりから連絡をとってはいたんだが…すまない」
「ううん、仕方ないってばよ」
イタチは首を振るナルトの頭に手を置きながら、それでもお前とサスケが戦闘を始めたときはとても平常心ではいられなかった、と苛立ちをあらわにしている。
2人の会話に誰もが驚きを示す中、大蛇丸の様子は群を抜いていた。
「…うちは イタチだと…?見張り……?」
大蛇丸は片膝を着いていた。
先ほどのイタチとの撃ち合いで容赦なく弾き飛ばされたのだ。
(私はずっと見張られていたということ?…だがそれならここに彼がいることに納得がいく)
そう辿り着いた瞬間に愕然とした。
見張られていた?
(彼の気配など私は一度も感じなかった)
先ほどだってそうだ。
気配を感じるよりも先に姿を確認した。
太刀が抜かれ自分の振り下ろしたものを軽々と受け止め横に薙ぎ払った。
それはつまり、自分とイタチとの力量の差を示す。
さっと血の気がひいた。
明らかに分が悪くなっている。
いや、かなり悪い。そして予想外すぎる。
(まさかイタチ君が出てくるとはね……)
忌々しげに睨んでいると、ちらりとイタチがこちらを見た。
「ナルト、お前は休んでいろ。後は俺がやる」
大蛇丸の目が細められた。
(まずい。術の使えない今、イタチ君に勝てる可能性はゼロに近い)
ここ数十年流した事のなかったろう冷たい嫌な汗が背筋を流れた。
身構えたその時、掠れた声が聞こえた。
「…嫌だ…」
ナルトが叫んだ。
その途端に全身に痛みが走ってイタチの腕の中で悶える。
「ナルト…」
「そいつは……大蛇丸とは…私が…」
「馬鹿を言うな」
短く、何かを堪えるように言われた言葉に、だがナルトは口を閉じなかった。
ぎり、とイタチの腕に手をかけると勢いをつけて上半身を起こす。腹を中心に神経や筋肉が軋むような感覚があったが必死に耐えてイタチに強い眼差しを向け
る。
その時にはナルトは自分の足で立っていた。
しっかりと足を踏ん張り大蛇丸へと身体を向けている。
「約束…したんだ。大蛇丸…と…戦わせるって……」
ナルトはおもむろに手を胸の前まで持ってくると震えながら印を結んだ。
ぼふんと煙が上がって彼女の分身が生み出される。
イタチは声を荒がせた。
「…? 約束?一体…誰っ…」
突然風が吹き荒れた。
思わずイタチは口を閉じ顔を腕で覆う。
それでも隙間を縫って入り込んでくる風に目をしぼめながらナルトを見た。
風はナルトを中心に発生していた。
ごうごうと唸りを上げて舞い上がる風は、ナルトの四方を取り囲み竜巻のように天高く伸び上がった。
(すごい量のチャクラね…。一体なにをするつもりなの……)
ズズ、ズズと風に押されながらも大蛇丸は食い入るようにナルトに視線をやった。
それは他の者も同じだった。
カカシの影からサクラは呆然と風の柱の中を見やった。
「ナルト……」
(あんた…一体……)
『………吾が子………』
ぴちゃん、とどこかで水が跳ねる音がして、眼下に金の光が踊った。
「…!! まさかあいつ……」
食い入るように見ていた綱手は見覚えのある光景に声を上げた。
「自来也!お前、あいつに教えたのか!?」
風に掻き消されないよう大声を響かせた彼女に自来也は頷いて見せた。
「ああ、あれは……」
「螺旋丸……?」
イタチは少なからず驚嘆の色を滲ませた。
今ナルトが作り出した物は四代目火影の物だ。
里では発案者である四代目と、彼の師…自来也のみが会得していると聞く。
(いつの間に…)
いつしか風は止み、柱となっていた風はナルト左の手の平に球状となって渦巻いていた。
「大蛇丸!!」
ナルトが叫んだ。
その顔は明らかに不敵に笑んでいる。
「念願の…ご対面……させてやるよ……」
次の瞬間だった。
ごおうっといきなり地響きが起こった。
そしてその中で発せられた気配に誰もが息を呑んだ。
何かが空間を埋めていく。
重く、熱い何か。それは薄青く発光していた風を深紅に染め、空の月をも血の色に染めた。
「この……チャクラは……」
「先生?」
びくん、とカカシが身体を震わせ、サクラの声にも気づかないほど狼狽した。
全身が打ち震える。
恐怖と憎悪が思考を埋め尽くす。
この気配は、かつて自分から大切なものを奪っていったものだ。今でも目を閉じれば思い出せる。
惨事などという言葉ではとても表せない……あれは地獄だった。
生き残った自分に死んだ方がマシだと思えるほどの悲しみだけを与えていった、天災。
「ナルト……お前……」
声が震えた。
手が震えた。
足が震えた。
だめだ、間に合わない。
「先生? ねえ、どうしたの!?」
わけがわからず首を傾げ、自分の服をひっぱったサクラにカカシは叫んだ。
「逃げろ……サクラ……。逃げてくれ…」
懇願するカカシにサクラはますます首を傾げる。
「何言ってるの? サスケ君も…ナルトもいるのに、私だけそんな事…」
渋るサクラにカカシは一度ナルトへと視線を戻した。
(何もかも破壊されちまう…ここにいたら……!)
「ナルト……?」
目が合った。
風に靡く髪の間から青い双眸がこちらを見て、頷いた。
「カカシ先生、できるだけ離れて…。うまくいくか…保証がないっ……」
「ナルト…」
カカシは呻くと自来也たちのほうを振り返った。
彼らは自分よりも後方にいる。
(…俺は今何を思った…。あいつを見捨てて、どうしようというんだ…)
苛々と頭を振った時、怒ったような声が聞こえた。
「先生、私絶対逃げないわ」
「サクラ……」
「ナルト、あんなに頑張ってるのよ……なのに…私、何も助けてあげられない……何もできない……でもせめてそばにいたいの…!」
サクラは目元を拭った。
どうしようもない感情が止めどなく溢れる。
カカシは静かに目を閉じた。
(……俺って馬鹿だよ、ほんと)
ぽんぽんと彼女の肩を優しくたたくとカカシは微笑んだ。
「下がろう」
「先生…?」
カカシは泣きそうに、だが微笑んでいる。
「俺も…何もできない……ナルトの事はイタチに任せて俺たちは下がろう。ここにいたらナルトに迷惑だ」
しゃがんで目線を合わせ、「な?」と繰り返すカカシにサクラは頷いた。
「ナルト!」
突然渦のチャクラが爆ぜた。
それは鎌鼬となってナルトの腕を切り裂いた。
思わずよろけた身体をイタチは腕を伸ばすとナルトを後ろからかき抱いた。
分身が焦ったように言った。
「…イタチさんも…逃げて!………」
「いやだ」
「イタチさん…っ」
腕の中のナルトが顔を上げた。
こつん、と自分の胸に頭を押し付けて必死に目を合わせてくる。
離れてくれと訴えるナルトにイタチは首を横に一度振って笑みを見せた。
抱く腕に力を込める。
「お前を置いて行くなど、俺にはできない…」
「イタチ…さん……」
「そばにいる。……こうして支えててやるからお前は前だけ見ていろ。周りに構うな」
囁かれた言葉にナルトは目を見開いた。
身体を支えてくれる腕が、背中にあたる身体が温かい。
ぐわんと風が唸る。
「ありがとう……」
ナルトは前を見据えた。
丁度正面、あいつはここにいる。
「……行くっばよ!!」
分身の手が螺旋丸を持つ左手につけられた。
親指で皮膚に付いた血をなぞり幾つも文字や印号を描いていく。
最後に十字に動かし分身は手を止め、本体と同じように大蛇丸のほうを向くと、ゆるく俯いて動きを止めた。
できた。後はもう一か八かだ。
「……条件、忘れるなよ…!」
ナルトは紅蓮の螺旋丸を思いっきり分身に突き当てた。
通常ならば衝撃を受けた瞬間に煙りと消える分身は果たして消えなかった。
融けるように螺旋丸がその身体に入り込んでいく。
途端分身の身体が赤い煙に覆われた。
生じた煙はすべての視界を失わせ、間近で見ていたイタチでさえ何が起こっているのかわからなかった。
「ナルト…お前何をしたんだ?」
螺旋丸を手放して気が抜けたのかだらんとへたり込んでいるナルトはイタチの呼びかけに心持ち頭を上げた。
「…出したんだ…」
「出した?一体何を……………………!」
イタチは口を閉じた。閉じずにおれなかった。
煙が晴れていく。そしてそれは姿を露わにした。
身の程は大人の腰までというほど。
全身を覆う艶やかな毛は鮮やかな深紅。
長く先の尖った耳はピンと天に向かって立ち、先の方にいくにしたがって毛色が赤から黒に変わり、先端は鱗粉を散らしたかのように金色に輝いている。
耳まで裂けた口から覗くのは白い牙。
細かく鋭いそれは一際大きい犬歯を除いて口の端にびっしりと並んでいる。
凄まじい怒気を孕む瞳は黒曜石のような輝きと鋭さを秘めていた。そして一番目を惹くのは尾だ。
ゆらゆらと闇に揺れる焔のごとき紅の尾は全部で9本。
耳の毛色と同じように美しい彩の変化を見せている。
それは紛れもなくーーー。
「九尾の狐…………!?」
夜の虚空に、耳を劈くような甲高い声が啼き響いた。
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