真の朱の6
初めて見たあの瞬間から、目が逸らせなかった。
血を斬ったお前から、目を逸らせなかった。
大きな傷が左肩と脇腹、そして背中。
前者の2つは肉が削れた上に傷口がひどい火傷。
後者は肩から腰のほうにまでの斬り傷。
こちらは出血が多かったが綱手が塞いでくれたのでなんとか間に合ったようなもの。
それ以外にも全身を強打、刃物で切ったような傷が数えられないほどある。
身を挺して戦った結果がこれだ。
あの時もそうだった。
お前は自分の腕を盾に俺を守った。
噴き出す血なんて気にも止めずに俺の心配をして、手をのばしてきた。
俺がどんな気持ちでいるかなんて、お前はわかっていないのだろう。
あの時も、今も、全くわかっていないのだろう。
そればかりかこんな気持ちを抱くなどそれこそ生まれて初めてで、どうしていいかわからないのに。
お前はいつも俺に笑顔を見せるくせに、のばした手をとってはくれない。
仲間を守るため。
里を守るため。
そう言っては傷ついて、疲れ果てて、それでも笑顔を見せるお前を、俺がどう思っていたとおもう?
俺の予想なんて軽々と飛び越えて行ってしまうお前を、俺がどうしたいと思っていたとおもう?
お前と出会って1年と少し。
その間ずっとお前を見てきた。
誰も知らないお前の秘密を知った事で手に入れたお前の隣。
えもいわれぬ高揚感を湧かすそれの意味。
俺が、お前をどう思っているか、知っているか?
冷たい手を、両手で包み込む。
「ナルト……」
手を離し、今度は頬に触れる。
柔らかくて滑らかな肌は、だが手と同じように冷たかった。
それが堪らなくて、膝をついて身を乗り出して、固く瞼を落とした白い顔を上から見下ろす。
「………」
艶やかな金の髪をそっと梳く。
額あてのない額にかかる髪をどけ、緩やかに流れる眉をなぞり、影をつくる睫に触れる。
繊細なそれを指先に感じて、それでも何も反応しない彼女に言い様もない感情だけが頭を擡げる。
「……ナルト、俺は…」
イタチはそう言葉を紡いで、そして身体を起こした。
緩慢に手で目元を擦り、そこにかかる髪を掻き上げた。
自分は一体何をしているのだろう。
眠っているのをいい事にこんな事をやってどうなるというのだ。
「………ナルトは、触れられる事に慣れていないのに」
誰かに必要とされる事、誰かに愛される事を切望しながら、目の前の少女はそれらを頑なに拒む。
自分にはそうされる資格はないと、そう言って差し出した手を決してとろうとはしない。
お前はそうする事で相手を傷つけまいとしているのだろう。
だが、俺はその度にお前から離れていく気がする。
お前のそばにいてはいけないように感じる。
俺は、もう……。
「ナルト」
小さく紡ぐこの呼びかけはお前には届かないだろう。
「俺は、お前にとって、なんだ?」
コツ、コツと窓を何かが叩く音がしたのは、イタチがナルトに布団をかけ直してやっている時だった。
立ち上がり窓枠に作られている障子を開けたそこには、両手に乗る大きさの木菟が桟にひっかかるようにして留まっていた。
先ほどの音はこの木菟が硝子を突いていたものだろう。
イタチはさして驚いた表情もせず窓を開けてやった。
木菟は隙間が出来ると共に部屋の中に滑り込んできてぶるぶると全身を震わせた。
そのせいで羽根が全部逆立って、倍以上の大きさになった。
ナルトが見ていたら笑い出すなど何かしら反応を示しただろうほどだ。
どこか愉快な雰囲気を醸し出している木菟はだが胸を膨らませオホンと咳払いのようなものをした。
「火影様よりの伝令を預かって参った」
そう言って「ほれ」と片足をイタチへと突き出した。
足には細長く丸められた封書が括り付けられていた。
「……遅かったな」
封書を取りつつ憮然と言い放ったイタチに木菟は小さな嘴をカチカチいわせた。
「身体が小さいんだから仕方ないだろう。鷲や鳶のようにはいかん。だが夜の伝令はわしら木菟や梟の野郎でないと目が効かんからな」
それに、と木菟は首をくるりと回した。
「事態が事態だ。意見をまとめるのにどうしても時間がかかるのだ」
「………そうだな。すまない」
イタチは素直に謝罪を述べた。
自分で先ほどの言葉は八つ当たり以外の何者でもないとわかっていた。
一通り文面に目を通したイタチは改めて木菟を見た。
「自来也様たちに伝える。お前も来い」
「あいよ」
木菟は短く鳴いて飛びあがると、イタチの肩に留まった。
灰色の丸いそれを肩にのせたままイタチはすぐには部屋を出ようとはせず、ナルトの枕元に跪いた。
「…………」
休ませるのだからとほどかれた髪にそっと触れてからイタチは部屋を出た。
自来也たちのいる部屋は少し離れた所にあったが、ナルトのいる部屋の戸を閉めた途端に話声が聞こえてきた。
イタチがノックをしてから戸を開けると、すぐに自来也の広い背中と白い髪が見えた。
彼の隣にはカカシがいて、その向かいに綱手とシズネ、トントンがいた。
彼らは卓袱台を囲んでいる。
その卓袱台の上にはいくつかカカシが適当に見繕ってきた夕食の入ったビニル袋が置いてあった。
湯気が上がっているものもある。
卓袱台からあまり離れていないところにサクラが壁にもたれて座り、そして部屋の隅、少し開い
た窓から外を眺めているサスケの姿が一番最後に視界に入った。
「おう、どうした」
戸を開けた姿勢で動きのないイタチに自来也が肩越しに声をかけた。
それに何度か瞬きをするとイタチは戸を閉め卓袱台のそばへと膝をついた。
「火影様から今後の事について伝令が」
「馬鹿弟子から?さて、何とよこしてきたかの」
自来也はそう言って口の端をあげるとイタチから封書を受け取った。
「あー何々………『明朝短冊街を出て、里に帰れ』?……『暗部を派遣するより自来也先生と綱手様が同行したほうが安全だろうからカカシたちつれてちゃっ
ちゃっと帰ってきてね♪』………何だこのふざけた封書は。最後の『♪』はなんだ『♪』は!?」
叫んだ自来也にカカシが苦笑を返した。
「んー……まっ、四代目火影様らしいといえばらしいですね。…でも俺も賛成です。暗部を多くつけるよりも自来也様と綱手様の同行のほうが確実だ」
「まだ綱手が里に帰ると言っておらんぞ?」
「……帰るよ」
「綱手?」
ぼそりと呟かれた言葉に自来也は思わず綱手の顔を見た。
「お前、里に帰らないと言っておらんかったか?」
「気が変わったんだよ」
「いやだがお前」
「ごちゃごちゃとうるさいね。私が帰っちゃいけないのかい!?」
バン!と綱手が卓袱台を叩いた音に自来也は身体を退いた。
「わ、わかった!わかったから卓袱台壊すなよ!!」
「余計なお世話だ」
「では火影様に了と伝えてよろしいな?」
木菟はイタチの肩から飛び立つと卓袱台の上で小さく旋回した。
そして自来也が頷くのを確認すると、そのままサスケの脇をすり抜け外へと羽ばたいていった。
カカシは用事は済んだと立とうとしていたイタチを見やるとガサガサとビニル袋の中に手を入れた。
「イタチ、何か食べていきなよ。大蛇丸見張っててまともなもん食べてないでしょ?」
「いえ、俺は」
確かに大蛇丸の監視についてからは水と携帯食で食事といえるものはしていない。
だが腹など空いてはいなかった。
それに、今はナルトのそばにいたいというのが本音だ。
踵を返し部屋を出て行こうとしたイタチの背に再び声がかかった。
「…あの、ひとつ聞いていいですか?」
サクラだった。
声の主にイタチは微かに目を見開くと足を止めた。
振り向くと翡翠の目が真っ直ぐに自分を見ていた。
「あなたは、全部知ってたんですよね?」
凛とした、声だった。
「九尾のことも、暗部のことも、全部知ってたんですよね?」
「………ああ」
イタチは答えた。
答えなければいけない気がした。
答えない理由もない。
イタチの答えにサクラの表情が歪んだ。
「………っあー……っもう…!!」
次の瞬間サクラは恐ろしい速さで壁を拳で打った。
ミシ、と音が鳴って壁にひびが広がったのに無論皆ぎょっとした。
「ちょっ、どうしたのよ突然」
制止にかかろうとしたカカシの手をサクラは払いのけると見せた事もないような表情でカカシを睨んだ。
「悔しいんですっ!」
「は?!」
「私何も知らなかった。暗部の事は仕方ないにしても、九尾の事は知る機会があったはずな
の!!」
ぎゅっと手を握りしめて、サクラは声が裏返るのではないかというほど叫ぶと、今度はずるずると畳の手をつけて俯いた。
微かに肩が震えている。
「……ずっと、気になってはいたの。里の人の、ナルトへの態度は、明らかにおかしいもの」
「サクラ…」
カカシが窺うように彼女の肩に触れた。
今度は振り払われなかった。
だが一層肩の震えが大きくなった。
「私が初めてナルトを見たのは、まだアカデミーに入る前……、お母さんと買い物に来てた時だった。あの子、泣きそうな顔して商店街の中を走ってた。服は泥
だらけで、見るからにぼろぼろで……夕方だったから人がたくさんいて、あの子何回も人にぶつかって、転んで……。でも走ってた。……まるで何かから逃げる
みたいに」
サクラは顔を微かに上げた。
ぽつぽつと涙が零れて畳に染みを作った。
「しばらくしたら、ものすごく怖い顔をした大人が何人かきょろきょろしながら商店街に入ってきた。あの時はその人たちが何なのかわからなかったけど、今は
わかるわ。ナルトを探してたのよ」
誰も、何もしゃべらなかった。
ただサクラの言葉に耳を向けていた。
「次に会ったのはアカデミーに入ったとき。同じクラスになったけど、初めのうちは全然話もしなかった。……私だけじゃない、みんなそうだった。………みん
な親に言われたの。ナルトに近づくなって。おしゃべりしちゃ駄目だって…。それがどうしてかは教えてくれなかった。…みんな不思議に思ったけど、みんなそ
うだからって、深くは考えなかった。あの子を無視するのが当たり前だって思ってた。でも…」
そこで翡翠の目が視点を転じた。
顔を上げたサクラは涙を流したまま微笑んだ。
「でも、サスケ君は違った」
「サクラ」
サスケがサクラを見た。眉を顰めているサスケに、しかしサクラは笑みを消さなかった。
「サスケ君だったよね……、ナルトに最初に声かけたの」
「俺は……」
『……おい』
『………』
『おい!』
『……! っえわっ何だってば!?』
『このドベ! 無視してんじゃねーよ!』
『無視? ……私の事呼んでたの……?』
『他に誰がいるんだよ、このウスラトンカチ!!』
『だっ…! 誰がウスラトンカチだってばよ!私の名前はうずまきナルトだってばよ!』
「俺は別に……目に付いたから声をかけただけだ」
「それでも、サスケ君だった……。私も、みんなも、ナルトにはものすごく興味があった。外見が目立ってたし、それに、四代目火影の子供。興味がないほうが
おかしいわ。でも、話しかけれなかった。………私、サスケ君が話しかけてなかったら、きっと下忍になるまであの子と話さなかったと思うわ」
話しかけたナルトは、無視していい要因なんて全くない子だった。素直で優しくて何事にも一生懸命で。時にはいたずらもするけど、それも含めてすぐに好き
になった。
それ以来何かをする時はいつも一緒だった。女子だけの授業もあったから、自分といの、それにヒナタと4人でいる事がとても多くなった。
「実技演習の時だった。演習服に着替えてる時に、あの子の腕や足に切り傷や打撲の跡があるのに気づいた。修業していてつくようなレベルじゃなかったから私
はあの子にどこでつけたのか聞いたわ」
ナルトは慌てて持っていた着替えを頭からかぶって
『え、これ? さ、さっき転んだからその時じゃないかなー。私ってばドジだからさ』
そう言って笑った。
「どうしてそんなバレバレの嘘をついたのかはわからなかったけど、あの子が年中長袖長ズボンだったのはそういうのを隠すためなんだって気づいた。………今
なら、その怪我をどこでしたのかもわかるけど」
サクラは涙を拭った。
拭っても拭っても溢れてくる涙は止まらなかったけれど、ぐっ、と気持ちに粋がついた。
「……もっと追求しなかった私も、里の大人の態度も、許せない。どうしてナルトだけが辛い思いばかり………でも…、ずっと……、ずっと一緒にいたのに……
どうして……何も言ってくれなかったのよ……」
嗚咽混じりに言うサクラに、肩を抱いていたカカシはふっと目を閉じた。
確かめるように言葉を紡いぐ。
「……友達だからだよ」
「えっ…」
弾かれたように顔をあげたサクラににこっと彼は笑った。
「俺なんかそれこそあいつが赤ん坊の頃から一緒にいた。責務のある火影様に代わって面倒みてたんだから。だから、あいつがどれほど九尾を怖がってたか知っ
てる」
「怖がってた……?」
真朱を怖がっていた?
戦闘の際のナルトの様子からはとても信じられないようなことだった。
「お前は里を襲った九尾の恐ろしさを知らない。だから想像できないかもしれないが、体感した俺にとってはあいつは地獄そのものだ。何もかも破壊して、大事
なもんを全部奪っていった。だから里の大人は九尾を封印してるナルトを嫌うんだ。………そんなやつが自分の中にいて、時には夢に出てきて自分を殺そうと封
印の中から牙を覗かせる。あいつはいつもうなされていた。そして自分の悲鳴で目が覚める。そりゃ怖かったろうよ」
サクラは瞬きを繰り返した。そうして見つめる右目は憂いを湛えていた。
「そんな状態なのに自分の中には九尾が封印されてるんです、なんて言えるわけないでしょ。まして友達であるお前に言えるわけがない。ま、あいつだって言え
るもんなら言いたかったと思うよ。お前だって知ってるでしょ?あいつ、嘘つくのほんっとの苦手なやつだから」
「………」
サクラは再び下を向いた。
耐えるように握りしめた手の白さが目をひいた。
そんな彼女の肩をぽんぽん、とカカシは優しくたたいた。
「だから仕方なかったんだよ」
「………」
「……サクラ?」
「………」
「サっクラー? 急に黙っちゃって、どしたー?」
「………い」
「ん?」
ぼそっとしか聞こえなかった声にカカシは首を傾げた。
大げさに耳に手をあてて「?」を浮かべるカカシにサクラは思いっきり顔を上げて怒鳴った。
「何か食べ物ちょうだいっ!!」
「はあっ!? お前ほんとに何なのよ。泣いたり怒ったり、今度はなんだ!?」
「ヤケ食いに決まってんでしょ!! ……あーもういいわよ自分でとりますから!」
「お前ねえ、俺これでもお前の上司よ?その態度はないんじゃないの?」
非難がましく言うカカシをよそに、サクラは卓袱台の前に座ると袋をあさって肉まんをを取り出してかぶりついた。
「ヤケ食いねえ?」
綱手は苦笑するとサクラの分のお茶を淹れてやった。
それにサクラは頭を下げて喉に詰まる生地を熱いのも気にせずお茶で流した。
「…ほんっとにナルトったらサスケ君の言うとおりよ。ドベでウスラトンカチで……ほんと嫌になるわ」
そう言ってる間にもぼろぼろとサクラは涙を零していた。
それを吸って多少塩味の増した饅頭を囓って、サクラは言った。
「でも……ほっとけないじゃない……」
泣きたい時に笑って、笑いたい時に笑えない。
そんなの悲しすぎるもの。
「…………兄貴」
サスケは窓から離れサクラの隣に腰を下ろすと、イタチに声をかけた。
いつもの勝ち気な笑みはなりを潜めていたが、穏やかな表情をしていた。
「ナルトを、…頼む」
「…お前はいいのか?」
「…あいつを困らせたくない」
自分が殺すと迫っても、それ以上の感情で拒み、そして自分に懇願したことだ。
今自分が事情をすべて知ったのだとしても、それをナルトは知らない。
知ったとしても気に病むだろう。
「兄貴には、話しやすいだろ、あいつも」
そう言って一瞬苦しげな顔をしたが、それでも弟は笑って自分を送り出そうとしていた。
イタチはそれに口元を綻ばせて首肯すると、部屋をあとにした。
寒い。
ぼんやりとする意識の中、そんな感覚だけが浮かんだ。
「…………あー……っと……」
ゆっくりと目を開けると薄暗い天井が見えた。
「……ここ……は……」
思うように動かない腕を何とか動かしてナルトは起きあがると辺りを見回した。
見覚えがある。
ここは宿だ。
「…私……気絶したんだっけ……」
靄のかかる記憶からそれを思い出してナルトは身体を震わせた。
(どうしよう………全部、ばれちゃったってばよ……)
真朱と約束した時から覚悟はしていた事だったが、現実に起こってみるとどうしていいかわからない。
月読の事はまだいい。
実はそうだったんだよー、と笑って済ませられるかもしれない。
でも九尾の事はどう済ませばいいのだろう。
もしサスケとサクラに九尾と自分の関係を聞かれたらうまく言える自信がない。
ナルトはため息をついた。
「……喉、乾いた」
のそのそと布団から抜け出し、立ち上がろうとして身体を強張らせた。
「……痛っ…」
全身に痛みが走った。思わずその場に崩れ落ちる。
(……おかしいな…)
戸惑いつつもナルトは何とか立ち上がった。
足を引きずりながら洗面所へ向かう。
歯磨き用にと置いてあるコップに蛇口の水を流して口につける。
あまりの水の冷たさに初め咳き込んだが慣れると喉に染みるそれが心地よかった。
「はあー…っ。もう一杯飲もうっと…」
もやもやとしたものが少し晴れたような気がした。
蛇口に手をかけたナルトはふと前を見た。
そこには鏡がかけられている。
それを見た瞬間ナルトは息を呑んだ。
「………っ!?」
薄暗い鏡に映る、自分の、顔。
唯一光って見える、見開かれた、目。
ナルトの手からコップが落ちて高い音を立てて割れた。
「ナルト……?」
イタチの耳にカシャン、という何かが割れる音が響いたのは戸を閉めた時だった。
常人ならば聞き取れないほどの音だが忍の耳にならそれは違和感をも含んで聞こえた。
イタチは大股に部屋まで来ると勢いよく戸を開けた。
途端冷たい風が頬を撫でた。
「ナルト? 起きたのか?」
イタチは壁に手をかけて中を覗いた。
敷いてある布団が見えたが頭のほうまではここからでは見えない。
「ナルト?」
靴を脱ぎ部屋に入ったイタチは愕然とした。
「いない……」
布団の中にナルトはいなかった。
イタチはめくられた掛布に触れた。
まだ温かい。
イタチは顔を上げた。
押し殺した息づかいが聞こえたからだ。
洗面所?
ぱっと視点を転じて気配のあるほうに急げば、小さな身体が床にうずくまっていた。
そばには割れたグラスの破片が散らばっている。
ナルトのそのあまりに小さな背中に心が凍る。
「ナルト!!」
落ち着きのある、低いその声が、今は怖く、けれど頼もしかった。
(イタチさん…っ)
知らず身体が強張った。
けれど、肩にふれた手のあたたかさにナルトは嗚咽が耐えられなかった。
「い、…っ…イタチ…っさん…」
「大丈夫か?」
自分を包み込む腕にナルトは頭を押し付ける。
そうでもしなければ大きな声が出そうだった。
静かに震えるナルトにイタチは驚きながらもガラスで手を切ったりしていないのを確認すると、とりあえず安堵してそっと肩から背中にかけて撫でる。
「…ナルト、布団に戻ろう」
「…待って…、…イタチさん、…私…」
「話は戻ってから……、お前、その目!」
自分を抱き上げようとするのを止めようとする手を掴み、その顔を覗き込んだイタチは動きを止めた。
ナルトの目の色が、常と違ったのだ。
その瞳は、澄んだ空のような青ではなく、燃え盛る炎のような鮮やかな赤色。
イタチは瞬きを繰り返した。
だが何度見ても彼女の瞳の色はいつもとは違った。
そのことに、彼女自身気づいたのだろう。
自分を見上げるその目からは止めどなく涙が溢れている。
「どうしよう…私、もうここに居られないってばよ」
「一時的なものじゃないのか?」
「…そうかも、しれ、ないけど…」
「とりあえず布団に戻ろう。ここでは冷える」
泣いていることで喉がつっかえているナルトをそっと抱きしめると、イタチは有無を言わせず抱え上げた。
ナルトはそのことに一瞬体を強張らせたが、今はいろんなことに混乱しているのか、再びこちらの胸に顔を埋めてしまった。
そんな風にふるまってくれることに正直喜びを感じながらも、イタチは布団の上にナルトをおろし、自分に凭れられるように座らせる。
そして、片手を彼女の顔にそえると上向かせた。
ひとしきり泣いたことで少し落ち着いたのか、ナルトはしっかりと目を開けている。
大丈夫。
この子は弱くない。
ひとつずつ、確認していけば自信になる。
涙を指で拭いながらイタチは真紅に変えた瞳で確認し、微笑する。
「真朱が出たことで九尾のチャクラが乱れているだけだ。…安定させられるな?」
視たところ、九尾の封印に異常はみられない。
九尾を真朱としてチャクラをまとめ、外に出したナルトだ。
チャクラをまとめることなど造作もないことだろう。
確認するように問えば、ナルトは目を瞬かさせた。
「…。うん…やってみる」
イタチさんがいうなら、きっと大丈夫だってばよ。
イタチの笑みに泣くのをこらえ、ぐす、と鼻をすすりながらもナルトは目を閉じると集中をはじめた。
意識を沈め、封印の空間へと飛ぶ。
檻の前までくると、ナルトはそれに手を翳した。
(…チャクラが乱れてる。…でも大した量じゃない)
精神というか、核を外に出したせいで大元のチャクラの流れが微かに乱れていた。
イタチの言う通りだと納得しながら、ナルトはチャクラの流れを意識して、ひとつにまとめていく。
それだけで乱れは収まっていった。
(これでいいはず…)
そっとナルトは目を開けた。
と、イタチの闇色に戻った瞳があまりに近くにあってどきりとする。
(か、顔が近いってばよっ…!)
抱きしめられているのだから当然といえばそうなのだがナルトにとってはそんな事頭になかった。せっかく落ち着いた思考が再び混乱し出す。
完全に固まってしまったナルトに、イタチはふっ、と破顔した。
それはやわらかく微笑む。
「もどったな。良かった」
「えっ……ほんとだってば?」
「ああ、いつもの色だ」
そう言って確かめるように瞼の辺りを撫でる指の感覚が、ナルトはくすぐったくてたまらなかった。恥ずかしくて仕方がなくて、でも感じられる温もりが嬉しい
のも事実だった。
が、ナルトはそれを甘受している場合ではなかった。
「えっ、えっと…状況は!?」
自分は気を失っていたようで…感じたところ真朱はちゃんと表に出たまま維持をしているようだが、そばにいない…どこにいる…?
大蛇丸のところ?
気配を辿るとすぐみつかったのでとりあえず胸を撫で下ろす。
ただ、真朱が隠れる事無くいるということは、…どういうことだ?
すがるように見上げると、幾分イタチが目元を険しくした。
「お前が眠っている間に、…真朱が事情をすべて話した」
「っ…えええええ!!!!」
(えっ、てっ…いやお前、真朱!! なにやってんだってばよ!!)
ここにはいない半身に心の中で怒鳴りつつ、ナルトは再び混乱を始めた頭に手をあてた。
えっと…真朱が全部話したということは…。
九尾が里を襲って、それを自分に封印して…、とか。
自分が暗部に所属してて…、とか。
思っている事が口に出ていたのだろう。
イタチの手が頭におりてきた。
「ああ。そういった話だ。…サスケたちはちゃんと理解していたよ」
「えっ…。………そっか…。よかったってばよ」
(自分で話せなかったのはひっかかるけど…でも、ほっとしたってばよ)
さすがに面と向かうのは心の準備がいるが、それでもイタチの口からそのように聞くと安心した。
…嫌われなかったことに、ほっとする。
はあ、よかったってばよ…。
とそう表情を緩めたナルトに、けれどすっとイタチは目を細めた。
「ナルト」
「…?」
「俺はお前に怒っていることがある」
「えっ!!」
そう笑顔で言われた言葉にナルトは愕然とする。
えっ、私、なんかしたってば!!??
と言葉なくとも顔で言っているナルトの手首をイタチは掴んだ。
そのときには顔から笑みは消えていた。
「…お前はどこまで自分を犠牲にすれば気が済むんだ」
「あ…」
(真朱への…保険のことじゃないってば…?)
押し殺した低いイタチの声に、ナルトはゆっくりと目を大きくした。
イタチが掴む手首にある呪印は、真朱の意識を影分身に移す際に書き換えた。
ただチャクラを乱すだけのものから、九尾を縛るものへ。
ナルトは瞬きも忘れて、イタチの静かな怒りの眼差しを受け止めた。
(イタチさんは…)
真朱を出したことに怒っているんじゃない。
呪印の内容にーーー九尾が誰かを殺そうとしたときに自分の命が止まるようにしたことをーーー怒っているんだ。
ナルトは俯き、そうして目だけ上げて、下げて、唇を噛んだ。
「………っ」
震える唇で息をしっかり吸って、少しためてから声を出した。
「…ご…めん…なさいっ、てばよ」
言った瞬間、もう一度涙が溢れて頬をこぼれた。
あ、とそれを拭おうと手をやろうとしたが、それよりも早くイタチのものがそれをなぞった。
おずおずと顔をあげるとやわらかいながらも泣きそうに微笑んだ彼の顔がすぐそばにあって、そのまま腕の中へ包みこまれた。
何かを確かめるようにやさしく背中に回された手の感触に、ナルトは戸惑って声を上げた。
「…イタチさん…」
「………………っ」
名を呼ぶと微かに言葉にならない声が漏らされて、抱きしめる力が強くなった。
顔だけ動かして窺うと、彼の耳元と白く滑らかな首筋が目に入って慌てて前を見る。
身体が強張ったからか、イタチの身体が震えたーーー笑っているのだ。
「全く…お前といると心配ばかりでこちらの身がもたない」
「ご、ごめんなさいっ…」
「本当に反省しているのか?」
「…うん」
返事をすると、イタチが身体を離して顔をみせた。
やわらいだその表情にほっとしながらも、やはり不安で上目遣いになる。
「もう、怒ってないってば?…」
「…怒ってるっていったら?」
口元をゆるめつつも低い声で言うイタチに、ナルトは眉をさげる。
まだ肩に残る自分よりも大きな手に自分のものを重ねて、きゅ、っと掴んだ。
「…イタチさんは、やさしいってばよ。…いつも、ほんとうにいつも私にやさしいってば」
言わなくても気持ちを察して、やさしい言葉をかけて、その手を差し伸べてくれる。
会話さえ、まして身体にさわることなんて絶対に拒むという人が多いというのに…。
この人は自分の事情を知りながらも、それでも自分をみてくれた数少ない人だ。
忍として実力も、その容姿も特別で、里の中でもとても目立った人なのに全くそんなことは鼻にもかけず、心から自分に親切にしてくれ、心配してくれる。
そんなイタチに、自分はどうしても甘えてしまう。
この手に、すがってしまう。
(やっぱり、イタチさんのこと……)
すっ、とナルトは目を伏せた。気恥ずかしさももちろんあったが、それと同じぐらいに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
(この手を、離したくない…)
でも、このままずるずると甘えれば、きっとイタチはずっとそれに応えてくれるだろう。
彼は自分にここにいていいのだと言葉はないが言ってくれる。
それが心地よくて、甘えてしまう。
彼のそばにいていいのだと、勝手に思ってしまう。
(そんな事……いいはずない……。私がそばにいられるのは、イタチさんが優しいからだ)
本当なら、こんな風に身体に触れて、やさしくされる相手は自分ではない。
ナルトはイタチの手を自分の身体から離すと俯いた。
彼が問うような声で名前を呼ぶが、ぎゅ、っと目を閉じた。
(好きになっちゃ、だめなんだってばよ)
自分にとっての恋愛の知識は、サクラたちから聞く話や、随分前に借りた漫画のみ。
けれど、それでも自分がイタチに対して抱く気持ちがただの親しみでないのはわかる。
父に対するもの、イルカに対するもの、カカシに対するもの、三代目や自来也に抱くのは、肉親へのそれ。
サスケやサクラに対するものは、友へのそれ。
でも、イタチに対するものは、違う。
(離れていても、イタチさんのことが気になって仕方ない)
今なにをしているのだろう。
元気だろうか。
怪我などしていないだろうか。
そう常に何かを思い、そしてーーー自分を見て、自分と話して、ーーー
笑ってもらいたい。
泣いていたとしたら、そばにいたい。
自分を好きになってもらいたい。
そう願う。
でも、だめだ。
自分は九尾を封印したーーー里にとって忌まわしい記憶。
自分と共にあれば、イタチまで白い目で見られる。
そばにいなくとも、自分が好意を寄せていると分かれば、それだけで迷惑をかけるだろう。
(だから、好きになっちゃいけないんだってばよ…)
ぎゅ、っと痛む胸をおさえる。
俯いてみえた自分の膝や足に、はたはたと涙が落ちているのがみえた。
それに気づいて息を吸った。
「っやだ、なんで涙が…。イタチさん、ごめんってば」
「いや…どうした…?」
「ううんっ…なんでもない…。あ、違う。あの、イタチさん」
「?」
「…私に、こんなやさしくしちゃだめだってばよ」
「…どういう意味だ?」
必死に涙をぬぐって、ナルトはできる限り笑顔を作った。
それでも震える視界に、イタチの怪訝そうな顔がみえる。
ナルトはぐっとお腹に力を込めると、言葉に出した。
「私、いつもイタチさんに迷惑かけてる。でもイタチさんはやさしいから、私を甘えさせてくれる」
でも、それではさらにイタチに迷惑をかける。
イタチにどんどん甘えて、気持ちも大きくなってしまう。
それはだめなのだ。
「こんな風に、…えっと、その…抱きしめたり、…そういうのも、よくないってば」
「…嫌か?」
「えええ!! 嫌なんかじゃないってばよ! でも、こういうのはたとえ仲間でも、…好きな相手じゃなきゃしちゃだめだと思うんだってばよ」
「………お前は、嫌じゃないんだな?」
必死に説明するものの、イタチが念を押して来たのはそこだった。
ナルトは思うことが伝わっていないことに言葉を探した。
「いや、だから私は嫌じゃないけど、イタチさんがむやみやたらに私にこういう風に接したらだめなんだってばよ!」
「なぜだ? 嫌じゃないならいいだろう?」
「だめだってば!!」
思わず大きな声になってしまい慌てて口を手でふさぐが、イタチは大変不機嫌な顔になっている。
「お前、自分が俺に関わって里の人間から何かされるのを心配しているな? …俺はそんなこと気にしていないし、最近はお前への風当たりも弱くなっているだ
ろう?」
「…そうかもしれないけど…困るんだってばよ…」
「困る? 何がだ?」
すぐにそう返してきたイタチに、ナルトはいい加減うまい言葉が浮かばなくて、気がついたら考えもなしにまくしたてていた。
「だから! こんな風にやさしくされたらイタチさんのこともっと好きになっちゃうんだってばよ!! もっと好きになったらずっと一緒にいたいとかそういう
こと思っちゃって……絶対、絶対迷惑かけるからとにかくいやなんだってば!!」
って…私何を!!!
はっ、とナルトは冷静になって口を手で押さえた。
しかし時はすでに遅し。
目の前には大きく目を見開いた端正な顔があった。
訪れる沈黙にナルトは耐えられず、口を開く。
「い、イタチさん、ごめんってば! 今のはナシだってば!!」
「……」
「イタチさん…っ??」
「…なしには、…できないな」
そう言ったイタチはとろけるような笑みを浮かべて、首を小さく傾けた。
いや、首を傾げたいのは自分だとナルトは目を丸くする。
「なんでナシにできないんだってばよ!」
「俺がお前を好きだからだ」
「………………………………………え?」
い、今なんて………おっしゃいました?
ナルトは本当に耳を疑った。
それはもう全神経をかき集めて疑った。
だが頭の中ではしなくてもいいのに言われた言葉がエコーつきでリピートされている。
「あ、え、あ……え……??」
「…こんな風に言うつもりはなかったんだが…お前の気持ちがわかったなら遠慮するつもりはないし…」
「え、いや…そんな……嘘だってばよ」
イタチが自分を好きになるなんて、ありえない。
唇を引きつらせて乾いた笑いを零したナルトにイタチの視線が険しくなった。
「なぜ?」
そう重低音で聞かれてますますナルトの笑みが歪んだ。
「だって…私……そんな…魅力ないってば」
考えもなしに行動することばっかりで周りに迷惑かけてるし、ドジだし、ーーーとにかくだめだめで。
実力も、それに見た目だってイタチには釣り合わない。
「だから、…私がイタチさんを好きになるのも、迷惑だって…」
「お前もいい加減頑固だな」
「なっ…頑固って…これでも私は必死に考えて…っ!!」
「わかってるよ」
そんなふうに真面目なところも、好きなんだ。
イタチはそう笑った。
「俺の事を考えて、だめだと言うんだろう?」
「…う、…それは…うん。そうだってばよ」
「なら、何も問題ない」
ふっと目元をゆるめて、イタチはするりと自分へと再び腕をまわした。
あまりに自然な動作に抵抗できなかったナルトはとても近くに迫ったその顔に気づいて息を飲む。
「え…」
「ナルト、…好きだよ」
「っ……イタチさんっ」
「お前が、好きだ…」
「…っいた…っ……ん」
そうして気がついたら、唇にぬくもりを感じた。
みえるのは、触れそうなぐらい近くにある漆黒の睫。
息ごと時間も止められて、それがどうしてかわかった瞬間頭の中が真っ白になった。
ほんの僅かな間の出来事のはずなのに、いやに長く感じられて、微かな息と共に離れていく
彼の顔を呆然と見つめるしかなかった。
離れていった彼は、今までみたなかで一番の笑みを浮かべていた。
それに当たり前のようにときめく自分にはっとして、ナルトは口をぱくぱくさせた。
「い、イタチさん!!」
「お前は行動で示さないと理解しないだろう? これで俺がお前が好きだと信じられるか?」
「し、」
信じるも何も……。
(い、い、イタチさんとキスしちゃったってばよっ!?)
今のナルトに冷静に分析などできそうになかった。
「な、なんで……私、なんだってばよ?」
「俺がお前を好きになってはいけないのか?」
「そ、そーじゃなくて!! イタチさんが私みたいなの好きになるのっておかしいってばよ! 私ってば可愛くもないし頭よくないし……」
先ほども訴えたが、やはり気になるのだ。
自分よりも年上のイタチにはさらに大人の女性のほうが釣り合いがとれると思う。
イタチは首を横に振った。
「お前がいいんだ」
そうはっきりと言い切ったイタチに、全身の力が抜けていった。
(どうしよう……嬉しいってばよ)
瞬きをする度に、どんどん視界が悪くなっていく。
慌てて手で押さえるが、それぐらいで収まってくれるほど想いは小さくなかった。
それを実感して溢れてくる涙に、微かに上から声がした。
「……ナルト?」
「ごめんっ…嬉しくて…」
イタチの言葉を信じられなかったわけじゃない。
ただ、怖かった。
とても怖かった。
自分の気持ちを抑えずに、このままイタチを好きになって良いと、一度思ってしまったらもう止められないだろうから。
「ナルト……」
漏らされた声に一度唇を閉じる。
そして息を吸って、漆黒の双眸を見る。
「私なんか…いや、…私を好きになってくれて、ありがとうだってばよ」
「ナルト…。俺も…」
ありがとう。
口づけと共に言われた言葉はすっと心に響きまた涙を溢れさせた。
「お前のそばに、いていいんだな…」
「イタ………っん」
「………もう遠慮しないから、覚悟しろよ」
(何をだってばよー!!!)
いつの間にか首の後ろに手があって全く顔が動かなかった。
ナルトはイタチからのついばむような口づけを避ける事もできず、底知れぬ不敵な言葉に微かに怯えるしかなかった。
ガタン、ガタン、と規則正しく聞こえてくる車輪の音に揺られながら空を見上げれば、少し青みを帯びただけでほとんど白い。
「……ねっむいのう……。何もこうも早く出発しなくてもいいんじゃないか?」
自来也は大きな欠伸をするとぶるりと大きな体を震わせた。
時間が早いだけでなく身震いするほど冷えているのだ。
息が白くなるところまではいかないが寒い。
カカシは緩く閉じていた目を開けて寒さに悴んでいく手を擦った。
「仕方ないですよ。今日里方面に行くのがこの荷馬車だけなんですから」
そう言ってカカシは周りを見回した。
この荷馬車は品物を取りに行く予定らしく荷物らしい荷物といえば山と積まれた藁だけだった。
だから9人と2匹の大所帯を乗せてもらえたというわけでもあるが、風を遮るものがほとんどないので少々きつい。
里までは一日かかる。
もう少し太陽が昇れば温かくなるだろうか。
「それに早めに里に帰りたいじゃないですか。俺あの人と長々と一緒にいたくないですよ」
「こっちだって好きでいるわけじゃないわよ」
間を置かず返ってきた言葉にカカシはあからさまに嫌な顔をした。
「ねえねえやっぱり起こさなかったほうがいいんじゃないの?」
「運ぶのが厄介だから起こそうと言ったのはカカシさんでしょう?」
答えたのはイタチだ。何を言うのかと眉間に寄せている。
それにもへこたれずカカシは「だってー」とつぶやく。
「背負いたくないでしょ、あれ」
「カカシの気持ちはわからないでもないな」
くく、と綱手が笑った。
「ったく綱手まで……」
「自来也、お前は平気なのかい?」
「……うーむ……まあ平気とは……言いにくいかのう」
ちらりと視線を流せば、そこには仏頂面の大蛇丸が座っている。
両手は念のために手枷で一定に離した状態に固定されている。
確かに背負うには遠慮したいかもしれない。
その隣から場違いな明るい声がした。
「いやあー、随分な言われようですねー」
「……カブト」
怒り垂れ流しの大蛇丸の睨みを物ともせず、カブトはにっこりと笑っている。
「そんな怖い顔しないでくださいよ」
「………どうしてお前はそんなに元気なの」
うっすらと脂汗を額に浮かべて大蛇丸は唸った。
綱手に目を覚まさせてはもらったが、完全に『月読』のダメージが消えたわけではない。
耳鳴はするし頭は始終重い。
そんなに揺れているわけでもない荷馬車の揺れだけでも吐きそうになる。
カブトは大蛇丸と同じ手枷をされた手を器用に肩まで持ち上げて首の後ろをさすった。
「僕は気絶させられただけですから、そんなに疲れてないんですよね」
「…ほんとにだってば?」
荷馬車には先頭のほうに大蛇丸とカブト、つづいて彼らを挟んで自来也と綱手たちが座り、後方に積まれた藁を背もたれに残りの面々が座っている。
躊躇うように上げられた声は藁のほうから聞こえた。
カブトは微かに驚いたような顔をした。
「…ナルト君」
いたる所に包帯を巻いたナルトは眉を寄せて泣きそうな顔をしていた。
「結構強くやっちゃったような気がするんだってばよ。どっか痺れたりしてない?」
「ちょっとナルト、何こんなやつの心配なんかしてんの。カブトはお前を殺そうとしてたんだよ?」
「私は生きてるし、もう過ぎたことだから」
不快な声を出したカカシにそう言い微笑んだナルトは、けれど荒い息をつくとずずっと藁のほうへと身体を沈めた。
(…辛そうだな。まだ本調子じゃないのか?)
よく見ればナルトの顔はいやに白い。
隣に座るイタチが彼女を気遣っている様子からしても、容態は良くないようだ。
息も荒いし、きっと話すだけでも苦しいはずだ。
それなのに他人の心配をする。
……優しいのか、それとも馬鹿なのか…
(………嫌いじゃないけどね)
カブトは目を細めた。
「大丈夫だよ。どこも痛くないし、これでも医療忍者だからね。自分の身体はちゃんとわかってるつもりだよ」
「…良かったってばよ」
そう言うとナルトは花が綻ぶように、やわらかく微笑んだ。
まともにそれを見たカブトは普段は表に出さないだろうに、突然のことに顔をほのかに赤くしていた。
それには気持ちが良いほど気づかずに、ナルトは胡座をかいた足の上で丸まっている紅い毛達磨を見下ろした。
「真朱、気になることがあるんだってばよ」
「なんだ?」
「傷がまだ治ってないんだけど、どうしてかわかる?」
ナルトははっきりとそう言った。
自分を囲むように座っているサクラとサスケにも聞こえるほどの大きさで。
(もう、黙ってなくてもいいんだってば)
そう思うと自然と笑みがこぼれた。
『ナルトーっ!!』
そんな大音量と共に戸を開けて入って来たのはサクラだった。
そんな勢いでいたら宿の他のお客に迷惑だと言いたくなったが、彼女の表情を見たらそんな事言えそうもなかった。
畳の上でイタチに手伝ってもらいながら荷物の整理をしていたナルトは思わず固まった。
手に持っていた歯磨きセットがカランと音を立てて落ちた。
ぜ…、
(絶対怒られる…っ)
騙してたのね!!………とか
どういうつもりよ!!…とか
どんな言い方をされるのせよ、絶対怒られて、恐れていた結果になる。
イタチは大丈夫だと言ってくれたが、目の前のサクラの表情を見てるととてもそんな風には思えない。
サクラはずんずん部屋に入って来て、自分のすぐ前にしゃがんだ。
彼女の眉はつり上がり、見た事もないくらい怒った顔をしている。
『ナルト!』
『は、はいっ!』
鋭い声にびくびくしながら返事をすると、ふっとサクラの表情が崩れた。
『ごめん!!』
そのままふわりと抱きしめられた。
『あんたばっかに辛い思いさせてごめんね。……気づいてあげられなくてごめんね……』
『……サクラちゃん…』
ナルトは呆然と薄紅の髪を見つめた。
拒絶されると思った。
こんな事、予想もしてなかった。
『……ナルト』
戸の方から控え目に呼ばれて、ナルトは驚いた顔のままそちらを見た。
そして目を見開く。
『……サスケ』
大きく開けられた戸にもたれるようにして立っているサスケは、ひどく冷めた表情をしていた。
でも、それがいつもの彼らしくて、ナルトは強張っていたものが弛んでいくのを感じた。
サスケはふっと一度目を伏せ、そしてゆっくりと瞼を上げて、曇りのない闇色の瞳をナルトに向
けた。
『……謝って済むとは思ってない。けど…………悪かった』
眉を寄せて、そう絞り出した言葉はとてもまっすぐで、ナルトは目元を弛ませた。
『いいってばよ…。それに……』
サクラの肩に触れて身体を離す。
涙で真っ赤になった彼女の目と、少し伏せられた漆黒の目を順番に見て、ナルトは震えそうになるのを耐えながら声を出した。
『…黙ってて、ごめんってばよ』
九尾の事、月読の事、黙っててごめん。
ずっと言いたくて、でも言えなかった言葉。
やっと外に出せて思わず涙が出そうになったけど、2人が笑ったから、零れるのを我慢して自
分も笑った。
ナルトの言った事にサクラが声を上げた。
「傷が治ってないって…そんな、一晩で治るはずないじゃない。綱手様だって傷を塞ぐだけでたいへんだったのよ?」
「それがナルトの場合治っちゃうのよ。怪我は数時間で塞がるし、風邪もあんまりひいたこともないな」
「……カカシ、なんでてめえがそんな事知ってんだ?」
不快そうなサスケにカカシはふふん、とどこから湧いてくるのか知れない自信を全身から放っていた。
「ナルトの事は赤ん坊の頃から知ってるの。火影様が忙しい時は俺がご飯作ったり遊んでやったりして……ナルトが俺の名前呼んでくれた時なんかもうめちゃく
ちゃ嬉しくて俺泣いちゃったもん」
ナルトの事はなんでも知ってるよ。
拳を握り、ピンクの花とキラキラを背負った上司に慣れた風で背を向けて、サクラとサスケはため息をついた。
「…なぜかしら。カカシ先生が言うと何か妖しく聞こえるわ」
「所詮カカシだ」
「…ははは……。え、ええっと、真朱それで…」
ナルトが再度言うと、真朱は身体を起こし、今は一本だけ残した尻尾をぽてんと振った。
「今までは中にいたからお前が怪我をしたらすぐにわかったんだが、外に意識があるせいで全く気づかんかった」
そうしてぺたぺたと前足でナルトの身体を叩いた。
小刻みに彼の髭は動いている。
「今吾の力を動かそう。傷などすぐ消える」
「真朱さんはそんな事できるの?」
「治癒など吾にとっては造作もないことだ。だがナルトの身体だから自在にできておるが、他人にそれを施す事は無理だな」
確かめるようにナルトの身体を眺めて真朱は答えた。
「ナルトの身体は吾のチャクラを生かせるようにできておるが他の者にはそれがない。無闇にやって取り返しがつかなくなるのは面倒だからな。さて、治すか」
鮮やかな尾を一振りした真朱に、だがナルトは首を横に振った。
「真朱ごめん、治さなくていいってばよ」
「ナルト?」
怪訝に言ったのはイタチだ。
傷を治してくれると言うのにそれを止めるとはどういうことかと首を傾げると、彼女は恥ずかしそうな顔をしてこちらを見た。
「……治してもらえるのは助かるけど、普通は治ったりしないから…その…、みんなと同じになれるなら、そういたいんだってば」
イタチは微かに目を見開いた。
ナルトの言葉が深く響いて、しばらく動けない。
『普通』
『みんなと同じ』
ナルトにとっては最も難しいこと。
でも、変わった。
「そうか。……無理はするなよ」
息と共に言葉を吐き出して朝霧に湿った髪を撫でてやると、ナルトは嬉しそうに笑って大きく頷いた。
もう、恐いものなんて、何もないのだ。
「ちょっと、ナルト」
ぐいっといきなり腕を引かれて呆気にとられていると、目の前に翡翠色の綺麗な双眸があった。
「さ、サクラちゃん?」
すっとんきょんな声を出すとサクラが口を開いた。
「ナルトー? 何か前よりもイタチさんと仲良くなってみたいじゃなーい?」
「えっ……!?」
ちなみに2人の会話は小声も小声、2人にしか聞こえない音量である。
ある意味でものすごい口頭弁術を使いつつ、サクラはにいっと笑んだ。
「昨日何かあったんでしょー? ま、当然よねえ。一晩二人っきりにしてあげたんだから。大変だったのよー。イタチさんが私たちの部屋に食事取りに来て、あ
んたが起きたってわかった時のカカシ先生止めるの」
「へ、へえ…」
「へえ…じゃないわよ! ほら、何があったかおとなしく言いなさいよ」
「そんな別に何も……」
なかった、と言おうとしたが否応なく頭の中で昨夜の出来事が走馬燈のように駆けめぐって、ナルトは一瞬で顔を真っ赤に染めた。
(お、お、思い出しちゃったってばよ!?)
あたふたとし出したナルトをサクラが見逃すはずもなかった。
「なーるーとー」
ここぞと低い声を出すとナルトがびくん! と身体を震わせた。
「ほ、ほんとに何にもなかったってばよっ!!」
「素直じゃないわねえ。隠さずいいなさいよ!」
「だからほんとに何にもなかったんだってばよ!!」
ぜーぜーと肩で息をするナルトに、サクラは目を細めた。
「ほんとに?」
「…う、うん」
「ふーん。………いいわ、別にあんたに聞かなくてもイタチさんに聞けば済む事だもの」
「はあっ!? ちょっとサクラちゃんっ!まっ……っ!!」
「あのー、ちょっといいですか?」
ナルトの制止も虚しく、サクラは満面の笑みを浮かべて、何ともなしに過ぎていく景色を眺めて
いたイタチに声をかけてしまっていた。
サクラの横でナルトが動かない身体を精一杯使って何か訴えようとしているが、事情を知らないイタチは疑問符を浮かべるばかりで結局サクラへと視線をやっ
た。
「?」
「えっとお……ナルトの様子がおかしいんですけど、……昨日何かあったんですか?」
えへ、とサクラはしなを作って笑ってみせた。
そんなサクラの横でナルトが顔を真っ赤にしている。
別に隠す事ではないのかもしれないが、彼の口から言われるのはとても気恥ずかしい気がした。
(イタチさんっ!!)
ナルトは泣きそうな顔でじっとイタチを見つめた。
彼は立てた膝に腕を置き、手を口に当てて考え込むようにサクラとナルトを見比べた。
なるほど…。
何となく予想がついて、イタチはふっと笑んだ。
にやにやとまではいかないがそれと似たような色を含んでいる。
(……たまには、困らせるぐらいいいだろう?)
その笑みを見た瞬間、ナルトの背筋を嫌なものが走った。
彼女が見守るその前で、イタチの形の良い唇がまるで夢の中の出来事のように優雅に動いた。
「昨日何があったかなんて……、こんなところじゃとても言えないな」
そうだろう、ナルト。
すうっ、と目を細めて言う彼はとても様になっていて、思わずサクラとナルトは息を呑んだ。
が、それもつかの間だった。
冷や汗をかきまくっているナルトにぐるん、と音がするのではないかというほど勢いよくサクラは顔を向けると勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ほおらやっぱりあったんじゃない」
「……え、えー…と…」
「絶対言ってもらうわよ………」
「サクラちゃんっ、恐いってばよ!!」
「あんたが黙ってるからでしょっ! いいから言いなさい!」
「やだってばよっ! ……ちょっ…イタチさんっ! 見てるだけじゃなくて助けてくれってばよ!!」
「別に言えばいいじゃないか。秘密にするほど大変な事でもない」
傍観を決め込んでいるイタチにナルトは堪らず怒鳴った。
「恥ずかしいってばよ!」
「だから何が恥ずかしいのよ!」
ずずい、と詰め寄ってくるサクラの向こうに怖い顔をしたサスケもみえて、さらにナルトは泣きたくなった。
(何でこうなるんだってばよー!!)
なかなか、恐いものはなくならないのかもしれない。
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