夜を裂く5







 イタチに会おう、と決めてから、ナルトはとても忙しいわけではないのだが、さまざまな方面に拘束され、なかなかに自由がとれなかった。
音の里解体についてのことが大半であったが、”月読”として内密文書の配達をしたり、顔が広がってきた分多方面に意向を確認するのに駆り出されたり…。


 ひと区切りついたためようやく一息ついたナルトは、火影邸から出ると困ったような表情で空を見上げた。
まだ夕刻まで時間はあるというのに黒っぽい厚い雲のせいであたりは薄暗い。
これは本格的に降りそうだな、と眉を顰めた。

 気づけば父に言われた夜から2日経っていた。


(まずいなあ。考えてたこと何にも進んでないってばよ)


朝早くから夜遅くまでーーーいや寝ずに作業と任務に明け暮れていたせいでイタチにも会えず、そろそろ取りかかろうと思っていた真朱ーーー九尾のことも手付 かずだ。
こんなことでは気がついたら一ヶ月、いや数ヶ月経っていてもおかしくない。
まずい、まずいってばよーーー、と顔を手で覆った時、ぽん、と肩を押された。


「ウスラトンカチ、こんな出入り口で立ち止まってんじゃねーよ」
「なんだサスケかあ。お前も帰って良いって?」
「ああ。ぶっ通しだったからな。…ほら、飲め」


と差し出してくれたのは栄養ドリンクだった。
見たこともないラベルだな、と思ったら薬師印だった。
ナルトは小さく笑みをこぼすと有り難く受け取った。
立って飲むのもあれなので、玄関脇のベンチにサスケと並んで座る。


「いやー、こんな大変だとは思わなかったってばよ。てか研究資料多すぎ!」
「…そうだな。さすがに疲れた」


整った顔立ちは深く隈ができていても陰があって雰囲気があるが、ナルトはそこに確かな疲れを見てとって、目を細めた。


「大丈夫だってば? あんまり無理しちゃだめだってばよ」
「それならお前だろ? …暗部の任務もあるんだろ? ちゃんと寝れてんのか?」
「ああ…まあ慣れてるから大丈夫だってばよ」
「それなら…まあいいが。兄貴も最近あんまり家に帰ってねえし…。暗部ってのはそんなに忙しいのか?」
「…え?」


ドリンクのボトルを傾けていたナルトは慌ててそれから口を外した。


(イタチさんに任務…? たまたま任務が別だっただけ? いや、でもイタチさんが暗部で駆り出されるときは大抵私とツーマンセルだから…)


自分にあった暗部の任務は極秘というだけで大したことではなかったため結局一人で携わった。
だからこの2日でイタチに暗部の任務があったとは思えない。
ーーー火影邸にも、父にもそんな気配はなかった。
けれども帰宅していないということはーーー。


(変な感じがする…)


たまたまなのかもしれない。
けれど、今は胸騒ぎがした。
 ナルトは一気にボトルをあおると、サスケへと顔を向けた。


「今朝は会ったってば?」
「あ? 俺が家を出る時に帰ってきたから、声はかけたが…」


また出かけるような感じだった。
そう言ったサスケに、ナルトは「ありがとうだってば」と言いながら立ち上がると、すぐに走り出した。


「えっ! おい、ナルト!?」


まだドリンクを半分も飲んでいなかったサスケはそれに驚いたが、瞬く間に見えなくなった背中に嘆息した。


「ったくなんなんだよ。俺といるときぐらい…」


イタチの話題を振ったのは自分だがーーーと苛々して、サスケは白い喉を見せてボトルをあおった。


















 とにかく会わなければ…。


そう高まる不安に考えを巡らせて、ナルトは思いつく限りの場所を尋ね走った。
近くまで行けば気配で誰がどこにいるかはわかるのでそう時間もかからず里の中は一通り回ってしまったが、イタチの気配は感じ取れなかった。


「家にも帰ってないし…」


念の為に、と最後に訪れた自宅にも気配はなかった。
そうなると、心当たりのある場所は限られていた。


「もしかしたら…」


すでに日は暮れ、薄暗かった空はますます重く湿ってきた。
空気に水の匂いが混じってきたのを感じながら、ナルトは半信半疑のまま再び走り出した。




















 重い音をたてて深い水底へと流れ込む滝をみつめ、イタチは目を細めた。
滝の水は大気へと飛び散るにつれ、小さな雫となり、ひやりとした冷気を放つ。
それを吸い込み、また包まれると、なんともいえない清浄な気分になる。
ーーーそんな心地よさは、ここを自分の領域とした、あの少女のそばにいるのと近いもの。


「…………」


静かに目を閉じ、滝の音や木々のささやき、風の起こす音を耳にしながら、イタチは一度深く息を吸い込んだ。
そして、振り返り、目を開けた。


 ざあ!! と風の音とともに木々の間から現れたのは、金色の鱗粉をまとったように闇の中で光る華奢な少女。
彼女は自分を目視するとその大きな目をさらに大きくした。


「イタチさん?!」


明らかに驚きを孕んだ声。
気配を掴めていなかったのだろう。

ーーー意識して気配を消し、もし気配をみつけても、それを見逃すような幻術を重ねたのだ。

例え彼女でも、気づけまい。




木々の間から飛び出してきたナルトは、イタチを見て顔を綻ばせた。
 うだる灰色の世界でナルトの金色の髪が幻のように輝く。
その眩さに、小さく声が漏れた。


「っ……」


胸が詰まって思わず眉を顰めたイタチに、そばまできたナルトは顔を顰めた。
そっと手をのばす。


「イタチさん? どうかしたんだってば?」
「……ナルト」


ナルトの手が頬に触れて、イタチは力が抜けていくのを感じた。
華奢なその手を掴むと、少しずらして自分の唇にあてる。


「い、イタチさんっ!?」


自分の行動にナルトは顔を真っ赤にして慌てた。
咄嗟に手を引っ込めようとするが、腰に腕をまわして引き寄せ、許さない。


「………」


息を感じられるほどの距離になったことに、ナルトが何度も瞬きをしていた。
それをそっと開けた目でみながら、しばらく彼女のぬくもりを感じる。







 ナルトは恥ずかしさに死にそうだったが、普段と違うイタチの様子に首を傾げた。


「イタチさん、何かあったんだってば?」
「…………いや。…お前こそどうしたんだ? 忙しいのだろう? 休まなくていいのか?」


手を解放して、だがナルトの身体を抱きしめたまま言うイタチにナルトは笑った。
自分の記憶のものと変わらない穏やかな声音に、ナルトは本当にイタチには何もなかったのだ、と小さく安堵した。
あの胸騒ぎは自分の杞憂だったのだと納得して、ゆったりと口を開く。


「やらなきゃいけないことが多いだけで、そんなめちゃくちゃ忙しいわけじゃないから大丈夫だってばよ」
「そうか…」
「うん! あ、そうだ」


えへへへ、イタチさんに渡したいものがあるんだってばよ。
にこにこと言う自分に、彼の切れ長の綺麗な目が大きくなった。


「渡したいもの?」
「うん。えっと…確かここに…」



ごそごそとポーチを探り、ナルトは目的のものをみつけるとひっぱりだす。
いつイタチと会えてもいいようにずっとポーチにいれていたのだ。
手の平にのってしまうほど小さな紙袋を見せると、イタチは瞬きを繰り返しながらも受け取った。
そして中身を出して…呟く。


「…首飾り?」


 華奢な革紐に、切り出されただけのような形の、一見黒曜石のような石が通されていた。
ナルトはイタチの手からそれをとると、心配そうに笑った。


「イタチさん、こういうの嫌いかもしんないけどさ、これ、すごい綺麗なんだってばよ」


話して、石を空に…厚い雲のせいで非常に弱いが、月の光へと掲げた。


 緩い光を受けたそれは、一瞬黒さを深くし、そして、色を変えた。





……………光を吸ったそれは、透き通るほどきらめき、けれど深い真紅へ。





「これ見て、すぐイタチさんの顔が浮かんで…、気づいたら買ってたんだってば」


黒と赤は、彼のその瞳の色。
ただ、その色彩は…例えばサスケのものとイタチのものとは違う。
サスケのものは実に鮮やかで、遠目にもわかるはっきりとした赤。
イタチのものは、それよりも深い色合いで、けれどもそばでみると透き通るような不思議な赤。
 この石の名前は知らないけれど、店でみたときにとても関心をひかれたのだ、と言うと、イタチは一瞬悲しそうな顔をして、けれどすぐ穏やかに微笑んだ。


「ナルト、……」


イタチはゆるく息を吐くと、再び自分を抱きすくめた。


「……つけて、くれないか?……」


そうして、耳元で言う。
 その声がひどく掠れていて余計にどきどきしながらもナルトは頷いた。
見やすいようにとイタチの肩に顔を寄せ、零れていた黒髪をよける。
緊張して何度も金具を落としそうになりつつも、ナルトは首飾りをつけた。
月光に晒されていない石は元の黒にもどっている。


 ナルトは顔を離すと、その石に触れた。


「できたってばよ」
「ありがとう…」


そう言って気恥ずかしげに笑むと、イタチはやさしく目を細めた。
そして、自分の頬に手を添えて、微笑む。


「ナルト…」
「ん?」
「……好きだよ」
「……え! …ぁ……ん」


囁きと同時に口を塞がれて、ナルトは身体を強張らせた。
 角度を変え、何度も啄まれるうちに力が抜けてくる。


「…ん……!……」


開きかけた唇を舐められ、そのまま口腔を犯される。
息もままならない自分をよそに、それは動く。
舌を絡められきつく吸われると、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった。


「……ぁ……」


 音を立てて唇を啄み、飲み下せず口の端から零れた唾液を舐めとると、ようやくイタチは解放してくれた。
今までキスをしたことは何度かあった。
けれど、こんな風にまるで食べられてしまうようなキスは初めてで、ナルトはしばらくイタチの肩に額をあてて、息を整えた。




 何度か呼吸を繰り返し、真っ白になっていた頭がちゃんと働くようになってきたとき、ふ、っと彼の身体が震えた。


(……? 笑ってる…?)

 
身体の震えと共に時折漏れるような声にナルトが顔をあげると、彼は、それは綺麗に微笑んでいた。
とても艶やかな、けれど、凍えるような冷たい眼差しをたたえて。
反射的に身体が強張ったとき、彼が口を開いた。


「…幸せそうな顔だな」
「……?」
「……俺との恋愛ごっこは楽しいか?」


ぞっとするほど、冷たい、蔑むような声だった。
それは小さな声だったが、ナルトの耳には滝の音に掻き消される事なく、はっきりと聞こえた。


「……え…?」


声音に含まれるはっきりとした侮蔑の色に、ナルトは大きく目を見開いた。
そして、後ずさった。
自分を見下ろすその眼差しが、はっきりと殺意を発したからだ。
自分の見る前で、その瞳は色を変える。


 血のような真紅。
 そこに巡る黒い二重円と、それにかかる三つ巴。



見た事は何度かある。
けれど、
殺意を持って向けられるのは、初めてだ。


 背中から冷たい汗が噴き出した。



何が、どうなってるんだってばよーーーー。



わけがわからず息をつめるナルトに、イタチは嘲笑うように口元を歪めた。


「どうした?」
「…イタチさん…?」
「…まさか、本当に俺がお前を好きになったと? …っ、冗談はよしてくれ」
「……?!」


突然、この人は何をしゃべっているんだろう。


 ぽつ、と額に冷たい滴が落ちた。
微かな音は数を増やし、割れた空から大粒の雨が降り出した。
雨は地面を黒く濡らし、2人の身体を止めどなく流れる。




 ふと、頭を嫌な記憶が走った。
誰にも好かれず、誰にも相手にされず、誰にも信じられない自分。
そんな自分に近づいてくる人間は、必ず同じことをした。
自分にやさしく話しかけ、自分が甘え、信じ始めたとき、手の平を返して突き放し、あざ笑うのだ。

そうすることで自分が余計に傷づくこと知っているから。

 まだ小さかった頃は、単純に自分を見てくれる人がいることが嬉しくて、大人でも子供でも、話しかけてくれるだけでその人を信じていた。
誰かに見てもらえる事が、話しかけてもらえる事が嬉しかったから。

けれど、信じても、裏切られる。

そんなことが数回あって、しばらく家から出る事が出来なくなった。
人を信じる事が怖くなったのだ。
けれど同時に、自分を蔑む人の甘い言葉はわかるようになり、アカデミーに入る頃には自分を守れるようになった。
だから、随分そういった絶望は味わっていなかった。



だからーーー。
この人は違う……。
そんな気配は感じなかったから。
でも、今この人はーーー。


 ナルトは心の中で叫んだ。
そうしなければどうしようもないほどに身体が震えていた。






 目の前の男は本当に可笑しそうに笑った。
それがあまりに鮮やかで、そして無性に恐い。



 イタチは形の良い唇を開いた。


「俺が、お前を本当に好きだと、思うか?」


どく、と心臓がいっそ止まりそうなほど大きく跳ねる。
 ナルトは震える瞼を堪えて、紅い眼を見つめた。

イタチの笑みが濃くなる。


「俺が化け物を本当に愛すと思うか?」
「ば……っ」


化け物。
自分に向けて初めてその口から放たれた単語に視界がくらりと揺れた。
ぽつりと溢れた自分の声は、ひどく掠れていた。


「…じゃあ……、何で…」
「お前の情報がほしかっただけだ」
「……情報……? なにそれ、イタチさん、どういう意味だってば?!」
「そのままの意味だ」


途端、イタチが表情を濁した。


「いつまでそばにいるつもりだ?」


 本当に嫌そうにそう言って、イタチはナルトを突き放した。
そんなに強い力ではなかったが、放心状態のナルトはバランスを崩し、その場にへたり込んだ。
雨で冷えきった岩がしんしんと身体を凍えさせるが、それとは違う震えがナルトを支配していた。


…………この人は、何を……。



ガタガタと身体が震え出す。



 イタチはそれを目に留める事もなく、ナルトに背を向けた。
ただ放たれる声は愉快そうに明るい。


「だがまあ、今日で最後……。里を抜けるというのも悪くない」
「!! 里を、抜ける……?」


俯いていたナルトは弾けたように顔を上げた。
雨に濡れて常よりも深く黒い彼を見つめる。


「里を抜けるって……、どういう意味だってばよ?!」
「…………」


返答はなかった。
こちらを見る事も無く、雨の音だけの沈黙が続いた。


(イタチさん………!)



 月読として出会い、何度も助けられて、支えられて、必要だと言ってくれて………。


 そのすべては偽りで、そしてこの人は里からいなくなる。
 そして……………自分は、愛されてなど、いなかった…?



ざ、という足音に、ナルトは目を見開いた。
見ている前で、彼が、暗い森の中へ消えようとしている。



行ってしまう。

恋愛ごっこ?
偽り?
情報?


彼は自分から情報を得るために恋愛ごっこをしていた?

何のために?

暗部 ”月読” の情報?

いや、そんなものじゃない。

彼がほしいのは、九尾の妖狐ではないのか?


それが、彼が自分のそばにいた理由?


でも、なんでわざわざ自分に対してそんな話をして、里を抜けると宣言したんだ?



どうして?
何が起こっているの?


わからない。
わからない。



何のために里を抜けるのか、どこに行くのか、何もわからない。
でもこの人は、どこかに行ってしまう。
自分の声も、手も届かない場所に、行ってしまう。



そう、わかるのは、ひとつだけ。


…………もう会えないかもしれない。それだけ。




「…まっ……て!!!」


どくり、と心臓がはねた。


 伸ばそうとした手も、立とうとした足も、拒絶された恐怖と不安に、地面に縫いつけられて少しもあがってはくれなかった。

心は1秒も早く彼を止めたいと願っているのに、同時に傷つくことを恐れて動かない。

自分は拒絶されているのに、どうして触れていいのか……。
 そう思うと、身体が地に埋まっていった。


それでも、ナルトはからからに乾いてしまった喉を震わせた。


「待ってってば!!」


 森の中にイタチが消えていく。
足音が聞こえなくなる。
いや、まだ間に合うはずだ。


(わけわかんないってばよ。なんで急にこんな…)


追いかけなければ。
でもーーー。


『ナルト』


耳の奥に、彼のやさしい声が響いた。
でも、
そう呼んで、抱きしめてくれる人は、もういない。

自分が知っている”イタチ”は偽りだったのだから。

彼は本当に自分を好きでいたわけではないのだから。

本当に?

だって、彼がそう言ったではないか。


「………………………………………ッ!!!!!!」


自分が、追いかけられるわけない。
彼に、冷たい目で見られたくない。


 でも…
怖いけど、そんな簡単に納得できない。
1年と…もう少しで2年経つ間、一緒にいたのだ。


自分は自分なりに、うちはイタチという人を見てきた。
その感覚が、違和感を訴えている。


何かが、おかしいと。


「……っう、……ふ……!!」


降りしきる雨の中、ナルトは見えない胸の痛みを手で強くおさえ、震える足に力を込めた。
しっかりと、彼が歩いて行った暗い森を見た。
ぐ、っと歯を食いしばると、立ち上がった勢いのまま足を前に出した。
 一歩目が出たら、ちゃんと足に力が入った。
ナルトは一度呼吸を深くして、走り出した。



 そう時間は経っていない。
すぐに見慣れた背中が視界に入り、ナルトは震える気持ちをおさえながら速度を速めた。
そして手を伸ばして、その背を、指先にひっかかった服を強く引いた。


ーーーぴちゃ、と音を立てて足音が止まり、肩越しに赤い目が自分を見下ろした。


「離せ」
「……いやだ」


ナルトは自分の感覚に虚勢をはった。
イタチのこの行動には意味がある。
ーーーそれに、仮に本当にイタチが自分の情報を得て…里を出るというならば…自分には大義名分ができた。


「…私の情報を、里外に出すわけにいかない」
「………」
「”月読”の情報? それとも九尾? なんにしても、”うずまきナルト”は機密だってばよ」
「………それで?」


ゆっくりと、美しい赤い瞳が細められた。
雨に濡れて艶やかさを増した黒い髪の間で光る虹彩に、ナルトは大きく目を開けた。


「どうしても里を抜けるというなら…私が力尽くで止めるってばよ」
「お前に、俺が止められるのか?」


ふ、と片腕が挙げられ、次の瞬間勢いよく斜め下へと振り下ろされた。
ヒュン! と空気が裂ける音がして、金属の軌跡がそこをすべる。
反射的に後ろに飛び退いたナルトは、イタチが手にするクナイの存在に目を瞠り、小さく息を吐いた。


そうか。


(…イタチさん、本気だ)


艶やかに輝く赤い瞳が、自分を敵と見なした証拠だ。
これまで、本当の戦闘中でない限り、その瞳をみせられたことはない。
殺戮しか生まないと、彼自身が写輪眼を使うことを避けているーーーと言っていたからだ。
だが、この話も自分を欺くための方便だったのかもしれないが。


「…………」
「…………」


ザアアアアアーーーと弱まることなく雨は降っている。
森の中とはいえ、身体の上を相当な量で流れるそれを感じながら、冷えずに熱くなっていく手で自分もクナイも掴んだ。



















 ぎしぎしと窓が風と雨に悲鳴を上げた。
その震えにゆらりと蝋燭の火が揺れて、四代目は書類から顔を上げた。
書類の傍らには真朱がおり、ゆったりと執務机に寝そべっている。
 真朱は普段はうずまき家自宅にいるか、ナルトに随行しているのだが、ときどき火影邸に四代目についてやってきてはその仕事ぶりを眺めている。
本当はいけないのだが、極秘の里間のやりとりだったり、国家間のやりとりだったりの情報を得てニヤニヤするのが楽しいらしい。
ただ、九尾を完全に里人に受け入れてもらったわけではないので、しっかりと姿をみせるのは執務室に四代目しかいないときだ。


「すごい雨ですねー」
「…そうだな」


真朱も微かにだけ頭を上げると頷いた。
窓の外が見れないほどバケツをひっくり返したような雨だ。
これは帰る時難儀しそうだ、と胡乱げに真朱が付け加えた時、彼がピン、とその耳を立てた。


「あれ、真朱さん、どうかしました?」
「…ナルトが誰かと戦っておる…」
「え?!」


修行?
にしても、こんな天気の中やらないだろうなあ。
 四代目は眼差しを強くすると窓を見遣った。


「真朱さん?」
「…わからん! あやつ、吾との共有を閉じておる…」


真朱はせわしなく髭を動かした。
 ナルトと真朱は、当然のことながらつながっている。
特殊なことに、真朱のメインとなる意識を外に出し、仮のチャクラ器でそれを維持しているのが現在の状態であるが、それでも大元はナルトの中にあるので、意 識さえすればどれだけ離れていてもナルトと意思の疎通はできるし、お互いに視界や記憶を共有することができる。
いわば影分身のメリットを強めたようなものなのだが、それと違うのはお互いに独立した精神があるということだ。
それゆえ、意識すれば相手との共有は拒否できる。
もともとそれができるために、1つの肉体に2つの精神があっても危機的な支障が起きないのだ。
 例えば、記憶にしても、過去にあったことで、自分がこれは知られたくない、見られたくない、と内在的に思っていれば、それは相手に対しての拒否となり、 その記憶は共有できない。
同様のことが視界においても成り立つのだ。
 ナルトは滅多なことで自分との共有を拒否しないが、守秘義務を重んじて、任務や友人たちと交流の際、また”彼”と会っているときは拒否していることがあ る。


ということは………。


(このチャクラの大きな動きは…やはり戦闘しているものだ。だが、…一体誰と…)


自分のーーー九尾のチャクラに手をつけてはいないが、それでもかなり膨大なチャクラを使用している。
…任務でもそう使用しないほどの量だ。
 真朱は鼻の頭にこれでもかと皺を寄せると立ち上がった。


「何かよくない事が起こっているようだ。…吾が子には悪いが、確認してくる」
「…俺もこの仕事が終わったらすぐに向かいます。クナイを持っていっていただけますか?」


そう言って四代目が差し出したクナイを真朱はくわえると、ふわりと飛んで窓枠へと降り立った。


「ではな」
「はい、お願いします」


窓を開けた外は暴雨に激しく荒れていた。
けれど真朱は迷う事無く飛び出し、屋根や木々を伝ってあっという間に遠くまで飛ぶようにして走っていった。
黒い雨の中、蝋燭の炎のように揺れる赤い尾を見送りながら、四代目は自分も向かうために書類へと向き直った。





















(…切りがないってば…!!)


 バシャ、と大きな音を立てながら着地したナルトは向かってきた手裏剣をクナイで弾いた。


先ほどからイタチとはクナイや手裏剣での攻防が続いていた。
だが決定打があるわけでもなく、攻撃が均衡するばかりで時間だけが過ぎていく。


(…結界はだいぶ強化したけど、それでも誰か来るかわからないし、…早くなんとかしないと…!!)


滝周辺にもともとかけてあった幻術結界を強化したので、いつも以上にここには誰も入って来れない。
こんな雨の中山に入って来るような人はいないとは思うが…人目を気にした自分がイタチとの戦闘が始まってすぐしたことはそれだった。


(あー、でもだいぶチャクラ使ったから、真朱が不審がって来るかもな…。…できるだけ術みたいな目立つものは避けたかったけど…)


イタチも術は一切使ってこない。

自分と同じ理由でーーー気付かれたくないためだろうか。
ここは里の中枢から離れているとはいえ、里の敷地内。
そんなところで火遁でも使って大規模な火が上がったら否応も無く人が来る。
 里抜けをしようとしているのに、見つかったら面倒だ。


「………」


それならば、尚更ここにいて、自分にその話をしたのが腑に落ちない。
ここは、自分の隠れ家だ。
ここにいたら…2、3日のうちに自分と会う事は可能だ。
逆に、会ってしまうのだ。
なぜ、わざわざここにーーー?


「…余裕だな」
「っ!」


ヒュン、と真後ろから飛んできたクナイが頬を掠めた。
正面にイタチがいるのに、自分の後ろから飛んできたその存在にナルトはゆっくりと瞬きをして頬の血を拭った。

 このクナイの投術も、イタチの特出した力のひとつだ。
繊細でありながら威力のあるコントロールは、誰も真似できていない。


(自分が受けると…かなり怖いな…)


対峙しているだけで相当怖いが…。


(…イタチさんは…)


オールマイティタイプだ。
どんな状況でも一級の技術で戦える。


前衛にも後衛にもなれるのだ。
中近距離には体術や投術で。
遠距離は火遁で。

特別な力ーーー写輪眼の瞳術を使わなくても、それだけの基本スキルがずば抜けているから。
だから火影の護衛部隊とはまた別に、側近中の側近に選ばれ、暗部と兼任していたのだ。


(私は…離れたらまずい…)


自分は完璧に接近戦タイプ。
このまま距離を置くのは危険だ。


(こうなったら、…人が来ることになっても徹底的に攻めるってばよ)


ナルトは呼吸を整えると、印を結んだ。


瞬く間に数十人の分身が出現する。
ナルトはその先頭のまま、一番に駆け出した。

分身たちもそれについて走り出し…ーーーナルトがイタチまでの距離を半分に詰めたとき、八方に散った。走る方向を変えただけでなく、木々に溶け込むように 姿も消した分身たちに、一瞬で視界にはナルトだけが残った状況に、イタチが微かに目を細めた。


…洞察するにも、限界はあるはずだ。


ナルトは動かないイタチにクナイを数本投げ放つ。


同時にあらゆる方向からもクナイが飛ぶ。


ーーーその進路で、分身の場所はわかってしまうだろう。


360度、今分身たちはあらゆる位置からターゲットを囲みこんでいる。
その状況が気付かれる。


「………」


イタチは確実な動作で、同時にもみえるクナイの僅かな時間差をみつけて、両手のクナイで弾き、防御している。

クナイは時間稼ぎ。
そんなのは相手もわかっているだろう。
だから間を置かずに畳み掛ける!



ゴォォォ! あらゆるところで風が渦巻いた。


ぱ、っとイタチが顔を上げたときには、頭上と、四方、全方向に螺旋丸を構えた分身が迫っていた。


深紅の瞳が見開かれる。
防御するにも、回避するにも完全に防ぎきりことは出来ない数で攻める!
完全に回避できないことがわかったのだろう。
イタチは動くことはせず、体勢を低くして、防御の構えをとりーーー………
………ーーーそして、分身たちは突如発火した。


「っ……!!!」


闇よりも暗い黒い炎が分身たちに纏わりつく。
突然の炎に避ける事もできず、瞬く間に分身が消えた煙だけが辺りに残った。
 唯一炎の襲撃がなかった本体であるナルトは、勢い良く身体をひねって突進するのをやめると、その光景を呆然と見つめた。


(…何だってば、あの炎は…)


発火も、消火も、自由自在のような…それでいて、圧倒的な破壊力を持っているような、ーーー特別な炎。
探るようにイタチをみて、ナルトは確信した。
 彼の瞳の模様が変わっている。


(ーーー…万華鏡写輪眼…じゃあ…)


すでに視界から消えた炎は、万華鏡写輪眼の瞳術。


(万華鏡写輪眼の能力は…確か、3つあるとイタチさんは言っていた…)


自分はそのうちの、”月読”しか知らない。
 はぜるような音をさせて手の平に作り出していた螺旋丸を焼失させると、ナルトはそのまま体勢を低くした。


炎は突然発火した。
ーーー彼が見ただけで。
自分もいつ同様の攻撃を受けるかわからない。
そう探るような目でイタチを見ていると、彼が口を開いた。


「”天照”を見せるのは、初めてだったな」
「…アマテラス?」


いにしえの神の名を持つ万華鏡写輪眼の瞳術は3つ。


 ひとつは、夜の神の名を持つ、至上の幻術ーーー”月読”。


そして…


(アマテラス…えっと確か…天照は…、確か日の神だってば…)


暗部での最初の任務のときの”月読”について調べるために、おとぎ話や説話に登場する神についてはいくつか本を読んだ。
”月読”は一般的に月や夜の神とされていて、”天照”はそれとは対で、太陽は日の神だったはず。

 日は…火に通ずる。
実際に見えたのも真っ黒な火。
分身の感じた発火時間や熱量、そして分身が消えるタイミングと炎の消えるタイミング。
それらを考えると、やはり質量を自由に操作でき、またかなり高密度の火遁のようだ。

 すう、とこちらを見据えられたその赤い眼は、強い雨の中でもはっきりとそこに浮かぶ模様が見えた。


「”天照”はどんなものでも燃やし尽くす…。…まだお前を殺すわけにはいかないから見逃したが、…時間がない。これ以上五月蠅いようなら、…」


すうう、っとその目にさらに力が込められたのがわかった。
けれど、ナルトはそれから目をそらさずに、ただ表情を苦しげに歪めた。


「…急いでるのは、私もだってばよ…!」


突如ぼこりとイタチの足音の地面が隆起すると、そこから声と共に飛び出したのはナルトだった。
ハッとイタチが見ていた先のナルトはーーーいつの間にか分身に変わっていた。
 まさか洞察眼を持つ自分が欺かれるとは、と理解ができないうちに大きく見開いた視界に艶やかな金色の髪が広がった。
ナルトはクナイを構えた手を後方に流したまま、もう片方の手でイタチの肩口を掴むと飛び出した勢いのままその身を押し倒した。
相手の身体が背中から地面に沈むまでに、後方の腕を振り上げる。
礫のような重たい雨が腕に冷たくあたる。
ドクドクと熱い身体に、その雨は凍えるほどに冷たい。


ーーーそうして、ドっという重さと水の飛び散る音が響いたときと同時に、クナイは振り下ろされた。



























 
 ぽた、…ぽた…と、雨のものとは違う滴がこぼれてくる。


「…………っ」


イタチは目を細めた。
自分の頬にこぼれ落ちるその滴に、間違いなく胸が軋んだから。

自分に覆い被さるナルトは、自分の頬のすぐ横のーーー地面に深々と刺さったクナイの柄を握りしめたまま震えて…泣いていた。


「……っ…ふ…うっ……」


雨で濡れて、その華奢な身体に絡みつく金色の髪に覆われた白い顔のなかで、宝石のような青い瞳から涙が止めどなく流れている。
 それを、辛いと思いながらも、とても美しいと思ってしまう自分はーーー既に狂っているのだろう。
結ってあるはずの髪は、戦闘のうちにほどけて彼女と、彼女がかぶさった自分を覆い隠すようにこぼれている。
淡い金色の中で、彼女しか見えないーーー。
 そう、くすぶる熱を感じて彼女に魅入っていると、雨の冷たさに赤みが沈んだ唇が震えた。


「…なんで…だってばよ…」


ひどく、掠れた声だった。
唇が大きく震えている。


「…騙すなら…こん、…な…バラさないでってば…。…なんで…!!」


…こんなに…どうしようもない気持ちになったときに……!!


 最後は嗚咽でとても掠れて小さな声だったが、すぐそばにいる自分には彼女の悲鳴が聞こえた。


彼女は、こんな自分のことを、まだ大切に思ってくれているのか。
ああ、こんな甘い気持ちになれるのも、けれどこれで最後だ。


 イタチは、右手を持ち上げると、彼女の額に指先をふれさせた。
驚きに大きくなった青い瞳に、赤い瞳のまま微笑む。
一際大きな涙がその目元から流れて、自分の目元にこぼれた。


「………ナルト…」
「…っ………?…」
「これで、最後だ」


強く、目に力を込める。
自分の雰囲気の変化に緊張が解けてしまったのか、ナルトはいとも簡単に指導権を渡してくれた。
緩んだ意識の糸を辿り、彼女の記憶に暗示と強い封印式を刻む。



 カクン、と彼女の身体から力が抜けた。
細身の身体でも、意識を無くしたそれはやはりしっかりとした重みがある。
雨で濡れたためにひんやりとする身体を両腕で抱きしめて、身体を起こした。


「………っ」


抱え上げた身体に、その首筋に顔をうずめ、どこか甘く感じるぬくもりを甘受して、そっとそばにあった木の下に降ろした。
ここであれば多少雨は凌げるし…それに…。


「………」


慣れた印を結び、滝の周りに火遁を放つ。
重い雨の中でも、広範囲に放ったためにここだけは昼間のように明るくなった。
これで、すぐに誰か駆けつけるだろう。


「…………」


イタチは前を向くと、暗い森の中へと足を進めた。