夜を裂く6
雨音が激しくなる中、里の西部の森で大規模な火災が起きているとの報告が走り、火影邸がにわかに騒がしくなった。
この豪雨に火災? と首を傾げた者達が多かったが、火影邸からも確認することができる森を舐める火の手に、火影の執務室には多くの忍が駆け込んでいた。
四代目は真朱の後を追うために丁度出ようとしていた時だったため、微かに眉を顰めーーークナイから感知した真朱の居場所と火災の地点が酷似していることに
眼差しをきつくした。
一瞬躊躇ったものの、四代目は3つ鐘を鳴らすようにそばにいた者に指示した。
鐘は里全体への伝令手段のひとつで、簡単な伝令を里全体に伝えるのに主に利用される。
里全体に張り巡らされている結界を利用してどんな状況でも鐘の音が聞こえるように設計されている。
3つ鐘は、自宅待機。
四代目は篭手をきつく締め終わるとゆるく笑んだ。
「これだけ雨が降っていればそうそう被害は大きくならない。まずみんな、落ち着いて」
「は、はい!」
「ちょうど現場にクナイがあるから、俺は先に飛ぶね。君たちは準備が出来次第現場に来てくれる? いいね」
言うや否や返答を待たずに四代目は瞬転した。
身体が何かの流れに巻き込まれるような感覚が一瞬あって、次に目を開けたときは黒い煙を上げる木々の下だった。
火の手が強いところからは少し離れており、頭上で黒く熱い煙が渦巻いている。
むき出しの地面に刺さっていたクナイを引き抜くと、真朱の気配を探って、そう離れていないな、と状況を見るために辺りを見回す。
大きな火の手は既に雨で鎮静しているが、ところどころ森の中は火の粉が乱舞していた。
里の者も時刻が遅かったことと、まずは火影邸に指示をと動いたためか、まだ誰もきていないようだ。
それはそれで問題だなあ、と息を吐く。
「今後の課題にするとして…えっと、ここは…」
見たことがある場所に記憶を辿り、ナルトが暗部になった際に隠れ家にしていた場所だと思い出す。
確か滝壷があったはずだと視線をめぐらせ、そこの岩が大きく真っ黒に焼けこげているのを確認した。
その焼けた方向と木々の燃え方を見て、この滝壺を中心に火遁が放たれたとざっと推測し、四代目は大股に歩き出す。
真朱の気配はここよりも少し木々の濃いほうに入ったところだ。
そこは大規模ではないものの、やはり火災の被害が大きいーーーが、不思議なことに途中から火の跡は全く消えた。
線を引いたようにあるところから綺麗に緑が残っている。
どういったコントロールをすればこうなるのだろう、と思案し始めたとき、自分を呼ぶ声がした。
「父殿!」
「ナルトは!?」
視界に飛び出して来たのは真朱だった。
彼は自分をみとめるとすぐに踵を返し生い茂る草の中へと消えた。
けれども暗闇の中で赤い陽炎のような真朱は目立つ。
灯りのような尻尾を追いかけると、木陰に娘の姿を見つけた。
泥や雨で随分ひどい有様だが、出血を伴うような怪我はしていないようだ。
すぐそばに膝をついてそれを確認した四代目は大きく息を吐き、気を失っている様子に眉間の皺を増やした。
「こんなに汚れて…一体どうしたっていうんだ」
そっと頭を撫でるが起きる気配がない。
こんな風に完全に意識を遣っていることは滅多にないので嫌な可能性が頭を走った。
(…火遁に、…精神的な…ダメージ? ……まさか…ね)
羽織を脱いでそれでナルトを覆うと、四代目は娘を抱き上げた。
小さな身体は意識がないことと、雨を随分吸っているせいかいつもよりも重くてさらに不安になった。
とにかく、このまま身体を冷やしてはまずいーーーと歩き出したとき、複数の気配が同時に現れた。
火影邸にいた忍たちだ。
「火影様!」
「ごくろうさま。火は見ての通り心配なさそうだ。…あ、調査班もいるね。…炎で痕跡も残っていないかもしれないけど、一応鑑識を」
「はい、すぐに! …えっと、火影様…ーーーその子がなぜここに…?」
「うん。…俺の娘がここにいた。理由はわからないけど、ひどく消耗している。…事情聴取は回復を待ってからでもいいかな?」
「はい、わかりました!」
自分の表情から心情を察したのだろう。
相手は気遣うように頷いて、他の忍に指示を出すために踵を返した。
(ありがとう…。さて)
現場に駆けつけたメンバーには自分の護衛隊の特上忍たちもいるので、このまま任せても問題ないだろう。
四代目は一瞬思案してから、火影邸へと飛んだ。
「私が戦ったのは…イタチさ…あ、いや、うちはイタチだってばよ」
まだ濡れた頭をふきながら、ナルトは掠れた声ではあったがはっきりとそう言った。
ナルトが意識を戻したのは、四代目が火影邸に飛んでから30分程したときだった。
水気は真朱がほとんど飛ばしてくれたのでなんとかなったが、慌ただしい人の気配にも全く目を覚ます様子がなかったため、周りの者にとっては非常に長い30
分だった。
目を開けた彼女はしばらくはぼうっと虚ろな眼差しだったが、それも今自分がいる場所が理解できるとすぐに覚醒したようだった。
しっかりと受け答えができるその様子に、ではすぐにと事情聴取が始まった。
ナルトの前には三代目と四代目、そして聴取のための忍含めが何人かが控えている。
火遁による火災事故はめずらしいことではない。
術を学び始めた子供世代が時に引き起こすからだ。
火遁は術の中でも花形で、誰もが一度は挑戦し、適正の無い子は良いのだが、有る子がチャクラコントロールを誤って大火災を生んでしまう事も少なくない。
だが、今回の火災は玄人の目からみればすぐにそういった可愛いものではないと判断できた。
そういった不可解な状況に緊急の体勢がとられることとなったのだった。
三代目はナルトの言葉に、頬杖をついて唸った。
「なぜそうなった? お前達は……旧知の仲だろう。それに、お前とあのイタチが些細な理由で戦闘には至るまい」
「それは…」
聞かれて、ナルトは目を伏せた。
どう言えばいいのだろう。
それにーーー。
(…なんでこんなに頭痛いんだってば…)
目が覚めてからなかなか感覚がはっきりしなかったのはひどい頭痛のせいでもあった。
顔の向きを変えるだけでも視界が暗転し、気持ち悪さもこみ上げて来て、…頭がひどく重い。
しばらくじっとしていたらそういった目眩はなくなったが、あったことを話すために記憶を辿ろうとするとキンキンと頭が悲鳴を上げた。
思わず両手で頭を抱えると、いつの間にか横に座っていた父が包み込むように自分へと腕をまわしていた。
「ナルト、頭が割れるように痛い?」
「え、……」
「痛すぎて話すのも辛いくらい?」
優しい声音だが、どこか堅い色を含んだ父の確認に、ナルトは目を大きくしてーーー頷いた。
四代目は娘を抱きしめて、その顔をのぞきこんだ。
「ナルト、きみには…写輪眼による幻術がかけられている可能性がある」
「………っ!」
静かに、ナルトの目が大きくなった。
痛む頭でも、一瞬でさまざまな言葉が脳裏に浮かんだが、口からは小さな音しかでなかった。
(幻術…が…私に…?)
そんなことはないと思いたかったが、イタチは写輪眼で戦闘していた。
自分はそこまで幻術に耐性があるわけでも、幻術使いとの戦闘に長けているわけではない。
気づかないうちに幻術をかけられていた可能性なんて大いにあり得るのだ。
ショックだった。
(本当に…イタチさんは私を敵と見なしたんだ…)
だから写輪眼も用いて自分と戦ってーーー瞳術がかけられている。
それが紛うことなき事実だということを痛感して、目の奥が熱くなった。
このままでは涙が溢れそうで、ナルトは目を伏せて唇を噛んだ。
それを辛い表情で見つめてより強く娘を抱きしめると、四代目は三代目へと顔を向けた。
「暗示がかけられているようには見えませんが、精神に圧がかけられたのは確かです」
「…致し方ない。ナルト、そのままで良いから聞け。儂もミナトも、お前が話す事がすべて真実だと思う。だが、万が一ということがある」
「…っ…わかってるってば」
絞り出せた声はやはり掠れていたが、それでも、ナルトは自覚していた。
だから、答えなければならない。
「…専門部署にまわして、私の記憶を確認してほしいってばよ」
「お前が見られたくないことも公的に記録されることになる。…本当に良いんだな?」
「私のことはいいんだってばよ!」
むしろ、そうしなければならない。
ちゃんと確認してもらってーーー報告しなければならないのだ。
「私もよく…わからないけど…」
ナルトは三代目を見て、父を見上げて、震える唇に力を込めた。
「あの人は私の情報を得るために…そばにいて…」
ズキン、と大きく頭が痛んだ。
ナルトは表情を歪めながらも口を動かした。
「今日、里を抜けるって言ったってば。…だから、それを止める…ために戦ったってば…」
それで自分は…負けたのだろうか?
(思い出せない)
ついさっきのことのはずなのに、ーーーうまく思い出せない。
だからこそ何があったのか、自分と彼がどうなったのか知りたい。
本当に彼が自分の情報を得るという目的があって自分に近づき、そして里を抜けたーーー目的があったのでれば、達成されるべき到達点があるはずだ。
それが自分では皆目検討がつかないが、里にとって脅威になりうることかもしれない。
ーーー何より、うちはイタチという里の中でも中堅の忍が抜けたという事実は、それだけで大事なのだ。
だから、何かが手遅れになる前にはっきりさせたい。
「だから早く…専門部署に! お願いだってばよ」
痛ましく表情を歪める父に、ナルトの目から涙がこぼれた。
こんな顔を見たくない。
自分の泣いてるところなんて見せたくない。
でも、全部事実なんだ。
どうしようもなく渦巻く感情を体現するかのように、雨はさらに強く窓を打ち付けた。
風は、いつしか止んでいた。
「終わったぞ」
「…ありがとう。いのいち」
ばさっと数本の巻物を机に落とした相手を四代目は座ったまま見上げて、表情を歪めた。
温厚な彼が珍しいくらいに怖い顔をしていたからだ。
「えー…っと、怒ってる?」
「ああ。……だが、お前がわざわざ俺とシカクを呼んだ意味を汲んで…怒鳴ることは我慢してやろう」
「ありがとう…」
「シカクはお前に会ったら間違いなく1発か2発殴るから、と先に帰ったよ。…しばらく経ったらお前から話せよ」
「あはは…はい」
四代目は力なく頷いて、いのいちに応接用のソファに座るように促して、自分も向かい合うように執務席から移動して座った。
明け方近くになってようやく雨は弱くなり、じんわりとした日の光が窓から差し込んでいる。
それに照らされた四代目の顔は青白く、目だけが異様に力を帯びていた。
いのいちはそれを見てため息をつく。
夜遅く招集で火影邸に来てみれば、同様に呼ばれたという奈良シカクがいて、同期で火影の四代目とその娘であり九尾の人柱力のうずまきナルトが見るからに
衰弱した有様で自分たちを迎えた。
何事かと構えた自分たちには同室していた三代目から説明がなされ、とにかくナルトの記憶を確認し、幻術がかかっているようなら解くこととなったのだ
がーーー。
そのことよりもいのいちには気になることがあった。
「ミナト、お前が自分の娘に進んで暗部入りを薦めるはずがない。…あの子が望んだ…のも生憎俺は記憶を見て知ってしまったわけだが…」
「ナルト、俺に言うの散々悩んでいたでしょ? 親不孝ではないのかって」
「…、ああ」
いのいちはしばらく息を詰めて、頷いた。
記憶というのは取捨選択され、生まれてから今日まで全ての記録が残されたものではない。
けれど、彼女が火影である父に暗部入りを望んだ日のことは鮮明に残っていた。
それだけ彼女にとって重要な事柄だったのだ。
四代目も思い出しているのだろう。
乾いた笑い声を漏らした。
「敏感すぎるくらいに周りの気持ちとか、反応とか感受できるんだ。でも、客観的に自分の能力を考えて、表立つとどうしても九尾のレッテルを貼られてうまく
動けないから暗部に入って里を支えたいって思って…で、俺も客観的に考えて、あの子の力を有効的に生かすには暗部しかないと判断してしまった。後悔はして
いないけど、父親としては複雑だよ」
暗部に入れるということは、誉れに違いない。
ナルトは自分やカカシからの教え、そして自分の努力で特出したレベルに達してしまった。
その大きな力に意味を持たせるのか、それとも隠しておくのか。
それは火影としての役目だった。
けれど、やはり辛い選択には違いなかった。
「…あっと、この話はまたシカクに殴られた後にでも愚痴らせて」
「そうだな。…では報告するが…」
部屋の中は昇った太陽の光で真っ白に染まっていた。
その中ではお互いの瞳の色だけがいやによく光った。
いのいちは青いそれを見据えると、漠然と口を開いた。
「うずまきナルトの記憶は、やはり手を加えられていた」
「…イタチがやったのか?」
「ああ。記憶を渡るあのチャクラの感じは写輪眼の瞳術のものだ。それに、あの子の記憶の…イタチに関すると思われる部分がすべて隠されていた」
「…ん?」
どういう意味? と眉を顰めた四代目に、いのいちも表情を曇らせる。
「なんといえばいいか…他者から見られないように蓋がされている、といえばわかりやすいか?」
「それは…ナルトの…記憶が改ざんされているわけではないけど、いのいちがしたように、他者が記憶を見ようと思っても見れないってこと?」
「ああ。蓋を開けようとしたが、さすがはうちはというべきか。鍵が複雑すぎて俺でも手が出せなかった」
逆に自分の精神を追い出されたり、浸食するトラップがあったりと、ひやひやしたといのいちはため息をついた。
「蓋がされていない部分が唯一あったが、ここには記憶を抹消された跡があった」
「…どこの部分?」
「昨日の夜だ。ナルトがイタチと戦っている部分は蓋がされていなかった。…久々にあんな戦闘を見たよ」
ナルトが隠れ家にしていたという滝壷の前で、ナルトとイタチの戦っている部分は鮮明に記憶されていた。
何分一番新しい記憶であるからはっきりしているのは当たり前だが、それまで黒く幕が張られたように全く視る事が叶わなかった記憶が、突然鮮やかに広がった
のだ。
それは雨の中、ナルトがイタチの背中に取り付き、自分の情報を持って里を抜けるというなら、自分はそれを全力で止める、と宣言している場面から始まってい
た。
ただし、その記憶の一番最後は、やはり黒く幕が張られ…消されていたのだがーーー。
「視れたのはナルトがイタチを地面に倒して、クナイを振り上げているところまでだった」
「え…それってナルトが優勢だったってこと? でもナルトは気を失っていて、イタチの姿も残っていなかった。ナルトが負けたってことだよね?」
「ああ。俺が視れた記憶には、あれほどの火災になるような火遁をイタチが使った場面はなかったし、おそらくナルトのクナイを避けて彼女を何らか…まあ記憶
をいじるとしたらこの後だろうから瞳術で彼女を昏倒させ、その後火遁を放ったと考えるのが妥当だろう。…が、その辺りの記憶は完全に消されていたから彼女
自身にも最早わからないだろう」
「そうか…」
考えれば考える程、イタチの行動は不可解だ。
が、今考えて答えが出るほど単純な話ではないだろう。
四代目はうん、と頷いていのいちに礼を述べた。
「ありがとう。あとは俺の方で考えてみる。でも何か気がついたら教えて」
「わかった。…あまり無理はするなよ。何かあれば頼むから遠慮なく呼んでくれ」
「うん、わかってるよ」
「…お前のわかってるはあてにならん。周りを気遣っているつもりだろうが、何も言ってくれない方が周りは心配なんだ。…お前がそうだから、あの子も全部自
分で背負い込もうするんじゃないのか? …娘が大事ならお前も自分を大事にしろ」
「…ありがとう」
今度は心からの明るい笑みを浮かべて、四代目は目尻を下げた。
いのいちはそれに同じように笑みを返すと、執務室を出て行った。
パタン、と閉じるドアの音を聞き遂げて、四代目は窓のほうへ目を遣る。
眩い一日の始まりを鳥達が慌ただしく告げている声音が響いていた。
「……」
ナルトはいのいちとのやり取りのあと、身体を休めるために火影邸の医療室に運ばれた。
自分の頭の中を見せるということは、見せるほうも、視るほうも、相当の精神的疲労を被る。
いのいちはその手の熟練者なので、精神力も何かあったときの守り方も熟知しており、そうそう倒れないが、ナルトは相当疲れたはずだ。
何よりイタチとの戦闘のあとなのだ。
それもうちはの強力な瞳術を受けたあと。
自分は幸いに身を以て経験したことがないからわからないが、戦争中はその幻術で精神崩壊をし、肉体的な損傷で死ぬよりもさらに苦しい死に方をした敵を何度
もみてきた。
すぐに死に至らなくても、一度壊れた精神は治ることがなく、周りの人々をも苦しめる。
だからナルトを見つけて、幻術をかけられた可能性に気がついた時、心臓がまさに凍えた。
ここでこの子を失うのかと、目の前が真っ暗になった。
幸いに精神崩壊を起こしてはいないようだが、彼女にとって絶望的な事態になっていることは明らかだ。
あの子にとって、心から信頼し、想いを寄せていた相手に、裏切られたのだ。
執務席にもどり、いのいちが置いていったナルトの記憶のレコードを視て、四代目は唇を噛んだ。
そこにはナルトがイタチとどのように交戦したのかーーー彼女がどういった気持ちでクナイを彼に向けたのか、悩み苦しんだ有様がはっきりと現れている。
「ナルト…っ」
四代目は勢いよく立ち上がると、執務室を後にした。
耳元で、激しい雨の音がしている。
暗いその世界の中で、私はーーーー。
振り上げたこの手の刃を下ろせば、彼を留められる。
でもそれは、彼を傷つけること。
今このままの勢いで、
身を覆う戦慄のままでは、
いや、彼を殺すこの覚悟でなければ、
ーーー自分は彼をとめられない?
なんだってば、それ。
自分の考えに絶望して空を切った自分の目を見て、彼はーーー。
『ーーーーーーーーー…』
何か、言っていた。
けれど、すべて黒く塗りつぶされて、何もみえない。
きこえない。
「っ…」
は、っと息を吐き出した。
ずっと呼吸していなかったかのように胸が苦しくて、ナルトは何度か短い息を繰り返した。
しばらく経つと息苦しさも消え、ぼやけていた視界も広がった。
見えたのは少しくすんだ色の天井だった。
そして、自分を心配げに見下ろす、明るい朱色の狐。
「…真朱…」
「目が覚めたか…。気分はどうだ?」
「ん。…ここ…は…」
そう大きくない部屋に置かれたベッドに自分は寝ているようだ。
ナルトはゆっくりと半身を起こすと未だ重たい頭に手をあてた。
「痛むか?」
「ううん、痛みはだいぶひいたよ。…ただ…今たぶん夢を見てたんだけど…何か忘れちゃいけないことだった気がして…」
そう、夢の中の彼は、何かを言って、そしてーーー微笑んでいた。
悲しげに。
(私が、そう思いたいから、そうなったのかな…)
彼の鮮やかすぎる嘲笑よりも、優しい微笑みを自分が望んだから。
ーーーすべて夢の世界の話だから、とナルトは瞳を歪める。
いのいちに記憶を確認してもらって、彼が自分に対して瞳術を使ったことが明らかになった。
そして、今自分が夢にみていたのは、彼が自分の中から消したはずの場面。
だから、自分の想像にすぎないーーーけれど、もしかしたら事実なのかもしれない。
けれどもやはり今の夢は定かではない、曖昧なただの夢。
はっきりしているのは、彼が自分の情報を持って、里を抜けた事実だけだ。
それが、真実証明されて、ナルトは半身を起こしたまま掛け布団の白を無言で見つめた。
窓から入り込む朝日に、それは淡く黄色みがかってみえる。
そこに、はた、と透明な染みが零れた。
いびつな丸い染みはゆっくりと数を増し、小さかったそれが次第に大きくなっていく。
「吾が子…」
「…っ……ふっ…」
ナルトは両手で顔を覆い、唇を噛み締めた。
手の平に顔を押し付けるが、一度溢れ出した涙は身体の痙攣に比例してますます止まらない。
躊躇いがちに前足を自分の腕にのせてくる真朱に声をかけたいが、きっと今は変な声しかでないだろう。
(…なんで、こんなに涙が出るんだってばよ…)
自分はたくさん経験してきたはずだ。
信じても、自分をみてくれているのだと喜んでも、最後には必ず裏切られることを、いくつも経験してきたはずだ。
自分を九尾の器だと、それだけの存在だと見られることにも、慣れているはずだ。
そのはずーーーなのにーーー。
(どうして、こんなに、苦しんだってばよーーー………!!!)
涙が止まらない。
嗚咽が止まらない。
身体の震えが止まらない。
胸が、苦しくて、痛くて、たまらないーーーー。
「っ……ふ…っ!」
大きな声が漏れそうで、ナルトは布団に顔を埋める。
けれども、涙は止まってくれない。
今までなら、涙さえ出ずにこれたのに。
そう、どうしていいのかわからず身体を抱きしめていると、ふわりと何かが包まれた。
突然の抱擁感にどきりとしたが、身体にまわされた腕と、ぬくもりが自分の知っているものだと気付いた。
ゆるゆると頭を上げると、自分と同じ色彩の髪が見える。
「…お…とうさん…」
「ん…?」
父は少しだけ身体を離して、やわらかい眼差しで自分を見返した。
そのあたたかさにまた涙が溢れて、ナルトは視線をそらした。
父はただ先ほどよりも強くその腕の中に包み込んでくれた。
そうして、やさしく自分の名を呼ぶ。
「ねえ、ナルト…」
「……?」
「…俺にも、イタチが何を考えているのかよくわからない」
「…っ…」
「でも、イタチが何かを悩んでいるのは確かだった。……俺としても不本意だったけど、ナルトの記憶もレコードした。現場の調査もそろそろ済むはずだ。…イ
タチが何を思ってこんな事態を引き起こしたのか、俺は火影としても、…後見というか、もっと近い立場でイタチを知る者として、しっかり考えるよ」
ぐ、っと肩を掴まれ、身体を離される。
涙で歪む視界に、真剣な面立ちの父の顔が映った。
その力強さに、強張っていた身体から力が抜けた。
父が一瞬微笑み、そして、また真剣な顔をした。
「…イタチが里を抜けたという事実がはっきりしたわけだけど、…この件はもう少し仔細がわかるまで内密にしようと思う。ナルトも俺も何もわからないのに騒
ぐのは、ただ混乱を招くだけだからね」
こつん、とおでことおでこを触れ合わせて、父は最後には泣くような顔で笑っていた。
小さな声で、祈るように言葉を紡ぐ。
「…大丈夫。イタチがナルトに言ったことや、里を抜けたことには意味があるはずだ」
同じ髪質の髪。
同じ色彩の虹彩。
耳に響く、男性にしては少し高い声。
慈愛に満ちたあたたかさが、それらを通してとめどなく自分に流れて来る。
「だから、大丈夫。…大丈夫だから、そんなに泣かないで、ナルト」
「…お父さん…」
「ああ、でも、今は俺がいるから泣いていいよ。真朱さんもいるし」
「…お父さん…っ」
ぎゅ、っと抱きしめてくれる父に、ナルトはいつの間にか涙が収まっていた。
だって、父がーーー今にも泣きそうだから。
私が傷ついたことに、心を痛めているから。
今度はそのことに涙が出そうになったから、見た目よりもしっかりしている肩に目の辺りを押し付けて、雫をこらえた。
さあああああーーー………
止めどなく霧雨のような雨が降っている。
継ぎ接ぎだらけの無機質な建造物が上ばかりに延び上がり、異様な様相を見せている。
それを水面に立ち眺めていたが、ふっと飛ぶと塔のような建物をのぼっていった。
至る所から配管や太いチューブが飛び出しているそこは足場には困らない。
だから一見して、木の葉における火影岩のように、目立つ場所まで移動した。
ぱしゃん、と水しぶきを上げて着地したそこからは、この場所ーーー雨隠れの里が一望できた。
隠れるつもりはない。
自分は、会いに来たのだから。
それにしても侵入者に対して悠長だな、と小さく思っていると、後ろから1人、誰かが歩いて来る気配がした。
振り返ると、薄暗い中でも目に鮮やかな黄赤色の髪をした男がこちらを見据えている。
その探るような、そして不思議な虹彩の紫の瞳にこちらも目を細め、そして、声をかけた。
「…うちはマダラはどこにいる?」
「驚いた。よく俺がここにいるとわかったな」
「……………」
ぽつ、ぽつ、と身体から滴った雨が足下に溜まっていく。
さきほどの黄赤色の髪の男が案内してくれたのは、建物の入り口からそう遠くなく、ただ奥まった部屋だった。
特に調度品もない、ただ部屋の中央に大きな地図が広げられた机があるだけのそこの片隅に、面の男はいた。
イタチは目の前で面を傾けた相手を、真っ正面から見返した。
「…同族であれば簡単に見つけられる痕跡がたくさんあった。…待つ必要が?」
「ふ…、確かに。…ところで」
男は壁から離れ机のほうに寄ると、入り口に立ったままのイタチに尋ねる。
「なぜ俺をうちはマダラと?」
「…残った選択肢がそれだけだっただけだ。…否定しないのか?」
「…なるほど。…イタチ、お前は見込以上のようだ」
くつりと喉の奥で男は笑うと、おどけるように両手を広げた。
「”暁”へようこそ。…俺の事はトビと呼んでくれ」
「………」
「…マダラという名は、いろいろと誤解を招きやすいんでな」
面の向こう側で、男ーーートビが笑ったのに、イタチは表情を歪めた。
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