
日本の玄関成田と水郷佐原
このエリアには成田国際空港を抱える成田市があります。空港自体もセントレアに代表されるように、1交通
機関としての機能だけでなく観光名所としても顔もある訳ですが、成田市とその周辺はそれだけではありませ
ん。空港利用される方も足を伸ばして見る価値がある所が幾つかあるので、それを紹介していきたいと思いま
す。近代文明の一つ、空港だけでなく歴史的な建物などが豊富な水郷の佐原市などもお勧めです。
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成田空港と航空科学博物館

成田国際空港航空写真 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
◎日本の国際空港と言えば関空が開港し、2005年にはセントレアが開港と日本の3大都市圏にそれぞれ国
際空港を持つようになった時代ですが、それでも成田空港は依然として日本と海外を結ぶ最大の玄関口です。
そんな成田空港ですが飛行機乗る為に行くだけではもったいないです。たまには巨大なジャンボジェット眺め
るのもおつなもの。じーっと眺めているだけで結構時間が過ぎていきます。夜になれば空港独特の夜景がとて
も美しく、カップルの方も結構居ます。
なお空港見学の際にはセキュリティーの為、身分証(運転免許証、健康保険証、学生証、パスパート等などの
いずれか)が無いと入れませんので注意して下さい。
成田空港公式HP空港見学の項目
◎身分証がない方、残念ながら空港内部には入れませんが、飛行機を眺めるのであれば、空港周辺に人気
のスポットが幾つかあります。
◎成田空港を存分に堪能したら、今度は航空科学博物館に行ってみましょう。車で行く分には空港からもそ
んなに時間かかりません。公共交通機関で行く場合には公式HPを見て下さい。
で、ここは「日本で最初の航空科学博物館として1989年(平成元年)8月1日に開館しました。」との事です。
(今は全国に数箇所、航空機関係の博物館があります。)
人気はDC−8フライトシュミレーターです。私が行った時は結構な順番待ちで断念しました。
航空科学博物館公式HP
◎番外編・・・成田空港の2本目の滑走路、通称暫定滑走路が2002年4月に供用を開始した。この暫定滑走
路は実に哀れと言うか珍妙な滑走路で、世にも珍しい「く」の字に曲がる誘導路を持っている。未買収の土地を
避けた結果だ。成田空港問題は今でも国側と地権者側で深い対立を抱えている。
現在空港の買収に反対の地権者が多い地区は天神峰と東峰。ここには反対する人のシンボルとも言える東
峰神社がある。場所はあえて詳しく書きません。なおこの辺は警察の強化警戒地区でもある。
何にしてもこのアラブとユダヤの泥沼の様相に似た状態の解決を願うばかりです。
東峰神社での抗議を記したHP

国土地理院発行2万5千分の1地形図新東京国際空港+カシミール
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真言宗智山派大本山成田山新勝寺
◎上に長々と書かれたゴツイ名前。これが成田不動尊、もしくは成田山と呼ばれる寺の正式名称です。
関東三大不動尊の1つであり、初詣客数が例年全国ベスト5位以内の常連でもある全国屈指のお寺で有名な
ので、多くを語る必要も無いかと思いますがこのお寺、朝廷に反乱を起こした彼の「新皇」を称した「平将門」を
調伏するために朝廷によって建てられた関東鎮護の霊場な訳です。
と言う事で、将門候を祭神としている人は残念ながら成田山には参拝しない方が無難かもしれません。ちなみ
に小説「帝都大戦」に代表されるように「将門」には怨念話が付き物で、関東大震災は将門の怒りのせいで起き
た、と書かれる事も良くあります。
さて肝心なお寺に関してですが、門前町の賑わい、境内の広さ、重要文化財としての価値ともに大寺院に恥じ
ない規模です。門前町ですが、ここは水郷地帯の印旛沼や利根川が近いと言う事もあって鰻丼を出している店
が多いです。私も成田山行くと良く食べます。え?普通門前町なんだから精進料理では?って突っ込みはカン
ベンして下さい。
成田山は様々な障り・災難を払う御利益があるとされるので一度参拝されて見てはいかがでしょうか?
成田山の公式HPへ
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小江戸佐原・日本三大神宮、香取神宮
◎小江戸・・・皆さんは小江戸と言うのを聞いた事がありますか?小江戸とは概ね、江戸との関わりが深く江
戸の風情を残す古い町並みを残している所とされています。代表的な町は埼玉県の川越、栃木県の栃木、そし
てここ佐原の町です。
加賀百万石の城下町で有名な金沢辺りも入って良さそうなのですが、ここは京都が近いせいなのか全国京都
会議加盟の自治体として小京都となっています。反面、国宝のお城で有名な滋賀県彦根市は、京都に近くても
徳川幕藩体制の重席を担ってきた井伊氏が納めた事もあってか小江戸を称しています。
◎佐原の歴史・・・さてその小江戸3都市ですが、川越と栃木は江戸時代に城下が母体として栄えたのに対し
て、佐原は利根川の水運によって栄えた商業が母体の都市です。しかしその歴史は古く、付近に縄文遺跡や
古墳がある事からかなり以前より一大文化圏を形成していたと思われます。
今からおよそ1500年位前の大和から奈良〜平安時代辺りには、朝廷と縁の深い香取神宮の権威が高まり、
この辺一体を神郡(領地)としました。香取神宮には西暦739年の村の人口が記されて、現在の佐原市の範囲
には戸数250戸、人口7500人が居住していたと推定されています。
この頃の日本全土の人口は内閣府の少子化社会白書の資料によりますと450万人程度 とされていますの
で、この頃既にあった県庁とでも言うべき下総国府(現市川市)から遠く離れているにも拘らず、人口分布で考
えると佐原は結構な賑わいだった訳です。その後将門の乱の平定の為の陣が作られた事もありました。
そして江戸時代になり幕府が江戸に出来ると、江戸への物資中継基地として益々繁栄して行ったのです。
◎そんなこんなで見どころ満載な佐原市ですが、以下に具体的な名所を挙げていきます。
@佐原の古い町並み
国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。江戸時代から明治にかけて水運で栄えた商家や
町屋、土蔵などの町並みが市内の小野川沿い(地図)に建ち並び小江戸の情緒が漂います。三菱館(旧三菱
銀行佐原支店)等は観光用に開放されて見学出来ますし、古い商家で今でも乾物屋さんとか色々営業していま
す。個人的にお勧めは蕎麦屋さんの小堀屋本店。今あるか分かりませんが、ここの茶蕎麦は美味しく頂きまし
た。
A中高年の星?伊能忠敬記念館
皆さんは伊能忠敬(1745生〜1818没)をご存知でしょうか?一応大半の歴史の教科書には出て来る人物で
す。千葉県山武郡で生まれ50歳まで佐原に住んでいました。TVでドラマ化とかされたこともあります。
で、この人何をしたかというと、もともと醸造業を商いしていた商人なのに50にして隠居し、何を思ったか測量
の勉学に励み、それが乗じて56歳から72歳までの間でお仕事で歩いた距離だけで4万3千キロ以上(地球を
1周以上)も歩いちゃった人です。なにやら高齢化時代の現代人もビックリの話・・・で、これだけでも凄過ぎなん
ですけど、更にこの人がすごいのは、なんと江戸時代後期で飛行機も人工衛星も無い時代に現代の地図とほ
ぼ変わらない地図を作ってしまうのです。しかも日本初の全国測量地図でした。
それまでの日本地図といえば皆さんも教科書か何かで見た事があるかと思いますが、実際の地形と比べかな
りイビツな形していたりして不正確極まりない物でした。(下参照)
佐原には、そんな伊能忠敬の旧宅と記念館があります。また記念館近くからは小野川観光船が出ており情緒
ある小野川を昔ながらに観光する事が出来ます。
↓ 現代地図
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← 1854年の地図
↓ 伊能図(1868年)

国土地理院の古地図コレクションより
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B佐原の大祭と山車会館
佐原には国指定重要無形民俗文化財に指定されているお祭りがあります。7月に行われる八坂神社の祇園
祭りと10月に行われる諏訪神社の秋祭りの事を指して、これを佐原の大祭と言っています。
このお祭りの見どころは何と行っても山車です。とにかくデカイです。まるでダンプカーの様な迫力がありま
す。そんな大きな山車を祭りではグルグル回してみたり、前に後ろに引きずりまわしたりで大変です。近くで見
ればさぞ怖い^^;ものがあるでしょ。しかもこの山車作られてから70年経過してるのはおろか、150年前の山車
とかもあるのでビックリです。それを引き回している訳です。
ちなみに山車の天井には地区毎に粋を凝らした飾り人形などが乗せられています。一部の人形はカラクリな
どもあってなかなかユニークです。
そんなお祭りなんですけど、祭りの日に佐原に行けなくても何時でも山車が見れる様に、と山車会館がありま
す。是非行ってそのデカサを目の当たりにして下さい。
C日本三大神宮・香取神宮
佐原の歴史の深さは上記にも色々書きましたが、それを象徴するのが香取神宮でしょう。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと・・・香取神宮(かとりじんぐう)は、千葉県佐原市に
ある神社。下総の一の宮である。祭神は経津主大神 (伊波比主命)。創建は神武天皇18年、紀元前677年と
伝えられている。江戸時代に、「神宮」の称号で呼ばれていたのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけだ
った・・・との事。
また香取神宮は、息栖神社と鹿島神宮を合わせ東国三社とも呼ばれています。それは大和時代の東国支配
の重要拠点だった事を今に教え、その朝廷とも縁が深いその神域は佐原の町から少し離れた所に今でも静か
に存在しています。
更に香取神宮と言えば、武人の御神体をお祭りしている影響か、その神社の格ばかりでなく剣豪の里としても
有名です。日本兵法三大源流の一つ、神道流を生み出した土地なのです。神道流の門流を汲むものには、上
泉伊勢守信綱・塚原土佐守・塚原ト伝とそうそうたる顔ぶれがあり、剣豪好きならこれらの名は避けて通れませ
ん。
香取神宮公式HP
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水郷十二橋めぐり
◎昔あちこちに張り巡らされた水路を高瀬舟(さっぱ船)が行き交い、水郷と言われた佐原。今では観光さっ
ぱ船が出ており当時を偲ぶ事が出来ます。その観光の話の前に、少し水郷の歴史を書きたいと思います。
@平安時代位の佐原周辺
下の地図を見て下さい。佐原周辺の地形を私が資料を見て作った物です。
地図の水色は現在の海や河川や湖、沼など。黒〜灰色の部分は1000年位前(平安時代位)の水(海)のあっ
た所です。どうですか?びっくりでしょ?かつての佐原周辺部は香取浦と呼ばれた広大な湖というか非常に水
深の浅い内海だったのです。実際今の霞ヶ浦でさえ水門で海水の遡上を防いでいるのですが、それでも塩分濃
度がそこそこ高く汽水湖の特徴を持っています。

A江戸時代の利根川の東遷工事
平安時代から戦国時代にかけて香取浦は、そこにそそぐ河川が運ぶ土砂により少しずつ埋まっていきまし
た。それでも現在の地形とは程遠い物がありました。しかしそれが劇的に変化する事となります。徳川幕府が
60年以上かけて「利根川東遷事業」を行ったからです。
利根川の東遷とは・・・江戸時代以前の利根川は太平洋ではなく、江戸湾(現在の東京湾)に注いでいまし
た。現在のような流路となったのは、利根川を香取川上部の常陸川に付け替えたり数次に渡る瀬替えの結果
で、近世初頭から行われた河川改修工事は利根川東遷事業と呼ばれ、徳川家康によって江戸湾から銚子へと
流路を替える基礎がつくられました。
さらに東遷工事の一環として、かつての香取浦はどんどん埋め立てられて新田へと姿を変えていき現在の地
形にりました。またこの工事で江戸と銚子が川で結ばれ佐原は利根水運の一大中継基地となった訳です。縦横
無人に走る水郷の水路は東遷工事と利根水運の名残なのです。こうして江戸期の水郷の町佐原が出来ること
となりました。
B現在の佐原

上は佐原上空から利根川を経て、日本で2番目に大きい湖「霞ヶ浦」や霞ヶ浦に寄り添うようにある「北浦」辺
りを表した鳥瞰図。利根川と霞ヶ浦の周辺には、水運から鉄道輸送へと時代とともに移り変わり埋め立てでそ
の数を激減させたといえ、今でも縦横に川や水路が流れ正に水郷に相応しい様相を今に残しています。
☆水郷の歴史いかがでしたでしょうか?さてここからは、そんな水郷の観光を紹介します。
◎さっぱ船で見る十二橋、、、
水の都ベニスや柳川の様に、ここ水郷佐原でも昔ながらの船で水郷を散策出来ます。風景はこちら。乗り場案
内はこちら。
◎佐原市立水生植物園、、、
詳細はこちら。6月のあやめ祭り位の時期は見事な風景です。かなり混雑します。観光船のさっぱ船乗り場はこ
の付近に幾つかあります。
◎大利根博物館、、、
水生植物園のそばです。詳細はこちら。利根川水運関係の展示などがされています。
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