2つの完成しないパズル
ビッグバン宇宙論は完成しないパズルである。

ビッグバン宇宙論はいつまでたっても完成しない。
500ピースというサイズは決まっているのだが
パズルの箱には500ピースも入っていないのだ。
完成をいい意味で”あきらめ”てほしいものだ。

私が考える宇宙は、始まりも終わりも無い。

パズルで考えると、
完成しない事は理解しているのだ。
しかし、何もしないということではない。
宇宙(政治、社会、宗教などすべてを含む私たちの世界)を
永遠に探求し続ける事が大切だと思うのだ。

人間が宇宙のすべてを理解できるわけが無い。
その事が理解できない限り、
ビッグバン宇宙論の幻想から解放される事は無い。

大きな不安感
科学と哲学は深くつながっている。

ビッグバン宇宙論の社会への定着、浸透により
人間の考え方の根源的な部分である「哲学」がおかしくなっている。

「宇宙は始まったもの」ということは
宇宙は一つの生命であることだと理解される。
そして、「宇宙には終わりが来る」という考え方になってしまう。

その考え方により、
世界的に「大きな不安感」が蔓延している。
その顕著な例が「イラク戦争」なのかもしれない。
アメリカは自国の利益、そしてブッシュは個人的な利益を考え、イラクを攻めた。
将来に対する「大きな不安感」が自己中心的な行動を引き起こしたのだ。

身近な問題でも「大きな不安感」は影響している。
社会的に今が楽しければいいという刹那主義的な考え方が
根強くなってきている気がする。

「ビッグバン宇宙論」と社会問題をつなげるのはおかしい、と考える人もいるかもしれない。
しかし、宇宙論は社会、政治、宗教、教育に
大きく影響していることは事実なのだ。

「宇宙論」が人間にとっての「宇宙(世界)理解」なのだ。

「無」は存在しない
この世に「無」は存在しない。

ビッグバン宇宙論は
「無から、何百億年前に、宇宙は誕生した」と、言っている。
これは、明らかすぎる間違いである。

「無」とは何なのかということを考えれば、
はっきりするだろう。

私たちは今までに現実の世界において「無」を見たことも、体験したこともない。
そんなことはあたりまえですね。

「無」とは概念的、空想的、宗教的、哲学的なものであり、
科学で証明することなどできないものなのだ。

仮に、概念的に「無の世界」を考えてみよう。
「無の世界」には、
存在も、物質も、思考も、空間も、時間も、「0」という数字も、「無」の概念さえもないのだ。
私たちが考えていること、感じていることのすべてが無い、ということなのだ。

そんな世界がありえると思いますか?
そして、そんな世界から宇宙は誕生したと言っている「ビッグバン宇宙論」を
正しいと思いますか?

そんな世界を人間が科学で考えることがおかしすぎて、本気で考えてる人を、つい笑ってしまう。

「無」から宇宙が誕生したなんてことを科学で考えること自体がバカげているのだ。

宇宙の「無からの誕生」、「無からの創造」を信じている人は
科学ではなく、哲学か宗教について考えることをおすすめします。

大きなウソほど見破られにくい
少し前にテレビで聞いた言葉で、
「大きなウソほど見破られにくい」というのを耳にした。
ビッグバン宇宙論がまさにそれなのだ。
世界最大、宇宙最大のウソといってもいいかもしれない。

たしかに、大きなウソというのは見破りにくいものだ。

しかし、「ビッグバン宇宙論」は大きなウソであると同時に
世界最小、宇宙最小のウソであると言える。
それは、宇宙は無から、極微の一点から始まったと言っているからだ。

なんのことはないのだ。
実際は、ビッグバン宇宙論は世界最小のウソなのだ。

ビッグバン宇宙論の問題点を直視するだけで、
ビッグバン宇宙論が大ウソだということは、誰の目にも明らかになるだろう。

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