諸説・仮説の紹介
ここでは管理者の判断で諸説や反対意見が多く断定することができない歴史資料を
主に記載しています。後日、判明した場合は歴史資料集に移動します。
歴史資料集のコーナーと併せてご利用ください。
朝鮮勢法
朝鮮人が所有していたとされる剣譜。韓国側は古代朝鮮にも剣法が存在していた
証拠としているが不明な点が多く、諸説が多い。もし古代より伝わる伝統剣法が
存在するならば、倭寇と対戦した時の記録・考察が残っているはず。
@歴史書引用説 A古代中国起源説
この時代の主な歴史書
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明兵書 紀效新書(1560年)
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武藝諸譜(1598年)
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武藝圖譜通志(1790)
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復刻(1990)
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西暦1594年
朝鮮が訓練都監を設立
『紀効新書』を教科書として
採用
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整理
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絵に多少変化
本国剣法
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『紀効新書』は『戚少保年譜』「耆編」「巻二」の記載から、嘉靖三十九年(西暦1560年)に
完成しました。この年、春の正月、鴛鴦陣を考案し、『紀効新書』を著しました。全部で18巻、
巻首1巻です。現存しているのは万暦二十三年(西暦1595年)徐夢麟刻本と
書林江殿卿明雅堂本、明傅少山刻本、そして清代以来の多種抄本と刻本があり、
『墨海金壷』などの叢書も収録しています。14巻本は明の万暦十六年(西暦1588年)の
李承刻本、万暦二十一年(西暦1593年)刻本、崇禎十七年(西暦1644年)刻本があり、
18巻本と内容が同じでないところがあります。
歴史書引用説
武備誌 朝鮮勢法が歴史書から引用されたという2つの説があります。
明兵書 紀效新書(1595年)→武備誌 朝鮮勢法 (1621年)
1561年、河北省の官史が倭寇 から陰流目録を入手しその法を
習得したとあり、猿の刀操図が 紹介されている。
武藝諸譜(1598年)→武備誌 朝鮮勢法 (1621年)
1561年、河北省の官史が倭寇 から陰流目録を入手しその法を
習得したとあり、猿の刀操図が 紹介されている。
『隠流刀法目録』
-馬明達老師より野上小達への伝書-
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/kage/kage1.htm
日本で出版されている関係書物より
中国武術―少林拳と太極拳
『紀効新書』の戚継光の言葉として、『長刀は倭寇が中国を犯した時に初めて経験した。
彼等は長刀を持って閃光のごとく跳び舞うので、我が兵は気をうばわれてしまう。
倭寇は飛び込むのが上手で、一足で一丈あまりも飛ぶ。刀の長さが五尺だから、
一丈五尺も一挙に進むことになる。我が兵の短器では接するのが困難であり、長器では
敏捷に動けず一刀両断にされてしまうことが多い。』と書いてありました。『紀効新書』は
万暦12年版は内容が少し不統一のままであったが、万暦23年には改訂版として
出版されたとあり、改訂版には戚継光が剣術伝書を入手したという話は書いて
ありませんでした.
対談 秘伝剣術極意刀術―日本剣術と中国刀剣術 その興亡と流伝の秘密を探る
日本剣術を学んだ少林寺の僧が出版した『単刀法選』は、全長五尺の野太刀術
(刃渡り3尺以上の刀を野太刀といいます)の本だという事になっていますから、刀の長さは
一致しています。『武備志』の中で著者の茅元儀が、『刀術は倭寇の習熟しているところで
あるが、倭寇が南方を侵略した際、辛酉の陣で戚継光将軍がその習法を入手した』と
述べ、図解資料を載せていると書いています。『隠流刀法目録』参照。
学研のブックス・エソテリカシリーズ29『古武道の本』
影流伝書が『紀効新書』や『武備志』に記載されていると書かれています。
歴史読本スペシャル50『剣の達人データファイル』
『武備志』に影流伝書が載っていると書いてあります。
古代中国起源説
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/2shou.htm
- 馬明達老師論文 -『歴代中日両国刀剣(術)の交流』の紹介
「芽元儀の見解では唐太宗の「剣士」を含め、我国の古代剣技家たちが戦闘に用いた
主な剣法は双手剣法であり、後世の「左右に周旋して満場これ軽わざ」の単手剣では
ないことがはっきり判る。茅元儀のこの認識は基本的に歴史事実と一致する。
茅氏は又、明代になってこの剣法は「伝わらなくなった」と考えている。芽元儀によって
「朝鮮の勢法」とされたこの剣譜は間違いなく中国の佚名武芸家の手になるものである。
これは茅氏自身が序言でこの点を確認しているばかりでなく、剣譜自体の多くの特長に
よっても充分に証明される。古代朝鮮の武芸家たちが、茅氏の時代には入手の難しかった
この貴重な剣譜を保有していてくれたことに対し、深く感謝すべきである。

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