藤井寺歴史探訪 後編

2003 年 5 月


■子牛たち

「ガッツ笑顔石渡軍団」

1塁側後方スタンドに掲げられた
このわけわかんないセンスの横断幕。

何度見ても
「ガッツ石松と猿軍団」
にしか見えない上にその映像が頭に流れるわしは、
おかしいか?

その横断幕のもと、
藤井寺牧場の子牛ちゃんたちは 
どうだったのかちうと・・

打線はあの獰猛でよだれどっばー な親牛とは、
似ても似つかず。
ぷっすん。

もー とも言えない、子牛ども。
うちの「今村ごとき」にな。

投げるたんびになぜかくるっとスコアボードを向き、
ズレぎみのズボンを引きずり上げて、
いちいち打者に謝罪するかのように帽子を取る・・

おなじみのポーズをせかせか繰り広げる、
「BW敗戦のアイコン」今村の大好投!

年寄ルーキー下山も、「あとがない」武藤も、
ぜんぜんまったく、今村なんかに押さえ込まれとるぞ。
いい当たりしてたのは森谷くらいか。

(今村はこの好投が認められ、3日後に一軍に上がる)

子牛打線は最終回、
近鉄ファンからも「やんや」の喝采を受けて登場した佐野から、
ようやくバッテリーエラーで1点を取っただけ。

んが。
完封を免れてちょっぴり盛り上がった近鉄ベンチに
冷や水を浴びせる、ネット裏のおっさんの強烈な一撃。

「んなことで喜んどったら あかんのじゃー ぼけぇー」

すっげー

鈴木貴コーチの「ほんま、そうやなぁ」という声が聞こえ、
近鉄ベンチは しーん・・
子牛たちはこうして、
ディープサウス大阪のおっさんらに鍛えられていくんや。

サーパスの竜太郎なんかも自打球当てて倒れたとき、
「痛かったら、いねや!(「帰れ」の意) くら!」 て叫ばれて
ぴょん!て起きてたもんなー。

子牛投手のほうは、
この日はなぜか「左コレクション蔵出」やったんけど、
2年目の有銘だけは、なかなかええ球 ほってたわ。

これには厳しいおっさんらも、
「よっしゃー」
「ないす ぼー!」

■原住民の様子

この日は平日で、
もちろん200人くらいしかお客はいてなかったけど、
かなり、「通いこんでる」人ばっかりでな。

「起きたまんま来た?」ちう、
おもいっくそ家着の人、多数。頭、寝グセのおっさん数名。
基本的に”男女とも”ジャージにサンダル。
顔見知り。

おばあちゃんが、「ほい」「ほい」と、
知り合いにビール配ってたり、
なんか近所の社交場。

かといって、閉鎖的なことはぜんぜん無くて、
人のことは、ほっといてくれるしね。
皆さん てんでばらばら にくつろいでる感、満点。

誰が吹いてるのか、
一つの音しか出ないおもちゃの笛での応援。
「ぷっぷぷっぷぷー♪ぷひ」

これが、いけてるねん!
このチープなミニマムさが!
いきなり ♪ワンノートサンバ でも吹いたら笑えるのに。

で。
なんかみなさん、普通にしゃべってる声が
ごっつう大きくてね。これがディープサウス大阪流。

向かいのスタンドで友達にしゃべってる声まで、
聞こえまんねん。

「ヤフーかなんかしらんけど、
 あの球場は、ロクなもんくれへんで。
 マクドのコーラS券なんかもろて、誰が使うねん なぁ」

あ・・それわし、球場来る前に使いましたけど・・

■参考資料

S 100400000 5
B 000000001 1
(5/1 藤井寺)

(S)スタメン
8早川、4福留、6後藤、9竜太郎、D相川、
3板倉、2前田、8迎 、5菊池
P 今村-牧野-川越-佐野

(B)スタメン
D森谷、5山崎、3武藤、7下山、6阿部、
4永池、9牧田、2長坂、8坂口
P 谷口-佐藤-有銘

■なんか懐かしい・・古代シティ・藤井寺

平日の天気のいい昼間。

のどかーに試合やってる球場に、
ぶーーーーーーん て、セスナの音が、
高い空に響き渡る。

なんか。。これだけで心に、
置き去りにされたような快感 が広がるのは、
なぜ?

セスナの音って、ウルトラ世代には懐かしい。
高度成長期、よく飛んでたよねー セスナ。
それを思い出してね。

ちうか、
つい昨日スカパーで見た「ウルトラQ」のイメージがね。
これ、わかる人しかわからんけどね。一平君!

そういやこの近くには、かの「横山やすし」も通ったという、
小型飛行機練習場のある、飛行場があるはずやわ。
そんでしょっちゅう、セスナが飛んでるんか・・

藤井寺。

駅の看板で「古墳の町」てあったんでね、
試合が終わってから、一番球場近くにある古墳に、
足を運んでみたねん。

駅前こそ ごっちゃら してるけど、
ちょっと歩くと、わりと閑静な住宅街。

その真中に、いきなりウソみたいな世界が広がってるんよ。

「仲哀天皇陵」

仲哀(ちゅうあい)天皇は第14代天皇(192-200)で、日本武尊の子。名は帯中津日子命(足仲彦尊:たらしなかつひこのみこと)。在位中に熊襲がそむいたので、妻の神功皇后(第15代応神天皇の母)を伴って九州におもむき、そこで「朝鮮の新羅を討て」という神託を受けながら、これを信じず、実行しなかったため、神の怒りを受けて死んだという。

その墓ちうわけや。

蓮の葉が浮くお堀の水の、厳かなうごめき。
そのむこうにこんもり浮かぶ、静謐な緑の世界。

スローモーションのように木々がうごめき、
その中に守られている者の
ひそやかな息吹が感じられるかのようです。

ぷひょー♪ (尺八の音)

真上からみたらオバQみたいな古墳の形なんやろけど、
横から見たらなんのこっちゃ、わからん。

でもその、
2000年近くもそのままの姿 という厳然たる事実が、
時の流れなど寄せ付けない自然の厳粛なたたずまいが、
言いようのない安らぎを、わしに与えるのな。

観光遺跡と違って入ることもできないのが謎めいて。
(なんでも未発掘の財宝が多数あるらしく、
 宮内庁の管理小屋に係員が常駐している)

なんせ、日本武尊の子の墓やねんで。マジで。

お堀越しにその稜線をながめてるだけで、
時空が歪んでいくような、不思議な気分になるのな。
夜でもないのにあたりは 「しん」 と静かで。

足の長い白い鳥が、つー と、横切っていく。

藤井寺。

・・・・・・

球場も古墳なんか?
いえいえじゅうぶん、現役でした。
気に入りました。

あの球場はできれば天然芝に変えて、
大阪ドーム倒産後、近鉄が使いましょ。
そして将来、
あのマウンドから世界に旅立った「野茂」のため、

野茂古墳

にすればええ。

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