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さて。
新年第一弾は、
「南海ホークスがあったころ」です。
いきなり後ろ向き・・
同名の優れた書籍が昨年紀伊国屋書店から出ました。
わしにしては珍しく、我慢できずに
「古本屋で”100円になる前に半値で”買いました」
清水の舞台から叩き落ちる覚悟で・・ うぅぅ
*
「南海ホークスがあったころ」 永井良和・橋爪紳也
紀伊国屋書店 1800円
結論。
この本は本当に本当に すばらしい本で おま。
これから何回でも何回でも読むでしょう。
南海だけに。。。。 うぅぅぅぅぅぅ
南海ホークスを含めた在阪球団の正確な歴史や、
(「れきし」で変換してまず「轢死」が出てくるわしの脳内て・・)
当時としては超モダン設計の
「大阪スタヂアム」(どこかの球場がスタ”ヂ”アムと名乗るセンスがあれば・・)
の詳細が、実に豊富な資料の裏付けで語られて
きわめて知的に 大興奮っす。
あの球場の急勾配スタンドの通路に埋め込まれたガラスが、
構造上ちょうどその下にある文化教室の屋根の飾りになっていた・・
などという興味深い話に 失神な。
著者はお二人の京大出身の大学教授。
インテリですが、さすが関西のインテリ。
明晰な文章の中にも、よい按配にサービス精神が光る。
詳細な注釈を読むだけでも、じゅうぶん楽しめる ちう。
しっかし「本人」と「関係者」、「スポーツライター」、「記者」
”以外の”人が書いた野球本て、
なんでこんなにおもろいのかね?
そのあたりに「ことの本質」があるように思います。
ちょうどお二人ともわしと同い年。
少年のころからの「本物」の南海ファンである二人のかもしだす、
アカデミックでありながら、現場主義 ちうスタンスが、
うれちいうれちい。
むかし、パ・リーグのファンである ってことは、
「球場で野球を見る人」 てことやもんな。
信用できるねん。書いてあることが。
「コラム」の章に出てくる、
著者が大学生時代の80年代初頭の阪急・南海戦の話。
応援団が
「アホの加藤♪」と「アホの門田♪」の大合唱合戦をやる光景が、
当時の在阪パ球団のムードを伝えて、泣ける泣ける。
すでにセ・リーグや関東のパ球団では、
「プロ野球選手のアイドル化」が進んでいた時代に である。
わしもヒマな大学時代(三流ですが)、
西宮で試合のない日は、ようひとりで行ってたわ、
大阪スタヂアム(大阪球場と呼ばれていたが)にな。
西宮も大阪も、すいててなー。ガラ悪うてなー。
都心にあるのに後進国みたいな、
ダメダメな空気が 居心地よかったなー。
大学時代が、とっくにアホボケ。
人間て変わらないものですね。
あわせて読んだ、門田博光の自伝(「不惑の挑戦」海越出版社)
に怨念たっぷりにじみ出ている、
セの選手や西武選手の高度成長な人気への「やっかみ」こそ、
在阪パ球団のすべてやったんやわ。 ファンともども・・な。
うぅぅ。
ちなみに、門田の自伝は「本人もの」ではあるが、
あまりにもあまりにも飾らない、彼の肉声が心に突き刺さる、
パ・リーグ満点の、これも好著です。
金の話ばっかりなのが、泣けます。
さすが「東大阪の文化住宅あがり」というか、
アキレス腱を切ったときにまず頭に浮かんだのが、
「新築したばかりの家の借金をどうしよう?」だったというくだりは、
「一緒に泣けます」
*
さて、すっかり世界中でわしの中でのみ
南海ホークス回顧ムード 高まる中、
昨年末、わしは大阪スタヂアムに行ってみたのな。
とはいえ、
さようなら さようなら と言いながら、
いまだに西宮北口にマヌケに突っ立っている西宮球場とちがい、
大阪スタヂアムはとっくにぶっ壊されて、
「なんばパークス」ちう、商業施設になっているわけだ。
あの、社会から取り残されたおっさんらの居場所が、
わしには発音もできないような「舶来服屋」や「舶来飯屋」集まる、
お洒落な「ショッピング・漏ーる」 になっとるのである。
そこに「大阪球場ホームベース記念プレート」と
「南海ホークスメモリアルギャラリー」が あるという。
そのことじたい、
「南海ホークスがあったころ」の「あとがき」で初めて知ったのだが。
とにかく行ってみた。
「なんばパークス」は、確かにあった。
「大阪スタヂアム」は、確かに影も形もなかった。
この重い事実と、あっけない歳月の流れ・・・ 。
ホームベース記念プレートは、
入り口前の野外「踊り場」に、なんだか投げやりに埋め込まれてる。
係りのお姉ちゃんに聞かないと、通り過ぎてしまっただろう。。
というほど、「あまり目立たせたくはないんですが」 という佇まいで。
ホームベースといっても、御影石かなんかでな。
のぺっ としてて感慨がないわ。
かつてと同じ位置にあるらしいので、思わず周囲を見回してしまうも、
無愛想な高層ビルがわしを見下ろすばかり。
この位置に、かつて野村が?ていうか ドカベン香川が?
なかなかそういう実感は、わかない。
少しむこうにはピッチャーマウンドも埋め込まれていて、
思わずしゃがんで誰かのボールを受けたくなってしまう。
ミット持って来い!
ようけおった山内の どれか・・ 出て来い!
わしが異様な熱心さで写真を撮ったりしてるからか、
おっちゃんおばちゃんら が「へぇ」とそれを見たりするが、
(大阪ではどんなお洒落な施設ができようが、来るのは
おっちゃん おばちゃん がほとんど である)
はっきり言って、「へぇ」以上でも以下でもない、反応な。
何年か経過したら忘れられそうな、そんな気がする。
みんなに踏みつけられて はがれちゃったら それっきり。。
そんな気がする。
んで。7階にある「メモリアルギャラリー」へ。。
んが。
予想はしていたが、「あぶさん」パネルがお出迎えしてくれるとはいえ、
あまりに小規模ぼぼ。
廊下の空きスペースに簡単なパネル展示だけってかんじ。
パネル見てたら、隣の有名?ラーメン屋の行列と間違えられて、
メニュー渡されそうになるし。
現物展示はきわめて少なく、
ガラスケースに入った杉浦監督のユニ(わしの一番好きなタイプな)、
鶴岡監督の重厚な年季の入った、スタジャンくらい。
賞状とかカップなんか見せられても しゃーないで。
当たり前やけど「ショップ」もないし。
(南海や阪急のグッズって、だれか復刻しないんすか?)
往年の選手の写真パネルはそれなりに見入ってしまうけど、
「野村の写真も名前も、一言の説明もない」
てことに、どれだけの人が気づくかな?
もんのすごく、不自然なことなんやけど。
エンドレスで液晶テレビに映し出される映像は、
残念ながらわしの知らない大昔の映像でね。
涙の御堂筋パレードやら、100万ドルの内野陣やら。。
わしが懐かしいのは、暗黒時代やからね。
しかし映像で初めて
伝説の一塁・飯田の「タコ足」守備を見れて、
「ほ・・ほんま・・タコや」と感心したわ。これはよかったわ。
このギャラリー、もちろん若いアベック(この言い方・・年寄りくさい?)
や家族連れには興味を引くものではなく、閑散さん。
パネルの文字を読み、映像を律儀に鑑賞し、1時間も滞在してるのは
わしくらい であろう。
しかし
「にゃるほどね・・」 とわしが帰ろうとしたときに、
この日一番心に残るシーンに 遭遇。
たぶん、ここにそれがあることは 知らなかったんだと思う。
嫁さんにでもせがまれて連れて来られただけの、
おっさん だと思う。
居心地悪そうな顔できょろきょろあたりを見回してたおっさん、
ギャラリーを見つけて突然表情に生気が生まれ、
そのある一点を凝視して、立ち尽くす!
年のころなら、60くらいか?
安っぽいジャンバーにスラックス。
おっさん、
嫁さんを放置してゆらゆら引き寄せられるように
ある人物の巨大に引き伸ばされた写真に近づいたかと思うと、
どこかで聞いたことのあるような だみ声で 叫ぶ。
「つ。鶴岡はん!!」
ぎょっとする周囲の誰彼構わず、
「強かってん 強かってん 」
と狂ったように話し掛けて怖がられてた、おっさんよ!
小奇麗な店や着飾って通り過ぎる人々の中で、
このお洒落ぽい商業施設で
めっちゃ浮いてた おっさんよ!
闖入者は、おっさんやない。
ここで。この場所で、野球やっててんもんな。
夢でも幻でもなく。
居場所 がなくなるて、
つらいなぁ。
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