| 震災 2002 年 1 月 |
その瞬間、私は神戸市東灘区のマンション6階で寝ていた。ほんの少し前、夜中の3時までBS中継でNFLプレイオフ(Cowboys-49ers)を見ていたので、とても深い眠りだったはず。
直前に、部屋のカーテンが一瞬白く光ったのは確かだ。それがイメージだったのか現実の光だったのかは、永遠にわからない。
ともかくその直後、圧倒的に唐突に。
それが来たのだ。
突然ベッドから吹っ飛ばされる衝撃に、意識の起動がついていかない。凶悪な巨人に容赦なく揺り起こされたような爆発的な衝撃と、聞いたこともない低音域の大音響。スーパーウーファーな大地の轟音、コンクリートの悲鳴。
大気圏に突入した宇宙飛行士のような悲鳴を上げながら、私の心に最初に浮かんだのは
「罰が当たった?」。。
何秒あったのだろう?永遠に続くかと思われた衝撃と大音響がようやくフェードアウトを始める。自分の体がまだベッドの上にあることがわかるほどの揺れになってきた頃、その大きな力が、来たのと逆方向(西)に過ぎ去っていくのがわかる。
そして、揺れがすとん、と収まった瞬間。
今度は世界が終わったかのような、完璧な静寂が訪れたのだ。
それはそれは完璧な静寂で、私はまったくの無音の闇に放り出された感覚に陥る。
最終戦争か何かが起こって、今自分は「次の世界」にいるのだろうか?
あとから考えればあの瞬間。すべての動物がすくみあがり、車も冷蔵庫もすべての物の活動が停止したのだから。生まれて初めて経験する、原始の静けさだったわけだ。
それは、恐ろしいまでの静謐な世界である。
その静寂は、台所の方で、ひっかかっていた皿か何かが落ちたのだろう、パリン という妙に親しみのある音で破られる。そして、やっと私の意識は現実に戻り始めるのだ。
それから数ヶ月、途方もない苦労が待っていることになる、現実に。
*
ようやく体を起こし、家族の無事を確かめ、他の部屋をチェックする。なんだかバンビのように足元がふらつくし、まだ建物が揺れているような気もする。インスタント船酔い状態である。
電気がつかない。真っ暗でよくわからないが、いろんなものがガチャガチャと足に当たる。リビングルームの扉を開けると、何か不規則な形のものが部屋の真ん中でうずたかく山積みになり、さっきまで私が見ていた29インチテレビが、私が座っていたソファでうつぶせになっている。
見なかったことにできればな、と思いながらベッドルームに戻り、家族に絶対に動かないように告げて外の様子をうかがいに出ることにする。
*
最上階だったからか、ドアは苦もなく普通に開いた。
(2、3階の住人はドアが開くまでに数時間を要したそうである)
外の光景が、何かおかしい。まだ暗いし気がついていないが、ほとんどのものが 斜めになっていたのだ。下界の民家の屋根が何か白っぽく見えたのも、このときは深く気にとめていない。
廊下で、隣のご主人が呆然と立っているのに出くわす。「地震、ですよね?」「で、しょうね」。私の家だけの話ではないのだ。おかしな話だが、少しほっとする。それにしてもあれが地震か?
とりあえずふたりでロビーまで階段で下りることにする。
ロビーにはたくさんの人が毛布にくるまっていたが、どうも見かけない顔もいる。どの顔も目がうつろで、誰もしゃべらない。小さなラジオからアナウンサーの暗い声が聞こえている。「大阪は震度4」。。そのとき、情報はその程度。時刻は6時過ぎ。やっぱり地震か。大阪が震源?
恐る恐る外に出てみると、すぐ何かにつまずく。道路がウロコのようにめくれ、めちゃめちゃなことになっている。「出ないほうがいい!」誰かが血相を変えて叫んだ途端、頭上からタイルのようなものが ばらばらっと降ってくる。
なにやらロビーが騒然としている。階段から毛布でくるまれた人が降ろされてきたのだ。見覚えのある女性が、「おばあちゃん、おばあちゃん」と泣きすがっている。「誰か、車出せますか?」と叫び声が上がり、やっと気がつく。駐車場は掘り込み電動式で、電気がダメなら地下にある車は出せないのだ。
男何人かで駐車場に走るが、横転している車を見て、一人が小さな悲鳴を上げる。
私の車は地下なので、わからない。「俺のが出せる!」と若い男が叫び、そのスポーツタイプの車に苦労して怪我人を乗せることになる。怪我人は顔まで毛布に包まれているが、まったく動いている気配がない。
車はオフロードを走るようにバウンドしながら、すぐ病院に向かおうとする。しかし角を曲がったところで急バックして、一方通行を逆行して走り去った。不思議に思って角まで見に行くと、なるほどそこには、道はなかった。
道のはずの場所には、なぜか家がある。
家だったものが。
私はその光景に圧倒され、中に人がいるなんて思いもつかない。
ようやく空が明るくなってきて、すべての事実を明るみにし始めつつあったのだ。
やけに土の匂いがする。
不思議なことに、周囲の家の背が異様に低くなっているが、その意味することに気がつかない。なにか、大変なことが起こっているのはわかるが、まだ頭が、想像力が働かないのだ。
そしてあまりにも、町は正月の朝のように、静かなのである。
「今日は仕事に行かんでええやろな」
正直に言う。こんなときに私の頭に浮かんだのは、こんなことだ。とにもかくにも、自分の部屋に戻ろう。外界に圧倒され、私はマンションに戻る。
階段を上がろうとすると、さっきの車がガラガラいいながら戻って来る。自分の車がボロボロになるのにあの人はえらいな、と思いながら「どうでした?」と聞こうとする。が、ゾンビのような顔で降りてきた彼の、ただならぬ様子に息を飲んでしまう。
興奮しきった様子で、彼はこう叫ぶ。
「びょ、病院が、なくなってるんですわ。ぺしゃんこですわ。病院だけやない、ぜんぶ、ぜんぶぺしゃんこですわ。ぜんぶや。大変なことや。大変なことや。。おばあちゃんは消防署に置いてくるしかなかった。。なかったんや」
集まってきた人は静まり返り、ただ立ちつくすのみ。
(ずいぶん経ってから知ったのだが、おばあちゃんは即死だったらしい。タンスの下敷きである。その日一日、消防署の前に放置されたとか。合掌)
「外へは出んほうがええ。危ないで。危ない」
彼の声を背中に聞きながら、私はこの期に及んでも よくできた夢じゃないのか? という思いをぬぐえないまま、ふらふらと自分の部屋に戻る。
すっかり夜が明けていた。
巨大なミキサーでかき回したかような部屋の惨状は、私の目をはっきり覚ますのに充分だった。電気もガスも、水もダメ。そして病院を始めとする社会が機能していないことも認識した。6階の窓からは、黒い煙が少なくとも3本は見えているのに、サイレンの音ひとつ聞こえない。
そのすべてが意味すること をじわじわ実感しながら、私はごくりと嫌な唾を飲み込む。
誰もあてにはできない。
サバイバル生活の始まりである。
*
コンバット・ハイというらしいが、その後の私は、普段では考えられないほど行動的であった。五感を駆使して自分で判断し、大声を出し、自分の体をフル稼働させないと、生きていけないのだ。
汚いかっこうで水を求めてあちこちさ迷い、途中で知らない誰かにもらったメロンパンでポケットを一杯にして家に戻る私は、ツバメの親か。
いまだにメロンパンを食べると。。
無政府状態の数日間を切り抜けた後、仕事の関係で被災地を離れた。しかし、週末に分断した交通機関を駆使してマンションに戻り、終わりのない片付けをして、情報を集め、マンション修理の会合に出て、誰かの世話になることに苛立ち、。。
気が遠くなるほどのあの毎日は、今思い出しても気絶する。
あれ以来、比較的強い地震が来たとき我々が「怖い!」と言うのは、揺れが怖いのではなく、その後の被災生活の再現が、怖いのである。そして住宅ローンが。
*
ようやくライフラインが整い、ボロボロのマンションに戻って来れたのは、すでに瓦礫の間から桜が見える季節であった。
引きずり出した予備のポータブルテレビに映ったのは、神妙な顔をしたブルーウェーブの選手たち。その年がマジックイヤーになることは、まだ誰も知らない。
*
人間は忘れる。
だから笑える。
あれから7年。正直言って1/17以外にあの頃のことを思い出すことは、あまりない。
もちろんそれは、私自身の被害が、お金や我慢でリカバーできるものだったからだ。そうじゃない方も大勢いるのは、わかっている。
しかし、ひとつだけ、私の中で消えないことがある。
何かの拍子に、不意打ちのように思い出す。
それはあの、地震の直後にほんの数秒間存在した、完璧なる静寂だ。
あのときの、自分だけが異次元に置き去りにされたような、神秘的で崇高で、そして孤独な気持ち。
今ならその静寂の意味が、わかる。
あのとき、眠ったまま大地に飲み込まれた何千もの命の鎮魂のため、地球が止まっていたのだ。
(了)