俺のスポーツ歴
俺のスポーツ歴を紹介するぜ!
俺が本格的にスポーツをやったのは小学2年の時で、柔道か空手か剣道をやろうと思っていた。全部見学したが、剣道はいろんな道具を身に付けるのが面倒だなあと思ってやめた。空手は痛そうだからやめた。以上の理由で結局柔道に決めた。
柔道をやりはじめた当初は「強くなりたい」とか「うまくなりたい」とか思わず、ただやっているという感じだった。小学3年になってからは、俺が通っている道場は県で一番強い道場となり、週3日の練習から毎日の練習へとなった。俺は毎日練習があるのが嫌で嫌でたまらなかった。小学生といえば遊び盛り、友達は放課後「何して遊ぶ」と話しているのに、俺だけは柔道の練習に行かなければならない。
それが嫌だった。見たいテレビも見れない。又、練習も凄く厳しいものだったから、練習に行くのが嫌なのは当然だった。当然、辞めていく奴も沢山いた。しかし、何故か俺は練習が嫌いだったが、辞めようと思ったことは無い。ただ、下手でも途中で投げ出すことは俺の性格上許せなかった。当時から負けず嫌いで根性があったと思う。まあ、俺は試合に出ていたし6年生の時には主将を務めていたというのもあったけど。
コーチはいつも木刀を持っていて、凄く怖い人だった。ただ、練習が終わると優しく接してくれた。よく、練習後はコーラやお菓子を食べながらおしゃべりをした。コーチはよく「他のやつらはテレビを見たりして、のほほんと過ごしているが、その間にお前らは強くなっていくんだ!」と言っていた。その言葉は今も忘れない。
おかげで、小学5、6年の時には県大会で優勝することが出来、6年生の時には俺は新聞にも大きく載った。県内で無敵でも全国大会では
一回も勝つことが出来なかったけど。
しかし、俺は柔道に出会ってから、その後の人生が大きく変わったと思う。
もし、柔道をやっていなかったら、誇りも無く、自分に自信が持てない人生を送っていたかもしれない。
柔道をやる前は、俺の運動神経は並だったと思うが、柔道をやってからは足がメチャメチャ速くなり、学校内で一番速くなった。
他のスポーツも俺が一番凄かった。自信というのは凄いもので、勉強の方もトップクラスだった。何でも出来ると思っていた。
中学になる時に、俺は「柔道部」に入るか「野球部」に入るかかなり悩んだ。
実は小学の時に、弱小チームだが野球もやっていて、俺はエースだったのだ。
球はメチャメチャ速く、対戦相手は球の速さに必ず驚いていた。俺自身も俺より速い球を投げる奴を見たことがなかった。
ただ、コントロールが凄く悪かったので、すぐに負けてしまったけど。
ということで「柔道部」か「野球部」か悩んでいた。ちょうどそのころ俺は荒木大輔が好きで、俺は荒木大輔に憧れて野球の道を選んだ。又、柔道より野球の方が面白かったというのもあった。
野球部では当然、ピッチャー志望だった。ただ、コントロールが悪かったので、結局ピッチャー失格となった。ピッチャー失格の後は強肩を活かしてキャッチャーをやり、その後、サードーやショートを守った。中学の時は、しっかりした指導者がいず、ほとんど自己流だった。当時は今と違い指導者がいなくても珍しくなかった。自己流だからバッティングフォームもお粗末なものだったと思う。ただ、バットを力任せに振っていた。ホームランは1本ぐらいだったと思うし。それでもクリーンアップを打ち県大会に出場した。
高校でも野球部に入部した。俺は大学に行くつもりだったので、進学校に入ったのだが、野球部もそこそこ強い学校だった。
そこのエースは県内屈指の投手だったし、同じ新入部員に凄いのがいて驚いた。仮にその新入部員をAとしよう。Aは高校卒業後プロに入団したのだが、入部すぐの練習試合で場外ホームランを打ったのだ。俺はその飛距離に驚いた。俺はフェンスにも打球が届かないのに。同じ新入部員にこんな凄い奴がいるのかと力の差に歴然とした。一年生の夏はAは当然、レギュラー。俺はベンチにも入れなかった。
しかし、俺は高校でしっかりとした指導者に教えてもらうことによって、確実に野球が上手くなっていた。今までお粗末だったバッティングフォームも良くなり、打てるようになった。もともとパワーには自信があったのに加え、バッティングフォームが良くなり、後は自分でバッティングのコツをつかむことによって、ホームランを量産しだした。
又、そのころ、このままではレギュラーにはなれんと思い、野球では初めて熱心に取り込んだ。練習が終わって家に帰ってからも素振りをやったり、鉄アレイで筋トレをやったりした。親は「勉強せえ」とうるさかったけど。
俺は三年生が抜けた新チームからは外野のレギュラーとなり、Aと共に二年生ながらクリーンアップを打つこととなった。
俺の高校は優勝候補と言われ、甲子園を狙えると言われていた。俺もAと共に県内屈指の強打者と言われていた。
実際、俺は一試合で三本ホームランを打ったりした。又、本番には強かった。
県大会ではベスト4だった。今度は優勝したいと思った。
ある大会の試合で途中、俺に変わり、補欠だった三年生が出ることになった。練習試合や三年生最後の試合ならともかく、大事な試合で変わることが許せなかった。スポーツは実力の世界で、上級生も下級生も関係ないはずだ。勝つ為には、下級生でも実力のある選手を出すのが当たり前だと思う。又、実力で判断するのが公平な判断だと思う。
俺は監督に文句を言った。あまりに腹が立ったので、ボールをぶつけてしまった。それが、いけなかったのだと思う。それ以降、俺は試合に出させてもらえなくなった。いろんな所で試合をやりに行っても、どうせ試合に出れんと思うとアホらしくなってきた。補欠の人の気持ちもわかった。どうせ、試合に出れんのなら辞めようと思った。同級生はある程度、理解してくれた。ただ、Aに「辞めるなよ」と言われた時は涙がでそうになった。
俺が卒業するまで、野球部は優勝候補と言われ、大会が近づくとマスコミに取り上げられるので、俺はその都度悔しい思いをした。そして、大会が始まると俺は「負けろ」と思っていた。結局、優勝することはなく、「俺がいないから負けたんだ、ざまあみろ」と思った。野球部の仲間は好きだったけど、応援する気にはなれなかった。
そして、野球部を辞めたおかげで、他のスポーツにも目を向ける様になったので、それはそれで良かったのかなあと思った。
専門学校では、又、野球部に入った。今度こそピッチャーをやろうと思った。しかし、中、高と殆どピッチャーの経験のない俺は、やはりコントロールが悪かった。小学生の時と比べたら良くはなっているが、細かいコントロールが駄目だった。監督からは、「物凄く肩がいいから外野をやれば」と言われ、又、外野をやることとなった。
一年生の時は県大会優勝。しかし、北信越大会では俺は怪我で欠場し、一回戦負け。
二年生の時も県大会優勝。北信越大会では、俺があまり打てなかったこともあり、決勝で敗れ全国大会出場ならず。結局、北信越大会準優勝に終わった。
しかし、目標に向かって何かに打ち込むことは、凄く大事なことだと思う。それによって人間的にも成長するし、充実した人生を送れると思う。やはり、一度きりの人生、充実した人生でないとね。
結局、俺は柔道、野球と県大会では優勝したが、全国大会に出場したのは小学生の時のみ。それも一回戦負けだから、たいしたことないよなあ!