第三十三番 雪渓寺
名称  高福山 雪渓寺
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
住所 高知県高知市長浜町
Tel  0888-41-2549

JR高知駅から桂浜行きバス長浜出張所下車、徒歩20分

弘法大師が開基したと伝えられ、
最初は少林山高福寺と号していた。
後に寺号を山号にして高福山雪渓寺と称するようになった。
室町末期には廃寺同様であったが、
天正年間(1573-92)の末頃月峰和尚が入山し、
長曾我部元親の援助もあって臨済宗とし復興した。
本堂や大師堂、観音堂、納経所などが建ち並び、
新緑に覆われた寺のたたずまいは旅の疲れを癒してくれる。

雪渓寺は、中世には早く開けたこの辺りの中心的な位置にあったようで、
それを証明するように、鎌倉前期の優れた薬師三尊像の大作と、
当代の名仏師・湛慶の作品が遺っている。
鎌倉時代の仏像が地方で求めにくい中、雪渓寺のような重要な遺品が
存在していることは特筆すべきである。

重要文化財 薬師三尊像

ここの薬師三尊像は、中尊坐高139.5cm、
両脇侍立高各174.5cmの、半丈六と等身を
合わせた一組で、おそらく平安・鎌倉時代を
通じての地方主要寺院の本尊クラスの規模と
考えられる。
作風は、鎌倉初頭に活躍し、鎌倉彫刻の基礎を
築いた運慶のそれを踏襲するものである。

重要文化財 毘沙門天立像(湛慶作)
重要文化財
 
吉祥天立像(湛慶作)
重要文化財 
善膩師童子(湛慶作)

本来湛慶作の阿弥陀三尊と不動明王及び
毘沙門天の諸像がセットとして存在し、これに
習って薬師三尊像が、彼の弟子によって造立
され、その後薬師三尊像と毘沙門天像一組が
遺ったと考えられる。
父運慶が東国の豪族の要請によって、同様の
セットを造立しており、この時期の地方豪族の
像仏パタ−ンとなった可能性があり、それが
土佐に及び、息子の湛慶が任用されたと考える
ことは不自然ではない。

高福寺の創立が嘉禄元年(1225年)と伝えられ、
毘沙門天像の足柄銘に「法印大和尚位湛慶」
とあって、まさに円熟した作風を示していることは、
年代的にちょうど符合するように思われる。
毘沙門天像の堂々とした体躯の造詣や、吉祥天
像のスマ-トな美しさ、童子像の一瞬の動きを捉
えた表現は見事である。

文永十一年から建治二年かけて(1274〜76)、
雪渓寺薬師三尊には仏師筑後工海覚によって
十二神将像一組(10躯現存)が附加される。

(画面をクリックすると拝観の様子がご覧になれます)

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