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| 収蔵庫の仏像 | ||||
| まず本堂の奥の収蔵庫へ案内されました。 そこには54体もの平安仏が、圧倒的な迫力で 私たちを迎えてくれました。 |
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会員に解説する武田和昭先生 |
寺伝によると、かつて山中に19の伽藍を有し、 多くの僧兵を抱えていたが、明智光秀の丹波攻 略で、本堂などがことごとく焼失したという。 多くの仏像を戦火から守るため、山中にかくし その後永く放置された。 江戸時代になって疫病が流行し、「三宝を犯した仏罰」 との占いで、村人たちはあわてて山中に放置していた 仏像を建物ごと麓に下ろして供養をした。 その後、正徳2年(1712年)曹洞宗の寺となる。 殆んどの仏像が一木造りで、著しく風化している 由縁であると考えられる。 他に考えられる理由としては、近隣の多くの寺が 光秀の戦火を恐れ、仏像を山間の達身寺に 疎開させたのではないかという「客仏説」もある。 |
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収蔵庫だけでも8体の兜跋毘沙門天像が保存 されている。 兜跋毘沙門天とは、怨敵退散・国土鎮護の福神 である。尼藍婆・毘藍婆のニ鬼をしたがえた地天 女の両手に支えられて立つ、特殊な形式の 毘沙門天で、一寺に一躯奉ればよいといわれる 兜跋毘沙門天像が、宝物殿のものを併せると 16体もあるのはなぜか。 寺にはその謎を解く手がかりとなる古文書類は 残っていない。 |
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| 宝物殿の仏像 | ||||
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宝物殿には、国の重要文化財になっている12体 をはじめ、比較的状態の良い23体の素晴らしい 仏像が安置されています。 |
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兜跋毘沙門天像 |
彫刻史家の井上正氏は、達身寺の仏像には わざわざ節を含んだ木を使ったり、意図的な 彫り残した例が見られることから、行基の布教活動 と結びついた霊木化現仏の作例であるという説を 唱えている。 達身寺は、お堂を多く持った工房であったのでは ないか。そこに丹波仏師がいて造仏していたのでは ないかという説がある。 丹波仏師がいたとすれば、未完成の仏像・本尊仏が 多いこと・同名の仏像が多いこと・達身寺様式と呼ばれる 仏像のお腹がふくらんでいること等は、工房が存在した ことが理解しやすい。 奈良の東大寺の古文書の中に丹波講師快慶と記さ れている。「私は丹波仏師である。もしくは丹波の地 とつながりの深い仏師です。」と言っている。 とすれば、仏師快慶は達身寺とつながりの深い仏師 である言える。 しかし、それを裏付ける古文書は何もない。 |
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十一面観音菩薩立像 |
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半丈六の本尊阿弥陀如来坐像(鎌倉初期の作) |
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| <達身寺のご理解を戴き、写真撮影の許可をいただいています> | ||||
拝観の様子はスライドショ−でご覧ください