| 昭和45年1月 最後の録音の筆記 2 氏原正信先生講話の一部 昭和45年1月 最後の録音の筆記 2 氏原正信先生講話の一部 (カセットテープ最初からの続き)2/3 いっつも目を閉じたら自分自身はありません。自分自身があるのは、あれは現象世界であります。心一元の世界、それで、じーーと見わたしてみると??? 自分の肉体だって、五感の智恵はひとっつも、眼ができることも、鼻が、口が、出来ることも人間の五感で考える力でない、神様のお作りになった世界そのもの、この世の幸せを祈って?、人間の意識で見ておる世界は、やがて中風みたいにかかって、手も足も動かんようになる。神様が動かんようにしていないけど、人間の五感の世界が動かんようにしておる。自分が中風にかかって自分の念が起こしたと、ひとっつも気がつかん人がなんぼでもおる。 中風にかかった人が、もうどうしても手も足もいごかんゆうて、そのおばあさんはかやる以前には、どこでもここでも中風にかかった人が、心にたくさんおる。そこら辺の付近の、中風にかかったおばさんを知ってしもうておる。中風の専門家になっちゅうき、ああこのおばあさんは中風が好きじゃき、近いうちに中風にかかるんじゃなと思って、私は、???あのおばあさんは近いうちに中風にかかるきみよってみい、あれば研究しよったら、中風にかかるき。十三日したら美事な中風にかかったのです。 手も足も???いごかんき、お医者さんに頼んだちどうにもならんき、???先生、私はいきなり、おばあさん、中風にかかりましておめでとうございますいうて、僕は言うちゃった。なぜ中風の研究をしよらあ、あればあ研究しよってかかた言うたちわしに言うたち分かるか。「先生もう私は手がひとっつも動かんが、お医者さんが動かんなるぞ、動かんようになるぞ、言うけんど が、動かそう思うてもどうしても動きませんが。」「動かんいうのはおばあの気持ちよ。」、「先生治すようにしてくれんろうか。」、「あほうぬかせ。」「わしは人の足を動かした事も???ありやせん、おばあの足はおばあが動かせ。」「もう私はどうしてもかないません。」「そうか、もうかなわんようになったらあの世へ行っちゅうがやねや。わしが知っちゅう事は、死んだ人は動かんが、生きた人は動くが、おばあ、八十になったらそらもう死んじゅうぞ、(八十になったら)もう長うあるか、治るにようぶか。行け行け」おばあに言うたら「まことそうじゃね、生きちょったち何年も生きちゃあせん。」「もう止め止め」「そうよその通りよ、わしの知った事はひとっつも無いが、おばあが死んじゅうか生きちゅうか、ためしちゃおかえ」、言うたらね、「先生ためいて下さい」言うき、「よし、ためしちゃお。この家にやローソクはないかえ言うたら、時化の時残ったローソク、五寸位の炎が出た物を持ってきて、???手をじっと見よるけど、おばあは痛がらん、「ああこりゃもう大部死んじゅうね」と思いよったら、しばらくしよったら焼けて来る。ほんとうに、おばあがそれでびっくりして、手があいたたた言い始めた。「おばあ生きちゅうじゃないか、」生きちょらんも完全な神様の命がいきちゅうき、心で思うもんじゃない。 先生治るろうかね言うき、既に治っちゅうもの・・・、やっちゅうじゃないか、自分が生きちゅう、神様の生命が生きちゅうという自覚を持つ、私はきつい事を言うたのです。今日もうわずか二十日間のうちに治って、山へ行たり川へ行たりどこへ行たりしゆ。体がいごかんようになってくるのは、みんな念の世界でやりゆう。自分がやりゆう。ほんでねえ、自分という者は、神の生命じゃと言うところに、・・・自分の心が分かってしまうのです。悪い事をし出したり、えー止めん言うて、えー止めんというがは、必ず体もいかんようになりやすい。 自分の中にはいかなるものでも打ち切って行くところの素晴らしい神の生命が生きておるという生命に立ち返ってこそ本当の地上生活の人間であります。 甘露の法雨を見てごらんなさい、肉体が人間じゃと心が人間じゃ書いてない。人間とは真理なり、を照らす光なり???神よりい出たる光なりと書いている。そうならんうちにどうして、・・・ゆうたち現象の人間でありますから、現象を超えて、吾は完全無欠なる神の生命であるという大信念になった時、もうその人は神と一体であるから、不幸が来るはずが無いのです。現象の意識で神を本当に片寄って、・・生きているのは神の生命であって肉体なんか死んだらどうする力もないから、自分が生きておらん、神の生命が生きているという処へ持って行くのが、一番大切であります。 それではどうして神の世界を生きるかというたら、眼(まなこ)を閉じて、吾は生命である、神様の生命が生きておる、という信念になりまして、まなこをとじて自分の中に宿っておる、静かに五感の叡智で作ったものか心眼を開いてみておると?、現象で出来ておる影ですら、眼というもの???、鼻というもの、口というもの、???からはじまって、人間の五感の世界ではではどうすることもできないほど、無限の智恵に導かれておるのです。今日(こんにち)の人間はカラーテレビを発明しておりますけれども、わずかカラーテレビは、局地側から見ゆ。我々は眼(まなこ)を開いたら、???あの大自然がこっぽり映ってくる。実に神の造り給う天地をそのまま見えるものは、まなこから上のものは未だ発明しておらんのです。 この眼が人間の知恵によって創られちょらん、神の智恵によって創られておるじゃないか。今食べたご飯を血となり肉にして、髪から皮膚から全部を創って下さっておる神様の御徳が自分の中に生きておるじゃないか。この智恵に優る智恵があるか。 そのままにして見える???眼(まなこ)から上の物はまだ誰も発明していないのです。 この眼が人間の知恵で作られちょらん、神の智恵で作られちゅうじゃないか。今食べたご飯を血にして肉にして、髪から全部を作って下さっている神様の御徳が自分の中に生きておるじゃないか。この智恵に優る心はあるか。 われわれは神想観を、五官の世界を去って実相の世界に入ると言って、五官の世界を捨ててしもうて、心眼を開いてみると見渡す限り???無限の智恵に、無限の愛に、無限の生命に、無限の供給に、無限の悦びに、無限の調和に 六大御徳に充ち満ちておるじゃないか。六大御徳そのものが真の自分であるぞと、この宇宙を造りたもうた六大御徳そのものこそ自分の生命から出るところの、・・・いかなる時も困らん完全無欠な不可能のない智恵が自分であるぞと、じーーと自分の内を見つめる、だから 人間の五感から出るような智恵で、人間の肉体の全てを創る事ができますか。胃といい腸といい、内臓といい、まだ見たことがありませんから五感の智恵では分からん。 僕の従兄弟は大学を出て、ほんで胃潰瘍になって、僕が奈良で講演しよったら個人指導を受けに来たが、従兄弟はもう17、8年も会わんもんじゃき、僕の顔を忘れて、僕はあほうみたいな男じゃったが、おらあ大学を出んじやち大丈夫や、ほんでやって来て、やっぱり従兄弟じゃったが、素晴らしい講演をしよら、従兄弟は「たいした魂じゃ、おら恐れ入った。胃が上がって、物が食てあがる時はどれほど苦労するやら分からんが、これが治らんろうかね。」その従兄弟、大学を卒業して、胃の上がり下がりまで研究しよって、情けない男になったもんじゃねや。自分の首らあ見よ。胃がどこにあるか、腸がどこにあるか頭がどこにあるか鏡がないき姿も知らん。あれがあれ程生きちゅうじゃないか。俺は細いときからめっそ頭のえい男じゃなかったき。俺りゃねや、胃が頭にあろうが腰にあろうが、どこにあろうがそんなこと関係ない。生きちゅう事が大事や。おんしのはしたない智恵で胃が上がったり下がったりすることそのものを考えちゅう。どれほど間違うちゅうか分からんじゃいか。 おんしら大学を出た者はこの世の迷いを深めるみたいなもんじゃ。なさけない男になったもんねや。おんしゃ警察署長をしゆうが、くその骨にもならんねや。いうたら、従兄弟は、「おらも今の今晩のおぬしの講演を聴いたら、おぬしみたいな男になりたいがと思うけんど」、なったらえいなったらえいじゃいか、大学で勉強した事捨ててしまえ。おんしの五感の研究したこと全部不幸になってしまいよら。 止めてしまえ。???従兄弟おらあもう帰るき。一年ばあ弟子にしてくれ、いやなこと。おんしみたいなくだらん者弟子にすることは。おらんくへきたらねや???もうおら一人ならいいけど女房も子供もあるき、おんしの面を見たらねや、心地悪がって、おらあ従兄弟じゃ思うて堪えちゅうけんど、おんしの面は眉が鼻の面みたいなもんじゃ。そう言われてお母が、いなないかん、七十日、かたの如く女房も子も違う???親戚もん、私が講演へ行ったら、付いてくるき、あの先生はすばらしいが、げに従兄弟というものは情けない、と人が言う。見てみ、学問してなんと情けない者になってしまう。人が喜ぶような人になってこそ、真の人間ですが、人から嫌われるような・・・そしてとうとう学問ばっかりでやるもんじゃき、やればやるほどなんぼ生長の家やっても五感の智恵が働くもんじゃき、とうとう最後には胃ガンになった。従兄弟の言うように、もう俺らあの考えではダメか、もうどうやってもいかん。死に切る事が大事と死刑の宣告を下した時、とうとう最後に、もう自分が生きちゅうじゃない、神様の御徳が生きている、捨てきった時に、胃ガンが治ってしもうた。 その時に谷口先生の前で体験談をやって、もう止め言うに、きかんとやって、皆んなよけいに笑いましたがね。 その従兄弟は大学を帝大も出ておりますでよ、そいつは。何のくそにもならん。それでねえ、とうとう治って病気もなんちゃあ無いなって、3年ばあ生きちょりましたがね。あの今の溝渕を教育したがやったき、溝渕に言うて入らしてもろうて、ほんでねえ県庁で雇いでね3万5,6千円もろうてからに3年ばあ生きちょりましたがね。もう死んでこの世にないなった。学問して頭の智恵の発達したがは、幸福になちゅうかいうたらなっちやしませんぜよ。我々は今谷口先生がお書きになっちゅう「生命の智恵?謎」をたいて読んでおりますが、も今までの五感の智恵で、習慣性で、色々なことを決めておいでになる。貧乏しゆう人も、働らかなあ金持ちにならん、どうやらなあ金持ちにならん、どうせないかん、こうせないかんと、こんな事を決めておる、決めたところに大きな誤りがある。人間がそんなもの決める必要があるか。神の御徳にまかせてしもうちょったらいい、神様の無限の智恵ほど。人間の五感が持っちゅうような智恵ではないのです。完全なる智恵であります。 顔の形一つ作るにも、無限の智恵で、みんなあ眼じゃち耳じゃち鼻じゃち、夫婦がプラスマイナスが地上に、夫婦が出てこないかんから、耳でも二つあるが左から聞いたことも右の耳から聞いたことも、違う事もない、同じように聞いておる。 左の目も右の目も一つのもの。たった一つの命が二つに分かれておる。夫婦というものは一つの命が二つに分かれておる。妻が感ずる事も夫(女房)が感ずる事も同じようにならなあいかん。右の目と左の目とが変わるということは絶対にないはずです。 (次へ続く) |
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