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越前打刃物の歴史

越前打刃物の開祖刀匠千代鶴

 越前打刃物業の優れた技術は、刀鍛冶千代鶴が伝えたといわれている。千代鶴は南北朝時代に京都から武生に移り住んで(1332〜1337?)、打刃物鍛冶業者に刀鍛冶の高度の技術を教え、千代鶴自身も鎌を打ったという。千代鶴は越前武生の打刃物業の開祖と崇められ、市内の京町2丁目には千代鶴神社が鎮座している。なお千代鶴は刀の銘に国安とも打っていたので、千代鶴系の代表者は国安と考えられ、その人物が初代と目されている。国安の子孫又は系統は千代鶴と号して府中(現越前市)において刀鍛冶業に従事していたという。
 千代鶴を開祖とする史料は複数あり、さまざまな諸説があるが、文化文政期(1804〜30)前後には千代鶴を初めとして、兼植・有国・宗光・国秀と名のる刀鍛冶の一派又は集団が、武生の打刃物業発展の開祖であったとの考え方が定着していたとみてよいであろう。

隆盛期

 越前打刃物は江戸中期以降武生の重要な産業として隆盛を極めその生産数量は急速に増加した。幕末期の武生の鎌及び包丁の生産量は合わせて約80万7千丁であり、明治7年では鎌97万丁(全国第1位)、包丁30万丁(全国第2位)となっていた。これは農業全般の地盤が上がったことや越前漆掻き、越前鎌行商人によって越前鎌販売のルートが各農村に引かれており、越前鎌の名声と信用が広まっていたことによるものである。ちなみに鎌の生産量第2位の新潟県は25万丁でその差を大きく引き離していた。

近年

 昭和54年1月に越前打刃物は全国打刃物業界では初めて、伝統工芸品として国の指定を受けた。また新しいブランドづくりにも熱心で、デザインの優れたオリジナル製品を開発したり、従来の伝統の鍛造技術と最新テクノロジーとを融合させた製品を開発している。

                                          参考文献「槌の響 越前武生の打刃物」


越前打刃物の技法

☆二枚広げ(包丁)

 刃の部分を2枚重ねて表と裏からベルトハンマーで打ち、2枚が同様に薄く延びるよう手早く作業する技法です。2枚重ねることで厚みが倍になるため、ベルトハンマーでの圧縮力が良く働きます。さらに温度が下がりにくくなるため、製品の板むらも少なくなります。
☆廻し鋼着け(鎌、刈込鋏)

 地鉄と鋼を鍛接した後、鋼の片隅から全体を菱形につぶします。こうすることで鋼をより薄くでき、研ぎやすくなり良い刃が付き、刃となる部分に鋼よりも地鉄が出なくなります。さらに鋼が直火に当たらないため、加熱状態によるもろさの心配もなくなります。
柾置(まさおき)法と呼ばれる、この技法は他の産地で一般的に行われている方法と比べると鍛造技術の上で相当の熟練を要しますが、製品ははるかに優秀です。鋼が均一になり、切れ味に差が出、研ぎさえすれば長い期間使うことができます。

その他

☆昇龍

 この昇龍は打刃物を材料に造られています。竜の鱗にはキャベツ切包丁を、爪には木鎌・勝山鎌、龍頭には柳刃・出刃・蛸引き・牛刃を、その他、斧・蔦・竹蔦・根切り・鉈・刈込鋏・シノ・杉皮剥きなど2,960丁の刃物が使われています。(長さ2.56m、高さ1.8m)
 JR武生駅構内に設置されています。

☆こま犬

 越前打刃物の祖・刀匠千代鶴国安は、刀を造るたびにこま犬を彫って井戸に鎮めたといわれています。
そこには刀は人を殺すための武器であってはならない、武士の象徴として存在してほしいという願いが込められていました。私たちはそんなものづくりの精神を受け継ぎ、未来に伝えていきたいと思っています。

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