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◆基本情報
(2008年5月27日対ナイジェリア戦) ◆はじまり オーストリアサッカーの歴史はウィーンにイギリス人がサッカーを持ち込んだことに端を発する。代表誕生は1902年、オーストリア・ハンガリー帝国期において、オーストリア地域を代表する形でチームは発足された。はじめての国際試合はハンガリー戦(5-0で勝利)。その後、1904年にオーストリアサッカー協会が設立され現在に至る。FIFA加盟は1907年。 ◆ヴンダーチームの盛衰 ~古豪たる由縁~ 1930年代、オーストリア代表は、“紙の男”マティアス・シンデラーを擁しヴンダー“驚き”チームの愛称で、1931年4月から1934年6月までの3年あまり30試合で21勝6分3敗、100得点以上を叩き出していた。まさに世界最強の一角を担っていたといえるだろう。当時の監督ウーゴ・マイスル、イングランド出身コーチ、ジミー・ホーガンによって、2人制オフサイドにいちはやく対応した、WMフォーメーションが鮮烈的であった。1934年、ムッソリーニ、ファシスト党支配化のイタリアW杯でも、当然優勝候補の一角に数えられたが、準決勝で開催国イタリアに対し、シンデラーの負傷、地元イタリアよりの判定などが影響し0-1で敗退。その後、3位決定戦でもドイツに敗れている。1938年、一時代を過ぎた代表チームであったが、W杯フランス大会を目指し予選を突破していた。しかし、大会直前にオーストリアがナチス・ドイツに併合され、国家そのものが無くなってしまい、出場権を失ってしまう。こうした理不尽な政治介入によって、ヴンダーチームは終焉を向かえることとなってしまった。その後、オーストリア代表は1954年スイス大会に3大会ぶりに出場。3位に躍進する活躍をみせ、多くの国民を勇気づけた。◆時代を飾ったスター選手たち これまでオーストリア代表が国際舞台に登場する時には、必ずスター選手がチームを牽引していた。1930年代では、マティアス・シンデラー。W杯3位になった50年代においては、主将として活躍したエルンスト・オツビルクやオーストリア史上最高のユーティリティプレイヤー、ゲルハルト・ハナッピ、後にオーストリア人監督としてもっとも偉大となった、エルンスト・ハッペルなどが有名である。70年から80年代にかけては、西ドイツを破る2ゴールをあげる活躍をした伝説のストライカー、ハンス・クランクルや“アルプスのベッケンバウアー”と呼ばれた、ブルノ・ペッツァイなど、個性の強いプレイヤーが活躍した。90年代では、代表103キャップを誇った“白いフリット”“アルプスのマラドーナ”こと、アンドレアス・ヘルツォーク。代表最多得点を誇っているアントン・ポルスターら国外で活躍するプレイヤーがチームを牽引していた。◆低迷期 ~世代交代の失敗~ ![]() 98フランスW杯の後、それまでチームを牽引していた、ヘルツォークらベテラン選手は一斉に代表を去ってしまう。チームを一新して臨んだEURO2000予選で、スペインに0-9、イスラエルに0-5と大敗してしまう、まさかの大失態を犯す。これまで、スター選手に頼りきりでユース育成にあまり力を入れて来なかったツケがここで現れてしまった。背景には、ボスマン判決後の国内リーグの弱体化、外国人選手の氾濫があげられる。特に70年代中期生まれのタレントは、国外でプレーする、マルクス・ショップ、マルクス・ヴァイゼンベルガーくらいで、国内ではあまり目だった選手はいなかった。このように若手の台頭がない中、ヘルツォークらベテランプレイヤーが復帰、2002年日韓W杯予選を戦うこととに。経験に裏打ちされた勝負強さと脅威の粘り、バリッチ監督のパス主体のサッカーで、チームはプレイオフまで進んだ。しかし、タレント不足は深刻で、ヴァステッチ、ハースら主力が欠けた状態では、後に本大会3位となるトルコ相手に太刀打ちできるはずもなかった。 その後、EURO2004予選から、クランクル監督が就任。ベテラン主体ではあったが、若手を積極起用し、世代交代を強く推し進めた。その中から、マルティン・シュトランツル、エマニュエル・ポガテツ、アンドレアス・イヴァンシュイッツ、パウル・シャルナーら、今を代表するプレイヤーが登場することとなる。予選は、強豪オランダ、チェコの2強にまったく歯が立たず、格下モルドバにも敗れるなど、大きな成果は出なかった。だが、若手の発掘と積極起用というチーム改革が評価され、クランクル監督は続投することになった。 ◆新しい時代へ ~新キャプテンにイヴァンシュイッツ~ 続投が決まったクランクル監督は、若き力を原動力にと、新キャプテンに弱冠二十歳のイヴァンシュイッツを任命するサプライズ人事を行った。ポジションによっては、ヴァステッチ、メイアレブなどベテランにまだまだ頼ってはいたものの、若手主体でW杯欧州予選初戦イングランド戦を0-2から引き分けに持ち込む幸先の良いスタートを切った。結果的に本大会出場は叶わなかったが、AWAYでウェールズに勝利するなど、イングランド、ポーランドを相手に終盤まで予選突破争いを演じた。布陣は全試合通し、4-4-2のダブルボランチを採用。守備に重きを置いた、サイド攻撃主体のサッカーを展開した。不運にもクランクル監督は在任中の2005年9月、次期監督をヒッケルスベルガー氏に決定したことを発表した協会側の対応に不信感を表明、予選2試合を残し辞任してしまった。アウフハウザー、スタンドフェスト、シュトランツル、ポガテツ、イヴァンシュイッツの5人はクランクル監督が3年8ヶ月の間に見出した選手であり、ヒッケルスベルガー体制移行後も不動の主力で活躍している。このことからも彼がオーストリアサッカーの未来や方向性を示し、今のチームの土台を作ったと言えるだろう。◆10年ぶりの国際舞台へ ~EURO2008への挑戦~ 2年後のEURO2008自国開催を見据え、協会会長シュティックラー氏の熱烈ラブコールにより、2006年1月、ヒッケルスベルガー体制が発足。ラピド・ウィーンを率い、CL本選を戦っていた中での代表就任は大きな話題を呼んだ。 ・チャレンジ2008プロジェクト 2005年から行われている、チャレンジ2008プロジェクト。オーストリア国内クラブの全面協力により実現したこのプロジェクトは、代表指定の将来有望な若手選手に個人レッスンなどを行うというもので、手厚いサポートでリーグの底上げをねらったものだった。さらに、プロジェクトの一環でB代表編成の試合も組まれるようになった。 ・前途多難なスタート ~2006年~ ![]() 2006年2月、代表門出のカナダ戦でヒッケルスベルガー監督は4-4-2のクランクル時代の布陣を布き、さらにほぼ同じメンバーで臨んだ。だが、0-2と良いところ無く敗れてしまい、強化は一筋縄ではいかないことをヒッケルスベルガーは痛感したことだろう。次のクロアチア戦では、ライトゲブ、フクス、プラガー、ヤンコなどリーグで活躍していた若手を多く召集。4-3-1-1のイヴァンシュイッツをトップ下に配した新布陣で臨むも、守備の連携不足で1-4と大敗。その後、あらゆる試行錯誤を重ねるが結果に結びつかず、9月にはチーム状況の悪化に耐えかねたポガテツが、監督批判とキャプテン批判をメディアに向け展開、代表を締め出される事態となった。一方、シャルナーも代表を軽視する発言を行い同じく代表を離れてしまう。多くの問題が山積した2006年は8戦3勝1分4敗とポガテツ、シャルナーを失う最悪な状況で終えてしまった。唯一の好材料と言えば、ライトゲブ、フクス、プラガーら85~年生まれの世代が頭角を現し、いちはやく代表に定着したことだろうか。 ・U-20世代の活躍 ~2007年-2008年~ 2007年は前年よりもさらに苦しいシーズンを過ごすこととなる。2007年初戦、格下マルタに試合を支配され、先制を許す失態を犯す(1-1)。その後、10月のコートジボワール戦まで9試合勝ち星から見放される状況。中でも、9月の日本戦は言葉も出ないほどの低調なパフォーマンスに終始してしまう。だが、U20W杯で4位と躍進したオーストリアの若き獅子、ハルニク、プロードルの登場はとても大きなサプライズであった。特にハルニクは、A代表初召集となった8月のチェコ戦で交代出場直後にゴールをあげる鮮烈なデビューを飾った。一方で、チーム自体のパフォーマンスは芳しくなく、2007年は12戦6分1勝5敗という不甲斐ない結果で終えてしまう。国民からの監督批判が大きくなるのも当然で、中にはEURO出場辞退しろ!との声まであがるほど。国民の失望感は悲壮感はとても大きいものになっていた。だが、シュティックラー会長はそのすべてを擁護し続けた。2008年、EURO本選まで4試合を戦い、ドイツ、オランダに完敗するものの、きっかけを掴む試合を行った。少ないタッチ数でゴール前まで攻めるシンプルサッカーが実戦レベルで機能し始めてきた。しかし、攻撃面での改善が見られるものの守備面では脆さを露呈してしまっている。シュトランツル、ポガテツはCBを本職とする選手ではなく、さらにプロードルは一流レベルでの経験がまだ浅い。オーストリアの生命線は守備にありそうだ。 (EURO関連は後日追記) ◆10年ぶりの国際舞台出場と12年ぶりのW杯へ向けて 「EUROは1勝できれば成功」と言うように、ヒッケルスベルガー監督はEUROでの1勝がこれからのオーストリアサッカーにとって、とても大きな光をもたらすことをよく理解している。オーストリアサッカーにとってEURO2008は通過点に過ぎない。国内のサッカー人気を盛り上げ、目指す先は2010年以降の国際大会自力出場。古豪の払拭、ヴンダーチームの復活はそう遠い話ではないはずだ。 2008/6/05:アップロード(誤字修正や追記をひそかにするかもしれません) |
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