Tさん
沖縄県・久米島出身。はじめの家から歩いて五分のところで
「沖縄館」という沖縄食品・物産店を経営するかたわら、滋賀県沖縄
県人会の会長として「ひびけ沖縄のこころ」と題した沖縄から米軍基地を
なくす運動や、差別をなくす運動に多忙な日々を送る、とっても元気な
お母さん。
彼女に 「三線の練習を見においで」 と誘われ、ある土曜日の夜
「沖縄館」 へ何かにひっぱられるように歩いてゆき、はじめて三線という
楽器をナマで聴いた。
一目惚れだった。聴いて惚れたから一耳惚れか? それはともかく、
「買います、取り寄せしてください!」
とさっそく三万五千円の三線を買うことにした。
まったく自慢にならないが、自分は生まれてこのかた 「習いごと」と
いうものでは続いたためしがない。
根気のない人なので、正直なところ続ける自信はなかった。
しかしTさんや、沖縄県出身の人たちの指導と、二つの仕事でただでさえ
少ない睡眠時間を削ってまで練習した甲斐あって、当初は家で練習
していて「雑音」と言われたものがようやく「音楽」らしくなった。
そして1998年春、三線と共に旅に出た。
実は、今回の 「長い旅」 に出る直前まで、三線を持って旅すると
いうことをためらっていた。自転車で三線を安全に持ち運べる自信が
なかったから、雨が降れば濡れるだろうし、転倒もするだろう、と。
でも今は三線と共に旅をして本当によかったと思っている。
月夜の浜で静かに聴いててくれた人。
なぐさめの歌を泣きながら聴いてくれた人。
別れの歌を涙をこらえて聴いてくれた人。
毎日、練習する時間になるとそばに来て、じっと聴いててくれた人。
いろんな人が三線で自分のことを覚えてくれて、
「あのとき、あそこで聴いた、はじめ君のあの歌、三線を思い出します。」
とか手紙をくれる。
人の旅先の思い出に自分の三線も残っている。それが何よりうれしい。
ネパールで会った旅人に、
「もし今三線が盗まれたり、壊れて弾けなくなったらどうする?」
と聞かれ、ふと口から出た答えは、
「すぐ沖縄に戻って三線を買うか、直すかするだろう。三線は自分が自分で
あるためにとても大切なものだから、三線なしの旅、人生は考えられない。」
自分が自分であるために、
一生、三線を手放すことはないだろう。