( 十 ) はじめてのデート 2

 

           「お店は、何時までに行けば良いのかな?」

           車に戻って、エンジンを始動しながら、沼田は聞いてみた。

           「8時。お客さんと一緒、9時。遅刻は、罰金」

           「さっきもそう言っていたよね。罰金っていくら?」

           3000円」

           3000円か、ミシェルには、ちょっときついかもね」

           「ちょっとじゃない。フイリピンで1週間生活できる。絶対遅刻ダメ」

           「そうか、1週間か....ごめん」

           「どうして、ごめん?」

           「あっ、いや、なんとなく..それより、食事に行こう。8時だったらまだ、充分ゆっくり食事できる。

           弁当は、夜食べればいいから」

           「うん、食事いいよ」

           「じゃあ、美味しいところに行こう。ミシェルは日本の食べ物は全部大丈夫と言っていたよね」

           「うん、日本料理大好き。大丈夫」

           「よし、ミシェルが食べたことないような料理を食べさせてあげるよ。ちょっと待って」

           そういうと、沼田は、携帯電話で予約を始めた。

           父親に何度か連れて行ってもらったことのある、八王子の山の上にある料亭の予約が取れた。

           「予約、取れたよ。行こう」

           「どこ行きますか?」

           「八王子」

           「はちおー? ディズニーランドより遠いですか」

           「ディズニーランド?ディズニーランドより近いよ、

           高速だと30分で帰ってこれるから1時間は、食事できる」

           「嬉しい。ミシェルね、まだディズニーランドだけ。どこも行っていない。

           だけど、ディズニーランドより3回行ったよ」

           「遅刻しないように早く出発しよう」

           OK!」

 

           歌舞伎町の地下駐車場を出て、甲州街道から初台の入り口から入り、

           中央高速を飛ばして八王子へと向かった。

           甲州街道も空いていたので快適なドライブだった。

           調布を過ぎたときにフロントグラスに真っ赤に夕陽を浴びた富士山が現れた。

           「ミシェル、みて、ほら、富士山だよ」

           「あーっつ!本当の富士山。きれい」

           ハンドルを握りながら、沼田はミシェルの横顔を見た。

           夕陽に赤く映っている富士山を驚嘆の目で見ているミシェルの横顔にも夕陽が照っている。

           上気したように、赤く輝いている横顔は、富士山のように美しいと沼田は、感動すら感じていた。

 

           八王子のインターを降りたときは、すでに日が落ちていた。

           それから、多摩の丘をいくつか越えて、夕闇が迫っていた丘陵の中腹にある桜花楼に着いた。

           はるか遠くに東京のビル街がすでにネオンを煌かせていた。

           反対側の山側には、夕焼けの名残が闇の中に山々を暗い赤に染めていた。

           ミシェルは、さっきから、言葉が少なくなっている。

           「あれが、東京、一番明るく光っているところが、新宿歌舞伎町かな」

           小さな宝石箱をひっくり返したようなビルの明かりが煌いている方向を指差しながら、

           沼田は、ミシェルの肩を抱いた。

           「うん、きれい。ミシェルが住んでいるところ」

           「そうだね、綺麗だね」

           「フイリピン帰りたい。フイリピンも夕陽きれい」

           ミシェルが、ぽつりと言った。

           (そうか、言葉が少なくなったのは、富士山を見たあたりからだから、ホームシックになっていたのか..)

           「さあ、お腹すいた。食事しよう」

           「うん」

 

           東北の大きな民家を移築した桜花楼は、風格と落ち着きのあるたたずまいで、

           周りの景色に溶け込んで、静かな空間を作っていた。

           和服の仲居が出迎えて、部屋の希望を聞いたので、離れの個室を取ってもらった。

           通された個室は、6畳ほどの和室で、窓の外には、庭にかがり火が炊かれ、

           薄暮の中にゆらめくかがり火の炎がゆっくりと心に沁みてくるやすらぎがあった。

           和室ではあったが、掘りごたつ式になっていて、ミニスカートのミシェルでも安心して食事ができることも気に入った。

           コース料理を頼んで待っている間、沼田はビールを飲んだが、ミシェルはコーラを注文した。

           和食の美味しい料理をたのんで、コーラじゃ合わないが、これから徐々に教えていけば良いだろうと考えた。

           お作りが出てきたときに、ミシェルは嬉しそうに

           「さしみ、大好き、わさびも大好き」

           と、喜んだ。

           そして、醤油が入っている小皿にわさびを全部入れて、かき回し、刺身を食べ始めた。

           沼田は、笑いながら

           「ミシェル、わさびはね、そうやって全部醤油に入れないで、

           こうして、少しずつ刺身につけて食べるのが、日本の食べ方だよ。この方が、美味しいから」

           と、わさびを刺身につけてそれから、醤油に付ける食べ方を実演した。

           ミシェルが箸を置いて、「ミシェル、知らない。ごめんなさい」

           と悲しそうな顔をした。

           沼田は、単なる軽い話題のつもりで言ったことを後悔した。

           「ごめん。そんなシリアスなつもりじゃないから、気にしないで、ミシェル、本当にごめん。

           うん?気にした?...ほら、元気を出して。ミシェルは、笑わないとミシェルらしくないよ」

           沼田は、下を向いているミシェルの顔を覗きこんで、機嫌をとりなそうとした。

           「ふふふ、沼田さん、ミシェルいろいろ知らないから、教えてください」

           ミシェルは、顔を上げて明るい笑顔でそう答えた。

 

           ゆっくりと楽しい食事をして、桜花楼を出たのは、8時に近かった。

           ミシェルは、マカティに電話を入れて、9時に店にお客さんと入りますと、連絡した。

           これから、新宿に向かうと、ゆっくり9時には間に合う。

           とっぷりと、暮れた山道を美味しい食事の余韻にひたりながら降りていった。

           途中で、沼田は、道に迷ったことに気がついた。

           暗い山道で、高速の入り口に向かう道路標識を見落としたようだ。

           明るく、大きな道路に向かうつもりが、暗い細い道が続いて、行けども、街並みが現れてこない。

           人気の少ない方に向かっているようにだんだん街灯も少なくなってくる。

           「おかしいなあ..」

           「どうしたですか」

           「うーん、ちょっと道を間違ったらしい。心配要らないよ。すぐもどるから」

           しかし、同じような場所を堂々巡りしているような感じで、なかなか戻り道を発見することができなかった。

           30分もそれらしいところに出なかったので、沼田は少しあせり始めた。

           ミシェルも心配そうな表情に変わってきた。

           「大丈夫だよ。ミシェル、遅刻する時は、罰金は、俺が払うから。それにしてもどこで間違ったかなあ」

           スピードを上げて、高速に戻る道を探してが、それでもなかなか見つからなかった。

           「トイレ、行きたい」

           ミシェルが、真剣に道路標識を探しながら運転している沼田の顔を見ながら言った。

           「えーっ、トイレ?」

           「うん」

           「困ったなあ、高速のパーキングエリアまで、我慢できない?」

           「我慢する」

           OK。すぐ、高速にもどるから、ちょっと待ってね」

           そう言って、沼田は、また一層スピードを上げた。

           数分も経たないうちに、ミシェルがまた、「トイレ」と、言った。

           「我慢できない?」

           「ごめんなさい。できない」

           ミシェルの声は、本当に我慢できないような声だった。

           「どうしようか」

           沼田にもよいアイデアが浮かばなかった。

           そうしているうちに、少し明るい道に出て、遠くにコンビニエンスストアの看板が見えた。

           (よし、あのコンビニで、ミシェルをトイレに行かせて、高速までの道を聞けばいい。助かった)

           沼田は、コンビニの裏の駐車場に車を入れて、すばやく店の中に飛び込んだ。

           「すみません、トイレ貸してくれませんか」

           沼田の一声を聞いた店員は、申し訳なさそうに、

           「すみません、当店は、お客さまのトイレはないんですよ」と、言った。

           「えーっ、どうしよう」      

           沼田は、とにかく、ミシェルに知らせようと店を出て、車のところに行った。

           ミシェルは、白いダウンコートを着て、車の横に立っていた。

           「ミシェル、トイレだめだって、どうしよう」

           「大丈夫」

           ミシェルは、そう言うと、ダウンのコートを脱いで、沼田に渡した。

           いきなり何をするのかと思うまもなく、車の後ろに行って、しゃがんだ。

           呆然としている沼田が見ているその目の前で、しゃがんで、おしっこを始めた。

           シャーッという音が沼田の耳にはっきり聞こえてきた。

           (初めてのデートの時に、男の前で、おしっこするのか...)

           予想もしない展開におどろいたまま立っていた、沼田のところに、スカートをなおしたミシェルが寄ってきた。

           そして、「オッケー」と、言って、ニコッと、笑った。

           まったく、屈託のないそして、穢れのない笑顔だった。

           おしっこで、驚いていた、沼田の中で、その笑顔を見た瞬間に、何かがはじけた。

           (俺は、この娘が好きだ。この娘なら自分の人生をかけて愛していける)

           と、いう確信が、その数秒の間に凝固して沼田を取り込んだ。

 

           その後、再び、コンビニに戻って高速までの道を聞いた沼田は、

           今度は、あっさりと高速に乗ることができ、新宿に到着することができた。