( 一 ) 出会い

 

           「先輩、もう一軒、行きましょうか」

           今まで、一度も親しい口を利いたことのない海老原が、声をかけてきた。

           軽く酒が入ったことと、一仕事終わったという安堵感からボーっとしながら歩いていた沼田は、

           海老原の呼びかけにちょっと驚いた。

           二人は、一半年の長丁場で開発していた製品の発表会が済んで、

           部の会議費でささやかな打ち上げをやった帰りの道を歩きながら駅に向かっていた。

 

           新製品の打ち上げといっても事業部の中の課レベルのささやかなもので、

           出席メンバーも沼田たち若手の技術者を中心とした十数名が出ただけのものであった。

           会社は、世界でも名の知れた大手電気メーカーではあったが、

           官公庁相手の公共製品開発といったレベルの打ち上げでは、そうそう会議費,交際費は、認められない。

           部長は、参加せず、課長が名目上の座長で、プロジェクトが別の連中も参加しない

           と、いう寂しい打ち上げでは、最初の居酒屋の予算だけが出るくらいで、二次会は、割り勘だった。

           最初は、チェ〜ン店の居酒屋で、とりあえず、部長を除いたプロジェクトメンバー11人は、参集したものの、

           二次会は、酒の出ないカラオケボックスだった。

           カラオケボックスも10時半を廻ったころにお開きになった。

           もともと課員には、女性が2人と少なく、普段からパソコンに向かっている仕事だけに

           課内のコミュニケーションも活発ではなかったが、誰かが歌っている最中に一人抜け、二人抜けして、

           盛り上がらない打ち上げだった。

           最後まで残った数名と一緒に帰り道を歩いてきたはずだったが、店を出て、駅に付くまでには、

           沼田と海老原の二人だけになっていた。

 

           女子社員を除くと、最も若手のくせに妙に世間ずれしているような軽さの海老原を沼田は、敬遠していたし、

           10歳も年下では、なかなか共通する話題もなく、これまで、仕事以外では、たいしたことを話したことがなかった。

           しかし、かといって、誰が待つというわけでもない目白の自宅に帰宅するのは、つまらない気がした沼田は、

           「これから飲みに行くっていっても、丸の内界隈では、遅くまでやっているところは、ないよ」

           と、少しの親しみをこめて返答した。

           そうした応えが返ってくることを予期していたのか、

           「歌舞伎町に僕が昔バイトしていた店があるんで、そこ行きましょう」

           と、海老原もちょっと抑揚した声を出して笑顔を向けた。

           「歌舞伎町?お前、そんなところでバイトしていたのか」

           歌舞伎町は、怖いところだというイメ〜ジを持っていたので、学生時代にコンパで1、2度、

           それに数年前に誰かの結婚式の二次会で1度しか足を踏み入れていない。

           しかし、今夜の沼田は、心が騒いで、その話に乗った。

           暮れかかっているオフイス街に点在するように灯っているネオンが、

           なぜか、知らない場所に行けば、味気ない日常を飾ってくれるような予感がした。

          

           二人が、東京駅から中央線の快速に乗って新宿駅に着いた時は、11時に近かった。

           歌舞伎町の方向に連れだって歩いていると、遊びを終えて、帰宅する集団の波が、

           靖国通りの向こうから歩いて来る。

           沼田は、その帰宅する集団と反対方向にこれから歩いて行く自分が、

           怖い街と、言われる歌舞伎町の持つ暗闇に惹かれて、

           不吉な方角に向かっているのではないのかと、いう不安がよぎった。

           海老原は、そうした沼田の気持ちにはおかまいなく、早足で歩いて行く。

           若いからというだけでなく、本当に、これから楽しい所に向かっているという気持ちが後姿に表れているようだ。

           沼田は、心のざわめきと、不安を持ったまま、海老原に引きずられるように、区役所通りに入り、

           ただひとつだけ名前を知っている建物の風林会館をすぎ、さらに奥の方まで歩いていった。

           大きな雑居ビルのエレベータに乗り、6階で降りた。

 

           エレベ〜タのドアが開くと、そこは、いきなり店の入り口であった。

           マカティという店の名前と、横に大きな額縁に女性の顔写真を並べたポスターが貼ってあった。

           「よお!」海老原が入り口にいた黒服の男に挨拶した。

           元の同僚らしいが、その挨拶の仕方からいってもかなり親しいようである。

           沼田は、海老原の言葉通り馴染みの店であるということで、少し安心した。

           その黒服の男に連れられて、小さな入り口を通って行くと広い店内に出た。

           大きな音量で、音楽とカラオケが流れている。

           ステ〜ジがあり、中年のサラリーマンらしき客がカラオケで演歌を歌っていた。

           「いらっしゃいませ」店中のホステスたちが一斉に声を出した。

           さらに奥の方に案内されると、そこにも数人の待機しているホステスたちがいた。

           ホステスたちは、沼田たちの顔を見ると全員立って、「いらっしゃいませ」と、言いながらにこやかな顔をして迎えた。

           「海老さんには、リナちゃん。あ・た・り・ま・え・」

           「お客さんには、ご指名がありますか?」

           黒服の男が、海老原に声をかけた後、沼田のほうを向いて聞いた。

           「そうだな、先輩はどういう娘が好みですか?」

           「どういう好みといったって、わかんないから、君に任せるよ」

           いきなり、話を振られて、沼田は、まごついた。

           少し薄暗い店内だったから、一瞬、顔を紅潮させたのは、気付かれなかったようで、安心した。

           「そうですか、じゃあ....ミシェル呼んで」

           言い終わるのを待つ暇も無く、一人の娘がステ〜ジのある方の席から飛んできた。

           色の白い、目を見張るような美人で、ひざ上が大胆に露出しているミニスカ〜トを履いている。

           そのミニスカ〜トから、見たことのないような足首の細い美しい足が伸びている。

           不思議なことに、初めて見るフイリピンクラブの店の雰囲気には、別に驚かなかったものの、

           その人形のようなシェイプの白い足を見た瞬間、沼田に、異次元の世界に踏み込んだと、いう思いが身体を流れた。

           二人の前に来たその娘は、立ったまま、海老原に手を出して握手をした。

           海老原の隣に座ると「お久しぶりです」と少々イントネ〜ションに違和感はあるものの、ほぼ完璧な日本語で挨拶した。

           そして、沼田にも「初めまして、リナです」と手を差し出してきた。

           彼女が、海老原の指名のリナだった。

           いきなり、女性と握手をするということに慣れていなかった、沼田は、躊躇して、海老原の顔を見た。

           「あ、先輩。ここは、最初全員握手するんですよ」

           こともなげに、そう言った海老原は、もうリナのほうを向いて話し始めた。

           ぎこちなく、手を出して、握手をした。

           指も足と同様に際立って白く、細い指だった。

           かなり、強い刺激的なコロンの香りがした。

           それからすぐに沼田のために呼んだミシェルという娘も現れた。

           ミシェルは、二人の前に来ると、リナのようにすぐに座らず、軽くおじぎをして、

           「ミシェルです。よろしく」と、沼田の前に片手を差し出した。

           リナに続いての握手だから、幾分素直に手を出したものの、

           この娘が、自分の横に来るのかと考えた沼田は、緊張して顔が火照っているのに自分で気が付いていた。

           ミシェルの手は、白く細いリナの手と違い、少しぽっちゃりとしていて、浅黒いような感じがした。

           そして、妙に暖かかった。

           コロンもリナと違い、子供のような甘い柔らかい香りのものだった。

           握り返した手をほどかずに、微笑んでいるミシェルの顔には、まだ、あどけなさが残っていた。

           「先輩、そこ、入れてくださいよ」

           海老原が、あごで、沼田の横の席をさした。

           「ああ...」あわてて、席をずらした横に、ミシェルが座った。

           ミシェルが座ると、ミニスカートがずり上がり、太ももが大胆に露出した。

           リナの白く細い足とは違い、かなり太めではあったが、

           足首は、同じくらい細く、美しく、健康的なシェイプを描いていた。

           (こんなに美しい足があるのか....)

           見とれて思わず言葉に出しそうになったほどだった。

           「先輩!」沼田の心の中を見透かしたのか、海老原が満面の笑みを浮かべて沼田の顔を見ている。

           そして、ミシェルの足に視線を移した。

           「よかったね、ミシェル。先輩は、気に入ったみたいだよ」

           「いやあ...そんな...」

           沼田は、どう応えていいかわからなく、言いよどんだ。

           ミシェルは、その言葉に、顔を輝かせて、  「嬉しいなあ」と、喜んだ。

           その「嬉しいなあ」と、いう発音もほぼ綺麗な日本語の響きだったのに沼田は、驚いた。

           リナは、テーブルの前に置いてある、ミネラルウオーターとアイスでコップに水を入れると、

           「お酒は、ウイスキー?焼酎?」と、聞いてきた。

           あらかじめ、ウイスキーと焼酎の二つのボトルがテーブルには、セットされていた。

           沼田と海老原は、二人ともウイスキーの水割りを作ってもらい、女の娘二人には、黒服を呼んで、ジュースを頼んだ。

           「乾杯!」海老原が声をかけて、4人で乾杯した。

 

           沼田は、取り留めのない、海老原の話に笑いながら何杯も水割りをあけ、

           酔いが進行して行く自分に気が付いていたが、今日は、その酔いに身を委ねていたかった。

           酔いの回った頭の中で、二次会のカラオケボックスを出たときに何となく感じた不安は、解消して、

           期待感の方に応えた素晴らしい夜になったことを素直に喜んでいた。

           いつも心の中に巣食っていた心のささくれがゆっくりと氷解して行く。

           途中、何人もの女の娘が入れ替わり、沼田の横の席に座った。

           どの娘も女に縁の薄い沼田にとっては、美しく、かわいく、そして、会話も楽しかった。

           店内に響くカラオケの音楽と女の娘のコロンの香りのすべてが溶け混じって酩酊した沼田の頭の中を駆け巡っていた。

           「先輩、ここは、3時までなんで、そろそろ帰りましょうか」

           すでに、店に入って2時間以上になり、時計は、3時に近かった。

           黒服が、会計明細書を持ってきたが、沼田は、先輩という立場からでなく、

           楽しい時間を過ごしたという気持ちから自分でその明細書を掴み取り、カードで支払った。

           滞在した店を出るとき、酩酊していた沼田は、少し足がもつれた。

           さりげなく、海老原が後ろから手を回し沼田の身体を支えたが、

           普段の沼田なら嫌うそうした他人との関わりも今日は、なぜか嬉しかった。

           入り口のカウンターで、カバンを受け取っていると、交代で他の席についていたリナとミシェルの二人が見送りに出てきた。

           リナは、海老原に抱きついてきて、頬にキスをした。

           そのリナを抱いたまま、海老原は、ミシェルをトンと、押して、沼田にぶつけた。

           自分にもキスされるのかと、驚いて1歩下がった沼田に、ミシェルは、笑いながら手を差し出した。

           「また来て下さい」

           「ははは、大丈夫だよ。先輩は、また来るよ。ねー先輩」

           「ああ、また来るよ」

           沼田は、本心からそう思った。

           それが、ミシェルとの出会いだった。