( 二 ) スイートホーム

 

           沼田は、マカティを出た後、海老原と別れ、一人でタクシーに乗った。

           海老原は、「どうせ明日仕事が休みで、しばらく来ていなかったから、もうちょっと遊んでいきます」

           と、言って、夜の街に消えた。

           沼田は、タクシーの背もたれに深く身体をもたれさせ、大きくため息をつき、目を閉じた。

           最後に握手した右手にわずかにミシェルの体温と、匂いの余韻が残っている。

           会社を出てからまだわずか9時間ほどしか経っていない。

           この9時間の間に、初めてのフイリピンクラブを経験し、そして、ミシェルに出会った。

           単なる、初めて行った飲み屋の若いホステスということだけでなく、

           沼田の心の中に何か明日からのささやかな楽しみみたいなものが芽生えていた。

           酒が過ぎたのか、酔いは、全体に回り、身体を弛緩させていた。

 

           タクシーは、わずか15分ほどで目白の自宅に到着した。

           白い塀の壁が続き、塀の向こうに孟宗竹の茂みが風で揺れている。

           大きな和風の門構えで、瓦の風格だけで周りに邸宅の並ぶ一角の中でも、

           際って由緒ある屋敷であることがわかる。

           車から降りた、沼田は、くぐり戸の鍵を開けて家の中に入った。

           「スイートホームよ、今晩は.....」

           誰が聞いているわけでもないのに、沼田は、声を出して、つぶやいた。

           強い風で、庭の松と竹林がざわめいて揺れている。

           車寄せに明かりが点灯しているものの、寒々とした雰囲気が屋敷全体を包んでいた。

           大きな庭に風に木の葉が舞う情景は、沼田の台詞のスイートホームを想像させる佇まいでは、なかった。

 

           その時、裏のガレージの自動ドアが開いて、1台の車が入ってきた。

           車は、妹のみどりのものと同じベンツのコンプレッサだったが、色が違う。

           そのコンプレッサから、みどりが降りてきた。

           運転していたのは、沼田が知らない男だった。

           黒いダブルのスーツに長いコートを羽織っている。

           少し長い茶髪をしていることから、一般の勤め人じゃないことが解る。

           (また、馬鹿な遊びをしているな)

           沼田は、今まで頭の中に居た、ミシェルと比べてウンザリした。

           みどりは、近寄って来て、「お兄ちゃん、こんな時間に何しているの」と、聞いてきた。

           「ああ、会社の打ち上げで遅くなった」

           「お兄ちゃんがお酒飲んで遅いなんて、珍しいわね。それになんかいいことがあったみたいじゃない」

           「別に....お前こそ、なんだ、あの男は」

           「あれ? あれは、単なる運転手だから」

           「ふーん、茶髪の運転手か....まあ、いい。ガレージのスイッチは、切って置けよ。じゃあな」

           みどりは、コンプレッサの方に歩いていくと、運転手と何か話していたが、

           車は、急発進でUターンすると、家から出て行った。

           みどりが、その車に手を振っている姿を目にしながら、沼田は、別棟の自分の部屋を開けて中に入った。

           シャワーを浴びないと寝られない習慣の持ち主が、今日は、背広さえ脱がずにベッドに大きく身を投げ出した。

           そのまま、眠りに入っていく頭の中で、沼田は、来週になったら、

           また海老原にマカティに連れて行ってもらおうと、考えていた。

           (あそこには、今まで探していた、何かがあった)と、漠とした想いが浮かんできたが、

           その“何か”は、解らないまま、眠ってしまった。

 

           翌日の土曜日、沼田は、正午近くまで寝ていて、

           少し二日酔いの残っている頭を抱えながら棟続きの母屋の食堂に下りていった。

           小さいころから沼田を可愛がっている、住み込みのお手伝いの照子が、朝食の用意を済ませていた。

           「あらまあ、珍しい。昨夜は、お酒なんですか」

           「う、うん...」

           「お酒の翌日は、お味噌汁がいいんですよ。すぐ温めますから」

           「何だか、二日酔いで食欲も無いなあ」

           「だめですよ、おぼ..」

           照子は、お坊ちゃまと言いかけて、

           その呼び方をずっと前に沼田から止められていたことを思い出して、口ごもった。

           「じゃあ。お味噌汁と、目玉焼きだけでも食べてください」

           「ああ そうするかな」

           その時、食堂に母親のさゆりが顔を出した。

           さゆりは、自宅に居るときも常に和服という習慣を変えない女性だったが、今日も隙の無い着こなしだった。

           「芳樹さん、こんな時間に朝食ですか?」

           (みどりの冷たい喋り方は、この母親の性格をそのまま引き継いだからだ...)

           沼田は、母親には、何も返事をせずにテーブルの上に出してあったオレンジジュースを飲み干した。

           「芳樹さん。この前の話、考えてくれました?先方様は、一度お会いしてもいいと、仰るのよ。

           何でも断ってばかりいたら、貴方も、もう36だし、貴方が先にお嫁さんを貰わなければ、

           みどりだって、とっくに過ぎている歳なのに」

           「俺のことは、気にしないで、早く結婚すればいいって、みどりに言いいなって。

           まあ、あいつは、そんなことじゃなくて今になって遊ぶのに忙しいんだろうけどな」

           「もう、本当に貴方達ときたら...。芳也お兄さんもアメリカに行ったきりで、連絡もしてこないで

           私にみんなで心配ばかりかけているんだから...お父さんの立場も考えてよ」

           (貴女が、心配しているのは、世間体だけだろう。

           お父さんの立場といっても、そのお父さんの立場を考えていないのも、貴女だよ)

 

           沼田の父、芳正は、武蔵医科大学の名誉教授で、心臓外科の権威だった。

           兄の芳也も武蔵医科大学を出て、現在は、アメリカのモルガンメイヤー大学の教授である。

           そして、妹のみどりは、外科講師として、武蔵医科大学に勤務している。

           沼田芳樹本人だけが、代々医者の一家の中で、工学部卒であった。

           しかも、工学部でもトップクラスではない、電気情報大学を出て、

           浜松重工業のグループ企業である、浜松電気にどうにか就職できた、味噌っかすだった。

 

           父の芳正は、第二次世界大戦の時に10歳で満州から引き上げてきた。

           満蒙開拓団の物資を商っていた両親から生まれ、

           国民小学校と、高等中学校では、優秀な学童だったが、

           引き上げのときの病気が元で、父親を失い、母親の手一つで育てられた。

           帝都大学医学部を苦学の末に卒業して武蔵医科大学の助手になったときに、

           担当教授の熱心な推薦で武蔵医科大学創始者一族の沼田さゆりとお見合いをして、

           養子縁組の末、沼田家に入った。

           その後、芳也、芳樹、みどりと3人の子供が生まれ、

           芳正自身も武蔵医科大学の講師、助教授、教授と順調に象牙の階段を昇っていった。

           芳樹が生まれたのは、教授時代で、副医局長のポストに任いているときだった。

           医局長選挙の派閥争いが繰り広げられていた年に、芳樹は、はしかに罹った。

           家のことは、妻のさゆりに任せ切りで、医者でありながら、子供の病気を気遣う余裕が無かった。

           妻のさゆりも、旧家のお嬢さまとして育てられたので、世情に疎く、

           幼児である芳樹の世話もほとんどお手伝いの照子に任せていた。

           芳樹は、この時のはしかの高熱による難聴が、

           小学校の4年生になるまで、気付かれずに成長したのである。

           そのため、軽い精神遅滞と考えられた。

           実際には、少し聴力が弱いために呼びかけられた時の返事が遅かったり、

           考え事をしているときの呼びかけに気付かない動作などが、愚鈍に見え、

           母親のさゆりの愛情も兄の芳也や妹のみどりに注がれた。

           そうした、芳樹を不憫に思った照子は、芳樹への愛情をよけいに注いだが、両親の愛情は、希薄だった。

           小学校の高学年からは、難聴が発見されたので、

           その更正プログラムにより、普通の生活に支障のない教育を受けたが、兄や妹と同じ医者の道は、無理だった。

           代々、医者の一族としての家柄が最大の誇りであるさゆりは、

           医者の道を歩けなかった芳樹への態度は、実子でありながら、冷たいものであった。

 

           経済的には、何不自由なく育った芳樹の趣味は、模型つくりや電気いじりで、

           おもちゃだけは、いくらでも買い与えられた。

           工学部から、浜松電気のコースを選んだのもそうした境遇によるものであった。

           世間のうらやむ名家に生まれ、何不自由なく育った芳樹ではあったが、

           愛情の面では、寂しい境遇に育った。

           長じて、自分の出自と境遇を考えるようになったとき、

           芳樹にとって家は、暖かい、帰るべきスイートホームでは、なかった。